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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

レトロ

 新田ビルが壊されるそうだ。電車の中で人の読んでいた東京新聞で知った。記事の中に大きな「レ」の字が見え、何だろうと目をこらしたら、右横へ「トロ」と続いていた(レよりも薄い字体になっていたので最初は読みとれなかったのだ)。

 夕方、勤め先の図書館で、銀座のレトロな建物また消えるという記事をチェックする。ついでに他の記事も読み、新聞購読を続けるのなら、読売をやめて東京新聞にしようかという考えがよぎる。はるかにまともだもの。そのときになって、先日、夕刊の記事で心底あきれたことを思い出した。あれも東京新聞だった。泉鏡花の『高野聖』を連載(!)しているのだが、なんと、新仮名遣いに直してあるのだ。残念ながらとることはありえない。(あるいは、政治的ポジション以上にこれは譲れないかもしれない。)その前は露伴を載せたらしく、そして鏡花と来たから、歴史的仮名遣いによる抗議の手紙も届いたらしい。それに対するコメント——「旧かなファンは確かにいますね」。そういう問題じゃないんだよ、新聞記者くん。そんな書き方など夢にも思わなかった時代に書かれた文章だから直しちゃいけないんだ。私だって、今のように書くときと、何らかの理由で歴史的仮名遣いで書くときでは、どこを仮名にし、どこを漢字にするかが変わってくる。まして、新仮名遣いなんぞ存在しなかった時の文章だ。

 吉田健一の評論に、金井美恵子の『自然の子供』を延々と引用しているのがあった。十九でデビューしまだいくらも書いていなかった金井の小説を、文藝時評か何かでほめたのだ。発表当時は、たぶん新かなで媒体に載ったのだろう。吉田の作品集に入れるとき、当然ながら、全文歴史的仮名遣いになった。もともと吉田健一はそう書いたはずで、元に戻したのに違いない。ところがその際、なんと金井の文章までも歴史的仮名遣いにされていた! それは不思議な眺めだった。もともと私自身が好きだったテクストでもあり、吉田健一がそれをのびのび賞賛しているのは楽しかった。金井の文体ははっきり新かなのそれである。彼女がオリジナルでそう書くことはありえまい。それが旧かなになるというありえない事態は楽しめた。しかし逆はだめだ。

 家で東京新聞を取っていたので『高野聖』を毎夕目にすることになり、いったいこれは何だと思いながら引きつけられてゆく小学生が、あるいはどこかにいるかもしれない。そういう機会をそうした子供に、東京新聞は提供しつつあるのかもしれない。子供の私が、読売に週一回載っていた「私の食物誌」を読みあじわったように。むろん新かなに直されてはいたが、それくらいであの特異さが消えようはずがない。それがはじめて出会った吉田健一だった。私はお菓子を食べるとき、気に入りの文章を同時に読んで快楽を二重にすることは知っていた(だから、私の気に入りのページの谷間にはお菓子の粉がたまっていた)。だが、描き出されたものと描いている文を同時に楽しむことははじめて知った。

