おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

晝顔―Beau de jour (中)

『醜聞』の最後で、彼は私がアドラーの写真に見入り、彼女をthe womanと呼んで、引出しに今も入れていると言っている。もし私が本当に死んだと思っていなくて、どこかで私に読まれるかも知れないとわかっていたら、彼はそう書くのをためらったかもしれない。私のthe womanの写真は、マイクロフトがそのままの状態にしておいてくれたベイカー街の下宿の部屋の引出しに、当時もそのまま入っていたし、今はこれを書いている机の引出しに昔と変らず収められているが、それはアドラーではないからだ。このような変更はthe womanへの冒瀆だと、(生きていれば)私が思うかもしれないと彼は思ったであろうし、実際、彼の下に戻ってきてからそう訊かれたこともある(そんなことは全くないと私は答えた)。

「これは誰なの」その写真がはじめて彼の目に触れてそう訊かれたとき、私はジェラール・ド・ネルヴァルの「アルテミス」の詩句を引いて答えた――〝C'est la Mort - ou la Morte. (それは死 ― あるいは死んだ女……)〟 the womanの声を私は聴いたことがない。それを偲ぶとしたら一番近いものはヴァイオリンの音色だろう。彼が小説中のthe womanにIrene Adlerと名づけたことを私はこよなく思っている。実際、これ以上の命名はありえまい。これをイレーネと訓んで、その姓もまた示すようにドイツ系だと思う者はそう思えばよろしい。アメリカ生まれだからアイリーンだろうと思う人もいるだろうし、もちろん本名ではありえないのだが、この方がまだ正しい解釈だ。これはぜひアイリーンと発音されねばならないだろう。フルネームは私のthe womanの実名の一種のアナグラムにもなっている。彼女について私が話したことを覚えていて、いわば彼女を記念してこういう名前にしてくれたことは嬉しかったし、彼に感謝したいと思った。

『ボヘミアの醜聞』に私は、「今は亡きホームズ」への彼の思いをはっきり読み取ったのだった。こういう読者は私以外にありそうにないが、私という読者が存在していることを彼は知らない。私はその瞬間、彼に会いにイギリスに飛んで帰りたかった。ニームから帰国して彼の診察室にまっすぐ向かったあの夜のように。彼のメッセージを確かに受け取ったと知らせ、私の変らぬ気持ちを伝えたかった。しかしそれは不可能だった。彼には妻がいた。当時私は彼女の健康状態について全く知らなかったし、実は彼自身もそうだった。ホームズものを書いていると彼は寝食を忘れ、どうしてもこれだけ書いてしまいたいと書斎から出ず、医業も滞るようになった。彼の健康を気づかう妻に、これが自分の代表作になるよと目を輝かした。やがて妻の健康が損なわれはじめたが、彼は最初のうちほとんど気にとめず、机の前を離れることがなくて、気がついた時は手遅れだった。私との別れから二年後に、ストランド・マガジンのインタヴューに答えて、彼は私を「私の失われたミューズ」「私のインスピレーションの源」と公然と呼んでいる。明らかに彼は私を、ポーの「私の魂、サイキ」や、「ユラリウム」や、「天使たちがレノアと名づけた類い稀なる輝く乙女」に匹敵するような、男のミューズとして語っているのだ。

 ポーの短篇では周知のとおり画家の妻が、夫が彼女の頬から赤みを奪ってその肖像を画布に定着してゆくに従って衰弱し、絵が完成したとき彼女は死んでいる。私の友の場合、夫のミューズになることのなかった妻は、彼が永遠に失われたと信じる追憶の中のミューズに霊感を受けつつ創作にわれを忘れているあいだに、その傍で弱ってゆき、ついには血を吐いて死んで行った。これをグロテスクと見るのは読者の自由であるが、いずれにせよ私がこうしたことを知るのはずっとあとであり、彼の妻がそれほど早くこの世を去るとは想像もせず、具体的に思い描く未来は空白であった。ただ、与えられた仕事に没頭することが、『空家の冒険』で私の言葉として紹介されているとおり、悲しみを癒す唯一の薬だった。彼の場合もそれは同じで、その成果が、私がはるかロンドンの匂いを運んでくる「ストランド」を開いて見出す彼の新作だったのである。

