おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

ハンカチと赤い手帳『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』(2)tatarskiy

ハンカチと赤い手帳
――ガイ・リッチー監督『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』(2)          

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(1)から続く

“影”からの呼び出し
観客の前でモリアーティが始めてホームズと対面するのは、ワトソンの結婚式の後のことである。ホームズとワトソンは結婚前夜の最後の乱痴気騒ぎでボロボロになったまま、二人きりで自動車に乗り、無言のまま式が行なわれる教会に到着する。ホームズは式の一部始終を他の出席者たちと共に見届け、ワトソンと新婦のメアリーは腕を組んで幸せそうに教会の外に出て皆の祝福を受ける。ホームズは人々の輪から外れた庭の入り口の木陰でそれを見守り、そして背を向けてその場から立ち去る。画面が切り替わり、ホームズが屈んで自動車の状態を確認していると、ふいに自分に話しかける声が聞こえ、目線を上げるとそこにはモランが立っていた。モランは「教授の使いで来た」と手短に告げ、モリアーティの教えている大学まで来るように伝言する。

次の場面は大学の構内で、ガウンを着た学生や講師と思しき人影が行き交う中をホームズが通り過ぎると、回転するレコードが映り、続いて壁一面を占めた大きな本棚の陰からホームズが現れる。彼の台詞によってこの部屋に流れている曲がシューベルトの『鱒』であることがわかる。カメラがホームズの視線を追って切り替わった先には、この研究室の主であるモリアーティと、その後ろに控える学生の姿がある。モリアーティは振り返って学生に用事を言いつけ、さりげなく人払いをした後おもむろにホームズと向き合う。
ホームズは持ってきたモリアーティの著書『惑星運動の力学』にサインを求め、モリアーティは承知して自分の机に向かいペンを取る。さり気なく室内を観察するホームズに、モリアーティはサインをしながら「あの医者は今日結婚したそうだな?」と話しかける。ホームズは、ワトソンの結婚式は滞りなく終わり、もう自分と組んで仕事をすることもないだろうと答えて、暗にワトソンを巻き込むまいと釘を刺す。本が返され、二人はあらためて握手して挨拶を交わすが、この時モリアーティは「うれしいよ、やっと君に会えた……正式にな」と皮肉気に言い、ホームズが変装してモリアーティを尾行していたことを窺わせる。ホームズは本を開いてモリアーティのサインを確認すると、半ば唐突に「筆跡学の知識はお有りですかな?」と話しかける。ああいったものは学問とは呼べないと苦笑するモリアーティに構わず、ホームズは筆跡による心理分析にかこつけてモリアーティの性格を「非常に高い知性と創造性を持ち、かつ几帳面であるが、激しく自己中心的であり、モラル意識に至っては破綻している」と言い当ててみせ、モリアーティは怒りを抑えつつそれに答える。

「君は先ほど暗にワトソンを巻き込まないようにと釘を刺したようだが、答えはノーだ。天体力学の法則によれば二つの物体が衝突する際には付随する物にもダメージが及ぶ。例えを挙げてみようか。二人の紳士が正反対の目的に向かって進む。一人の女性がその間で引き裂かれる。彼女はその緊張に耐えられず突然病で倒れる。なんとも悲劇的な結末だ。珍しい型の結核で彼女の命はあえなく散った」
モリアーティはこう言って駒の並べられたチェス盤の上に、アドラーの遺品である、彼女のイニシャルが入った血の着いたハンカチをほうり出す。この時画面には実際にレストランの床に倒れ臥したアドラーと、それを冷ややかに見下ろすモリアーティとモランの姿が現われ、彼女の傍らに落ちた血の着いたハンカチをモリアーティが拾い上げる。

モリアーティはチェス盤から黒い駒の一つを取ると、明らかに動揺しているホームズに「本気でこの私とゲームをするつもりなのか?(…)はっきり言っておこう。いいか、私を破滅させるつもりならば、破滅するのは君の方だ」と告げ、それに対してホームズは「(…)もしあなたをこの手で破滅させられるのなら、命など惜しくはない」と答え、ハンカチを手に取ると出て行こうとする。モリアーティはホームズに「幸せなご夫婦によろしくと伝えてくれ。それではまた」と付け加える。ホームズが立ち去った後、モリアーティが手にしていた黒い駒でチェス盤に一手目を指す手元を大映しにしながら画面は暗転する。

