おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

tatarskiyの部屋(15)モリアーティはどこから来たか?

※続編あり

モリアーティ教授について事実であろうと判断できることは、ホームズが「世間にも知られている事実」として語っていた経歴、彼が何らかの犯罪に手を染めており、ホームズにその証拠を握られて社会的な名誉を失い、おそらく逮捕される前に自殺したこと。そしてワトスンが彼についてホームズから話を聞いていたこと。彼にジェームズ・モリアーティ大佐という兄弟がおり、この人物が「最後の事件」でのホームズの失踪から二年後に、モリアーティ教授の名誉を回復しようとして公開状を持って世間に訴え出たこと。だがどれもあの「最後の事件」には無関係なのだろう。本当はワトスンがあの時起きた出来事についてそのままでは書けないものをなんとか形にしようと決意したのとたまたま同じ時期に、モリアーティ大佐による彼の兄弟の名誉回復のための訴訟が起こったため、それにカムフラージュのネタの着想を得たに過ぎないのだろう。

モリアーティ教授の職歴や年齢については事実であろうから、彼が少なくとも初老に達していたインテリであり、彼が行なっていた悪事が知能犯としてのそれであり、そして自分が計画した悪事の直接の実行犯として、複数人のごろつきを使っていたのも事実だろう。だが決して「犯罪界のナポレオン」などという妄想じみた万能の悪ではあるまい。彼の犯罪の証拠を握ったホームズによって警察が動き、先に実行犯だったごろつきたちは皆逮捕されたものの、モリアーティ教授は最初の手入れから逃れ、そして死によって自らの名誉を守ることを選んだのであろう。

そしてこのモリアーティ教授の自殺によって幕を閉じたであろう事件は、どの程度かは不明であるが「最後の事件」より以前のものであるのは確実であり、おそらくその前年にあたる1890年にワトスンが記録したという三件の事件のうちのいずれかである。ワトスンはモリアーティ教授に関する事件の顛末をそれなりにリアルタイムでホームズから聞き知っていたと思われる。つまり、二人のモリアーティに関する会話の内容は、誇張され歪曲されてはいるものの、まったくの事実無根ではあるまい。だがそれは決してあのスイスへの心中旅行の道中で交わされたものではないのだ。

ワトスンが「最後の事件」冒頭で「私の知るかぎりにおいて、この事件のことがおおやけに報道されたのは三度だけである。1891年5月6日にジュルナル・ド・ジュネーヴに載った記事、同5月7日にイギリスの各紙に載ったロイター通信、そして最後が前述の公開状である」と述べ、そして最初の二つはごく簡潔な記事だったが、最後のものは事実を完全に歪曲しているのでここでそれを明らかにするのだと言って「最後の事件」当時についての記述に入るのだが、これは完全に継ぎ目の見える見え透いた詐術である。そもそも最初の記事はその新聞の名前からして、ホームズが行方不明になったライヘンバッハの滝のある地元スイスの現地報道であり、その翌日のロイター通信の記事は知らせが本国イギリスにも一日遅れで伝わったことを示すものだろう。そして最後のモリアーティ大佐の公開状は、ホームズによるモリアーティ教授への捜査の不当性を訴えるものではあるにしろ、実はホームズの行方不明とはまったく無関係なものなのだ。そもそも「最後の事件」に書かれているようにホームズとモリアーティが格闘の末に滝壺に落ちた可能性があったのであれば、それは立派な殺人事件であり、その報道も「簡潔な記事」で済んだはずはない。そしておそらくリアルタイムで報道されたであろう事実は、「友人と保養のための旅行に来ていたシャーロック・ホームズ氏がライヘンバッハの滝付近で目撃されたのを最後に行方不明となった。同行していた友人の証言によると、失踪当時の氏は情緒不安定に陥っており、錯乱して発作的に滝壺に飛び込み自殺を図った可能性がある」といったところだろう。

そしてどう考えてもワトスン宛に残されていたホームズの遺書の本当の内容が、すべてを公にできるようなものだったとは思えない。それでもあらかじめ財産を整理してマイクロフトに託したこと、「奥さんによろしく」という文句があったこと、そして結びのワトスンへの呼びかけなどの細部は事実と一致するだろう。