『最後の事件』のモリアーティとシャーロック・ホームズの対決も、すでに述べた方法論によって彼が捏造したものである。モリアーティことモーティマー元教授は、確かに私の人生にとっても重要な役割を果たした人物で、地方の大学での教え子との〝ボヘミアン・スキャンダル〟の噂が広まって辞職に追い込まれ、ロンドンに出てきて、男色バーと曖昧宿兼阿片窟の経営にたずさわる一方、そのネットワークを使ってさまざまの悪行に手を貸しはしたけれど、ロンドン中の犯罪に彼がかかわっているとか、あれもこれもモリアーティの陰謀だとか、犯罪界のナポレオンだとか――わが友の書き立てたことときたら、もう一度彼の弟が訴えを起こしても不思議はないほどの言いようである。むろんそれは、わが友が大衆の好みをよく知っていたからに他ならない。お伽話には悪役――しかもその極端な形の――が不可欠なのである。モリアーティ(このおなじみの名前で呼ぶことにするが)の店は、公刊された作品の中にも変形されたかたちで登場する。一つだけ挙げるなら、『唇のねじれた男』でセントクレアのもう一つの顔はただの物乞いにまで縮小されてしまっているが、あの男はモリアーティの腹心であり、様々な姿に身をやつすことにおいて、またそれ以外の意味においても私の同類であった。わが友は、私がその種の場所で潜入捜査をしていることは早くから知っていた。しかし、私にとってそこが二重の意味で〝ハント〟の場だと気づいたのはかなり後だったし、 モリアーティに関しては、私の長年の努力と警察の機動力がその組織を崩壊させることになる数ヶ月前になってやっと知ったのである。

 モリアーティと私は対決などしたことはない。私は何度か彼を見かけたし、向うも私の姿は見ているが、シャーロック・ホームズとしての私は一度も認めたことがないからだ。その界隈に出入りするうち、私はフレッドという若者と知り合った。彼はジェイムズ・モリアーティの年の離れた愛人だった。いや、言い直そう。モリアーティの愛人だったからこそ、私は彼に近づいたのだ。可愛らしい顔立ちの性格のいい若者ではあった。アイルランド移民の子で、自分の知的能力よりも低い教育しか受けていなかった。知的好奇心が旺盛で、藝術的センスもあり、モリアーティに惹かれたのも、主に彼がフレッドの周囲には皆無だった、教養あるインテリだったからだろう。モリアーティにとっては教え子との関係の反復だったのか。いずれにせよ、彼がフレッドにとって、性的にも知的にも手ほどきを受けた教師だったのは間違いない。

 フレッドを誘惑するのは簡単だった。私はまさか、「謙遜を美徳と呼ぶ者には同意できない。論理的な人間はあらゆる出来事を正確にありのままに観察しなければならない。自分への過小評価は自分の能力を誇張するのと同様に事実に反している」と主張するほど鉄面皮ではないが、この種の仕事に困難を感じたことがない。急いでつけ加えておくが、これはあくまで〝仕事〟の場合で、そうでない時にどんな苦しみを嘗めることになったかはこの先で明らかになるだろう。ともあれ、フレッドの年上の恋人は、私のせいでにわかに色褪せてしまった。恋の魔法が解けて、彼をそのありのままの姿――長年欲望を抑え込んできた、冴えない容貌の、何百人もいる同類と変らぬ、田舎の凡庸な(元)大学教師、ようやく欲望を解放したと思ったら社会の圧力にあえなく屈することになった負け犬、反社会的事業によって小金を稼ぐ初老の男――で見るようになり、彼より先に私を〝先生〟として選んでいればよかったと思うようになったのだ。

 それでも彼はなかなかモリアーティと別れようとしなかった。そうしたいと言いながらためらっていた。生活の基盤がすべてモリアーティの下にあったからだけでなく、私と違って彼には情があったからである。むろん私は、彼にモリアーティから離れられたのでは都合が悪いので、彼と手を切らないよう、だが私との関係はできるかぎり悟られないようにと助言した。組織の内情に通じ、しかもモリアーティに甘やかされているこの若者は、恰好の情報源であった。モリアーティは恐らく他に男ができたのに気づいたであろうが、相手が私とは最後まで知らず、あえて追求するだけの度胸もなかった。フレッドは父親に可愛がられて育った末っ子だったが、敬虔なカトリックの父親と違って自分のことを理解も支持もしてくれる、もう一人の父親として自由思想家のモリアーティを見出したのだった。しかし、モリアーティがなぜそれほどまでに社会を憎み、敵対しようとするのか、まだ若く、荒い風に当たってこなかった彼には到底理解できず、その行為の正当性に疑問を抱きはじめたところだった。

