おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

コンラッド、謎の男たち(1)

こんな気候の中にいてもジムはみずみずしさを失わなかった。彼がもし女だったら――と、私の友人は手紙に書いていた――花の盛りというところだな――慎み深く咲いているんだ――スミレみたいに。けばけばしい熱帯の花じゃなく。
                        ジョゼフ・コンラッド『ロード・ジム』
 
よしや空と海はインクのように黒くとも……
                        シャルル・ボードレール「海」
  

 ジョゼフ・コンラッドの小説をはじめて読んだ。もちろん、名前はあちこちで目にしていたし、船員上がりで、成人後に習得した英語で書いた、ポーランド生れの小説家であることは知っていた。たぶん、コッポラの『地獄の黙示録』の原作者というのが一番通りのいい説明だろう。しかし、面白いからぜひ読めという記述にも人にも会ったことはなかったし、雑誌が特集を組んだという覚えもない。日本でも古くから読まれていたはずだが、ポピュラーな作家ではもはやなくなっているのかもしれない。今回、彼の本を手に取ることになったのは、一緒に評論を書いている(http://kaorusz.exblog.jp/322048/)平野智子が、あるアンソロジーでたまたま読んだという『秘密の共有者』について話してくれたからだ。とりあえず、岩波文庫の『コンラッド短篇集』(中島賢二編訳)を読んでみた。まずはその一篇、『伯爵』について述べる。

1 コンラッドの “ナポリに死す”――Il Conde

『伯爵』(1908年)は奇妙な話である。“ナポリを見て死ね”を副題とするこの短篇は、名前の出てこない語り手が、ナポリで短いあいだ交流のあった“伯爵”について語るという形式を取る。国立博物館の、ヘルクラネウムやポンペイから出土したブロンズ像の前で、〈私〉は伯爵と近づきになるが、それ以前から、同じホテルに滞在し、“イル・コンデ”と呼ばれてうやうやしく応対されている、白髪に白い口髭、気さくで身綺麗な、高級な香水と上質の葉巻の匂いを漂わす、非のうちどころのない老紳士を見知っていた。話好きの伯爵は、やもめで、ボヘミアの貴族に嫁いだ娘がおり(彼自身、アルプスの向うのどこかが故国で)、なすべきことは何も無く、ナポリの気候のおかげで持病のリューマチからも解放されて、気楽な暮らしをしているらしい。続けて三夜、良き話し相手との晩餐をともにした〈私〉が、病気の友人を見舞うために十日ばかり留守にして戻ってみると、伯爵の身にとんでもないことが起きていた。残りのページは、伯爵から聞いた事件の叙述にあてられ、ナポリから永遠に去る伯爵の出立を〈私〉が見送るところで終る。

◆事件

 十日前、語り手を駅に送ってホテルへ戻ったのち――帰り道では、カフェでアイスクリームを食べながら新聞を読み、夕食のために着替えて食事をすませ、葉巻をくゆらせながら他の泊り客と言葉をかわし、しかるのち国立公園で催される音楽会に向かった――伯爵は、辻馬車で海岸まで行き、公園の海岸沿いに続いている長い並木道を徒歩でたどって、音楽を聴きに集まった上流人士に合流する――「彼もその人込みに身を投じ、人々の流れに身を任せながら、音楽に耳を傾け、まわりの顔を眺めて、心静かに楽しみに浸っていた」。しかし、カフェでレモネードを飲み、さらに歩き回るうち、「伯爵は、人込みの中で誰もが味わう、息苦しいような雰囲気に飽きてきて、少しずつ楽団から離れていった。並木道のほうは、楽団のそばとは対照的に闇が濃く、人気もなく、清々しい涼しい空気を約束してくれるように思われた」。彼が若い男にナイフで脅され、金を奪われたのはこの暗闇の中である。緊急用に金貨を身につけていた伯爵は、気もそぞろなままレストランに入るが、なんと客の中にさっきの犯人らしき男がいる。物売りに尋ねると、名家の「若様[カヴァリエーレ]」で、カモッラ党(マフィアのような犯罪秘密結社)のリーダーだという。近づいてきた若者は、彼だけに聞こえる罵倒の言葉を投げつけて去る。話しながら伯爵は震えていた。その後一週間、床についた伯爵は、ある決心を語り手に告げる――「やっと床から起き上がれるようになったから、この地を去る支度をしているところです、と彼は話してくれた。二度と南イタリアには戻らないつもりで。/他の気候の土地に行けば、まる一年と生きられないと確信していたはずなのに!」