ここまでの場面は、素朴に見たところでは、ついに結婚の日を迎え、いよいよ自分から離れて行こうとするワトソンを見守るホームズの寂しさと友情、これから幸せな新婚生活に入ろうとしているワトソンを巻き込むまいとしての気遣いと、宿敵と正面から対峙したことによってあらためてはっきりと示された死をも辞さない覚悟、そして彼と互角な存在であるモリアーティの存在感の大きさが、アドラーの死を告げられるという形で示されているものに思えよう。

だが、まず奇妙であるのは、なぜここであらためて(表面の筋書きの上だけではその必然性すら定かでない)アドラーの死が強調されねばならないのかだ。それも最初に示されるレストランでの場面では彼女が倒れる姿を直接は見せず、ホームズがそれを知る時に初めて観客にも確認させるという凝った演出を用いて。そしてモリアーティの台詞の字面だけを見れば、それは女をめぐる男二人の三角関係を示唆するのが自然なものであるにもかかわらず、画面に映されるアドラー殺しの情景は、先述したとおり彼女に対する一切の感情的な温度を欠いたものであるというちぐはぐさが、極めて不穏で不気味な雰囲気をかもし出しているのだ。

言うまでも無いがこれも素朴な鑑賞のレベルでは、あらかじめ観客には示されていたアドラーの死を、ホームズと一緒に確認させることであらためてショックを与え、モリアーティの悪事に対するインパクトを強めるためのものに思えようが。

そして極めて印象的な小道具である、アドラーの血の着いたイニシャル入りのハンカチ。モリアーティはわざわざこれを拾い上げ、ホームズに直接見せつけて引き渡しているが、これだけは先に明かしておくと、この行動の本当の意味は、表面的な筋書きの中でのホームズに対する警告としてのそれを超えた、ホームズとモリアーティとの同一性の証左である。そしてこのハンカチを受け取ったホームズの動揺も実はアドラーの死がショックだったからではなく、自らの分身から自らの“罪”の証しを突きつけられたからだ。これに先立つ彼らの会話の本質も、表面の筋書きを形作る字面通りのやりとりではなく、ホームズと彼自身の抑圧された本心──彼のアルターエゴとの対話なのだ。そして先述したように、それを滅ぼすことは自身もまた滅びることを意味する以上、この最後の台詞のやりとりはあらかじめ定まっている運命を互いに確認しあっているに過ぎない。

ここではまだ詳細を述べることはしないが、まず認識しておくべきは、モランによってモリアーティの許に呼び出される寸前のホームズが、ある意味向き合うことを先延ばしにし続けてきた、ワトソンの結婚によるパートナーとしての彼の喪失という事態がついに現実のものになる日が来てしまい、結局はただ友人としてそれを見守る他に何も出来ないという、外目にはいかに諦めて友人を祝福しているように見えようと、内心は無力感に打ちのめされていなかったはずもない状態であったことだ。

そして実は、ここでモランが彼を呼びに来ず、モリアーティからの宣戦布告がなかったなら、ワトソンの結婚をめぐるホームズの苦悩の物語も、この日で否応無く終わりを告げねばならなかったはずなのだ。実際にはこの会見の後、ハネムーン中のワトソン夫妻は列車の中でモリアーティの手下による襲撃を受け、それを予期して乗り込んでいたホームズは、メアリーを文字通り列車から突き落として排除した後、ワトソンと共にモリアーティの陰謀を阻止すべく、大陸ヨーロッパを巡る冒険旅行に旅立つのだ。言うまでもなく、この展開そのものが露骨に明らかにしているのは、ホームズにとってモリアーティの陰謀こそが、邪魔なメアリーをワトソンから一時的にでも排除し、再びワトソンと共にあることの出来る時間を与えてくれたことだ。

