おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

虔十公園林再訪

虔十公園林再訪   死後の作品の運命    


 宮澤賢治は死の床で自分の書いたものについて父親に、あれは迷いの跡だから捨ててくれとカフカのようなことを言っていて、そんなことをしそうにない相手に言ったのもカフカと同じだが、無論これは行く末を見届けることのできぬ作品への執着の裏返しに過ぎなくて、カフカは奇妙な小品『家父の心配』で、何の用途も目的も無く家の中を動き回っていて自分の死後までも生きつづける謎の物体オドラデクに対する父の気がかりという形でそれを書いたが、賢治は、「雨ニモ負ケズ」のデクノボーそのもの(ただし賢治のような実践は伴わない)である虔十=賢治の死後、「アメリカで教授になって故郷へ帰って来た」ような人によって真価を見出され(そのような“教授”自体彼には死後の栄光と同じほど空想的な存在だったろう)、虔十が作った杉林が遠い未来に「虔十公園林」としてその名を刻んだ「青い橄欖岩」の碑によって顕彰されるという、願望充足の夢それ自体を作品化した。

 どんな王侯の大理石や金の記念碑も私の詩よりは保たないからこの詩に歌い込まれた君は永遠に生きると英国の文豪も愛する青年に捧げた詩で言っていたが、賢治も本物の石碑より長生きする(無論その時点ではそれが確信できた訳ではない)作品の中に、現実の栄光に先んじて紙の上の顕彰碑を据えた訳だ。

『虔十公園林』は児童文学全集の最初に買ってもらった一冊「日本童話名作集」に入っていて、私が初めて読んだ賢治の作品だったと思う。その後いとこのお下がりで『風の又三郎』『セロ弾きのゴーシュ』『銀河鉄道の夜」『グスコーブドリの伝記』が一冊になった本をもらい、他に雑誌のダイジェストか何かで『注文の多い料理店』を読んだ。そして多分それより前に、「偉人」のエピソードを子供向け読み物にした本(これもお下がり)に入っていた、風変りな実践家(他の人とは違う先覚者で商品としての花を育てる人)として描かれた賢治像にも出会っていた筈だ。

『虔十』が他の「お話」と異質なのは一目で見てとれた。筋立ての特異な面白さも幻想的な道具立てもなく、エキゾティックな命名による異化もない(人名だけではなく、例えば『グスコーブドリの伝記』のオリザの正体にすぐには気がつかなかったが、そう名づけられていなければ普通に東北の悲惨な冷害と飢餓の話である)。

『グスコーブドリ』は、思い返すと、紫がかった薄墨か淡彩の抑えた色調で描かれた印象で、ブドリと妹のネリは飢饉以前は森で山鳩の鳴きまねをしたりブリキ罐で百合の花(だったか?)を煮たりして遊んでいて、およそかけ離れた環境にあって読んだ私にもその親密な空間は伝わってきた。東京で一番緑の少ない区で生れ育ち、庭の外へは一歩も出ずに弟と日々遊びを考案するのとそう違っては見えなかったのだ。

 火山島にしても博物館の模型のようで(実際クーボー大博士によってそのたぐいの仕掛けが示されもする)、要するに全体が作り物めき、箱庭めき、人形劇の舞台めいている。それが子供にとって魅力的な空間であることは言うまでもない。『銀河鉄道の夜』でも、少年だちが旅する銀河鉄道は、天澤退二郎も指摘するようにあらかじめジョバンニの回想の中でカムパネルラの所有する鉄道模型として示されている上、「午後の授業」で先生が教えるのは天の川が実は星の集まりであることだし、夜の町で照らし出された飾り窓にジョバンニが見出すのは、これから旅する世界の見取図に他ならぬ星座のミニアチュールである。