私がどんなに説得してみても効果はなかった。伯爵は一度、「あなたはカモッラ党がどういうものか御存じないんですよ。私はもう眼をつけられてしまいましたからね」と言ったが、それが臆病ゆえの言葉でないのは明らかだった。自分の身がどうこうされるというようなことを恐れていたわけではなかった。品位を重んじる繊細な気持が、屈辱的な体験で汚されてしまったことに、伯爵は耐えられなかったのだ。過度の名誉心を傷つけられた日本の侍でも、彼ほどの決意を持ってハラキリに臨みはしなかったろう。故郷に戻ることは、気の毒な伯爵にとって、間違いなく自殺であったのだから

 日本の読者の目にはいささか唐突な「侍」(原文はJapanese gentleman)の登場だが、実は「ハラキリ」の比喩は、伯爵がナイフを突きつけられるところですでに出ていたものであり、これについては後で立ち戻ることになるだろう。ともあれ、伯爵の死は、すでに決定された事柄であるかのようだ。実際、駅頭で伯爵を見送る語り手は、「彼は間違いなくナポリを見た! そう、伯爵は万般見つくしてしまった。そして今、彼は墓へと向かっていく。国際寝台列車会社の特等車に乗り、トリエステ、ウィーンを経由して墓へと戻っていくのだ」と断言する。 “ナポリを見て死ね!”――一篇はこの格言で締めくくられる。語り手は、ナポリを“見た”伯爵が、まさに死へ向かって出発したと言っているのである。

 しかし――ここに書かれているのは本当にそういう話だろうか? 伯爵は何を見たというのだろう。“ナポリ”とはいったい何なのか。ちなみに、訳者のあとがきでは、この短篇は「ナポリに根を張っていた政治的・犯罪的秘密結社、カモッラ党メンバーからの理不尽な暴力に精神的に傷つき、自殺に等しい死を選ぶ老貴族が描かれる」と解説されており、訳者も語り手と同意見である――〈私〉の語りに何の疑いも抱いていない――ことがわかる。しかし、私が最初に「奇妙な」と呼んだのは、そんな話では全くない。

◆美を見た者は

 奇妙なのは、第一に、強盗がむやみに美しいことである。そのことは、この短いテクストの中で、二度も言葉を尽くして述べられている。音楽会に集まってきた人々が紹介される際、その“タイプ”は次のように書かれる――

伯爵が話してくれたところによれば、一番目立ったのは、南イタリア特有のタイプの若者だったそうである。白面の肌も綺麗な顔色、赤い唇、漆黒の口髭、横目をつかったり顔をしかめたりすると驚くほど魅力的な、澄んだ目元を持った若者だった。

 むろんこれはまだ強盗の描写ではない。カフェで、「ちょうどそんなタイプの若者の一人と」相席になったと語られるのみだ。暗い表情をした若者と伯爵は、そこでは交渉を持たなかったが、「その後、楽団の近くを歩き回っているとき、伯爵は、その若者が一人だけで人込みの中をぶらついているところを二度ほど見たように思った。一度は眼が合った。さっきの若者にちがいないと思ったが、なにせ、そんなタイプの男はたくさんいたので、はっきりとは確信が持てなかった」。そして伯爵は暗い並木道のほうへ入ってゆき、「やがて、オーケストラの音も遠のいた。そこで、彼はもう一度引き返して、再び辺りをそぞろ歩いた。こんなことを何度か繰り返しているうちに、伯爵は近くのベンチに人がいることに気がついた」。

