おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

晝顔―Beau de jour (上)


 わが友が私を主人公にして書いた話に私がいろいろ不満のあることは確かだけれども、その内実に関してはとかく誤解があるようだ。それらが事実と異なっていると私が非難したというのは「事実」ではない。私は、彼が『凶暴な猫の冒険』[近日公開]の中で描いてみせた、かの愛すべきメイドとは違うのだ。この娘は、彼がクイーン・アン街にいたとき短いあいだ仕えていたが、私の最初の訪問の際、シャーロック・ホームズが自分について、あれこれ言いあてるのではないかと恐れていた。むろん私には、彼女が見抜かれるのではと思っていた程度のことは、彼女が私たちの周りをうろうろしている間にわかってしまったが、雄の孔雀じゃあるまいし、ところかまわず尾羽根を広げたりはしない。この田舎娘が主人に語ったところでは、小説というのは「事実」を書くものだと思っていたので、それまで、私を主人公にした彼の小説は、すべて「本当にあったこと」を「そのまま」書いたと信じていたそうである。私の友は、お伽話で「私」と名乗る者の語る出来事がとうてい現実にはありえない例を挙げ、彼女の認識を改めようと試みたが、彼女は、彼のような有名な小説家が自らの名を名乗っての語りが、お伽話と同じレヴェルで絵空事でありうるなどとは思ったこともなかったので、すっかり混乱してしまったという。

 私は、「何度となく、僕ら二人のささやかなお伽話の出発点となった、あの部屋」という、私たちの下宿をさして彼が『空家の冒険』で使った(私の台詞であるが、むろん私がそう言った「事実」はない)言いまわしが好きだ。もっとも、公刊されている版では「お伽話」が「冒険」になっているが。「お伽話」だと、なんだか自分がシャーロック・ホームズよりもむしろR・L・スティーヴンスンの『新アラビア夜話』の主人公にでもなった気がして楽しいし、私が呼ぶ子を吹き鳴らすとレストレードとその部下(Lestrade and his merry men)が空家に飛び込んでくるというクライマックスも、私の中では現代風の無味乾燥な建築の中に、突如ロビン・フッドとその愉快な仲間か、さもなければお伽の国の兵隊が出現したように変換されるのである。

 そして「事実」云々を言うなら、シャーウッドの森の住人や玩具めいた兵隊はもとより、レストレードと部下たちもそこにとどまることはできないだろう。ついでに、彼らに取り押えられ、私をにらみつけているセバスティアン・モラン大佐(及びそのありそうもない空気銃)や、モリアーティの亡霊も消え失せて(互いに会ったこともない彼らは、私のファイルのMの項でしか隣り合わせたことがなく、わが友が粉飾を重ねて捏ね上げた同名の神話的人物と比べれば、取るに足らぬ小悪党でしかない)、あとに残るのは文字どおりの空いた部屋ばかりだ。いみじくも「空家の冒険(The Adventure of the Empty House)」と題されたお伽話の舞台となったあの部屋は、だから本当にemptyであり、空虚で無意味な空間なのである。「事実」にこだわるなら、221bの真ん前のカムデン・ハウスは、少なくとも一八九四年春には空家でなかったことを強調しておこう。ブラインドには夜遅くまで仕事をする人影が映り、それがベイカー街を挟んだ暗い部屋の奥からも見られた。むろんそこには実物大の蝋人形など置かれていなかったから、残念ながら膝立ちでそれを動かすハドスン夫人の活躍の機会もなかった。人目を引くために用意された大道具小道具をとっぱらってみれば、あとには私たちの再会しか残らないのであり、通りを隔てた、煌々と明りのともるカムデン・ハウスの二階とは対照的に、私たちの部屋はインク壺の底のように黒闇の中に沈んでいた。そしてそれこそが『空家の冒険』において語られなかったことなのである。

