おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

ハンカチと赤い手帳『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』(3) by tatarskiy

ハンカチと赤い手帳
――ガイ・リッチー監督『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』(3)          

tatarskiy

(2)から続く

第二章

上演された夢
モリアーティとはいったい何者か? これまでにも何度も述べたように、端的に言ってしまえば彼はホームズのアルターエゴである。彼の行動やそれによって暗示されている彼のパーソナリティのすべては、例外なくホームズが潜在的に保持していながら、自身のものとしては抑圧した願望である。つまり、モリアーティについて語られていることは、ホームズ自身のものとしては語るわけにいかなかったものなのだ。

先述したように、彼が始めて観客の前に姿を見せるのはレストランでアドラーを毒殺する場面である。この場面の印象の強さと重要性の一端についてはすでに触れたが、ここでもう一つ、鍵となる要素を追加してみよう。モランがスプーンでグラスを叩いて合図すると、他の客たちが突然立ち上がって出て行ってしまい、モリアーティの登場とアドラーの死は、三人の他には無人となったホールの只中で、まるで舞台の上での出来事のように上演される。
筋書きの上での合理化された説明としては、他の客たちはモリアーティの手による仕込みだったということであるのだろうが、ここで実際に目に見えるものとして生起する無言の群集の一斉の移動と消失、そしてメインの登場人物たちによる“芝居”という一連の演出は、あたかも楽曲のPV映像かミュージカルの一場面のように、リアリティーの欠如とインパクトの強さを同時に伴った、象徴的な“作り物”であり、明らかにそのあからさまな作為自体が“判じ絵”としての絵解きを要求しているものだ。そう、これは“夢”なのである。

そしてこの場面に限らず、モリアーティが登場する場面の多くはこうした“判じ絵”としての“夢”であり、それ自体が言葉としては語られえないものが小道具やシチュエーションとして置き換えられた、抑圧された願望の表現なのだ。このことを踏まえた上で、モリアーティに焦点を合わせるとしよう。

モリアーティに関してアドラー殺しの次に来る重要な場面は、言うまでもなく、ある意味このシーンと明示的に一続きになっている、研究室でのホームズとの対面の場面である。これはあまりにも核心に近いため、ここではひとまず後回しにするしかないが、繰り返しになるが押えておくべきなのは、彼らが態度として目に見える形で観客に示している情動は、実は、彼らが喋っている台詞の字面通りの意味と見せかけのシチュエーションには対応しておらず、そこからずらされた裏の意味にこそ対応していることだ。

“ラヴ・シーン”
続く場面は、ホームズがワトソンを連れて最初に向かう地であるフランスでの出来事だ。画面がホームズとワトソンの船旅の場面から、船が目指す先にある陸地を望みながら切り替わり、次いで街角の掲示板に貼られているらしいモリアーティの講演会のチラシ、そしてその会場と思しき城館のような大きな建物の外観が映される。次いで机に向かうモリアーティと彼の前に整列している一見して学者風の人々、そして彼が以前ホームズにしたように差し出された自著にサインをしている姿が映り、モリアーティが二人より先に自身の講演会のためにフランスに来ていたことがわかる。と、そこに横からモランが現われて傍らに座り、サインをしているモリアーティの机の上をそっとすべらせるようにして、暗号らしい数字が書かれたメモを示す。

モリアーティはサインをした本を相手に返してフランス語で挨拶しながらさりげなくメモを確認し、机の上にあった赤い革の手帳にはさんでしまい込むと、そこでようやく口を開き、「and my ticket?」(吹き替えは“席はとれたのか?”)とモランに訊ねると、モランは上着の内ポケットから「ドン・ジョヴァンニ」の演題が記されたチケットを取り出してみせる。チケットは二枚あり、モランは一枚を机の上においてモリアーティの方に押しやりつつ、手元に残ったもう一枚を名残惜しそうに見つめている。モリアーティはそれを見ると、「残念だったね。君のぶんは必要ない。(Unfortunately, you won’t be needing yours.)」と言い、モランはそれを受けて「本当に残念です。教授。ドン・ジョヴァンニを楽しみにしてたのに。(That's a shame, professor. was looking forward to Don Giovanni.)」と答える。このやりとりの後、外の街路に出たモランは部下に、標的である財界の要人マインハルトを尾行するよう指示を出し、カメラは命令を受けた部下たちがマインハルトの馬車を監視する姿を追って切り替わる。