 伯爵が〈私〉に語ったところによると、そこにいたのは、「カフェで、暗く沈んだ顔をしていた男ですよ。人込みの中で会った男です。でも、本当のところは何とも言えません。この国には、そのようなタイプの若者はたくさんいますから」。二度、三度、伯爵はベンチに接近する。つと、青年は立ち上がり、「ほとんどそれと気づかぬうちに」、「伯爵の眼の前に立ちはだかると、低い穏やかな声で、すみませんが、あなた(シニョーレ)、煙草の火を貸してもらえませんか、と言った」。結局、この男が強盗に豹変するのだが、その外見がようやく描写されるのは、伯爵がレストランに入った後である。

伯爵は、注文したリゾットが早く来ないかとあたりを見回した。すると、なんと! 左手の壁を背にして、あの男が座っているではないか! 彼はシロップかワインの瓶と氷水の入った水差しを前に置いて、一人ぽつねんとテーブルに座っていた。滑らかなオリーブ色の頬、赤い唇、粋に跳ね上げた漆黒の小さな口髭、少し重たげな長い睫毛で隠された美しい黒い瞳(め)、そして、いくつかのローマ皇帝の胸像のみに見られる、残忍で不満げな独特の表情。間違いない、あの男だ。しかし、それはいくらでもいるタイプだ。伯爵は急いで眼を逸らした。向こうのほうで新聞を読んでいる若い士官も同じタイプだった。さらに遠くのほうでドラフトゲームに興じている二人の若者もそっくりだった。/伯爵は、あの若者の幻影に永久にとり憑かれるのでは、と空恐ろしくなり、思わず顔を伏せた。

 要するに、それが伯爵の “タイプ”なのだろう。「あの若者の幻影に永久にとり憑かれるのでは」? なに、出会う前からとりつかれていたのだ。〈私〉は何も気づかぬまま、読者に情報を提供しているが、これは伯爵の一人称だったら出せない効果で(まさにそのために語り手はいる)、語られているのはあくまで〈私〉が「眼に浮かべる」伯爵、つまり語り手の目を通した彼である。〈私〉は伯爵をすっかり理解しているかのように振舞っているが、実は知り合って間がないのであり、おしゃべりには向いていても、伯爵にとってとうてい真実を明かせる相手とは思えない。にもかかわらず、彼が見た伯爵像を素朴な読者は信じることになる。伯爵が語り手に聞かせたこと、あるいはそこから語り手の引き出したことしか私たちには伝えられない。とはいえ、それは語り手の思惑を越えて私たちに与えられる重要な手がかりだ。

 伯爵は〈私〉に真相を語っていない――彼の眼に映る伯爵像から、一ミリでもはみ出すようなことはけっして。それでもなお、〈私〉の口を通して二度までも語られる若者の美しさは、あたかも伯爵にそれほどの傷を負わせたのが、その圧倒的な美そのものであることを示すかのようだ。伯爵との出会いを語りながら、〈私〉は博物館の展示品についての伯爵の意見を、いかにもどうでもいいことのように――「ついでに言えば」と前置きして(しかもカッコ書きで)引いていた――「(ついでに言えば、彼[伯爵]は、大理石のギャラリーに並べられたローマ皇帝の胸像や立像は好きになれない、と話していた。強すぎて、決然たる感じが出すぎているのが、どうも自分の趣味に合わないのだ、と言っていた)」。しかし、「いくつかのローマ皇帝の胸像のみに見られる、残忍で不満げな独特の表情」という、すでに引いた文句をあわせ読めば、伯爵の本音がどこにあるかは容易に推測される。ローマ皇帝の大理石像は、その尊大でサディスティックな表情が、彼にとってあまりに魅惑的であったため、その前を黙って過ぎるわけにはいかなかったのだろう――あえてそうした発言によって、その事実を否定してみせねばならなかったほどに。

 公園の暗がりで、若者の求めに応じてマッチを取り出そうとした伯爵は、「胸骨のすぐ下」、「日本の侍がハラキリを始めるときに最初に刀を当てる、まさにその部位」を何かが押すのを感じる。それは「長いナイフ」であり、現金は渡しても亡妻からの贈物と父の遺品の二つの指輪を渡すのを拒んだ彼は、覚悟を決めて目を閉じる――「人の身体で一番痛みに敏感な鳩尾にぐっと押し当てられた、刃渡りの長い尖ったナイフで」、腹を「ぐりっと抉られるのを」覚悟しながら――

