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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

tatarskiyの部屋(9)

“主にBL”を標的にした、女性のレイプファンタジーに対する“道徳的非難”の不当さについて

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実は色々あって先日一旦はtwitterの方での“啓蒙活動”は引退を発表したのだが、それ以前に批判したことのある御仁がまた性懲りも無く、まったく同じ論法で女性(同性)のレイプファンタジーを非難していたのを見て頭に血が昇り、やむなく再度の反論をさらにしつこく試みる羽目になった。事の顛末は下記を参照されたし。

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7月3日

RT @akio71: 「純愛のていをとった、男性ないし攻めからの一方的な恋愛コンテンツ」って、異性カップルを扱った作品だけでなく、同性カップル(主にBL)にも沢山あると思う…ってタイプしてて、「残酷な神が支配する」を思い出した。グレッグぐらい気持ち悪い存在が、素敵な恋人として描かれてるもの…

posted at 19:11:32

↑RT:誠に失礼ながら「男性ないし攻め」だの「主にBL」だのいう発想のフレーム自体が有害であると判断して少々。どこから話そうか迷うが、そもそも狭義のポルノか否かに関わらずマゾヒズムと結びついた「愛されたい」というファンタジーは普遍、問題はそれが「女の願望」として本質化されること。

だから仮に百歩譲って「暴力的な純愛」表現が“有罪”であるとしても、断じて「男女」として描かれたものと「男同士」として描かれたものが“同罪”であるわけがない。この辺りの詳細は以前に散々書いている。http://twilog.org/tatarskiy1/month-1202/2  http://twilog.org/tatarskiy1/date-120108

あと私怨で恐縮ですが、こういう発言を見ると「やっぱり暴力的な男なんか出てこない清く美しい女同士というファンタジーを愛する僕のセクシュアリティは正しいんだよね~」とうぬぼれたがるキモい百合豚が超喜ぶと思うので気色悪い。本当は男が男に愛されることなんか考えたくも無いホモフォウブだが。

あと『残酷な神が支配する』を振りかざして「ハーレクイン的なBLを愛好する腐女子の堕落」を非難してるクズを複数人目撃したことがあるので(自称腐女子も少女漫画読みとかいう男もいたが)その点でも嫌なことを思い出した。ともかく私は女の性的ファンタジーを道徳的に非難する言説は大嫌いだ。

7月22日

RT @summerslope: 60〜70年代の映画観てるともー当たり前のよーに「普通の男女の不器用な恋愛(だからピュア☆)」としてレイプが出てくるからなー。『氾濫』は寿司屋の二階で女子大生引っ叩いて結婚するって嘘ついてヤるし、三島由紀夫主演の『からっ風野郎』も愛してるって言いながら殴って無理矢理、だし。

posted at 02:55:55

RT @akio71: 漫画やらアニメやら二次創作やらで、いまだに生き残ってる価値観だなあ、そんだけ根深いのかと遠い目になる。(「普通の男女の不器用な恋愛(だからピュア☆)として出てくるレイプ)、ヘテロ恋愛のもの、BL作品、だと「だからピュア」どころか「不器用なほうが真実の愛!」ぐらいに発酵しててウヘエ

posted at 02:56:11

RT @akio71: 百合作品はあんまり嗜まないので、どういう傾向があるのかわかんないです

↑RT:だからいい加減何度私に同じこと言わせたら気が済むんだよ。http://twilog.org/tatarskiy1/date-120703腹が立ってしょうがない。だからなんで現実の権力関係を無視して女の性的ファンタジーを覇権的な男のそれと混同して道徳的に断罪しようとしたがるの?ミソジニーがダダ漏れで見苦しい。

先に言っておくと当然ながら先にRTしたさかのなつ氏のツイート単体では別に問題には思っていない。何度も言っているがレイプファンタジーそれ自体は普遍的かつ凡庸なものであり、問題は男がそれを自分のものとしては断固否認し女に押し付け「女は男に犯されて喜ぶのが本質」と規定することだけ。

男は自分にとってタブーである「男に対して受身になること」を女の本質として外在化する。そして男は自分を“本能的”に能動的な性欲を持ち女を犯す「暴力的な加害者」として規定するから、必然的に女のイメージは「処女である無垢な被害者」と「男を誘惑し堕落させる淫乱な娼婦」に分割される。