 フレッドのそうした悩みを、私は巧みに利用した。彼の相談に乗るふりをして、モリアーティへの反感を煽り、裏切りをそそのかし、なおも彼が口ごもっていることを吐き出させるため、犯罪研究家で顧問探偵のシャーロック・ホームズ氏に手紙を書くよう勧めた。彼は情報を十ポンドで買う。事前情報を彼に流せば、小遣い稼ぎができる上、モリアーティのせいで不幸になろうとしている人々に対する、彼の良心の咎めを解消できる。名前を耳にしたことくらいあるだろうと言うと、「知ってるよ、ジョン・H・ワトスンの小説だろう」と彼は言った。「でも、あんなのは通俗だから読まなくっていいって、ジムが」私は笑いをこらえて、あれは小説でモデルはまた違うんだと言い(彼は疑わしげな顔をして私を見た)、この男は警察ではないので、彼の年長の恋人の身の安全を脅やかすようなことにはならないと請け合った。

 すぐにではなく、また頻繁にではなかったが、フレッドは郵便で情報をよこすようになった。回りくどいやり方で十ポンド札が彼には届いた(そのことを私に話すことはなかったが、金が入ったからと言って私に一杯おごってくれた)。彼の署名は「ポーロック」で、ベイカー街にわが友がたまたま訪れている時にポーロックからの手紙が届き(しかもそれは暗号になっていた)、私は彼に、重大人物の周辺にいるこの風変りな協力者について話してきかせた(すでにお気づきの方もあろうが、この時のことを、彼は『恐怖の谷』というマニエリスティックなブリコラージュ小説に利用している)。Eをギリシア風に手書きするのは耽美主義者好みで、むろんモリアーティの影響だった。 

 一方で私は彼に対し、モリアーティの情人であるフレッドとの交際についても隠さなかった。この若い男が私に内通し、その結果、モリアーティの天下が終りを迎える日も近いと(もちろん、私がこの若者をモリアーティから寝取ったことは話さなかった)。本人も耽美主義に憧れたに違いないモリアーティが、教育すれば完璧なダンディを作れると夢見ているのかもしれないこの青年が、ポーとコールリッジとワイルド、それにジュール・ヴェルヌを愛読しているとは話したが、ドクター・ワトスンの小説について何を言ったかを伝えるのははばかられた。

 長々とフレッドのことを書いてきたのには理由がある。わが友が私を避けるようになったのは、私の全面的な協力の下、ロンドン警視庁がモリアーティの店やアジトを急襲して、異例の大量検挙を行なって以来のことであるからだ。警察の発表によれば、首魁は幾つかあった隠れ家の一つで、拳銃で自らの頭を撃ち抜いて死に、そのそばに若いフレドリック・Mが同じ銃で死んでいるのが発見された。モリアーティが自決しているのを見つけたMが後追いをしたものと見られた。

 この直前、私は人気のない昼の酒場の片隅にフレッドを呼び出し、彼の名前は知られていないからしばらく身を隠すようにと勧めた。自分が警察官ではないが捜査関係者で、何のために彼に近づいたかも教えてやった。彼は真青な顔をして聞いていたが、ただ一言、「ジムはどうなるの?」と尋ねた。「罪にふさわしい償いをすることになるね」と私が答えると、彼は立ち上がり、「シャーロック・ホームズさんに助けてもらおう」と言った。「これからベイカー街に行ってみる」
 私が笑い出したので彼はその場に立ちすくんだ。笑いつづける私を無表情な目が見つめていた。私はようやく笑いやむと、自分の本当の名前を明かした。彼はつぶらな目をしていたが、その灰色の目がこの時はさらに、これまでに見たこともない大きさに見開かれ、全身が硬直した。震える唇で彼は私に言った。「悪魔、この小賢しい悪魔!」そして私に唾を吐きかけると、いっさんに店を走り出た。
  