突然、伯爵は、悪夢のような圧迫感が敏感な部位から取り除かれたのを感じた。眼を開けてみると、すでにその男の姿はなかった。(…)しかし、ナイフが消えた後も、ぞっとするような圧迫感はいつまでも残っていた。

 それにしても伯爵は、なぜ、わざわざ、人気のない暗がりへ入って行ったのか(不自然さを感じさせないよう、もっともらしい理由づけ――「清々しい涼しい空気」を求めて――がなされているが)。さらには、ベンチに腰かけた若者の周りをうろついたりしたのか(「私は、彼がいつもながらの物静かな態度物腰で、南国の夜の香しさと、距離をおいたことで気持よく和らげられた音楽の響きを、心ゆくまで楽しんでいるさまを眼に浮かべることができる」と、語りは言いくるめる)。そもそもタバコの火を借りるとは、時間や道を訊くのと同じ、古い手ではないだろうか? 要するに、この短篇は、コンラッド版『ヴェニスに死す』ではないかと私には思えたのである。ただし、手を触れえない美少年を遠くから眺めることとは対極にある、向うから攻撃されて外傷を負うという形の――。

“ナポリを見て死ね”とは、つまるところ「美を見た者は、早くも死に囚われている」(プラーテン)ということではないか。それまで後ろ指さされることとは無縁だった、「人生の喜びも悲しみも、結婚、出生、死といった自然の流れによって定められ、上流社会の慣習によってあらかじめ規定され、国家によって守られたものだったに違いない」、要するに“自然の流れ”にそって制度の枠内で生きてきた伯爵は、もののはずみ(?)で暗い道に踏み迷っての自己発見の結果、死にまで追いやられようとしている(ヴェネツィアではとどまることがアッシェンバッハを斃したが、ここでは逆に、去ることが死を意味する)のではないだろうか(ちなみに『ヴェニスに死す』は1912年発表。『伯爵』の四年後である)。

◆別の読み方?

 たぶん、私が知らないだけなのだろう、と私は考えた。これだけはっきり書かれているものが(私の要約だけですでに真相に気づいた方もおられよう)見過ごされていることはよもやあるまい。まだ、岩波文庫の「解説」にまでは、反映されていないとしても――。そこで、“ジョゼフ・コンラッド 同性愛”と打ち込んで(さらに“伯爵”を加えて)検索してみたが、何も出ない。コンラッドについての日本語の論文はあるが、箸にも棒にもかからないレヴェルである。専門の研究者はというと、どうもコンラッドに関してポストコロニアリズム的にしか興味がないようだ。一般の人のブログで、「身内の冠婚葬祭を繰り返すうちに、いつしか自分のまわりには誰もいなくなって」しまっている伯爵という、語り手の判断をそのまま受け入れた同情的な感想ならあった。語り手並みに人の好い方らしい。

 ところが――ためしに英語でいくつかキーワードを打ち込んだところ、またしても驚いたことに、私が嗅ぎつけたようなことはすでに常識であるらしかった。たとえばここ   
http://dansemacabre.art.officelive.com/ilconde.aspx――『伯爵』のテクスト全文と短評であるが、それによるとこの小説は、ナポリで快適な生活をしていた老紳士が、「若い男の形を取った人生の暗黒面」に出会うことを余儀なくされてナポリを出てゆく話だと長いあいだ思われてきたが、「何年か前から、それとは別の読み方が出てきた。伯爵を無辜の被害者ではなく、その運命の共犯者と見る読み方である。この読み方は、伯爵はセックスの相手にする若い男を漁るため、演奏会へ行く通常の道から故意に外れたと主張する」。この読み方では、伯爵は、強盗に襲われたのではなく、ハッテン場で恐喝に遭った。「伯爵はもはやナポリが安全とは思えないからではなく、恐喝と暴露を恐れてナポリを去る」(John G. Peters)というのである。