この場面は、表面的な筋書きの上では、この後オペラ座でモリアーティが「ドン・ジョヴァンニ」を観劇中に、彼の命を受けたモランがマインハルトを暗殺する場面の伏線として機能している。モリアーティがモランから受け取った数字による暗号のメモとそれをしまい込んだ赤い革の手帳については、クライマックスであるライヘンバッハの滝を望むテラスでの彼とホームズとの直接対決の場面で、手帳に暗号で記されているのが彼自身の犯罪記録と犯罪によって得た莫大な隠し資産の在り処であったと明かされるが、しかしその時には、ホームズがすでに暗号の解読法を見破った上に本物の手帳を盗んで偽物とすり替え、それをメアリーを通してロンドンのレストレード警部に送ることで、モリアーティの資産のすべてを差し押さえさせてしまったとも語られる。このわかりやすい筋書き上のキーアイテムとしての機能は、しかし表面的なものでしかない。本当に重要なのは、この場面が初出である手帳と暗号が、あからさまにモランとのやりとりのためのアイテムであることだ。

まず、よく見れば気づくことは、この場面のシチュエーション自体の不自然さである。常に慎重かつ老獪であり、裏では恐るべき規模の犯罪と陰謀の実行者でありながら、ホームズ以外は誰一人として彼を疑うことも無く、表向きにはこれ以上望むべくも無いほどの社会的地位を築き上げているとされるモリアーティが、学者として講演を行なった後の来場者に対する自著へのサインという、まさに彼の社会に対する表向きの顔を象徴する場で、たとえ暗号化されたメモのやりとりとはいえ、裏の仕事の片腕との犯罪の打ち合わせを人目のある場所で同時に行なうということ自体が不自然に思えるし、一見それをカムフラージュするためであるかのようなチケットをめぐるやりとりも、今まさに自著へのサインを求めて目の前に並んでいる、学者としての彼の心酔者であろう人々を無視してまで語り合う必要性のあることだとは到底思えない。つまり、そもそもこの場にモランが現われること、しかも来場者の目の前でモリアーティの傍に座ること、そしてやりとりの内容に至るまで、すべてがリアリティーに反しているのだ。
それを認識した上であらためてこの場面を見直せば、重要なのはこのシチュエーションそのものの非現実性、公共の場でモランとやりとりする、つまり「公衆の面前での秘密の語らい」という、本質的に相容れない組み合わせそのものであるのが了解されよう。

見世物小屋には他にも大勢の客が入っていたようだが、「大勢の人」というのは「類型夢」の一つであるから、その意味はフロイト博士に訊いてみるといいかもしれない――「夢の中で「たくさんの他人」に会うのが何を意味するかご存知ですか。たとえば裸の夢などではしばしばそういうことが起こって実に恥ずかしい思いをしますね。その意味するところは他でもない――秘密ということです。つまりそれは反対のものによって表現されているのです」(『著作集』6「隠蔽記憶について」)
<『砂男、眠り男──カリガリ博士の真実』より>


上は先に挙げた鈴木薫と筆者の共同論文『砂男、眠り男──カリガリ博士の真実』の註13からの引用であり、ここで例示されている見世物小屋の場面とは、主人公フランシスと友人アランが縁日でカリガリ博士の見世物小屋に入り、大勢の見物客の前で博士の操る眠り男チェザーレから不吉な予言を受けるというものだが、実はこの「たくさんの他人に囲まれるというシチュエーション」とは上述の通り“秘密”を意味し、この場面自体が、あたかも夢の中での出来事のように、“それ”を隠しつつ表すものとして象徴化されたものなのである。

勘のいい方ならもう察しがついたと思うが、モリアーティが自著へのサインの求めに応じながらモランとやりとりをする場面も、そしてこの二人の初登場シーンであるレストランでのアドラー毒殺の場面も、この『カリガリ博士』の一場面と同様、「群集の只中で/それをあからさまに人払いした後の無人の空間で」、象徴化された“秘密”が暴露されるという、本質的に同じ性質を持った重要な場面なのだ。加えて、先述したように、特にここで取り上げているサイン会の場面での二人のやりとりの性質自体が、彼らを取り巻くオフィシャルな聴衆とは相容れないものであり、それに象徴される公式な社会的関係への彼らの秘密裡の裏切りを暗示する。

