おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

tatarskiyの部屋(8)“ホモォ騒動”の顛末について

※続編あり

最近も こんな形★で無責任な言及がなされたところだ。一つだけ断わっておくが、ツイッターでは、自尊心の異常に低い“腐女子”へのエンパワーメントや啓蒙に重点が置かれているので、今回も最後にようやく話題に近づいたところで中絶しているが、本来tatarskiyさんにとって、自称腐女子やジャンルBLは本質的な問題ではない(そもそも私たちはそういった特殊な存在があるとは考えていない。下手な書き手やよく書けていない作品は存在するが)。彼女が扱おうとしていることの一つは藝術の問題、なかんづく女は藝術家――道徳に気をつかい、女の分をわきまえるのではなく、自分の愛するものと欲望に忠実な――になりうるのか(あるいはどうしたらなりうるのか)という問題だ。ちなみに、twitter上での(これまでのような)“啓蒙活動”は近く中止するとのことである。https://twitter.com/tatarskiy1を参照されたい。(kaoruSZ)


“ホモォ騒動”の顛末について


RT @angelcrown: .@amoruk さんの「twitterトレンド一位にまでなった、溢れ出る"ホモォ"にリアルゲイが一人思うこと。」をお気に入りにしました。 http://togetter.com/li/289886

posted at 02:36:28

RT @ma_e: ホモォがあれだけ流行ったのは、腐女子を「腐女子という生き物」化するのが好きな人が多いから

posted at 02:09:19

RT @futeneco: コメント欄にある通り、ホモォは腐女子ってこんなんだ的な嘲笑を含むものだとも思うので、ヘテロ男性→ホモォを好む女性→リアルゲイという構図が当てはまるとは思えないわ。正しいセクシュアリティとそうでないセクシュアリティを区別した上で、後者を女と男性同性愛に押し付ける構造なら分かるけど。

posted at 02:10:45

RT @futeneco: @_surtsey このまとめ主、非腐女子もホモォ祭りに参加してることをまるっと無視して腐女子に責任をなすりつけて、マイノリティを傷つけるのは良くないでしょ?と正論をぶって自分の立場についてはノータッチというところが1番引っかかります。それでいて強くなれと、他人に説教する所も。

posted at 08:17:03

RT @futeneco:性的ファンタジーの分野、っていうかセクシュアリティは基本、社会的に構成されたファンタジーの要素てんこ盛りだし、リアルゲイ(なにそれ)とファンタジーゲイ(なにそれ)を区別する発想をやめた方が宜しいかと。

posted at 20:48:41

RT @futeneco:@_surtsey 私はどのセクシュアルファンタジーにも優劣はないだろうと思っています。同性愛表象でリアルな当事者様と偽物のファンタジーという区別をしても、ホモフォビアの解決にならないどころか、前者をゲイ男性、後者を女性に分けて差別しようとするヘテロ男性規範の反復だろうなと。

posted at 21:31:40

RT @futeneco:@amamako 腐女子とされる人が同性愛差別に加担したというか、それは社会(というよりヘテロ規範)がホモフォビックだからであり誰でも加担しうるわけですが、同性愛表象を好む人間がフォビックというのはあり得ないと思います。腐女子wと揶揄しなければならない現状がフォビックなだけです。

posted at 19:15:32

RT @AyahSaki: 「ホモクレちゃん」を見て、私は正直泣いたね。腐女子が喜んで拡散した自己像は、無害で幸せそうでちょっとキモいけど愛せる感じの生物だったんだよ・・・・・必死で「私達、美しくはないけど無害でかわいいやつです!愛して!」って;▽;泣ける

posted at 02:16:10

RT @amezaiku: 「ホモォ」は腐女子が抑圧されまくり崩壊し「異性愛男性主義の社会に認められたい」と媚売った結果。その結果が「ホモォと寄生を発することで周囲に嘲られながらも笑顔でい続ける哀れな生き物」になった上にリアルゲイ(笑)を初めセクマイコミュニティの目の仇にされたというのだから絶望しかない。

posted at 02:17:13

RT @amezaiku: 腐女子に限らずゲイ文化なんて女を馬鹿にして成り立っているものっすよ。でもそこが指摘されることなんて未来永劫無い。そしてそこをスルーしてゲイやその支持者は腐女子をdisり続ける。

posted at 20:31:50

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まだ話の途中でしたがhttp://twilog.org/tatarskiy1/date-120417関連のある話題なので、後出しジャンケンみたいで恐縮ですが上のRTの一件について少々。(口調の違いは気にしないで下さい)要は自称腐女子の人の自称自虐というのは必然として権力者であるヘテロ男性の感性に規定された通俗なホモフォビアに対するおもねりになるんだよね。