 のちに『最後の事件』と呼ばれることになる出来事のはじまりは、わが友が私をそれとなく避けるようになったことだった。できるかぎり、私はそれに気づかないふりをしようと努めた。まるで私が気づきさえしなければ無かったことにできるかのように。
 彼を誘い出そうとしたり、単に会おうとしたりして家に行くと、これから出かける用事があると言われた。そういうことさえ、以前はないことだった。彼は私の用事を最優先にしたし、それがどうしても無理な時は事情を説明したからだ。
 それから、彼の妻が出てきて、夫は徹夜のあとで眠っているとか、何時の汽車に乗る予定だとか、まだ帰らないとか言うようになった。最後の場合は、彼が帰宅するのを物陰から確かめた直後のことだった。最初私は、彼女が私を彼から遠ざけようとしているのではないかと疑った。しかしこの自己欺瞞は長くは続かなかった。私が彼女のせいと思い続けていたとしたら、観察力を疑われてしかるべきだったろう。彼が明らかに私を避けている、他ならぬ彼が。私が誘えば間違いなくやって来て、私を見守ってくれ、私の見事な腕前に賞賛を惜しまなかった彼が。

 その頃私はフランス政府に頼まれて、現地に赴いて捜査をすることになっており、その前に彼と話しておきたかった。しかしそれが叶わないまま出発の日を迎えてしまい、私は重い心を抱いて海を渡った。ナルボンヌとニームから彼に手紙を送った。通常私は、手紙というものはまず出さない。電報を打てるところへは電報を打つし、仕事で必要があればむろん書くが、それはその時々の目的に最適化した形でである。相手に対し最大限の効果を上げるべく、その際はインクの色から切手まで注意深く選ぶのであり、私の仕事一般について要求される入念な心遣いをここでもけっして怠らない。私の個人的印象を良くするためとか、自己表現のためとかではない。相手に思わせたいとおりの私になりきるためだ。言ってみれば、私に私心というものがないように、私信というものはないのである。自分の気持ちをああでもないこうでもないと、紙の上を行きつ戻りつくどくど書きつらねるのが私の趣味ではないように、人気挿絵画家の桜ん坊の図案入りとかチヨガミとかの、レターセットで文通する女学生じゃあるまいし、私は便箋、封筒に凝ったりしない。その私が手紙を出したのだった。しかも二通。これがいかにただならぬことであるかは、むろん彼にはわかっていた。だからその手紙に返事をしないというのも、忙しくてつい延び延びにというようなものではありえなかった。

 何があったのか。この時点でまだ私にはわからなかった。だが、この些細な(と私は思おうとしたが、明らかにそうではなかった)徴候は、私たちの関係の不安定さを、それがいかなる堅固な基盤も、継続の保証も持たず、確実な何ものにも支えられておらず、彼が私たちの冒険を本にする際、好んでそう呼んだ、良き市民の義務や彼らの善良な妻子や立派な肖像画に描かれて顕彰されるべき彼らの徳とは何の関係もない、真面目に扱う必要のない架空の「お伽話」としか世間からは見なされず(むろん彼は一種の皮肉と矜持をこめてこの語を使っているのであるが)、彼がそう望むだけでいつでも打ち切られうるものであるのを見せつけられることになった。正直に言おう、その時点で私は気が狂わんばかりになった。
 

 二通目の手紙で、私ははっきり返事がほしいと書いてやった。愚かしくも私は数日間手紙を待ちつづけた。しまいにはフロント係は、私の顔を見ただけで口をNonの形にし、かぶりを振るようになった。希望を捨てないのは私の美徳の一部だろうか。決定的な宣告がすでに手許に来ているのに、私はそれを開くのを延期し続けているのだった。遅かれ早かれすべてを知ることになるだろう。その時に心を満たすのはもはや、何をもってしても取り除き得ない絶望だけだろう。私は仕事に専念することで、そうしている間だけはこの事実を忘れようと努めた。それによって少しでも精神のバランスを保とうとした。皮肉なことに、時間がかかると思われていたかの地での仕事は、この集中が幸いして予想よりも早く片づいた。私の明晰な頭脳と水際立った手腕がこの時ほど口を極めて賞賛されたことはなかったし、英本国の外でこれほどまでに私の名が人々の口の端(は)に上ったためしもなかった。以前、ところも同じフランスで、二ヶ月以上も捜査に没頭して事件を解決した直後、心身の疲労で倒れたように、仕事が終ると私は虚脱状態に陥った。あの時はリヨンから電報を打つと、彼はすぐさまロンドンから駆けつけてくれたのだった。そして三日後には一緒にベイカー街に戻り、さらに一週間後には静養のため、彼の軍隊時代の旧友の田舎の家の客となっていた。四年前、とても信じられないが、たった四年前のことだ。四月だった。ちょうど今頃だったのだ。

