おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

『進化しすぎた脳』を読みながら

 信号が青に変わるのを待って横断歩道を渡るとき、青信号が目に入る瞬間と足を出す瞬間とには、どんなに速く動こうとしてもズレがある。だが、前もって歩き出す態勢に入っていると、青信号と同時に車道に踏み出せる。

 これは誰でも日常経験することだろう(いや、そんなことはふつうしないのかな。一番に歩き出せたからって別に優越感にひたれるわけではない)。なんにせよ、足を動かせという命令は青信号が見えた瞬間に脳から送られても、足が本当に動くのは一瞬遅れる(あれ、なんだか、総身に命令が回りかねる恐竜にでもなったような。でも、運動神経にはいくら頑張ってもその程度の遅れは出るということだ)。

 ところが、『進化しすぎた脳』(講談社ブルーバックス)の池谷裕二によると、被験者にボタンを与え、「好きなときに」押すように頼んで脳波をモニターする実験をすると、運動をプログラムする「運動前野」がまず動きはじめ、一秒してからようやく「動かそう」という意識があらわれるそうだ。つまり、

「動かそう」と脳が準備を始めてから、「動かそう」というクオリアが生まれるんだ。あ、厳密にいえば、「動かそう」ではなくて、「『動かそう』と自分では思っている」クオリアだ。だって、体を自分の意志でコントロールしているつもりになっているだけで、実際には違うんだから。つまり、自由意志というのはじつのところ潜在意識の奴隷にすぎないんだ。


とすると、私が青信号を認めた瞬間と足を動かす瞬間のあいだには、足を動かそうと思う瞬間がはさまっているばかりでなく、その瞬間と青信号を認める瞬間とのあいだに脳が動き出す過程が入っているわけだ。

 時間がかかるわけである。

こんな事実から、クオリアというのは脳の活動を決めているものではなくて、脳の活動の副産物にほかならないことがわかる。「動かそう」というクオリアがまず生まれて、それで体が動いてボタンを押すのではなくて、まずは無意識が活動し始めて、その無意識の神経活動が手の運動を促して「動かそう」という行為を生み出すとともに、その一方でクオリア、つまり「押そう」という意識や感覚を脳に生み出しているってわけだ。

 モギ本ですっかりいかがわしくなってしまったクオリアだが、これならわかる。あるいは、次のような説明。

クオリアとは〈抽象的なもの〉だよね。「こわい」とか「悲しい」とかって、抽象そのものだ。(……)たぶん、クオリアもまた言葉によって生み出された幻影なんだと思う。/夢という〈視覚体験〉は脳のなかに存在するんだ。それと同じことで、クオリアも明らかに存在する。でも、喜びや悲しみっていうやつは言葉の幽霊なんだろうね。

 昨日私は友人の家でクッキーを、崩れやすくてちょっと変わったクッキーなんだけど、と勧められた。そのせいで、何も考えずに口に入れるよりはやや注意深くそれを味わいながら、せっかくもてなしてくれているのだし、いや、おいしいクッキーだということを言おうとした(実際おいしかった)。それに、何かいい匂いもしたのでそれを言った。そのあとで、誰か他の人が「ストロベリー味」と言った。
 その瞬間、口の中の匂いと味わいがたちまち「ストロベリー」として同定されたのだった。確かに存在するけれど漠然としたものだった感覚は、命名されてイチゴ味のクオリアになった。

いま僕は正面を向いて立っているでしょ。その姿だけを見て「これが池谷」というのを写真のように覚えちゃったとするでしょ。そうすると、次に僕が右を向いたら、その姿は別人になっちゃうよね。そこで、「右を向いた姿こそが池谷」と、もう一回完璧に覚え直してもらったら、こんどは右向きの姿だけが池谷になっちゃって、正面姿は違う人になっちゃうでしょ。

 これは脳は曖昧性の確保のためゆっくり学習するということを説明しているところだが、まるでボルヘスの『記憶の人フネス』である(ここ参照。フネスの場合、それぞれの「池谷」に固有の名前を与え、すべてを別のものとして記憶する)。

視覚のメカニズムについて。
 網膜から上がってくる情報が視床にとって20%だけ、視床から上がってくる情報は大脳皮質にとって15%だけ、だとしたら最終的に、大脳皮質の第一次視覚野が網膜から受け取っている情報は、掛け算をすればよいのだから、20%×15%で、なんと全体の3%しか、外部世界の情報が入ってこないことになる。残りの97%は脳の内部情報なんだよね。こうしたことを考えると、感覚系の情報処理に自発活動のゆらぎが強烈な影響を与えてもおかしくないよね。

「でも、実際にわれわれが見るものはそんなに揺らがないじゃないですか。白いものを見れば、白く見えるし、黒いものを見れば、みな黒く見える。自発活動の影響はさほどないように思えますが」という学生の発言に池谷は答える。

僕は、むしろ自発活動があるからこそ、白は白に見え得ると思うんだよ。[机を手前に引いて]僕らは、これが先ほどと同じ机だということが確認できるけど、網膜に映った情報だけで視覚が生み出されたとしたら、少し位置がずれただけでも、同じ机だとわからなくなってしまう。

 3%しかボトムアップがないのに、トップダウンによって、つまり、「網膜からあがってきたわずかな情報を手がかりにして、「『机』だと思い込むための機構が作動する」。「僕は、このトップダウン処理を担当しているのは自発活動だという仮説を立てている」 

 トップダウンの自発活動によって脳は欠けている情報を、補い、埋め込む(すべてそれは外から来たものだと私たちには感じられる)。フェルメールの、絵具を粗く配置しただけの画面が私たちの視覚に生じさせていることもこれと通じるのだろうか。
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by kaoruSZ | 2008-12-22 12:21 | 日々 | Comments(0)