 なるほど、辻馬車を途中で降りて暗い並木道を行くのも、若者と相席になったあとの挙動もそれで腑に落ちる。恐喝とは思いつかなかったが、要するに、黙って眺める片思いから、強盗/殺人の被害者まで幅があるのだ(ドミニック・フェルナンデスは短篇『シニョール・ジョバンニ』で、『ヴェニスに死す』を引き合いに出しながら、この両極端の間に引き裂かれた美術史家ヴィンケルマンを描いていた)。こういう説はすでに1970年代に出ていたらしい。

 しかし、伯爵がハッテン場の常連だったとしても(「ヨーロッパ全土から次々とやって来る旅行者の中から、一日だけの、ときには一週間の、場合によっては一カ月に及ぶこともある仮初の友人を見つけて、暮らしていたらしい」とはそういう意味だったか)、恐喝と言ってしまったのでは、話がいかにも切りつめられてしまうのではないか。伯爵が〈私〉に聞かせた単純な物語には、思いがけない過剰な情動が伴っている。ちょうど、顕在夢が、その内容に不釣り合いな強い情動を備給されているように(むろんそれは別な体験に属するのであり、表面に見てとれるのはその置き換えなのである)。それは、伯爵が無垢な被害者ではなく、男漁りをしていたのだと気づかない読者にも、明らかに感じ取られるであろう、最も素朴な読者にさえ、熱に浮かされたような強度として迫ってくるはずのものだ。これを「恐喝」の結果と置き換えてしまったのでは、すべての推理小説で最後に種が明かされるのと同様、興を殺ぐのではあるまいか。いずれにせよ、そこにホモエロティシズムが充填されていることは見間違いようがない。長いナイフを「敏感な部位」に押しつけられた伯爵は、完全に自己を放棄し、無防備に身をさしだしている。

◆「彼の美しい年老いた顔」

 平野智子にも『伯爵』を読んでもらった。ローマ皇帝の像についてのトピックが、生きた若者の「残忍で不満げな表情」として反復されていることを指摘してくれたのは彼女である。そう、伯爵は、嫌いだとわざわざ言明しなければならないほど、「残忍な」若者が好きなのだ。伯爵は確かに恐喝を受けたのかもしれないが、と平野は言った。要するに、夜中に散歩していてハイドに殺されてしまう、あの年寄りの議員のようなものだろう……。

 あの年寄り――ロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説で、夜道でハイドに殺されるサー・ダンヴァーズ・カルーは、光文社文庫版の『ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件』では「年配の上品な紳士」と表現されているが、エレイン・ショウォールターの『性のアナーキー』で引用されている当該箇所では「老齢の美男子」と訳されていて、原文のaged and beautifulはこちらの方が近いのだろう。ショウォールターの示唆によれば、傍(はた)からは老人がハイドに道でも尋ねているかと見えたのは、年を取っても容姿に自信のあったカルー議員が、夜道で男に声をかけて殴り殺されたのである()。われらが伯爵も、カルー同様、「美しく老いた顔」(his handsome old face)をしている。そして、ロンドンの上院議員同様、闇に紛れて男をハントするため、目的地の手前でわざわざ馬車を降りて暗い道を行き、また、目をつけた若者がいるテーブルに進んで同席して自らを提示したのだ。しかし、運命的な出会いの相手が醜く不快なハイドではなく、澄んだ目元の、美しい黒い口髭の、そして「ぎょろっと眼を光らせ、白い歯をぎりぎりと軋らせ」る時は「ぞっとするほど残忍な様子」の若者であることは、コンラッドのこの短篇をきわ立って特徴づけている。