 彼の書くものにおいて私がつねに感嘆措くあたわざる思いがしたのは、あの空っぽの部屋に象徴される空虚な舞台に、大衆の好みに叶う道具立てや人物を手際よく配置して、謎の提示から解決にいたるめざましい物語を組織する手腕ではなかった。そうした物語とは別にある、注意深い読者にしか見えないものだった。私の方法として彼が提示したものは、むしろ彼自身の作品に対して適用されねばならないだろう。その際に重要なのは、あらかじめ謎とされたところには謎はなく、あくまで自分の目で機巧(からくり)を発見しなければならないということだ。だが大衆はつねにファサードに魅了され、たかだかシャーロック・ホームズが解いてみせる謎にしか興味を持たない。彼自身、自分の書くものが読み捨ての大衆小説と見なされて、批評の対象にすらならないことに、しばしば苦しみ、苛立った。だが、彼は、その困難な試みをけっしてあきらめはしなかったのだ。  

 たとえば『最後の事件』の場合、力強い叙述が人々を引きつけ、物語の内容が読者の心を揺り動かしもしただろう。だが、当事者である私から見れば、これは彼がいかに自分の作品の中に秘密を巧みに隠し、かつそれが心ある人の目には読み取られるよう、工夫を凝らしたかという見本である。力強いと言えば聞えはいいが、実のところかなり荒唐無稽な話なのに、それが問題にされることはほとんどなかった。後年、『空家の冒険』を原稿の形で見せられた時、私は自分が姿を消していた、そして彼が私を死んだものと思っていた三年間に、自分がチベットを旅したり、メッカやハルトゥームを訪れたりしたことにされている(それを得々と彼に語っている)のにあきれたものだ。私はハガードの小説の登場人物ではない。シゲルソンというノルウェー人の名を騙って探検旅行記を書いたとまで言われたのでは、もう怒る気にもなれなかった。ここでの私はただの法螺吹きであり、チベットで“She”と会った(シャーロック・ホームズ対洞窟の女王!)と書かれなかったのがせめてもの救いというものだ。ついでに言えば、モンペリエにしばらく滞在はしたが、そこでコールタール誘導体の研究をした覚えはない。当時私は、兄のマイクロフトから回してもらった諜報の仕事でヨーロッパを移動することが多かったが、兄が送ってくれるストランド・マガジンが受け取れないほど遠くへ行くことは絶対になかった。そこに見出す、わが友が私の物語を書き継いでいたシリーズと、短い送り状に記された彼の消息、それだけが私の渇を癒やし、私をかろうじてこの世に繋ぎとめているものだったのだから。 

 要するに、ああしたものは皆、彼一流の韜晦とお遊びと煙幕なのである。「本当にあった」話を絶対に「そのまま」書くことなく(書くことができず)、しかし表現することをけっしてあきらめなかった彼の筆は、虚実のあわいに成立する危うい「冒険」にすべてを賭けた。「シャーロック・ホームズの冒険」の劈頭を飾る短篇第一作『ボヘミアの醜聞』、スカンディナヴィアの王族と、アメリカ生まれの「世間には正体不明のいかがわしい女として記憶されている今は亡きアイリーン・アドラー」(と彼は書いている)のあいだの揉め事を私が調停した一件をもとにしたあのフィクションに、すでに彼の方法論(メソッド)は明らかだ。「世間には正体不明のいかがわしい女として記憶されている」――読者はこの文を、一般には身持ちの悪いあばずれくらいに思われていたが、それは誤解で、シャーロック・ホームズが一目置くほどの女だったという意味と思うことであろう。実際、この短篇のアドラーはそう見える。しかし、その真の意味は、「世間にはその事実は知られていない」が、本当は「男」だったというものだ。〝彼女〟の正体は彼の非ホームズ作品『時計だらけの男』の、不慮の死を遂げた青年だと言えば、当たらずとも遠からずだろう。むろん本名はアイリーンでもアドラーでもない。もっとも、〝ボヘミアン・スキャンダル〟を表沙汰にされるのではと、某王族(こうした重要でない人物に、架空の長々しい名前や肩書や大袈裟な衣装を与えてダミーにするのは彼の典型的なやり口だ)に気を揉ませた当の人物は、時計だらけの青年のように薄命ではなく、小説発表時の一八九一年にはパートナーともども健在だったし、今も亡くなったとは聞いていない。後で述べるが、「今は亡き」と彼が付けたのには理由があったのだ。