暗号の数字が記されたメモと、それがしまい込まれる赤い革の手帳はそのまま、二人が共有する“秘密”とその在り処を示す。そして続く「ドン・ジョヴァンニ」のチケットをめぐるやりとりは、表面に出ている会話の意味をそのまま追うだけでも、元々の予定ではモランもモリアーティと共に観劇するつもりでいたこと、そして従者であるモランが主人に命じられたチケットの手配を当然のように「自分の分まで」行なっていたことからして、彼らにとってそれはおそらく「いつものこと」であり、モランが同行できないことの方がイレギュラーな事態であったであろうことを明かしてくれている。おそらくあの暗号のメモには、マインハルトの暗殺予定時刻がオペラの上演時間と重なってしまうことが書かれていたのだろう。暗号のやりとりによる彼らの無言の会話と後に続く明示的な会話とは、完全に一続きのものであったのだ。

もうおわかりだろう。つまりはこの一連のやりとりの本質は悪事のための打ち合わせなどではなく、プライベートな楽しみの外出を共にすることを約束していた者同士の片方が、都合がつかなくなったことを相手に連絡しているものなのだ。彼らが行なっていることが “犯罪”と呼ばれるのは、彼らの関係へのカムフラージュであると同時にダブル・ミーニングであろう。つまり、作品の舞台として設定されている19世紀末(あるいは20世紀初め)のイギリスにおいて、“それ”が本当に刑法に触れる罪であったことをも踏まえていよう。

“秘密を分かち持つ”
『カリガリ博士』の、社会的地位のある行ない澄ました紳士(医師)が実は犯罪者だったという表のストーリーは、『ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件』のあからさまな流用であろう[☆6]。類似はそれだけにとどまらない。スティーヴンソンの小説の場合も、殺人を含むハイドへの疑惑は「表のストーリー」であり、「裏のストーリー」は伏せられている。いや、近年の研究を見ると、それは隠されていた訳では全くなく、『性のアナーキー』の著者エレイン・ショウォールターによれば、スティーヴンソンの周囲では暗黙の了解があった上、この小説が刊行されたのは英国で男性間の性行為を犯罪化する法律が施行されたのと同年同月(1886年1月)であり、冒頭に出てくる「ゆすり」という語は、それだけで当時の読者には同性愛を連想させうるものだったという(ちなみに、『性のアナーキー』のこの章は「ジキル博士のクローゼット」と題されている)。つまり、殺人という表面上の嫌疑の下に、当時ドイツでも英国でも実際に刑法に触れる犯罪であった同性愛の主題が潜んでいるという点も含めて、『カリガリ博士』は『ジキル博士とハイド氏』を“粉本”として使っている。
<『砂男、眠り男──カリガリ博士の真実』より>

「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件[ケース]」とはそのままシャーロック・ホームズの事件簿に入れても(或は症例研究でも)おかしくない表題だ。ジキル博士が怪しげなハイドを遺産相続人にしているのを心配するアタスンがベイカー街で辻馬車を降りたなら登場する独身男がさらに二人増えていただろうというのは些かアナクロニックであるが。『ジキル博士』刊行の1886年1月は英国で男性同性愛が犯罪化された月であり、ウィーンの医師が男性ヒステリー研究でデビューしたのもこの年、ロンドンで患者の来ない眼科医が待ち時間に書いた『緋色の研究』の発表に漕ぎつけたのは翌年だった。
<鈴木薫のツイログhttp://twilog.org/kaoruSZ/date-121101より>


上の引用で『ジキル博士とハイド氏』と『カリガリ博士』について述べられている、「社会的地位のある行ない澄ました紳士が実は犯罪者だった」という表のストーリーと、それが隠蔽しつつ示唆している「“真の罪”としての同性愛」という図式は、まさしく今回の『シャドウ ゲーム』におけるモリアーティの罪そのものである。モリアーティとモランの関係は文字通りの“共犯者”であり、暗殺にまつわる暗号のメモと「ドン・ジョヴァンニ」のチケットをめぐる二人のやりとりは、約束していた晴れの外出を共に出来なくなったことへの軽い無念さと、今夜はたとえ離れた場所にいようとも、犯すことを約束した罪それ自体を分かち合うのだという暗い喜び、そして何も気づこうとしない自分たちの周囲の社会に対する密かな優越感すら入り混じった、甘美な秘密の共有なのだろう。この「“共犯者”として表された親密さの表現」というモチーフは、最初のアドラー殺しの場面ですでにモリアーティとモランのものとして示されていた。

