おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

tatarskiyの部屋(7)

twitterで腐女子は権力者()だと言い張っていた被害妄想基地外の一件について

以下のまとめは内容的には「tatarskiyの部屋(2)“BLからフェミへ”(笑) 」の続き。
なお、このときtatarskiyさんは中平康監督の『狂った果実』を論じ石原慎太郎のホモフィルぶりについて書いていた最中だったのが中断されてしまって非常に惜しい。http://twilog.org/tatarskiy1/month-1201ぜひ続きを書いていただきたい。(kaoruSZ)
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RT @Hornet_B: BLはー、腐女子ではない女子オタクにはー、男子むけのごくふつうのポルノと同じ圧力をかけてるよー。男子ポルノが『正常な男』を規定するのに使われているんだとしたら、BLはいまや『正常な女子オタ』の踏み絵になりかねないということさ。
posted at 02:08:13

RT @Hornet_B: 流れちゃったけど、いま、TLのカタスミに、正常な男を規定するもの=ポルノ、で、それと同じような使われ方をしているものなどないって見えたもんだから。いや、もっとずっと小さい狭い範囲ではあるが、もはやBLだってその力を持っているよと。
posted at 02:08:32


@tatarskiy1です。上の@Hornet_Bの馬鹿発言に釘をぶっ刺しておきたいと思ったのですが自分の垢では連続ツイートの途中なのでこちらにコピペ頼みました。→
posted at 02:14:39

→で、本題だがはっきり言ってマジで訳ワカメ。いったい何時BL好きなことが「排他的に“正しい”当然のものとしての女の欲望の形」になったという事実があるの?@Hornet_B、お前自身のBL蔑視から来る被害妄想を投影してるだけだろうが。→
posted at 02:22:01

→それこそ「あんな女たちと一緒だと思われるかもしれない私が可哀想」ってことだろ? それって、「BL好きな女=あんな正しくない女」という前提があるからじゃん。→
posted at 02:23:26

→私自身何度も書いて来た事だが、「男の当然の正しい欲望=女に欲情すること」で、女は「男に欲望されることを受け入れること(より平等な男女関係とやらを望む態度も含む)」が正しいとされる欲望のあり方なの。→
posted at 02:23:57

→だからBL好きな女なんてどれ程多かろうと「公式な正統性」を認められない当然蔑視されるべき異常な欲望でしかないんだよ。「腐女子」という呼称自体が、「正統とされる女子のあり方からすれば“腐って”いる」という自虐的な前提なくしてはありえない。→
posted at 02:26:33

→だから“正常な男”が「当然ホモなんかと一緒にされたくない」と公言して憚らないように、“正常な女”をアピールしたい@Hornet_Bは「当然“腐女子”なんかと一緒にされたくない」ということだよね。頼まれもしないのに差別主義者丸出しでご苦労様。
posted at 02:27:19
[ここまではkaoruSZのtwitterアカウントを借りてポスト]

RT @carpe_diem435 いかんRTしたまま寝てた。私の記憶では、腐女子が「正しい女のあり方」であった事は無いなぁ。寧ろ、「女のオタク=腐女子」というレッテルに対し、「何でもホモにするあいつらと一緒にしないで」ときう反発しか聞いた事ない。
posted at 03:27:52


RT @carpe_diem435 数は多いし、コミケなんかでも確かに腐女子という人口は一定の割合を占めているよ。でも、それは「覇権的」とは言えない。常に気持ち悪い、それこそ腐ったものという自認をつきつけられ、自重を迫られる立場だと思うけどね。
posted at 03:32:44

RT @andy_kam: 批判は受け止めるつもりでいる。でも血を流しながら「ほっといて」と悲鳴を上げざるを得ないほど作品を脇に置いて性やらなんやらにレッテル貼られまくってきた腐女子の状況を全く鑑みず覆いかぶせるようにして「お前らはもうマジョリティだ強者性を自覚しろ」とかやるのはえぐすぎると思う……。
posted at 13:06:15


RT @amezaiku: @carpe_diem435 正直言って腐女子に限らず女オタ(というか女全体で)「認められている正しい姿」っていうのは存在しないと思います。そんな中で「強者を作り出してそれを叩く」というのは間違いだと思います。
posted at 13:10:17

RT @amezaiku: 「BL好きが正しい姿とされている」と言われたら爆笑するし「乙女ゲー好きが正しい姿とされている」と言われたら鼻で笑うし「夢好きが正しい姿とされている」と言われたら苦笑するし「百合好きが正しい姿とされている」と言われたら欠伸するし「少女漫画好きが~」と言われたらryそんなもん。
posted at 13:10:41