 とはいえ、『高野聖』に目を開かれうるような子供なら、それが歴史的仮名遣いのままだったとしても、鏡花と出会い得たであろう。まして子供でないのだから、金を払って新かなの鏡花を日々見せられる筋合いはない。私は「旧かなファン」でもなければ「レトロなビル」が好きなわけでもない。だからこそ、三十年前に惜しげもなく破壊した三菱一号館を今頃復元するだの、そのために現存する丸の内八重洲ビルディングを壊すだのという愚かしい計画には心から怒りを感じるのだ。
by kaoruSZ | 2005-01-28 19:50 | 日々 | Comments(4)
Commented by jj at 2005-02-02 17:01 x
 一度くらいはお邪魔しちゃおうかと思っていた所、丁度良い話題なので書き込みします。
 西欧は古いものを大切にしていて、アジアは新しいものを追いかけてばかりで、というのが私の持ってる印象です。かなり大ざっはだけど、そこら辺でかなり二つの文化は今離れている感じ。「愚かしい計画」には驚いたり「やっぱり」と思ったり。こちらアリゾナで会う人には「東京じゃなくて京都に言った方が」なんて、半分腹立ち紛れに薦めています。ヨーロッパは勿論なのでしょうが、アメリカでも今まで持っていた文化はできるだけ持ち続けようという努力にはかなりのものがあります。
 「サイモンとガーファンクル」に聞き入っている若者に、「こちらの若い人は古い曲も良く知ってるよね。」と嬉しくなって言ったら「僕たちクラシックは好きなんだ。」てな返事が返ってきました。「クラシック」に一瞬言葉を失ったけど。(まあ「ロックンロール・クラシック」ってカテゴリーがあるから、そう言う意味で使ったのでしょうが。)やはり世代が持続していく感じは嬉しい。
 取りとめなくなりました。東京に関しては諦め半分の今日この頃です。
Commented by kaoruSZ at 2005-02-04 10:12
jjさん、コメントありがとう。一度くらいと言わずにまた来てね。日曜日にお電話いただいたとき、私、この記事のこと話そうと思って忘れていたのでした。というのは、丸の内八重洲ビルヂングって、何をかくそう、jjさんがその昔勤めていたところなんですよね!
あの電話のあと、私はラベンダー湯に入って、そのあと銀座に買物に出かけ、そのあたりまではお肌すべすべしっとりで何の変調もなかったんですが、翌朝目がさめたら経験したことのない筋肉痛と倦怠感で動けない! 会議の準備があるのでともかく行って手配だけはと遅れて出勤。熱は微熱で、鼻水も出ない(そのときは)のだけど、帰る頃にはタクシー使っちゃおうかと思うほど腿が痛くて。翌日、普段は行かない医者(5年ぶり)へ。でも、微熱で「症状が激烈でない」のでインフルエンザの検査もしてくれませんでした。その後症状はけっこう激烈になったんですけど、熱だけは上がらないんでなんとか動いています。先週あった別の会議で一緒に仕事をした女性は、インフルエンザと診断されてしまったのですが。それにしても、電話と入浴の順序がもし逆だったら、アリゾナから長電話してきた人が責任を問われるところでした。
Commented by jj at 2005-02-04 11:20 x
 丸の内八重洲ビルヂングでは「その昔」でさえ、ボタンでなく黒い取っ手の内線切り替え装置に驚いたものでした。それが一つ一つの机に付いていて。ドアの上にある窓(名前あるのでしょうね、そういう窓)を開ける為の、先にフックの付いた木製の棒さえもレトロでした。出勤したらその窓を開けるのが最初の仕事で。美しいビルだから(?)もう壊されてしまったかななんて時々思い出したりしてたけど、とうとう敵に見つかってしまった!って感じ。数世代後の日本人に怒られても知らないぞ、なんて。
 私の場合ラベンダー湯はお風呂屋さんでのが一番で、入浴後何時間もほてっていましたが、気に入って後で個人用のをあれこれ試しても、どれもいまいちでした。もしかして質が良すぎたのかな、ラベンダーの?それにしても今頃は、こんなコメント読んでも憤慨しない位に症状が治まってると良いのですが。
 お大事に、です。
Commented by kaoruSZ at 2005-02-04 20:10
黒い取っ手の内線切り替え装置! イメージできない〜。(読んでいるみなさん、これはけっして昭和20年代とかの話ではありません。)私も、階段までは見せてもらったことあったけど。

月曜から準備していた会議、今日でした。応援に来るはずの人(上記の人とは別人)がインフルエンザでダウン、交代要員なしだったけれど無事終了。立春というのに厳しい冷え込みで、周りもカゼひいている人だらけです。ラベンダー湯のせいにしたら、濡れ衣だと憤慨するでしょう(お湯にぬれぎぬって変? 乾いた衣を着せるのが無理?)。昨日は休みだったけどお腹があやしくて、みかんジュースで一日すごしてしまいました(それでも、たまった脂肪を使うところまで行きません、当然ながら)。咳がひどいのになぜか熱は出なくて(それが不満というわけじゃないけど)。ただのカゼなのでしょうね。考えてみたら月曜以来、食べ物の味が変でした。今日も、昼はインスタント・スープですませて、三時に、会議用にたのんだコーヒーとチーズケーキを口にしたとき、はじめて味覚が戻ってきたのかおいしいと感じたところ。これで普通に夕飯食べちゃうとまたお腹に来そうだからそろそろと……。