 そうやって密かに準備された断片があたかも計画されていたかのように組み合わさって、気がつくと昼の残滓のブリコラージュによる《夢の仕事》そのものとして汽車は走り出している。そこで彼が見出すカムパネルラは、私の読んだ古い版では、死者であることをすでにジョバンニが知っていることになっていた。いや、正確には、「カムパネルラの死に遭ふ」くだりが入眠の前に置かれることで、カムパネルラ自身は自覚していないその死がジョバンニには既定の事実であり、そのことが各自の態度に反映しているかのごとき効果か生じていたのだ。今では賢治がそのように原稿を配した事がないのを私たちははっきり知っている。

 それにしても、“お下がり”の版では夢の始まりと終り、『銀河鉄道の夜』が未完であることの明確な指標であるその部分に、(ここで何枚かの原稿が失われています)という文字が入っていて、もはやどうすることもできないとりかえしのつかないことがこの世にはあるという事実を、幼い子供にまで告げ知らせていたのだった。
 作者の死による取り戻しようもなさとはまた、それが自然発生的な伝承のたぐいではなく、固有の生と死を持つ作者によって操作されたものだという虚構性についての意識でもある。初期形ではジョバンニの夢を統御していたとおぼしい、「遠くから考へを伝へる」実験をしていた、虚構性そのものの具現とも言えるブルカニロ博士が夢のはじまりと終りに介入しているのだが、私が最初に読んだ版では覚醒後にのみ登場してジョバンニと言葉を交わす博士は、今日知られているところでは最終的には作品から消える運命で、入眠時と目覚めの際の原稿の混乱はその消滅の過程を物語るものであった。

 虔十の杉林に言いがかりをつけ、暴力さえふるった隣人平二の死を、賢治は、平二が虔十の頬を「どしりどしりとなぐりつけ」る憎むべきエピソードの直後に告げるが、読者が快哉を叫ぶ暇など無い。虔十自身の死がその一つ前の文で、「さて虔十はその秋、チブスにかかって死にました」と、これ以上ない簡潔さで記されているからだ。「平二もちょうどその十日ばかり前に、やっぱりその病気で死んでいました。」読者にほっとする間を与えぬ語りと時間のこの捩れ。杉苗を植えた者と杉林を脅かす敵とをたった二行で片づけた語りは、「そんなことはいっこうかまわず、林にはやはり毎日毎日子どもらがあつまりました」と続ける。そして、「お話はずんずん急ぎます」というあの驚くべき一行が来る。これは生きたまま死後へ踏み込んで行こうとする賢治の宣言であり、「そんなことはいっこうかまわず」とは、通常子供は作者についてなど気にしないという以上に(あるいはそれを口実に)、「虔十は……死にました」というノイズにできるだけかまうまいとする、死という事件をかぎりなく薄いものにしようとする、語りの意思のあらわれだろう。

「つぎの年」、村には鉄道が通り、停車場ができる。「そこらの畑や田はずんずんつぶれて家が立ちました。いつかすっかり町になってしまったのです。」しかし虔十の林だけは、「どういうわけかそのままのこっておりました。」「子供らは毎日毎日あつまりました」(とは、これで三度目の繰り返しになる文章である)。「虔十のおとうさんも、もう髪がまっ白です。まっ白なはずです。虔十が死んでから二十年近くなるではありませんか」と、賢治の筆はここでも僅かな行で時の経過を、変ったものと変らなかったものとを書きおおせる。これに匹敵する変化は『グスコーブドリ』にも見られるが、それはブドリが大人になるという、読者である子供には不可能な時間の経過があるからで、実は『虔十』の場合もここで真に必要だったのは、子供が大人になるまでの時間、つまり杉林に「毎日毎日」集まっていた子供たちが成長して、いったん村を離れて後、虔十のことを思い出し、杉林とその作者を別の目で見るようになるまでの不可能な跳躍に他ならない。