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本当は連続ツイートの途中で余計な用事に(ryだが色々とあまりにも酷いので失礼。スズメバチの馬鹿が被害妄想の虜になっているだけの卑怯者なのは当然だし、批判している人たちの言わんとしていることも理解できるのだが、私は所謂BLを好きな女性とそれ以外の嗜好を持つ女性が平等に抑圧されているとはまったく思わないし、andy_kamさんが「批判は受け止めるつもりでいる」と書かれているが、「受け止めるべき批判」などはっきり言ってまったく存在しないしあるなら具体的に教えていただきたいくらいである。

amezaikuさんが言うように、女の好み自体が軽く見られ馬鹿にされているのは確かだが、BLを好きなことは他の男女や女同士のファンタジーを愛好することとはおよそ比較にならない、明白な男性からのヘイトと同性からの差別化としての忌避にさらされるし、それには明白な構造的理由がある。

繰り返し書いてきたことだが、性的ファンタジーに対する社会的視線のヒエラルキーは、ホモフォビアを当然の前提とする男性のヘテロセクシュアリティを中心に、それに対立するように見えて実は相補的である「道徳」に支えられて形成されており、この道徳には「道徳としてのフェミニズム」も含まれる。

端的に言って、BL好きな女性の存在は、まず第一にそれが男性同性愛の表象であること自体によって支配者としてのヘテロ男性の逆鱗に触れ、第二に、男にとっての女であるべき/それを夢見るのが正常であるべき女の分際で「男にとっての男」を思い描くことの逸脱によって、「普通の女」としての同性に「殿方や自分と同じ“普通の女”にあれの仲間だと思われたくない」という忌避とその表明としての差別化を生じさせ、第三に「男にとっての女ではなく、主体性を持って同性と連帯し女であることを肯定する女」という「もう一つの正しい女像」を称揚するフェミニズム的道徳によって「女ではなく男を称揚する利敵行為」として断罪される。

つまり世俗のヘテロセクシズムとフェミニズム的道徳とは、共に「女は女であることを喜ばしく思い夢見るべきである」という根本的な戒律を共有しており、「女性が男同士のイメージを愛好すること」はこの「女性に女イメージへの同一化こそが正当であるとして強いる」戒律と完全に衝突するが故に肯定されえず蔑視されるのだ。

道徳からも世俗のヘテロセクシズムからも後ろ盾を得られない性的ファンタジーが、通俗な世間に対して正統性を主張しうる根拠などありえない。逆に言えば、性的ファンタジーに関するおよそ凡ての通俗な正統性の主張の根拠は、世俗のヘテロセクシズムと道徳とに由来している。

こうした原理に例外は無いがそれも当然のことである。「正統性の根拠たる源泉」を独占してこそ「支配的なイデオロギー」足りえるのだから。他者を差別しうるのは「支配的なイデオロギー」を後ろ盾に持つ者だけだ。平たく言えば「権力の犬」なればこその特権だということだ。

私が「正しい女」「正常な女」と書くとき、それは必ずこの「権力の犬」を意味している。「誰でも人を差別することはあるかもしれないんだから、気を使いましょうね?」などという抑圧的な寝言は、ここまでに散々述べてきた支配的なイデオロギーが権力を振るう厳然たる制度の存在を隠蔽するものだ。

具体例に話を戻そう。今回の場合なら、「百合が好きだから腐女子なんかとは違う/こっちはちゃんと女の子が可愛いと思ってるし、女同士が対等なのっていいことだと思う。あいつらは男を女にしてるだけじゃん」という女にはフェミニズム的道徳が、「男女が好きだから腐女子なんかとは違う/男と女で対等な方が正しいと思うし、あいつらは男を女にしていてゲイ男性に失礼だと思う」という女には、世俗のヘテロセクシズムとフェミニズム的道徳の双方が、それぞれ後ろ盾になっている。

で、「BL好き」な女性がこうした文字通り「権威を笠に着た」発想自体出来ると思いますかね?まして公言することで他者を威圧することができるとでも?その威圧感を感じさせるだけの権威ある後ろ盾が一体どちらにあると仰るのでしょうか?こっちにそんなものがあるわけがねえんだよ権力の犬どもめ。

また例示したような所謂ノーマルカプ厨や自称百合好きによるBL蔑視的な発想は、腐女子の人の間でもかなりの程度内面化されているし、それに正面から異を唱えている人など見たことが無い。それも当然だ。誰もが同じ「支配的なイデオロギー」に規定された構造の上に生きているのだから。