もう一人のワトソン
パリでホームズとワトソンは、モリアーティが計画している爆破事件を阻止すべくオペラ座に忍び込むが、この時ホームズに続いてワトソンが一瞬振り返ってから楽屋裏への通路に入った直後、通路の片隅に蹲っていた人影が立ち上がると、それがモランであることがわかる。布に包まれた細長い荷物を抱えた彼は、二人が通り過ぎるのを意味深長な視線で見送る。結局、オペラ座に爆弾が仕掛けられていると思わせたのはモリアーティの罠であり、ボックス席で悠然と観劇しながら舞台の後ろに忍び込んだ彼を見つめるモリアーティと目が合った瞬間にすべてを悟ったホームズは、本当の爆破現場である通商会議の会場のホテルへと急行するものの間にあわず、出席していたマインハルトを始めとする財界の要人たちは会議室もろとも爆殺されてしまう。

爆破事件は阻止できなかったものの、現場の柱とマインハルトの死体の頭部に弾痕があるのを発見したホームズは、彼がホテルの向かい側のオペラ座の屋上から狙撃されたらしいことに気づいて、ワトソンと共にそちらへ赴く。二人は屋上で狙撃犯の使ったと思しき三脚と風速計の痕跡、そしてタバコを消した跡を見つける。だがそこからマインハルトのいたホテルの窓まではあまりにも遠く、ワトソンがこれほどの距離をものともせずに標的に銃弾を命中させうるほどの腕を持っているのはヨーロッパでも数人ほどだと言うほどだった。ホームズは、犯人はその中でもアフガニスタンへ派遣された人物だと言い、その証拠としてトルコ産のタバコの葉が落ちていたのを拾い上げ、ワトソンに差し出して「君たち皆が吸っていたのと同じでは?(Wasn't that the blend you all smoked?)」と問いかける。周知の通りワトソン自身、かつてアフガニスタンへ軍医として派遣されていたのである。ワトソンが頷くと、先ほどのオペラ座の楽屋裏への通路でワトソンが一瞬振り返る場面がフラッシュバックし、次にホームズが「(狙撃手の)大佐について何か読んだことがあったかな?(Didn't I read something about a colonel?)」と自問する。それに対してワトソンが「セバスチャン・モラン」と答えると、それに合わせてさっきフラッシュバックした場面の続きが映るが、ここでは、ワトソンの後姿が通路に消えた後にモランの立ち姿が現われ、そこにワトソンの「陸軍一の狙撃手だ」という台詞が重なるという演出がされている。実はこの映画の中でモランの名前が明かされるのはこれが始めてである。画面が再び屋上での会話に戻り、ワトソンは更に「不名誉除隊になってる」と付け加える。
「で、殺し屋になったわけか。奴の犠牲者を見るのは二人目だ」「巧妙だな。誰も爆破現場で銃弾の痕など探さない」というやりとりで会話が締めくくられると、再びフラッシュバックして、砲身の長い狙撃用の銃、それに弾を装填する手元、それが照準を合わせたホテルの窓辺にいるマインハルトの姿がつぎつぎ捉えられる。そして銃声と共にカメラが後退し、標的に向かって引き金を引くモランの姿が挿入された後で場面は暗転する。

まずは表面に現われた意味を確認してみよう。言うまでもなく、ここでの一連の流れはホームズの対等な好敵手としてのモリアーティの巧妙な手強さを、その忠実な手足であるモランの不気味な存在感や彼の狙撃手としての並ぶ者の無い驚異的な腕前と共に、強調するものだ。だがここで示されている真に重大な手掛かり、というよりほとんど種明かしに近い収穫であるのは、モランの名前と経歴が明かされる場面における、かつて軍務でアフガニスタンに派遣されていたというワトソンとの共通性、それを具体的に示す「君たちが皆吸っていた」トルコ産のタバコの葉、そしてその前後にフラッシュバックで反復され、強調される、オペラ座の通路で振り返るワトソンの後姿に重なるようにすり替わるモランの姿という、ちりばめられた細部による示唆そのものだ。
ここまで来ればもうおわかりだろう。モランはほとんど明示的に、もう一人のワトソンなのである。(続く)
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by kaoruSZ | 2012-11-18 23:56 | 批評 | Comments(0)