また、「空き家の冒険」でワトスンはホームズと再会するが、これは別にドイルが無理やりホームズを生き返らせたわけではない。「最後の事件」における結末のそもそもの意味が「ホームズが死んだ」ことではなく、「ホームズがワトスンの前から姿を消すことを選んだ」ことだからだ。きっぱり殺そうと思えばワトスンの目の前ではっきりとホームズを死なせればよかったわけで、そうではない時点でおのずと察しがつくというものだ。

【追記】
12月3日
朝ポストした文章をエントリーとして載せてもらったが、その後はっきりしたことを補足。上のエントリーではモリアーティ教授の兄弟の名前が「ジェームズ」だったように書いたが、皆さんご存知のようにこのファーストネームは「空き家の冒険」ではモリアーティ教授本人のものとされている。

で、結論から言えばこのファーストネームはモリアーティ教授本人のものに間違いないのだが、同時にこの名前が「最後の事件」の際には彼の名誉回復訴訟を起こした兄弟のものとされていたのも必然であり、ドイルのミスではない。これは巧妙なヒントなのだ。

また、このモリアーティのファーストネームが明かされる場面が、モラン大佐の経歴について語られるのと同じ場面であることは、実はそれ自体が種明かしに等しいのだ。ワトスンはやはりドイルの分身である。この詳細についてはいずれ私から語ることもあろうが、それよりぜひ各自で謎を解いてほしい。

12月6日
3日のツイートのヒントの続き。相方に難しすぎると言われてしまったし、自分でもこれだけじゃわからないなと思い直したので。実は「ジェームズ・モリアーティ」も「セバスチャン・モラン」もおそらく彼らの本名ではないということ。正確にはそれぞれ姓と名前の「半分が本当で半分が嘘」の組み合わせ。

これは名前自体が「虚実の継ぎ目」を象徴しているわけで、要は彼らが登場する「最後の事件」と「空き家の冒険」がホームズとワトスンの間に本当にあった出来事のすり替えであり、モリアーティもモランも“作者”であるワトスンが(作品世界における)実在の人物をモデルにキャスティングした囮なのだ。

そしてホームズとワトスンの間に起きた出来事が本当はどんなものだったかわかれば、「何が実際には起きなかったことか」も同時にわかる仕組みになっている。そして読者に示されたあの「虚構の出来事」の中でのモリアーティとモランの役割が理解できれば、同時に実在した彼らについても推測がつく訳だ。

「最後の事件」でも「空き家の冒険」でも、実際にはホームズとワトスンはモリアーティともモランとも顔を合わせていないし、ワトスンに至っては作品世界の時系列のどの時点でも、ホームズからの伝聞を除いてはおそらく彼らの姿すら見ていないのだ。つまり彼らについての記述は実は全て“引用”である。

自分で真相を探ってみたい方は、まずは原作のテクスト以外にシェイクスピアの『十二夜』を読んでほしい。これは捕縛されたモランにホームズが言った「旅路の果ては恋人同士のめぐりあい」という台詞の出典だが、実は“引用”されているのはこの台詞だけではなく、非常に重要な手掛かりになっている。

そして「最後の事件」ではモリアーティについて、「空き家の冒険」ではモランについて、ホームズがワトスンに話して聞かせる場面に注意を払ってほしい。重要な共通点が見つかるはずだ。ネタを明かしすぎかもだが、特に後者の場面では実はあからさまに“記述の引用”を示唆するアイテムが登場している。

また、実はこの会話の場面に限らず、全ての出来事はそれが起こった後から“作者”であるワトスンが再構成したものであり、要は読者はあらかじめ彼の掌の上で踊らされているようなものなのだ。彼は決して彼自身がそう装っているような、鈍感な善意の記録者にすぎない素朴な人物ではない。

つまり小説としての『シャーロック・ホームズ』の読解とは、いわば読者とワトスンとの真剣勝負なのである。そしてこれは言うまでもなく、メタレベルでは読者とドイルとのそれなのだ。私たちもまだ始めてから日が浅いが、こんなに面白いゲームは無いと言える。ぜひもっと多くの人に参加してもらいたい。
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by kaoruSZ | 2012-12-03 10:39 | 批評 | Comments(0)