 
 スカンディナヴィアの――正確に言えばデンマークの王子の一人で、継承順位から見て王位に就く可能性はまずない、身分の高さの割には気楽な身の上の人物が、ベイカー街をお忍びで訪ねてきたのは一八八八年のことだった。ワルシャワで見失った彼のオフィーリアを追って、世紀の終りの大英帝国の首都に至ったのである。わが友がでっち上げたいけすかない訪問者と違い、いたって気さくなプリンスであり、地味な、だが細部に至るまで気を抜かない、ロンドンっ子に何の遜色もない垢抜けた出で立ちで、ツイードのスーツに合わせたタイには緑柱石(ベリル)のタイピンをあしらっていたが、この宝石が、彼の描いたヴァージョンではブローチとなって、アストラカンの毛皮を前身頃 と袖口に付けたダブルの上着の威風堂々たるボヘミア王が赤い絹の裏地を見せて跳ね上げている、濃紺のマントの襟元を留めていたのには笑ってしまった。いかにも北欧人らしい金髪にライトブルーの目、つやつやしたピンクの頬をしたこの殿下は、彼がモデルの虚構内人物同様、結婚を控えた身であったが、女優でアルト歌手の愛人との関係もそのまま続けるつもりでいたところ、相手はいつの間にかそれまで専属だったワルシャワのオペラ座も退団して、ふっつり消息を絶ってしまった。しかも手許に置いておかれては剣呑な品を持ち去っていたので、慌てて手を尽して探させたところ、英国人の弁護士と一緒に彼の故国にいることが判明し、急遽渡英してきたというわけだった。

 ニュージャージー出身の「世間には正体不明のいかがわしい女として知られた」アイリーン・アドラーのことなら私も少しは知っていたので、当初、恋人の性別も、〝ボヘミアン・スキャンダル〟(このダブル・ミーニングを使いたいばかりに、わが友は依頼人をボヘミア王にしたのである)であることも誤魔化そうとした殿下に、事件については包み隠さず話してもらわなければ困ると釘を刺しておいて、駆け落ちしたカップルの様子を探りに行った。最初のうち弁護士のノートンが、たんに法律上の問題の相談に乗っている友人なのか、それとも足繁く通ってくるのは恋人だからか(男女なら最初から迷わなかったのだが)見極められずにいたところ、思いがけず彼らの結婚式に立ち会うことになった顛末のいくらかは、必要な修正を加えて『ボヘミアの醜聞』に移されている。未練たらたらだった殿下に引導を渡し、ブツを返してくれるようアドラーを説得した。高額で買い戻す上に手切金も別に用意するという王子の言葉を伝えたのだが〝彼女〟は身の安全のため品物は持っていたい、金はびた一文受け取る気はないと言ってこれを拒んだ。

『ボヘミアの醜聞』のヴィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモンド・フォン・オルムシュタイン陛下は絵に描いたような高慢な王様であり、アイリーン・アドラーは地球上のどんな男も虜にする美女であるが、これはお伽話というものだ。このアドラーは、たぶん作者の狙いどおり、バイエルン王の愛妾だったローラ・モンテスを思わせるなどと評されたものだったが(ちなみにわが友はオーストラリアでの幼年時代に、金鉱掘りの男どもをめあてにはるばる巡業に来た、落ちぶれたローラ・モンテスのダンスを見ているそうだ)、実際の〝彼女〟は、アメリカの田舎の気のいいあんちゃんだった出自を時にのぞかせないでもない、実にさばさばした人柄だった。もちろん、歌と演技の才能はたいしたものだったし、その気になればいくらでも妖艶に見せることができた。私たちはそれより何年も前、ロンドンで一度だけ公演を聴いているが、帰り道でわが友が、「人形のように綺麗なひとだし、天使のような声だが、目を閉じて聴いていると男だか女だかわからなくなる時がある」と鋭いことを言った。「ワルシャワ帝室オペラのプリマドンナでありながらコントラルトだ。そこに彼女の秘密がある」と私は答えた。彼は全く訳がわからないという表情だったので、私は歌手が実は男であることを教えてやった。驚嘆し、どうしてそんなことを知っていると言うので「蛇の道はヘビさ」と答えると、「なるほど、君もときどきそんなふうに変装して性別不明に思えることがある」と彼は言った。この時の記憶が、『ボヘミアの醜聞』では男装したアドラーが私たちをつけてきて、「シャーロック・ホームズさん、こんばんは」と声をかけるという展開になったのだろう。「どこかで聞いたような声だが」と作中の私は言うが、それはたぶん私自身の声なのである。

