おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

tatarskiyの部屋(1)笙野頼子(一人で)アンチスレ

twitterで140字ずつ投稿するのにすっかりハマってしまい、久しくこっちに戻っていなかった。                                        

http://twitter.com/#!/kaoruSZ
http://twilog.org/kaoruSZ
   
連続ツイートもしているので、長いものはおいおいこちらにまとめるつもり。
 
今回は私のではなく、一緒に文章を書いている(http://kaorusz.exblog.jp/322048/参照)tatarskiyさんのツイートのまとめに場所を提供した。このシリーズは今後も続く。


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佐藤亜紀氏が私への中傷を重ねている件については、上記ツイッターの5月24日以降のポストもぜひご覧下さい。
佐藤亜紀氏の読者のような良い趣味をお持ちの方なら、私の記事は当然お気に召すことでしょう(「最新の記事」欄を参照されたし)。どうぞごゆっくりお過しください。(鈴木薫)



(2012年6月5日ツイートより追記)

tatarskiy1@tatarskiy
色々途中ですが、馬鹿には何で私が笙野頼子はただのミソジニストだと言ったのかわからないようなので。たとえば「人種差別はよくない」とかもっともらしいことを言ってる奴が同じ口で「ホモや女装をするような奴はリンチされても仕方ない」と言ってても人道主義者だと思えるのかと小一時間(ry→


6月3日N/A ‏@carpe_diem435
私にとって、ずっと辛かったのは、「BLは 、フェミニズム的な意味を持つからこそ、価値がある」とされてきた事かもしれない。それは、正しい女であるために好きな物であり、加えて、何故か「いつかは卒業すべきもの 」とされていたな。うん。
tatarskiyさんがリツイート

tatarskiy1@tatarskiy
要は笙野頼子のやったことは上のRTで指摘されてるような抑圧的な意見の典型なんだよ。どんなにもっともらしく女性差別への批判をまくし立てていようが、「私はあんな道徳的に間違った女たちとは違う。一緒にされたくない」とわめいたならそれだけで貞淑な差別主義者の馬脚を現しているにすぎない。→

tatarskiy1@tatarskiy
「女性差別は不当だが、BLを好きな女は道徳的に間違っているから差別されて当然。断罪された後フェミに目覚めることで“健全”になるのが望ましく、自分はそのモデルケースだ」とアピールしてただけだよあれは。女の空想上のセクシュアリティは今も間違いなく最も認められていない人権の一つだね。→

tatarskiy1@tatarskiy
結局、性欲や性的ファンタジーをヘテロ男性をモデルに考えて罪悪視してるから「自分にはそんなものは無い」と言い張らなければ男を批判する権利がなくなると思い込んでるんだよね。つくづく凡庸な臆病さの発露でしかないけど。何度も書いたがヘテロ男性のそれは制度=権力でその女版なんか無い。

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笙野頼子(一人で)アンチスレ      tatarskiy


笙野頼子がフェミニスト面して持ち上げられてるのって、最低最悪におぞましい光景だわ。『幽界森娘異聞』って、森茉莉を一方的に政治的な正しさの高みから見下しながらダシにした、腐女子の人に対する悪質なヘイトスピーチ集でしかなかったと思うが。

要は「私はちゃんとフェミニズムに目覚めたからやおいなんていう政治的に正しくないものは卒業したの! 私は正しい女なの! だから私のような正しい女になれない腐女子のことは率先して断罪するの! それは森茉莉みたいな著述家としては優秀な人だって例外じゃないの!」っていう幼稚な自己正当化がやりたかっただけ。“貞淑な女”アピール乙としか言いようが無い。女が道徳的な正しさに基づいて「性的に堕落した」同性を断罪してみせるという古臭いミソジニー的な構図の再生産にすぎない。

女が美的に描かれた男性同性愛の表象を愛好することに、倫理的な問題なぞ本当は何も無い。卑屈になったり、誰かに謝ったり、模範的であるとされる態度を率先して示さなければならない理由など何一つ無い。あるのは、「女の分際をわきまえろ」という権力からの通俗的な脅しと、権力からの脅迫を内面化した女たちの、自分だけは堕落した女だと思われまいとしての同性に対する魔女狩りへの加担だけである。その根拠にフェミニズムだのゲイの権利だのの名前がついていたとしても何も変わらない。いるのはミソジニストと、彼らの憎悪の標的とされた女性たちだけである。

