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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

金メダリスト柔道コーチの教え子強姦事件に対する歌川発言をめぐる騒ぎについて

 以下は標題についてtwitter(http://twitter.com/#!/kaoruSZ)に書き継いだ断章をまとめたものである。件の金メダリスト、私は全く知らなかったが、歌川たいじ氏にしても同様で、ゲイだとカムアウトしているマンガ家で選挙に出たりもしているらしいが、知名度がどれくらいあるものか判らない。しかし、ゲイ男性の中では当然のことながら有名なのであろう、内柴事件への彼の発言に対し、twitterにおいて非難が相次いでいるのを見た。それについて思うところを書いたが、twitterで拾うのはいかにも読みにくいのでここに置くことにする。なお、文中に出てくるデヴィ夫人によるセカンドレイプとは、女である被害者は強い男性から性交されることを望んでいたはずで、事後に相手の態度が変わって訴えたのだろうと断定的かつ恫喝的にブログに書いたことを指す。

誤字脱字、段落のみ一部修正、ゴチック等の編集を加えた。なお、原文はtwilogで読むことができる。http://twilog.org/kaoruSZ

2011年12月09日(金)
(…)TL等を見てどうにも気分がよくないので「内柴く〜〜ん、相手がゲイだったらみんな大歓迎なのに〜〜」発言について書くことにする。急いでつけ加えるが私は歌川たいじ氏のこの発言で嫌な気分になったのではない。「せんせ〜〜い、歌川くん悪いんですよ〜.」という騒ぎにである。

参照先http://togetter.com/li/224709 まず、歌川氏がゲイなら被強姦OKと言ったのではないことを確認したい。ゲイなら同意の下に性関係を持てたろうと言っている。これは状況を異化するものではあっても被害者軽視ではない。勿論「デヴィもイケメンの味方なんだw」発言はNGだが。

 歌川発言は第一義的には加害者への揶揄だ。ゲイも強姦される事が隠蔽されるというがそれはまた別の話。ここで女と同じように男もと言うことは、男にとっては軽口の種にし笑い飛ばせることが女にはシャレにならないという非対称性を隠蔽する。誰も、ゲイならみんな内柴オケなのかなんて思わないよ。

 男同士が快楽を目的に性関係に自由に合意することと、女が男に同意することとは違う。輪姦でも同意ありと言い張るリアリティの無さは、金か愛情か婚姻か理由づけは何であれ女はそもそも男に「やられる」べきものと信じられているからだ。男の身体を持った者がこのように規定されることはありえない。

2011年12月11日(日)
 歌川発言続き。私は氏自身は軽薄と思うが悪感情は持たない。女の被害の大きさが分らないのは単に男だから。被害者を軽視ではなく女に無関心なのだろう。ちなみに「関心」満々でセカンドレイプする男最悪。私が不快なのは発言を機に湧き上った怒りと反省の道徳的言説(女のためには全くならない)だ。

 ゲイが性的暴力やセクハラ歓迎なんてありえないとゲイ男性がツイートしていた。歌川氏そんなこと言ってないだろう! コーチに姦られるファンタジーなんてゲイポルノには幾らでもある。レイプされる性的空想について語る同性に男が誤解するからやめろと干渉する女とおんなじ事をなんで男がやるのか。

 今のは修辞的疑問ではない。元発言を離れて(曲げて)何が忌避され、嫌悪されてるのか。やっぱり「犯されたがっている女」というイメージだろう。ゲイが「女」扱い、娼婦扱いされるのが嫌なのだ。やおいが男女関係の写しという非難が、要するに女扱いされたくないミソジニーから来ているのと同根。

2011年12月22日(木)
 歌川発言もう収束したのだろうし、発言自体には興味がないと前にも書いた。むしろあれへの反響の不愉快さの正体について9ー11日までにツイートし、別口の議論で中断したが、少々補足して終りたい。

 twilogもあるが簡単にまとめれば、私の嫌な気分は発言を機に噴き上った怒りと反省の道徳的言説にあり、元発言を離れて(曲げて)、嫌悪、忌避されているのは「犯されたがっている女」というゲイイメージであり、それは女扱いされたくない「ミソジニー」から来ていると論じた。