 アドラーは弁護士のノートンとは、ロンドンにいた頃すでに知り合っていたのだが、仕事でワルシャワに行った彼と偶然再会すると、デンマークの王子とは別れ、仕事も辞めて愛に生きることに決め、王子が万一怒りのあまり復讐を考えた時のために例のものを持ち出して英国に戻り、いささか怪しい書類を揃えて(私が立会人になった結婚式の時はそれで少々手間取ったのである)本物の結婚証明書を得たあとは、夫とアメリカに渡るつもりでいた。品物が何かは人物の特定に繋がるので明かせないが、写真ではない。それとは全く関係なく、私が以前から引出しに入れていてthe womanと呼んでいた写真があり、私から来歴も聞いていたので、わが友はこれを話に織り込むために小説では写真にしたのである。

 スティーヴンスンを愛するのと同じくらいエドガー・ポーを愛するわが友は『盗まれた手紙』の細部を大胆に取り込んでいるけれど、路上で捕まえて身体検査ができるのは、盗まれたのが手紙だからである。今回の品の場合は身につけて歩くのはとても無理だ。だが、写真にしたので、そこまで細かくポーをなぞることも可能になった。外で騒ぎを起こしてその隙にというのもポーだが、パリの素人探偵の場合と違い、アドラーの自宅付近に動員されたエキストラの規模といったら常軌を逸している。これは、この情景がリアリズムに基づくのではなく、一種のスペクタクルとして描かれているからだが、こうした方法への注目が当時も今もほとんどないのも、彼が通俗読物の作家と見なされてきた証拠だろう。

 現実のアイリーンは殿下への別れの手紙に自分のポートレートを添えて私に託し、私は殿下にそれを渡した(むろん私は写真を欲しがったりなぞしなかった)。そして、明日、彼らはアメリカ行きの汽船に乗るが、殿下がどうしても品物を取り戻したいとあれば少々荒っぽい手段を取る用意もある。しかし〝彼女〟は今後、妻として生きてゆくつもりでいるから、自分の真のセックスを公表して彼に迷惑をかける心配はまずないと請け合った。「本当は私が買い戻したいのは彼女の心です」と王子は完璧な英語で言った。「もしもそれが買い戻せるものならば」そして、それが無理ならこれ以上は追わぬと言い、手紙を開くとその内容も私の言葉を裏付けるものだったので、彼は嘆息しつつもアイリーンの写真を大切に手帳のあいだにはさみ込み、気前のいい謝礼を払ってくれた上、渋い古金の嗅煙草入れを私に下賜して国へ帰った。

 だからシャーロック・ホームズを手玉にとったアイリーン・アドラーという、あの誰もが好きなお話は、彼の頭から出てきた作り事にすぎないのだ。さらに言えば、女嫌いで、色恋沙汰にうとく、自分の思考に感情を交えることを海老料理に混じった砂粒のごとく嫌悪する、論理一辺倒の朴念仁というはなはだ魅力を欠いた探偵の肖像を描いてみせた上で、その彼にしてなお忘れえぬ一人の女性がいるとか、彼の視野の中では彼女が女なるものの全体を覆い隠しているので、彼にとって女といえば彼女しかいないのだという盛り上げ方も同様だが、物語の効果のためのこうした演出に文句をつけようとは思わない。しかし彼は、その女――the woman――に私が恋しているわけではないという明快な言明が、おおかたの読者の貧弱な理解力を越えることに十分な認識がなかったようだ。その結果、私は、アイリーン・アドラーとはどういう関係だったのかという質問に、後年まで悩まされることになった。ホームズさん、彼女は本当に恋愛対象ではなかったのですか? 本当は恋人だったのでしょう? 確かに私の同類だが……。わが友は、私が彼にインデックス・ファイルの中からアドラーの名前を探させて、ユダヤ教のラビと、深海魚に関する研究論文を書いた参謀将校の間にそれを見出した(もちろんAの項目にではない)と記しているが、それは、女性の名がそこに載っているはずのないファイルだった。それにしても、ラビ、オペラ歌手、参謀将校という、このどう見ても脈略のない取り合せにどういう共通点があるのかと、疑った者はいないのだろうか。WE ARE EVERYWHERE! そもそも私のファイルに名前があるというだけで、同類であり、まっとうではないのである。全く、〝彼女〟が何者か知った上で質問をするがいい!