芸術とはモラルも含めた通俗的な根拠から離れた、アモラルな自由と洗練に基づく。道徳的な貞淑さを内面化した女の出る幕などない。笙野頼子のような女は、女性にとってのアモラルな自由と美的な表現を愛する権利を要求することは、男からの差別に抗議するためのモラルに基づいた根拠を失うことだと思い込んでいるわけだ。要はフェミニズムと道徳律(モラル)を同一視しているわけだが、そもそもこれが誤りの元。男が正しいこと=モラルだけではなく、正しくないこと=アモラルなものを享受することを許されているからといって、「男も正しいこと=モラルだけしか許されないようにしろ」というのは、そもそも実現性なぞ無く、思想としても非人間的な全体主義の奨励でありおぞましいだけ。効果としては「男にモラルを要求する以上、自分達はより率先してモラル的であらねば!」という風に内部粛清の動機を強化するだけである。

フェミニズムは、女性が女性であるという理由で排除されている一切に対して、その根拠の不在と排除の理不尽さを指摘する行為ではあっても、社会の道徳律の改良運動ではない。彼女がそれに抗議するのは、単に彼女に対する理不尽な抑圧があるからであり、道徳的な間違いだからではない。

面倒になってきた。要はフェミだろうがなんだろうが、既存の道徳に沿った形でしか自己肯定を許さないってのは女を人間扱いしない思想でしかない。

あと、笙野頼子みたいなバカは、男のヘテロセクシュアリティの本質を見誤って闇雲に嫌悪しているがために、やおい(BL)に対してもその嫌悪感を投影して「男が女にしたことを女がゲイにするのか!そんなことは許されない!」と頑なに思い込んでいるわけだが、(前に書いたが)そもそも全てのエロティックな快楽の源泉は「愛される/犯される客体」としてのナルシシズムにあり、単にこれをストレートに認めることが出来ないが故に女性に投影しつつ蔑視するしかない男性のヘテロセクシュアリティが特殊なだけである。この図式の女性版など存在するはずも無い。

男性の作り出したヘテロセクシュアリティという「それこそが当然であるものとしての制度」は権力そのものであるが、その反映としての三文エロメディアの類は、単に通俗な代物であり、制度から生じる結果ではあっても原因ではない。
そして、必然的に唯一の覇権的な制度としての男性のヘテロセクシュアリティ以外のものに、このような支配的な力などあるわけがない。

前にも述べたが、エロティックなファンタジーは本質的にアモラルなものなのであり、故に、問題とされるべきなのはファンタジーの内容が通俗的な道徳に照らして望ましいものか否かでは断じてない。そのような通俗的で抑圧的な基準でファンタジーそのものが序列化されることはあってはならない。

問題なのは断じて通俗的な善悪ではなく、制度とそれに基づいた権力という構造的な不公平の問題であり、自己欺瞞的な男性のヘテロセクシュアリティこそがその排他的な独占者であることに由来するものである。

もう何度も繰り返し言っているが、女性が描いた男性同性愛の表象にはいかなる意味でも覇権的な力など無い。それどころか、こうした表現を愛好することは“正しい女”から外れることしか意味せず、避けがたく理不尽な侮蔑にさらされることになる。
何より、既存の常識や道徳の後ろ盾を奪われているということは、それを自らのセクシュアリティとして肯定する尊厳すら与えられていないということだ。

笙野頼子のようなケースは、その状態に耐えられずに自らのセクシュアリティとそれに基づいた美意識を否定し、同性を侮蔑する側にまわることで歪んだ自尊心を保とうとしたにすぎない。心底軽蔑すべき臆病者だが、彼女のようなケースは余りにもありふれていると言える。
差別的な態度を隠そうともしない世間並みの男がろくでもないのは明白だが、フェミニストやクィアを自称しながら“腐女子”を蔑視して憚らないような輩はなおさら恥を知るべきだ。
それは「堕落した売女なぞと一緒にされてたまるか」とばかりに女に石を投げつける類の、伝統ある卑しむべき“貞淑さ”の反復にすぎないからだ。
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 tatarskiyさんのtwitterとtwilogは以下の通り。

    https://twitter.com/#!/tatarskiy1
    http://twilog.org/tatarskiy1

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by kaoruSZ | 2012-02-15 18:57 | 批評 | Comments(0)