“女”を投げ捨てる
ご覧になった方なら誰でも印象的に記憶にとどめておられようが、この列車での大立ち回りの場面はかなりきわどい笑いを誘われるものだ。ワトソンとメアリーが奮発して乗った一等車の車室でくつろいでいると、突然車掌に変装したモリアーティの手下が襲いかかる。一人目をかろうじて撃退した直後、室外でも銃声がし、ワトソンが様子を見ようとドアを開けると、二挺拳銃を振り回す大柄な女が通路に立ちふさがって奮戦していて、こちらにやって来て見ればそれはなんと女装したホームズなのである。彼は唖然とするワトソンに向かって「ひどい変装だが時間が無かった」と理由にならない理由を述べた後、ワトソン以上にショックを受けているメアリーに対して「気持ちはわかるよ。招かれざる客。そうだろう?」と殊勝に同情を示してみせる。ワトソンがまだ残っている外の敵を追って行っている間に、ホームズは再びメアリーに「私を信じるか?」と問いかけるが、彼女の返事は「まさか!」というつれないものだった。ホームズは「仕方ない」とつぶやくと、いきなりメアリーを窓から車外へ突き落とし、彼女は悲鳴を上げながらちょうど橋の上にさしかかっていた列車から下の川へと落ちていく。そこにワトソンが戻ってくるが、その場にメアリーがおらず、ホームズが彼女を列車から突き落としたことを知ると、彼女が殺されたと思って逆上したワトソンはその場でホームズを締め上げて押し倒し、二人は揉みあいながら延々言い争う。結局はホームズがメアリーを突き落としたのは彼女を安全な場所に逃がすための算段だったのであり、彼女は下の川に落ちた直後にボートに乗って待機していたホームズの兄マイクロフトに救助されたことが明かされるのだが、このいささか悪ノリが過ぎるほどのきわどい場面が笑いを取りつつ明らかにしているのは、今までホームズの苦悩と嫉妬にも正面から反応を示さずに友人として振る舞っていたワトソンが、実は彼の気持ちをすべて承知の上であえて気づかぬ振りをしていたに過ぎないこと、ホームズが嫉妬のあまりメアリーを殺したとしてもおかしくないと思っていたことだ。ホームズが女装して乗り込んでくるのも完全にメアリーへの当てつけで、しかも本当に彼女を列車から突き落として自分が代わりにワトソンと旅行に行ってしまうのだからまったくシャレでは済んでいない。

モリアーティの手下を撃退して一息ついた後、君のせいだと自分を責めるワトソンに対してホームズは、「残念ながら君にも半分責任がある。君らが結婚の準備に夢中になっていなければ、今回の件はすでに解決していたはずだ」と返すが、これは当然恨み言である。
続く会話は、
「つまりだな。我々の関係は……」
「関係?」
「探偵と助手の関係は、まだ復活はしていないが……。我が親愛なる同志よ。もし君がこの事件を最後まで見届けてくれるのなら、もう二度と助手を頼むことはない」
というものだが、これだけでもこの二人の“探偵と助手”や“親友”といった名前に収まりきらない“関係”をめぐる過剰さこそが真の問題であることは明らかだ。そして観客はこれに先立つモリアーティとの対話の場面で、ホームズが自身の死を覚悟していること、つまり「この事件を最後まで見届けて欲しい」とは「自分の最期を見届けて欲しい」の意に他ならないことをも知っているのだ。

これに続くフランスへ向かう船旅の場面で、二人が甲板の椅子に座り、ホームズがこれからの予定を話していた時、ワトソンはふと荷物の間に例のアドラーの遺品のハンカチを見つけて手に取る。ホームズは見てほしくなかったものを見られてしまったような、そしてまるで彼の手の中のハンカチに嫉妬を感じたような表情でそれを彼からそっと取り上げると、彼に背を向けて甲板に立ち、ハンカチに一度口づけてからワトソンを振り返り、そして海に投げ捨てる。これは一見するとアドラーの死を悼んでのことのように思えようが、実はこの一連の流れそのものが二人の関係を象徴している。彼らの冒険旅行の相談を中断させた一枚のハンカチは、ホームズにとって二人の関係を阻む“女”の影の象徴であり、同時に自らの彼女に対する抑えがたい嫉妬心をも意味するものだ。口づけてから投げ捨てるという、それ自体感情的なアンビヴァレンスの表現そのものである動作は、ワトソンの手の中にあったそれへの嫉妬の表れであると同時に、封印することを決めた自らの思いに対する訣別でもあるのだろう。

