おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

萌えとホモフォビア――検閲について(2)

 ホモって言うのは、絶対に自分がその当事者であるってことから離れようとしな
 いんだから、まずホモである自分が説得されないかぎり、すべてのホモに関する
 文献は嘘だという、すごい論破の仕方ができちゃうんだから。その点じゃ、ホモ
 を相手にするっていうのは、女を相手にするより大変なことなんだから。
                                        橋本治『蓮と刀』


 今回パムクについて書く気になったのは、私のエントリをネタに“脳内妄想”を繰りひろげてくれた御仁がいたからだ。むろん同日の談ではありえないし、(ある作家の文章を一箇所変更して借用するなら)「まともに他人のエントリを読解して解釈して論じるだけの蓄積もスキルもなしに差別意識剥き出しの豚野郎であることを露出して恥じない」奴の駄文を云々するのは確かに時間の無駄であるが、一種のステレオタイプ言説だから、“紋切型辞典”用specimenにはなるかもしれない。http://h.hatena.ne.jp/nodada/9234089639431981707

 内容については後で検討するとして、『わたしの名は紅』に戻る。脱落箇所があるのを知って、もっと抜けているところがあるのではと、“MyName is Red”(Alfred A. Knopf, 2001)を眺めていたら、次のような箇所が目にとまった。

I briskly outlined the tail. How gentle and curvaceous I made the rear end, lovingly wishing to cup it in my hands like the gentle butt of a boy I was about to violate. As I smiled, my clever hand finished with the hind legs, and my brush stopped: This was the finest rearing horse the world has ever known. I overcome with joy(...)(276)

 ほとんど他人の手のように自分の手が動いて美しい馬を描き上げてゆくさまを画家自身が物語るシークエンスの終り、絵が完成しておのづから筆が止まるあたりまでであるが、ゴチックにした描写は日本語訳に存在しただろうか? 邦訳(和久井路子訳、藤原書店、2004)の該当箇所と突き合わせてみた。

それから尾を素早く描いた。尻を、今にもやりそうな少年の尻孔のように愛しみながら、手で触れたいと思いつつ、上手に丸く描いた。わたしが微笑んでいる間に、賢い手は後ろ足を終えて筆を止めた。この世で一番美しい、後ろ足で立ち上がった馬になった。心の中が喜びで包まれた。(417)

 訳し落としではなかったが……むろん、邦訳の方が原文に近いという可能性もあるわけで(あまりないが)、トルコ語を全く知らない者にはわかりようがないとはいえ(しかし、むろんパムクは英語はわかるわけで)、本人の書いたものや発言を見れば、洗練の極みに至るまでは筆を止めない修辞によって世界を捏ね上げるマニエリストでパムクがないわけがなく、「心の中が喜びで包まれた」に類する不用意な措辞を許すとはとうてい思えない。

 英訳に従うなら、この絵師は、自分が描きつつある馬の尻に「私が犯そうとしている少年の」――(gentle butt をどう訳そう? 「尻孔」でないことは確かだ)――「愛らしい尻のように両手をあてがいたいと思いながら」――(「あてがう」より、もっと包みこむ、あるいはつかむ感じだろうか、cup itは)――「いとおしみつつ」筆を動かしている。
 つまりここでは、芸術表現と性的欲望ないし(男同士の)官能性が明示的に重ねられているわけで、同様の修辞は他の絵師の語りにも見られる。つまり、この小説における最も重要な要素の一つなのだが、訳者にはそれを「愛しみながら」扱うことができなかったようだ。

 訳者あとがきには、この小説について、《まずミステリとして、「犯人は誰か」としてだけでも面白い。第二に、歴史小説・社会小説として読むと、十六世紀のイスラム社会の風俗、若い娘達の行動、狂信的イスラムム原理主義者と彼に従うグループ、それを毒舌をもって揶揄嘲笑する非合法コーヒーハウスの舞台に立つ噺し家とそこに集るインテリや芸術家たち[中略]スルタンに属する工房とその生活など興味深い。第三にカラとシェキュレの恋の物語としても官能的世界を展開する[後略]》とあるが、第一のミステリ云々はたんに形式を借りているだけだし、二番目については、男色に触れないのでは何も言ったことになるまい。第三の、カラとシェキュレのの恋物語は、これまた人目を引きつけ、話を進めるための口実に過ぎなくて、すでに触れたとおり、官能性は男同士の側にある。