そして自業自得の帰結として、ある種の男は自らが“穢らわしい性欲”を持った“能動的な加害者”でしかありえないことに不満を抱く。そして「自分に穢らわしい罪を犯させる誘惑者」である“娼婦”を憎悪する一方、「性という罪や穢れとは無縁の清らかな被害者」である“処女”に羨望を抱くのだ。

娼婦への憎悪も処女への羨望も、どちらも同じミソジニーの裏表に過ぎない。そしてこの女への嫉妬の本質は、言うまでもなく男が自らに否認した「男から受身で愛され犯されること」の外在化に由来する。自らに対して禁じた夢を見ることが出来る者への妬みであり、当然このタブーはホモフォビアと一体だ。

私がある種の勘違い百合豚が大嫌いなのは、この清らかな被害者=処女への同一化を自分の道徳的正しさだと信じ込み、“処女同士”の関係を「男に愛され犯されるなどという穢らわしさとは無縁であり、“清らかで正しいもの”」と考えている傲慢さにある。本質はミソジニーとホモフォビアの固まりだが。

結論から言えば、レイプファンタジーを道徳を持ち出して叩きたがる心性は、そのまま性的ファンタジーそのものへの嫌悪であり、その本質は必然的にミソジニーである。女性の場合、それは「男に愛され犯される願望」を本質として受け入れることを要求されている自分の立場への当然の不満でもあろうが、その「当然の不満」を口にすることを許されるためには、女が“男同士”として描いた「男が男から愛され犯されるファンタジー」も“平等に”批判しなければならないと思い込んでいるあたり、骨の髄まで「女は貞淑に道徳的であれ」というヘテロセクシズムの不文律に馴致されていると言わざるを得ない。

しかし男の監督が俗悪でホモソーシャルな一般世間に向けて「女ってこういうもんだろ?」ってしたり顔で提出して「やっぱ女はこういうもんですよね」ってベタにまかり通る映画作品と「所詮女子供のおもちゃレベルの慰み」である少女漫画やBLの性描写を同列にできる時点で正気を疑う。弱い者いじめ乙。

ぶっちゃけ、性的ファンタジーに道徳を持ち込んだ途端に「女同士>対等(笑)な男女≒当事者(笑)による男同士>>男女>【越えられない壁】>不届きな女の描いたBLなどという代物」というくだらない“正しさヒエラルキー”に巻き込まれるだけなんだよね。

そしてこのくだらないヒエラルキーは、そのままそのファンタジーを好きな女の“正しい順”でもある。男はこんなものに拘束される必要など無い。彼らが性欲とそれに基づいた幻想を持つのは“当然のこと”であり、その内容が暴力的なものであればそれは「男らしさの証し」であるし、あえて女のように道徳的に“対等さ”を気にかければ「リベラルで立派な男性」だ。どちらに転ぼうと男に損失などありはしない。女は「道徳に従うのが当然である存在」に過ぎず、貞淑な従順さか逸脱を罰せられるかの選びようの無い二択があるだけだ。

「私は正しい女です!レイプファンタジーなんか間違ってるし、しかもそれを女の分際で男様が女如きのように犯される作品を描くなんて、もちろん言語道断ですわ!」って、随分とわかりやすい同性に対するヘイトスピーチですね。そういうモロな差別に加担する方が恥ずかしいと思わないの?

繰り返しになるが、「男に犯されるべき娼婦」であることを拒否したければ「どんな形でも“犯されること”を夢想することなどない貞淑な女」であらねばならないと思うから「BLのレイプファンタジーなんか嫌いだ」と言いたがるんだよね。それ自体ヘテロセクシズムのダブルスタンダードへの忠実さに過ぎないが。

私は“娼婦”にも“処女”にも分類されるのは御免だし、BLも男女もレイプファンタジーそのものも楽しんでいますよ?私は道徳を振りかざして同性を罵倒することで自分だけは安泰を得ようとするような悪趣味な卑怯者ではまったく無いし、恥じ入るべきところは何も無い。私のファンタジーは私のものだ。
by kaoruSZ | 2012-08-11 00:25 | 批評 | Comments(0)