「ちゃんと男女も好きだよ」、「百合もいいと思うよ」、「美少年受けなんかより親父受けの方が面白いよね」こうしたアピールをする発言が物語っているのは個人の嗜好それ自体ではない。本来それ自体はどんなものであろうといかなる正しい価値も正しい意味も無くただ自由なだけだ。問題はこうした発言をアピールとして引き出す動機であり、その発言が支配的なイデオロギーの構造の中でどのような意味を持つのかだ。しかし、誰が逆に「ちゃんとBLも好きだよ」と言わずにおれない程の抑圧の許に置かれていると言うのかね?リアリティ皆無だよ。「苦手自慢」なら腐るほど見たが。

それにしてもこうした所謂BL周辺で姦しく囀られている「望ましくて正しいとされる表現/間違っていて正されるべきとされる表現」のコードを読み解けば、実に馬鹿馬鹿しいことがわかる。

要は「女は女に同一化するのが望ましく正しく(男女、百合)、男が女性的であることはあるまじき間違いである(女性的な美少年より逞しい親父)」ということで、何のことはない、ミソジニーとホモフォビアとヘテロセクシズムに立派に準拠した、正しい男と女の描き方を形を変えて説いているだけだ。

逆に言えば「男に愛される男が女性的に美しく描かれていること、その表象を愛好すること、特に愛好する者が女であること」は蔑まれるべき罪であるということだが、馬鹿でなければこれがヘテロ男性の視点で規定されたホモフォビアでありミソジニーなのはお分かりだろう。

つまりもっともらしい理屈を捏ねてBLを差別したがる連中は、当人が“政治的に正しい”つもりであるのとは裏腹に、釈迦の掌の上でわめき暴れるが如く制度的なヘテロセクシズムに囚われている。それも当然であろう。ヘテロセクシズムとは何よりも男が男に対して受身で愛されることのタブー化である。

ついでに言えばミソジニーの強い一部のゲイ男性が「女が描いた女のような美しい男なんて偽物で差別でふじこ」とゴネていることがあるが、何で「女が描いたら偽物」で「美しいのは差別」になるのかといえば、ご当人が「俺は女なんかとは違う、一緒にされたくない」と女性を差別しているからであろう。

「女同士なら対等だから~」「やっぱり対等な男女を描くのが正しいと思う~」「受け攻め固定より対等なリバの方が~」この手の陳腐なフレーズの決まり文句である「対等」という言葉が意味するものは、要は“犯される女”に象徴される受動的なマゾヒズムとナルシシズムへの罪悪視であるに過ぎない。

つまりは馬鹿な連中からの「男が女を犯すポルノと同じ事をやっている」という非難を内面化して恐れるという、これも抑圧の結果である。何度も書いてきた事だが「受身で愛される/犯される」というマゾヒズムとナルシシズムこそ性的な快楽の源泉であり、これを認めず蔑視するヘテロ男性が特殊なのだ。

馬鹿はヘテロ男性の自己欺瞞を見抜けないまま受動性に対する蔑視だけはきっちり内面化し、その鬱憤を何の権力もあるはずも無い女性の性表現にぶつけて晴らそうとする。こっちの方がヘテロ男性が自身の受動性への蔑視をそれを外在化し押し付けた女性にぶつけるのと相似形なのが醜悪で手に負えない。

繰り返し書いているが、性と性表現が暴力としてしかイメージされず本質的に「罪深い」ものであると言う観念は、制度的な男性のヘテロセクシュアリティが根源的な快楽としての受動性=犯されることを自分のファンタジーとしては否認し、それを「女のファンタジーであり本質」として外在化することにこそ起因する。

「俺は自分が犯されたいのではない、女を犯したいのだ。それこそが男の快楽であり、俺に犯されることこそが女の快楽であり本質なのだ」と主張する一方、無意識下では自分で自分に禁じた「犯されること」の快楽を享受することを許されている存在である女に嫉妬し憎悪を募らせ、この「憎みながらも惹かれずにはいられない」という女へのアンビヴァレンスの結果として「性とは本質的に罪であり、男を誘惑する性的な存在である女とは罪深いものである」という道徳的な観念が生まれるのだ。これが多くの文化圏で宗教と結びついた普遍的な観念であることは誰でもご存知だろう。

つまり「性欲とは攻撃的で暴力的なのが当然のものである」という通念も、「性欲とは罪であり懺悔すべきものである」という道徳的観念も、共に制度的なヘテロ男性のメンタリティから発する主観であり、本質的に男性のものなのだ。
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by kaoruSZ | 2012-07-08 20:48 | 批評 | Comments(0)