 女が道徳に頼るのは(感心しないが)理解できない訳ではない。「これから犯します」的言説や、同意の有無が女に不利に解釈されるのでも分るように、女はスキがあれば犯してもよい存在とされている。礼儀や品性や女の貞淑さでしかそれが押しとどめられないと分っているから多くの女は道徳に走る。“正しい女”でないとひとたび裁定されればどんなことになるか。デヴィはそれを利用してセカンドレイプした訳だが何をしているかは本人重々承知していよう(彼女自身その中で生きてきた訳で)。今回私が一番気分が悪かったのは“歌川氏に道徳的非難を向けた人たちが自覚なしにやっていた事”だ。

 歌川氏の「ゲイだったら大歓迎」発言は、ゲイに対する偏見を増す―見境いなしに相手構わずセックスし長期の関係を築けないと見なされる―と非難されていた。しかし、「唯一の相手との永続的な関係」とは“正しい異性愛”のコードそのものではないか。それも、実際には女に偏って適用される種類の。女にとっては強制であり抑圧であるようなものを、道徳的であれと規範から強制されている訳でもないゲイ男性がなぜ称揚するのか。ゲイの関係性やパートナーシップの考察は、ゲイの性被害者の問題同様、この事件とは別の議論だろう。

 女から誘うとは突きつめれば売春婦のものとされる行為である。ゲイから誘われホモセクシュアルパニックに襲われたと称する加害者が無罪になる時、そのゲイとは「女」であり、その根源にあるのはゲイへと向けかえられたミソジニーだ。

 正しくない、男を陥れ、破滅させるような女(誘っておきながらレイプだったと騒ぎ立てるような)は何をされても仕方がない。そのような女こそデヴィが被害者を仕立てようとしたイメージだ(彼女は男には文句を言わず、夫人という称号を手放さず、けっして騒ぎ立てずに他の女を叩く事に向かう)。

 ゲイが自分たちはそんな「女」ではないと言い立てたところで本物の女を抑圧するだけだ。歌川氏という、ゲイの“ふしだらさ”を衆目にさらしてしまった、恰好の標的を得て、男の不道徳をなじる女のように生真面目に、貞淑に振舞いはじめる人たちは、どんな先生にほめられたいのか。そうする人にはそれなりの動機があろうがそれが被害女性のためでもあるように語られるとしたら欺瞞でしかない。女の場合は、自分は貞淑であり“ふしだらな女”ではない、従って保護や支援に値するというアピールをし続けるしかないが、ゲイは男なのでその気になれば「女」そのものを他者化できる。

“正しい”ゲイイメージを保とうとするゲイ男性は、戯れに女を演じることはあっても、いつでもそこから降りる特権を持っている。しかし、スティグマは生物学的女性に残され、女はそこから逃れられないのだ。

2011年12月26日(月)
RT @noname_gay: @me_me658 「ゲイならレイプ歓迎」に対して、マジで「僕はゲイだけどレイプは嫌です!」と批判するのは実はあんまりピンとこないんですよね。この元発言から本当に「ゲイはレイプOKなんだ!」って思う人はさすがにいない気がしたので。このあたり受け取り方は人によって異なるかもです。

“マジで「僕はゲイだけどレイプは嫌です!」”←学級会の発言かと思ったわ。

2011年12月27日(火)
 12月2日に、“男は「痴漢総攻撃されるゲイAVを目にしても」脅かされないが女はそうでないことについては構造的な理由(実現可能性の高低ではない)を指摘できるはず”と書いてそのままになっていた。続きをやることにする。

 @NaokiTakahashi さんが 「すげーもんがあるなあとか、人によっては嫌悪感とかは」あるかもしれないが恐怖は感じないだろうと書かれていた通りで、男はそういう表現を怪物に襲われているのを見るように傍観者として見ることができる。面白がるも異常視するも自由。