 長い不在の後にカラが見出した、別れた時十二歳だった愛する女は、窓枠に縁取られた絵として、囮として出現する――「その時、氷のはった鎧戸がバンと音を立てて突然開いて、氷がついて日の光でキラキラと輝く窓枠の額縁の中にあの恋しい人を、十二年ぶりに雪の枝の間からその美しい顔をわたしは見たのだった」(64-65)。これは両思いのラヴ・ストーリーではない。女は男に幻想を抱いておらず、行方不明の夫に替わって自分と子供たちを養い、大切にしてくれる、条件の合う男と結婚したいと思っている。自分に恋着する義弟ハッサンがいるものの、思いつめて強姦しかねない男なので、憎からず思いつつも逃れるしかない。自分の思い通りになる男なので彼女はカラを選ぶのだ。

 彼らの結婚に至る話の主人公はシェキュレである。シェキュレの話だけなら、たとえば女の小説家が女を描くリアリズム小説にもなりえたろう(あるいは、『ボヴァリー夫人』のように男によって巧みに構成された――その場合、エンマ・ボヴァリーの想像力の強さは、ボードレールが断言したように男に所属するものとされるのだが――女性像に)。しかしシェキュレは、エンマの対局にいる女である。彼らの関係は、負傷して横たわるカラをシェキュレが口でいかせるところで頂点を迎え、子供たちにはお父さんに薬を塗っていたと言いなさい、とカラはシェキュレに言いふくめる。プルーストの「カトレアをする」が彼らの場合「薬を塗る」になるわけだが、その直後、二十六年後のカラの死をシェキュレは告げる。そして、昼の間に薬を塗っていたため夜は子供たちと寝られたのであり、それが女たちの幸福なのだと。

 義弟に手籠めにされるのではなく、抵抗できない男(カラは傷を負い無力だ)、自分を女神のように崇める男に、昂奮もなくその「小さな口」で快楽を与えることを、彼女は至善の策として選ぶ。自分の自由になる男であり、彼女の欲望の表現ではない。これが、男によって夢見られたものではない女の真実としてパムクが提示してみせたものだ。

「主人公」と呼ばれるカラは影の薄い狂言回しに過ぎず、彼らの恋物語を離れた一篇の真の主人公は――あるいは作中の誰かを作家の分身として指し示すとすれば――それは、《非合法コーヒーハウスの舞台に立つ咄し家》であろう。《狂信的イスラム原理主義者と彼に従うグループ》を《毒舌をもって揶揄嘲笑する》からではない。「わたしは女」と題された第五十四章に至って、「咄し家」は、「女」が男の夢でしかない――「女は存在しない」――こと(だからこそカラの恋は一人相撲なのだ)を、女の姿になってあますことなく語ってみせる。

亡き母の薔薇の刺繍のついている毛の下穿きをはくと、体の中に甘いやさしさが広がって、自分も母のように心細やかに感じました。おばがもったいないといって着なかったピスタチオ豆の色の絹のブラウスが裸の肌に触れると、体の中に全ての子供のに対するやみがたい愛を感じて、全ての人に料理を作って、乳を飲ませたいとの思いがしました。[中略]母の嫁入り道具の櫃の底にあった葉の刺繍をした敷布のそばにある麝香の香りのする靴下の中に隠してあったねじれた金の腕輪をつけて、風呂屋の帰りに頬をより赤く見せようと塗る頬紅を塗って、おばの松の緑色の外套を着て、髪をまとめて同じ色の薄いヴェールをかけて、螺鈿の縁の鏡で自分を見ると身震いしました。何もしなかったのに、目や睫毛は既に女の目や睫毛になっていたのです。目と頬としか見えなかったけれど、わたしはとても美しい女だったのです。そしてそのことがわたしをとても幸せにしました。それをわたしよりも先に気がついたわたしの男性の部分が勃起してしまい、そのことがわたしを悲しくさせました。(530-531)

 このように少年時代の思い出を語る「咄し家」は、カラの欲望の対象が幻想であることをあらためて明らかにしていると言えよう(カラが見出したシェキュレが「窓枠の額縁の中」にいたように、少年が見出す「女」は「螺鈿の縁の鏡」の中にいる)。「女」とは、男がそれを抑圧することによって男になるものであり、彼自身の抑圧された受動性なのである。『わたしの名は紅』が芸術家小説であるとしたら、それは、受動性を受け入れて「女」になれる者こそ芸術家であることを「咄し家」が示してみせるからに他ならない。(つづく)
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by kaoruSZ | 2010-06-25 22:57 | 文学 | Comments(2)
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Commented at 2010-06-29 05:06 x
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