 私は女をことさら嫌いなわけではない。ただ無関心なだけだ。これははっきり言っておきたいが、女への関心を四六時中毛穴から滲み出させているような男が、実は女を憎んでおり、女を罰したいという欲望に苛まれているのは、その男が犯罪者であるか否かにかかわらず珍しいことではない。そうした欲望ほど私にとって無縁なものはないのである。私が色恋沙汰に向かないかどうかは、この先に書かれる事柄によって明らかになろう。確かに、相手が女性である場合はそうかもしれない。そして私が感情的な人間であるか否かは、そうではないと書いたわが友が一番よく知っている。そうそう、良い機会だから、ここで一つだけ訂正しておきたい。彼は、ホームズは以前はよく女の浅知恵を馬鹿にしたがアドラーの事件以来そういうことはなくなったと書いているけれども、私は、女を貶めるようなそうした文句を吐いたことは一度もない。仮に私がそうした男だったとして、「アドラーの事件」が、そのような認識を改めさせる何ものも含んでいなかったこともこれまでの説明でおわかりだろう。先の記述は、彼が通俗的な読者に迎合するという悪しき誘惑に屈した稀な瞬間の一例なのである。

「今は亡きアイリーン・アドラー」には別の意味が隠されている。「『今なお忘れえない』唯一の女、彼女のせいでもはや他の女は目に入らず、女と言えば彼女しか思い浮かばない女」。今ではどこを走っていたのかもうわからない列車の中ではじめてあの話を読んだ時、この〝女〟とは私のことだと確信したと言ったら、読者は私の頭がどうかしていると思うだろうか。

 アイリーン・アドラーは私だ! なぜなら、私こそが、彼の“the woman”であるのだから。ボヘミア王はアドラーを、「世に知られた怪しい女(well-known adventuress)」と呼んでいる。怪しい女adventuressとは何か。最近は駱駝に乗って砂漠を横断するような女もいるから、adventuressとはそのような男まさりの婦人でもあるのだろう。だが、当時はもっぱら、男を籠絡する芳しからぬ評判の婦人を指していう語であった(ちなみに、実際のデンマークのプリンスは、元恋人に対してこのような言葉を使いはしなかった)。だが、男性形のadventurerなら、単に冒険者の意味となる。私たちの共有する部屋が繰り返しその出発点になり、彼がその伴侶となった冒険にたずさわる者。つまり〝彼女〟とは、世に知られた「シャーロック・ホームズの冒険」の主人公以外の何ものでもないのである。わが友は、私が“adventuress”でもあると知った時、怖じ気をふるって私と縁を切ろうとしたのだった。そのために私たちはライヘンバッハの滝まで行くことになり、私は死んだと見せかけて彼の前から姿を消した。『ボヘミアの醜聞』で、彼は私の喪に服しながら、アイリーン・アドラーにかこつけて、「今は亡きシャーロック・ホームズ」への追憶と讃美を語っていた。ロンドンを遠く離れた場所で私がこれを見た時どんな気持ちがしたかは想像してもらうしかない。