 しかし女にそのような“遊び”(機械に“遊び”があるというような)の余地はない。それは、単に現実の攻撃が高い確率でありうるという理由からではない。男は性的対象として描かれたとしても、それが男の本質だなどということにはならない。しかし女は制度的にそのような存在として規定されている。ヘテロ男性が男に犯されるポルノがヘテロ男性にとって脅威にならないのは、自分に向けられた欲望を「否定するのが当然のものとして」否定できるからだ。

 男は、同性からの欲望を、自分の欲望は別にあり、それは女との性交だという、文句のつけられようのない理由で否定することができる。自分を狙わないでくれよと言ったとしても、それは脅えによるのではない。男には、「男のファンタジーを内面化して男に相手にされる」必要は全くないのだ。

 女にはそういう態度はありえない。本当に拒絶したら女としての居場所がない。道徳を楯にして拒むか、それとも応じるか。“正しい女”になるか“娼婦”になるか。拒否することも受け入れることも織り込み済みの反応であり、レイプとはそうした状況を極限化したものに過ぎない。

 言うまでもなく、正しさの範囲は時代によって変わる。「結婚を前提に」「許し」ていた人たちから見れば、今の女は“娼婦”としか思えまい。しかし、もちろん“娼婦”が性を謳歌している女というわけではないので、「男の性的ファンタジーを内面化して男に相手にされる」ことが素人女にまで要求されてきたとも言える。“正しい女”であれば守ってもらえた過去に較べて、別の部分でより苛烈になっているとさえ言える。

 この話、歌川発言をめぐる一件と、実は通じるものである。あれに対する(主に)ゲイ男性の道徳的リアクションに覚えた私の違和感、不快感については、9-11日及び22日にポストした。さらに、@noname_gayさんの発言は頷けたので上にリツイートしてあるが、彼はまた次のようにも言う。

RT @noname_gay:@me_me658 はい、「「ゲイは歓迎」って言ってるだけ」的な要旨でしたよね。自分も内柴イケるので可能ならヤリたいとは思っています(笑)ちなみに「ゲイならレイプ歓迎」については、ゲイの場合レイプさえもファンタジーにすることがあるので、自分はそれほど問題視はしてませんでした。

 前半は、歌川氏が「レイプ歓迎」と言っているのではないことの確認。後半について―「レイプさえもファンタジーにする」のは別にゲイに限ったことではないが、女の場合との違いは、通常女は歌川氏のように能天気には公言できないということだ。現実の強姦の被害者が公然と誹謗されるのだから。

 ここで理不尽な目にあっているのは女であってゲイ男性ではない。ゲイ男性がヘテロ男性の目から女と見なされることがあったとしても、どこまでもゲイ男性は男である。つまり、本人の固有な性的欲望があるのが当然(男だから)と思われている。つまり、ヘテロの男が自分には固有の欲望(固有のファンタジー)があると主張して他の男からの欲望を拒否できるのと全く同じように、ゲイ男性は(男だから)ヘテロの男と違うファンタジーを持つことを当然と思われている。

 むろん、欲望とはそのようなタコツボ的に決定されたり、別々に固定されたり、それだけが宙に浮いているようなものではなく、流動的、横断的な、“遊び”のあるものであり、それは女にとっても同様だ。だからこそ、彼女の欲望は男にとっての女という枠には収まらないのだ。しかし、女には男のファンタジーを補完することしか許されず、女として生きるために女は男の考えを知ろうとし、必死に男に合わせようとする。逆に男が女を分らないのは当然のことながら彼女が予定調和的に男を補完する存在でなどあるわけがないからで、単にその余剰の部分を男が謎と呼ぶのだ。

 こうした事情が呑み込めているとも思われない、ためにする学級会的議論の不愉快さについてはすでに述べた。繰り返しになるが、男のくせに女を抑圧する女の真似をしてどうする、ということだ。
by kaoruSZ | 2011-12-29 20:26 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)