『虔十』が『グスコーブドリの伝記』や『銀河鉄道の夜』と異質なのは、そこがイーハトーヴなどではなく、賢治が現に生きていた辺り、鉄道が通ることによって早晩変貌を遂げ都市化してゆく東北の村であったからでもあり、子供の読者にとっても、それはジョバンニたちのいた架空の舞台ではなく、自分の生きている場所と地続きであることは明白だった。
 そこで「二十年」が経つ。子供にとって永遠と同義ですらある時間によって隔てられたその場所は、私にとって過去だったのか未来だったのか、賢治がすでに物故した「昔の人」であるからには、それは過去だと感じられたのだろう。第一、物語というものはすべて、過去のある時点ですでに起こってしまったもの、「とりかえしのつかないもの」として語られている。

「ある日、むかしのその村からでて、いまアメリカのある大学の教授になっている若い博士が、十五年ぶりでその故郷へ帰ってきました。」昔の面影をさらに留めぬ故郷で、唯一、変らないものを彼は見出す。「ああ、ここはもとどおりだ。(…)木はかえって小さくなったようだ。ああ、あの中に、わたしや、わたしのむかしの友だちがいないだろうか。」かつて虔十の林で遊んだ子供がそうなったという博士の顔は、私には想像できなかった(大人とは子供のあらゆる想像を越えたものだ)。とはいえ博士のこの感慨は、成長するにつれて共有せざるを得なくなったものではある。ここは今学校の運動場なのかという博士の問いに、彼に講演を頼んだ小学校長は「ここはこのむこうの地面なのですが、家の人たちがいっこうにかまわないで、子どもらのあつまるままにしておくものですから」まるで附属の運動場のようになってしまったが本当はそうではないと答える。「それはふしぎなかたですね。いったい、どういうわけでしょう」

「ここが町になってから、みんな売れ売れともうしたそうですが、年よりのかたが、ここは虔十のただひとつのかたみだから、いくらこまってもこれをなくすることはどうしてもできないとこたえるそうです。」そう言われてついに博士は思い出す。「その虔十という人は、すこしたりないとわたしらは思っていたのです。(…)毎日ちょうどこの辺に立って、わたしらの遊ぶのを見ていたのです。この杉もみんなその人が植えたのだそうです。ああ、まったく、だれがかしこく、だれがかしこくないかわかりません。ただどこまでも十力の作用はふしぎです。」その場所を「虔十公園林と名づけて、いつまでも保存するようにしては」と博士は提言する。「さて、みんなそのとおりになりました。芝生のまんなか、子どもらの林のまえに、「虔十公園林とほった青いかんらん岩の碑が立ちました。(…)虔十のうちの人たちは、ほんとうによろこんで泣きました。」

 そして実際「みんなそのとおりに」なったのだった。生前ほとんど無名だった賢治の死後、作品は出版され、その遺した原稿は花巻空襲からも家族によって守られて、「博士」たち(アメリカでなくフランス帰りだったかもしれないが)によって研究され、さらに真価を明らかにされ、編纂されて、それにも賢治の弟は協力を惜しまなかったのだ。「むかしのその学校の生徒たち、いまはもうりっぱな検事になったり、将校になったり、海のむこうに小さいながら農園をもったりしている人たちから、たくさんの手紙やお金が学校にあつまってきました。」時代を感じさせる肩書だが、これは権威主義によるのではない。彼らはみな、昔、虔十の林で作者のことなど気にもかけずに遊んだ者たち、つまり子供の頃に賢治の童話に出会った読者という資格で名をつらねている。