そしてそれを“リアルゲイ”に叩かれるのを恐れて「私はこんなリアルゲイの人に配慮の無い間違った女とは違います!」と主張しだすのも「男の顔色を窺って同性を蔑む」という点で実は全く一緒。“自虐”だろうが“反省”だろうが「女が“正しくない女”を蔑む/嘲る」というミソジニー的パフォーマンス。

つまり、いくら「身の程をわきまえて自虐的に」振舞おうと、おもねるべき相手がヘテロ男性とゲイ男性の両方である以上「あちらを立てればこちらが立たず」というくだらないジレンマに陥るだけになる。そしてますます女同士の相互監視と締め付けあいだけがきつくなり、男からはどのみち憎まれ続ける。

またこうした嘲笑と“自虐”の悪循環は、多くの女性に対する「“腐女子”と認定されることは自らのセクシュアリティに対する一切の尊厳を認められず侮蔑される存在になることだ」という見せしめの効果を担ってもいる。これは実は男性にとっての「自分がホモだと思われる恐怖」に正確に対応するものだ。

だがそもそも男性同性愛及びその表象を愛好することがそれ程に差別されているのは、言うまでもなく社会の権力者であるヘテロ男性がホモフォビックであり、女性とゲイ男性を蔑視しているからでしかなく、そもそも女性がゲイ男性を差別することなど出来はしない。女は常に男の意向を伺い従属するだけだ。

いかなる場合であれ「女が悪いから」ゲイが差別されるというふざけた言い分は、「本物の権力者とは対立したくないが、憂さ晴らしはしたい」という卑劣で虫のいい発想にしか聞こえない。ヘテロ男性にとっても人権や政治的正しさを盾に非難される心配の無い腐女子叩きはホモフォビアの発散に丁度いい。

つまり男性同性愛の表象に関してトラブルが生じた場合に“腐女子”を生贄にすることにはヘテロ男性・ゲイ男性双方に明確な利害の一致があり、暗黙の“紳士協定”が成立している。男が男を告発することには相手の面子を潰して恨まれるリスクがあるが、男が“ふしだらな女”を侮蔑するのは当然だからだ。

男には“男としての名誉”が約束されているが、女にはセクシュアリティに関する独立した尊厳など認められていない。女には“正しい女”か(“腐女子”のような)“ふしだらな女”かを分かつ踏み絵があるだけだ。後者であるとされれば、見せしめとして何をされても“当然の報い”に過ぎない。

だからこそ女は自分が「あんな女とは違う」ことを証明するのに躍起になる。“普通の女”は腐女子だと思われまいと努め、腐女子と思われるのは避けられない場合も、せめて「マイノリティに配慮し身の程をわきまえた」“貞淑な腐女子”として罪一等を減じられることを望む。無論裁定を下すのは女ではない。

女が“女”としてではない性的ファンタジーを持つことなど、彼女の守られるべき尊厳のうちには入らない。これは“当事者様”や“性的マイノリティに理解のある皆様”にとっても当然の前提なので“レズビアン”や“バイセクシュアル”ではない“腐女子”には冷淡だ。

この辺りについては以前に詳述したのでhttp://kaorusz.exblog.jp/18567610/繰り返さないが、今回の一件でも、実際には“弾除け”(にしてサンドバッグ)としての腐女子に遮られて直接的な被害など受けていないゲイ男性の人権の問題としてしか歯止めがかからなかったのがふざけた話なのだ。

真に問題にされるべきは「“腐女子”のせいにすれば好きなだけホモフォビアを公言できる」というヘテロ男性の態度と、それに付け込まれる女性の側の自尊心の欠如であり、必要なのはヘテロ男性のホモフォビアに対する批判と、女性の性的ファンタジーの自由に対するエンパワーメントに他ならない。

今回の一件とは少しばかりズレがあるし、話がややこしくなるので深入りはしないが、いずれにせよ私は女性の側(腐女子とは言わない)がゲイ男性に気を使ったり理解を求めたりすべきいかなる理由も存在しないと考えているし、そうした“男からの承認”を求めること自体が差別の是認にすぎないと考える。

今見返してみればなんともぎこちない文面で気が引けるが、ひとまずこのことに関連のある以前の他の人との会話のログを貼っておく。

http://twilog.org/tatarskiy1/date-111217

http://twilog.org/tatarskiy1/date-111224


なお、上の会話に引き続き返信するつもりで書き溜めたものの中絶していたメモ書きも、この際ポストしておく。何某かの参考になれば幸いである。(了)