 一方には、語り手と伯爵が国立博物館で見たような、ヴィンケルマン的、ヴェニスに死す的彫像やブロンズ像があるのだろう。そして一方の極には、言うまでもなく、オリーヴ色の肌、赤い唇、漆黒の口髭等々で構成された生身の肉体がある。フェルナンデスに言わせると、ヴィンケルマンは手の届かない上流階級の金髪の青年およびその等価物である純白の大理石像と、手を伸ばせば届く(実際には困難だった)後者の間で引き裂かれていた。しかし、伯爵は、美術品への穏当な愛の表明(ディレッタントや目利き[コネスール]のものではないが、「実に的を射た感想」が伯爵からは聞けたと〈私〉は言っている)と、オリーヴ色の若者相手の実践の、両方にたずさわっていたのである。アッシェンバッハと違って、彼にあっては芸術と現実はなだらかに続いており、朝には逸楽的なローマ人が遺したブロンズの男性ヌードを鑑賞しながら芸術を語り(「彼の審美眼は、修養で得たものというより、ごく自然なものだった」と語り手は言う)、夕にはそうした美を体現する生ける彫像を探しに行くことができた。語り手のそうした言葉の意味も、そこまでわかってはじめて理解できるというものだ。

 自らも以前カプリに別荘を借りていたことがあるという(カプリ島が何で有名であったかは言うまでもない)伯爵は、ナポリ湾周辺に別荘を建てた古代ローマの貴族について話しながら、「ローマの上流人士たちは、辛いリューマチに特に罹りやすかったのだと思っている」とつけ加えていた。これを聞いた〈私〉は、「彼は、世の中の普通の物知り以上にローマ人について知っているわけではなく、自分の体験に鑑みて言ったにすぎないと」思い、彼自身が南イタリアでリューマチから解放されたことに単純に結びつけてしまうが、ローマ人の生活についてなら、伯爵には他にも「自分の体験に鑑みて」言えることがあったのである。

◆ナポリを見た者

 ヴィンケルマンが同宿の強盗に殺され、カルーがハイドの手にかかったことを思えば、『伯爵』の運命は彼の生活同様、相対的に穏当なものと見えるかもしれない。しかしそれは紛れもなく「死」という言葉で――“ナポリを見て死ね”という言葉で――表現されうるようなものなのだ(なぜ彼が「死」にまで至るのかを、名誉心だの繊細さだのという言葉で考察してきた人が大勢いるに違いない)。「“ナポリを見て死ね”とは過剰に自惚れた諺であり、すべて過剰なものは、哀れな伯爵の上品な中庸とは趣味が合わなかった」[拙訳]と語り手は言う。しかし、ナイフを突きつけてくる若者の美以外に、『伯爵』におけるどんな“過剰なもの”がありえよう。そして、語り手には中庸=穏健の人としか見えなかった伯爵は、実は、過剰なものに身を捧げる用意のある人だった。鈍感な語り手も、「伯爵は、この諺の自惚れた精神に、奇妙なほど忠実に従ったと言えるのではなかろうか」と言っている。だが、 “彼は間違いなくナポリを見た!”とパセティックに断言する語り手には、皮肉にも“ナポリ”の意味がわかっていない。伯爵は間違いなく“ナポリを見た”のであるが。

 無邪気な語り手、無邪気な読者はナポリを見ていないのだと平野智子は言う。『ヴェニスに死す』の、ようやく得た社会的地位に縛られ、抑圧された哀れな作家と違って、伯爵はその身分と財産に守られ、身過ぎ世過ぎにわずらわされずに、葛藤のない、欲しいもの(男)は金で得られる生活を送ってきた。しかし、ある日、これ以上無い至高のものに思いがけず出会ってしまったため、そしてそれは、他で探しても見つからない、けっして手に入らないものであるために、生き続けること自体が無意味な状態に陥ってしまったのだと。なるほど、そういう解釈なら、「恐喝」(だけ)に還元するのと違って納得がゆく。『ヴェニスに死す』を書く以前にトーマス・マンに『伯爵』を読む機会がありえたかどうかはわからないが(1926年には、マンはドイツ語訳のコンラッド作品集第一巻に序文を書いている)、もし読んだのなら読めなかったはずはないから、伯爵を、そしてここまで大胆に書けた作家をねたましく思いつつ、お得意の「芸術家小説」に変換してあの本を書いたのだと根拠のない想像をしてみることもできる。

 これについては拙稿「In Queer Street――ポールの奇妙なケース」で触れた。掲載誌『ポールの場合』購入は「ロワジール館別館で見た」とお書き添えの上、こちらまで。
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by kaoruSZ | 2011-08-15 18:33 | 文学 | Comments(0)