 しかしこれは子供こそが理想の読者だということではない。子供らは虔十を「少し足りない」と思っていたのであり、“イツモシヅカニワラッテヰル”のを「馬鹿にして笑っていたのだから。「ああ、全く、誰が賢く、誰が賢くないかわかりません」とは、子供は賢くなかった、虔十の価値をわからなかったということだ。虔十を馬鹿にしていたのは子供ばかりではない。「その芝原へ杉を植えることをわらったものは、けっして平二ばかりではありませんでした。あんなところに杉などそだつものではない、底はかたい粘土なんだ、やっぱり馬鹿は馬鹿だとみんながいっておりました。」
 虔十とは、賢治が自身をカリカチュアとして自作に書き込んだものであると考えるならば、隣人の平二とは宮澤賢治の仕事を理解しなかったすべての者たち、作品についてのみならず、いつまでも親がかりでわけのわからぬ活動を続けていた(しかし虔十同様、家族からは経済的なものも含めた庇護をうけ、モラトリアム状態を続けていられた)肺病やみの賢治に無理解な目を向けた者たちの謂でもあろう。

「雨ニモマケズ」が叙述するのは周知の通り「サウイフモノニワタシハナリタイ」という賢治の理想像であろうがまた他人にそう思われたい姿でもあったろう。このうち「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル」「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」というあたりは虔十とも共通する一方、「雨ニモマケズ」にあって虔十にないのは、「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という認識の人、また「野原ノ松ノ林ノ蔭の小サナ茅葺の小屋ニ居テ」という転調以降の東奔西走して献身する行動、実践の人としての姿である。

 一方で虔十には賢治が「雨ニモ負ケズ」のような公式の自画像(手帳のメモであり本人が望んだものでないにせよ)ではただの一言も触れなかったもの、すなわち作者としての彼自身という役割が与えられている。しかしここにはある種のねじれがあるように思われる。虔十はその為す所を知らざる者であるが賢治は違う。そして実践者賢治の姿が今日にまで伝わるのは文学者賢治がいたからだ。
 
 賢治の作品においてしばしば実践者の死は限りなく重い。とりわけ自己を犠牲にして得られるものは大きい。よだかはたんに誰かの餌食になるのではなく《星》になり、「今でもまだ燃えてゐ」るし、ブドリの死は農家の一軒一軒の肥料設計の相談に乗る(死の前日も賢治がやっていたことだ)のではなく、一度に気象を変えてしまう。彼らの死には「みんなのさいはひ」が賭けられており、実際、得られるものの大きさゆえに釣り合いが取られたと納得がゆく。少なくとも納得されうる。カムパネルラの死の向うにはジョバンニの未来が開けている。

 しかし『虔十公園林』における、羽毛のように軽くかすめて過ぎられた死はそのようなものではない。何ものでもないかのように装う、事件性をかぎりなく稀薄にされた死、「お話はずんずん急ぎます」と語りによってあたかも路傍に打ち捨てられてしまったような死だ。
 その代り得られたものは《死後の生》、実践者ではなく作者としての死後の栄光である。博士たちは賞賛を惜しまず、家族は泣いた。大勢の人々が青い橄欖岩の碑を見につめかけたし、これからもやってくるだろう。そしてなお、“賢い”人々は例のアメリカ帰りの若い博士によって発せられた「十力の作用」という言葉をなぞり、知識を競い合う以上のことはできないだろう。子供たちのように雨上がりの木立のしたたる緑を喜ぶ大人は少なく、たとえ作品に近づきはしても、テクストを読む以外のことなら何でもするのにそれだけはしない人々が大半なのであるから。

『虔十公園林』はたんに無邪気なものを讃える作品ではない。杉林の入口の青い橄欖岩の碑を見て満足して帰ることのない者たちは、そこにひそむ悪意、呪い(杉林の迫害者平二は作者の道連れでさっさと殺されてしまう)、願望が成就される彼岸としての現世、すなわち未来において死後の作品の運命を見届けたいというむなしい望み、死の向うまで行けたかに見せかける語りの詐術を見出すことだろう。そして自分の価値がわからないふりをしてみせるという最高の傲慢さによって、無邪気さを演じ切った賢治=虔十の作家の業[ごう]が大人になった私たちの胸を打つのだ。
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by kaoruSZ | 2012-12-01 16:28 | 文学 | Comments(0)