ワトソンとの道行き
ホームズとワトソンはモリアーティの陰謀を追って最初はフランスへ、次いで山中を馬で進んで国境を越えてドイツへ向かい、モリアーティが密かに買収した武器工場へと潜入する。だがいよいよ敷地内へ入ろうという時、ホームズはワトソンに唐突に問いかける。
「幸せか?」
「は?」
「だから今、ブライトンに新婚旅行に行ったくらい幸せかと訊いているんだ」「お答えする気にもならないな」
「幸せか?」
「そんなこと言ってる場合か」
「まあな」
「早く」
「答えを」
「早くしないと見張りが戻ってくるぞ」
というのが一連のやりとりで、確かに常識的に考えれば場違いとしか言いようがない問いかけであるのだが、しかしここまで見てきた観客にとっては、これがホームズのワトソンに対する切実な問いであり、「自分と一緒にいて幸せだ」と言って欲しいだけであることは、切ないまでに自然に了解できてしまうものに過ぎない。そして常識的な振る舞いを盾にとって、自分に対して向けられたホームズの切実な感情を見て見ぬふりをするワトソンの残酷さもまた、この期に及んでいつものことであろうことも、たやすく察しがついてしまう。

結局ワトソンが答えないまま時間切れとなり、ホームズはワトソンに居住区に行って郵便局からマイクロフト宛の電報を打つよう言いおいて、自分は一人で先に工場内に潜入する。だがそこには部下たちを引き連れたモランが待ち構えており、ホームズは捕らえられてモリアーティの前に連れて行かれる。ホームズは彼の、世界大戦を引き起こし、軍需物資の供給を一手に握ろうとする陰謀を見抜いたことを告げるが、モリアーティはそれには構わず、ホームズの肩に鈎針を突き刺して天井から吊り下げるという拷問にかけ、彼の悲鳴を例のシューベルトの『鱒』と共にスピーカーを通じて工場中に流すことでワトソンをも誘き出そうとする。郵便局から戻ってきたワトソンは、残されていたホームズのメッセージを読んでから自身も工場内に潜入し、そこでスピーカーから流れるホームズの悲鳴を聞くが、モランに発見され銃撃戦となって動きがとれない。結局ワトソンはホームズのメッセージをヒントに砲台を動かして砲撃で監視塔を破壊し、その瓦礫の下にモリアーティもろとも埋まっていたホームズを救出するのだが、この時必死にホームズを呼ぶワトソンの声に「ここだ、ゆっくりでいい」と答えた後、彼に助け起こされたホームズは「Always good to see you, Watson.(字幕は“来ると思っていたよ”)」と嬉しそうに言い、言われたワトソンは微かに笑う。

ここまでの経過を見ればまたしても明らかなのだが、つまりは工場への潜入の前にワトソンの拒絶によって傷つけられたホームズの感情は、モリアーティに捕らえられて拷問にかけられるというハプニングを経由して、そこからワトソンによって助けられることによる自身への愛情の確認によって癒されるのだ。これはこの冒険旅行の発端そのものである、ワトソンの結婚によって情緒不安定に陥っていたホームズが、モリアーティの陰謀の阻止という大義名分を得ることによってワトソンを妻との新婚旅行から奪い返したことの、ミニチュア化された繰り返しである。このように、物語内の機能としても明らかであるのは、ホームズがワトソンとの関係で傷ついたり、無理をしたりして、不満が溜まることこそ、モリアーティが登場する契機となっていることだ。先述したように、ホームズがモリアーティに呼び出されて初めて正面から対決したのも、まさにホームズのストレスのピークであっただろうワトソンの結婚式の直後であり、モリアーティがその際予告した通りにワトソン夫妻を襲撃してくれたからこそ、ホームズは再びワトソンをパートナーとして冒険に出ることができたのだ。ホームズにとってのモリアーティとは、決して認められない自らのネガであると同時に、自らが意識的に望むことを許されない抑圧された願望が叶えられる口実を与えてくれる存在でもあるという、アンビヴァレンスそのものの象徴なのである。

さて、ホームズとワトソンの行動を時系列に沿って追うのはひとまずこれくらいにして、次はいよいよモリアーティについて書いていこう。彼がなぜホームズにとって許しがたいもう一人の自分であるのか。それを解き明かさなくては真相には迫れない。(続く)
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by kaoruSZ | 2012-11-18 23:53 | 批評 | Comments(0)