 わが友によって私はしばしば、不当にも、理性を万能として情緒的なものを排する、鼻持ちならぬ男として戯画化されている。『四つの署名』で私は、すでに刊行された『緋色の研究』において彼がロマンスにページを割き過ぎていると文句を言うが、これは私がロマンスを解さないからではなく、わが友が、私との「ロマンス」――彼が私に興味を抱き、舞台の俳優を見るように私を見つめ、私を謎と見なしてそれを解きたいと思い、私が何ものか知りたいと望んでいる――に十分な紙幅を与えていなかったからだ。私はその視線に応え、彼に自分を見せびらかし、感嘆されることを願ったのだ。彼が私の探偵術をほめたたえた時、私がほんのり頬を上気させたと彼は書いている。探偵術をほめられたホームズは、「美貌をほめられた小娘よろしく」はにかむのだと。これを読んで私が赤面したことは言うまでもないが、彼は肝心な点を見落して(あるいは書き落して)いる。誰にほめられてもはにかむわけではない。好きな相手にほめられたからに決まっているではないか。

『ボヘミアの醜聞』は彼が往診の帰りにベイカー街で、かつては自分も住んでいた建物のドアを目にして、もう一度私に無性に会いたくなり、見上げるとブラインドをおろした明るい窓に私のシルエットが行き来するのが見えて、懐しさのあまりベルを鳴らし、階段を上って行くところからはじまる。このブラインドの人影は『空家の冒険』のダミーのそれですっかり有名になってしまったが、蝋人形を狙撃するモラン大佐は、重ねて言うが存在しなかったのであり、こちらの方が先行し、本質的なのである。このドアは夢の入口であり、このくだりは現実にはありえない夢のはじまり、語り手の夢の中への入場だ(もしも映画にするなら、最後に彼が同じように二階の窓を見上げる時、そこは闇に閉ざされているだろう)。現実にもこんなことは起こるはずがなかった。彼は新婚生活の幸福と新しい職業生活の確立で忙しく、私のことなど忘れてしまい、向うからわざわざ私を訪ねることなどありえなかったし、私は新家庭に招かれてもけっして行こうとはしなかった。不意にこちらから顔を出して誘い出さないかぎり、私たちの冒険はそのまま立ち消えていただろう。

 突然訪ねてきた彼を物語の中のシャーロック・ホームズは無言で迎えるが、それでもこの再会を喜んでいるらしかった(と彼は言う)。これは死者との夢の中での邂逅に他ならない。すべてが追憶の光に照らされ、すべてがこの世ならず美しい。本物のどんな女にもまさる輝くばかりのアイリーン・アドラーの家で繰り広げられ、私の演技をわが友が窓の外から見たことになっている情景は舞台にかけられたそれであるが、同時にこの舞台は魔法にかけられてもいよう。それは私が魔術師のように鮮やかな手並みを見せて喝采に応えるという、私たちが初めて会った時、大学病院の実験室で私のささやかな成果を彼に見せた時の記憶の召喚に他ならない。

 小説ではアドラーとノートンはヨーロッパへ去ったことになっているが、すでに述べたように現実の彼らは、アドラーの故郷である米国へ向かった。なぜ彼は彼らの行き先をヨーロッパとしたのか? これが掲載された「ストランド」をはじめて読んだ列車の中で、私にはすぐにわかった。私たちの、ロンドンからブリュッセルへ、シュトラスブルクへ、ジュネーヴへ、そしてローヌ川の渓谷を経て、恐ろしい滝の傍で終る道行に合わせるためである。小説の中のシャーロック・ホームズはアドラーの家政婦から、ノートン夫妻はヨーロッパへ発ち、もう戻ることはないと告げられる。そして私は気づいたのだ。最初、友人なのか恋人なのかはっきりしないと言われる彼らがであるのかを。仕事を辞め、引退して二人で暮らしたい、許されるならこのような場所で。これはスイスの山中で、もしも生き延びることがあればと、私が彼に語った夢ではないか。どこまでも追ってくる振り払い得ない(実際の彼らの場合はそうではなかったが)脅威から逃れ、ヨーロッパへ脱出して仕合せになったカップル。ライヘンバッハで私を失ってしまった(と信じていた)わが友は、この二人のケースをありうべかりし私たちとして描いたのである。


晝顔 Beau de jour (中)へ続く

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by kaoruSZ | 2013-05-22 23:05 | 文学 | Comments(0)