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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

tatarskiyの部屋(14)「三人ガリデブ」でワトスンはなぜあんなに感激したのか

前回の続きをtatarskiyさんが連続ツイートにしたので以下にまとめた。こんなことをわざわざ言うのは野暮であり馬鹿らしいのだが、一言だけ断わっておきたい。これはドイルの小説をネタにした“妄想”などでは全くなく、原文を偏見なしに読めばまさにそう書かれていると(ちょうどホームズの推理が彼がいなければ誰にも気づかれないままの事柄だとしても説明を聞けば納得できるように)誰にでも理解できることである。世の中には(たとえば)ワトスンの結婚の回数について片言隻語を取り上げた議論をして知的遊戯と称する人も多いようだが、これがそうしたたぐいと根本的に異なり、たんに“批評”であることも言うまでもない。(kaoruSZ)



「三人ガリデブ」でワトスンはなぜあんなに感激したのか


前回は原作の「最後の事件」と、「三人ガリデブ」「高名な依頼人」に出てくるワトスンの二度目の結婚の関係について触れたが、実はまだまだ細かい証拠はいっぱいある。あえて書かなかったネタも含めていずれ原作篇としてまとめるつもりだが、ここでは一つだけ追加しておきたい話を。

「三人ガリデブ」の、あの、撃たれたワトスンをホームズが介抱する場面。普通に読んでいて感動的なのは確かだけれど、よく考えるとワトスンの感激の仕方は非常に不自然なのだ。

なんで今の今まで自分を思いやっているのかも確信が持てないような相手に「多年にわたる私の取るにたらぬ、しかし心からなる奉仕の生活」というほどの無私の奉仕を捧げていたのか? それにここまで読んできた読者からすれば、ホームズがワトスンを信頼し必要としていたことはまったく疑う余地がない話。

つまり、ワトスンとホームズの間に読者には明かされていない事情があり、ワトスンの「奉仕」というのはそれに対してのもの、早い話が“負い目”があるからだったとしか考えられない。

彼の「この天啓の一瞬に頂点に達した」ほどの感激も、あの撃たれた自分を気遣うホームズの反応によって、“それ”が許されたこと、許されていたことを確信したからだ。先に挙げたエントリーに書いた話の続きだが、実はこのエピソードこそが、ワトスンが再婚に踏み切った直接のきっかけと見て間違いない。

ワトスンに、それがたとえホームズのためであろうとも再婚をためらわせる原因となっていた負い目、このエピソードはそれが払拭されたことを示している。もう言わなくてもわかるだろう。それはワトスンの最初の結婚と、そもそもそれに端を発した彼らの最初の破綻──あの「最後の事件」に他ならない。

あの一件の真相からすれば、ワトスンは一度はホームズを完全に追いつめて死なせたに等しく、本来ならモリアーティではなく彼こそが、ホームズと共に滝壺に身を投げるべき心中の片割れだったのだ。

彼はあの時ホームズが自分を道連れにすることを思い止まり、一人姿を消すことを選んだからこそ生きながらえたのであり、メアリーが死んで戻ってきたホームズが、実は自分に対して無言の内に償いを要求していることを知っていたのだ。

帰還したホームズから二度目の同居を申し入れられ、それに同意してからのワトスンの生活は、実はひたすらホームズに対して「あの時」を償うためのものだったのだろう。ワトスンがどれほど彼を愛していようと、再び彼を裏切ることなどありえなかろうと、「あの時」の負い目は彼らの間に、深い傷跡と無言のわだかまりを残していたのだろう。

だがワトスンは、今度こそホームズを守り抜くこと、二度と「あの時」と同じ思いなどさせないことを誓い、読者の前に示されている事件の際の直接的な暴力との対峙やホームズの心身のケアのみならず、おそらく彼らに向けられていたであろう、ありとあらゆる社会的な非難や疑いからも守り抜いていたのだ。皮肉なことに、そのためにワトスンに結婚歴があることは非常に役立ったに違いない。

だが、「三人ガリデブ」の事件の直前には、彼らはどうしても、もう一度明示的に“疑惑”を払拭する必要に迫られていたのである。それは何故か、私が皆まで言わずとも、この事件の冒頭でワトスン自身が触れているのでそれを確認してもらえれば十分だろう。

ワトスンには、疑惑を払拭するためにはもう一度どちらかが結婚するしかないこと、そしてホームズには到底そんなことは出来ない以上、自分が再婚するしかないことがわかっていただろう。

だが言うまでもなく「ワトスンの結婚」とは、ホームズにとってはあまりにもトラウマティックな思い出そのものであり、それは否応なくワトスンの裏切りを意味してしまうのだ。

たとえ頭では自分たちの名誉を守るためであると納得していようとも、いつホームズが「あの時」と同じ錯乱に取り憑かれるかもしれないことを、ワトスンは恐れていたのだ。それはそのまま、彼が本当に自分を許してくれているのかという恐れそのものであっただろう。

あの「天啓の一瞬」に、ホームズの反応からワトスンがすでに自分が許されていたことを悟ったのはなぜか。あの場面の状況での直接のメッセージ、それはホームズが「ワトスンに死んでほしくない」ことをはっきりと言葉に表したことだ。

これは実はあのライヘンバッハの滝の断崖での、置手紙を残しての失踪という行動によって示されていたのと同じものなのだ。それこそが彼らの苦い後悔の原点であり、ホームズが帰還してからの彼らの歳月は、すべてそれを取り戻すためにあったと言っても過言ではないのだ。

つまり、彼らの間に影を落とし続けていた「あの時」のリグレットは、ここで生身のホームズの「言葉」として解放されたのである。そしてそれはワトスンのホームズに対する“償い”の時の終わりでもあったのだ。

これが読者の目に見える形での彼らの“愛”のクライマックスなのは必然である。これ以降、ワトスンはホームズに「今度こそ最後まで一緒に生きるために」自らが再婚し、ホームズが隠棲し、そして再婚した妻が死ぬ時まで耐え忍ぶよう説き伏せたのだ。過去への償いではなく、共に生きる未来を摑むために。
by kaoruSZ | 2012-11-25 06:02 | 批評 | Comments(0)