(12月18日付の会話より続く)お返事ありがとうございます。ただ、返信を拝見して少々補足させて頂きたい点があります。「不正確なイメージ」を「消費」しているから反論の余地は無いのではないかと怯えてしまわれるとのことですが、これはこんな怯えを抱かせる側が100%悪いだけの話で、貴方を含めたBLを好きな女性には何一つ責められるべき謂れはありません。実は明日の朝早くから用事があるので、今晩は長い文章をツイートする余裕がありませんので、この件についてはまた日を改めてお伝えしたいと思います。では今日はこれにて。

まず「不正確なイメージ」云々ですが、先にお送りした私の連続ツイートの意図の一つは、本物の「正確な」イメージというものは存在せず、それは「これこそが正確なイメージと信じられるべきである」というイデオロギー的な文脈によって浮上してくる虚像にすぎないということです。
これに補足すると、「不正確なものとして否定されなければならない」とされるイメージとは、そのネガに他ならないということです。

具体的には、私が例示したような「性的指向以外はいわゆるヘテロのまっとうな社会人男性と変わらないゲイ男性」というイメージがネガとして否定しているものは、「社会的に不安定な立場の、場合によっては水商売に従事しているような、女装癖があったり“女性的”な振る舞いをする、世間的に“まっとうな男”とは受け取られない」男性のイメージです。つまり、「ゲイは“女”なんかじゃない」と言いたいわけです。
これは“女”として扱われることから逃れようが無い生物学的女性にとってはふざけた話で、本質的に女性差別的な主張です。

早い話が、ゲイ男性は「男のくせに“女”のように男の性的対象になりたがる/男が男を性的対象すなわち“女”にする」と思われているからこそ、「当然女っぽくなどないまっとうな男」であるところのヘテロ男性から差別されるわけで、実はこれは「受動性(性的な受身性を原義とする一連のイメージ)を“女”として外在化した、自らは“女”であってはならないもの」こそが男そのものの起源であり、ゲイ男性の存在はこの男の成り立ち自体を危うくするものだからです。逆に言えば、「男に対して受動的であるもの」こそが“女”の起源であり、つまり“女”とは本質として現実の女性のものではありません。

伝統的に、優れた男性の芸術家が往々にしてゲイである場合が多いのは、この“女”に象徴される受動性から生じる美的な価値こそが優れた「表現」を生み出すのには欠かせないものであり、受動性を単に女性の本質と見なした通俗的な“女”イメージのみに縛られがちなヘテロ男性と違い、ゲイ男性は受動性を自分から外在化していない分だけ通俗的女イメージへ縛りつけられておらず、その分だけより洗練された受動性のイメージを生み出すのに有利だからです。むろんこの有利を優れた「表現」を作り出すのに生かせるだけの才能の持ち主はいつの世にも希少なのですが。

逆に、当然ながら才能さえあればヘテロ男性でも優れた表現者でありえます。また、そもそも“女”とは男性の受動性であることから、男性が作り出し、時には自ら体現する“女”のイメージは、現実の女性以上に“女”らしく、つまり現実の女性以上に優れたものとして受容されるのです。おネエキャラや歌舞伎の女形なんかいい例ですね。二次元美少女は開き直りすぎて誰の目にも子供っぽいですが。

そして男性による男性同性愛の表象は、近代的なヘテロ/ゲイという二分法が成立する遥か以前から文化の中に存在し、これは先述した「通俗的な“女”イメージではない洗練された受動性」の伝統的な表現形式だったわけです。

これまでの流れでお分かりでしょうが、この「男性による受動性の外在化としての“女”」と「男性による洗練された“女”/受動性イメージの創出としての芸術」という図式は、実に有史以来と言っていい程に伝統的なものです。(中絶)

※上の文章、「伝統的に~」以降と話が繋がっていないですが、これは別々に書いていた二つの文章をまとめて投稿したためです。ややこしくてすみません。



★“@hazuma これはマジで素朴な質問なのだけど、BL関係で「ホモォ……」とか呟かれているのはどう感じるの。RT @masayachiba: まぁ、ホモってのは、現在、基本的に「ほぼアウト」の侮蔑語だと思うんだけど。どうでしょう。公の場では。(当事者が自分で自分を茶化すときには使われると思います”
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by kaoruSZ | 2012-07-30 21:22 | 批評 | Comments(0)