 私は夢を見た。単純な夢だった。リヨンのデュロン・ホテルでそうだったように、彼が私を迎えにきたのだ。電報も打ってないのによく判ったね。新聞で見たんだと彼は言った。病院の住所と病床の私の写真まで出ていたというので、いつ写真を撮られたのかと私はしきりに首をひねった。さあ、ベイカー街のわが家に帰ろう。わが家、と彼が言う、その言葉は胸に甘く響いた。都合のいいことに、夢の中では彼は今でもベイカー街で私と暮しているらしかった。そのくせ、本当は彼が結婚していることもよくわかっていたのだが、それを言うと彼にその事実を思い出させてしまうと思い、黙っていた。

 目を開けると涙で頬がぬれていた。はじめは喜びの涙だったのが、夢であることがはっきりするにつれて絶望の涙になった。それは頬を横につたい、耳へと流れ込み、姿勢を変えるとたちまち枕に広がった。もう二度とそうやって彼が迎えにくることはない。これまでちゃんと見ようとしてこなかったものを、今は目をつぶっていてさえ直視するしかなかった。
 彼が私を拒絶するようになったのは、モリアーティの事件の際に私が何をしたかがわかってしまったからだろう。私は油断していた。彼の観察力を見くびっていた。彼が、そう思われがちであるような、探偵の引き立て役などでないことを忘れ、どうせわからないとたかをくくって、手がかりを平気で見せてしまっていたのだ。

 彼は気づいたのだ。密告者ポーロックの正体がフレッドだということに。そしてフレッドが自殺したと聞いても私が眉一つ動かさなかったばかりか、冷笑していたことを思い出したのだろう。フレッドを仲間に引き入れたことについて、私は他に、何を彼に話したろう? 私の手管についても、私は彼に仄めかしていたのに違いない。私の言葉のはしばしを繋いで彼は真相に到達したのだ。そして私をおぞましいと思うようになったのだ。私の男たちとの関係についてはそれ以前から察しがついていたはずで、彼に知られていると私が気づいていることも彼にはわかっていただろう。

 けれども互いにわかっていることと、それを実際に口に出すこととはまた違う。話してしまって彼が私を受け入れるという保証はないのだ。どんな男でもいともたやすく手玉に取れるのだと私が彼にひけらかす動機は一つしかなかった。彼に嫉妬させたかった。私の価値を教えることで彼に私を欲しいと思わせたかった。そうした自分自身の心理について、私は顔と顔を合わせて見るように明らかに、あたかも他人の犯罪心理や犯罪の機序を分析するように知り尽くしているつもりだった。わが友についても、あの時期に妻を求め、家庭を作った理由は振り返って見れば明白で、私に機がなかっただけだと思っていた。実際、私との冒険もこれが最後になるだろうと言っていたくせに、私が誘いをかければ彼は必ず出てきたのだ。

 そもそもなぜモリアーティを敵視して、彼を破滅させることに少なからぬ情熱を傾けてきたのか、フレッドのことでなぜ私があのように冷淡だったか。それ以前に、なぜこの仕事に私が携わるようになったのか。そこまで話さなければ彼は納得しないだろう。私への反感を和らげて私を許す気にはならないだろう。だがそれは説明できないこと、私自身、わかっていても言葉にはしたためしのないことだった。自分の明晰さを私は過信していた。自惚れていた。私は私自身さえ、鏡の中の影のようにおぼろにしか見ていない。もし彼が話を聞いてくれるなら話したい。話せる相手は彼しかいない。私の感情生活について、誰にも言ったことのない決定的なことを打ち明けたい。しかし、この状態では、以前にもましてそれはありえないことになってしまった。()。

 彼が完全に私と関係を断つつもりでいる。それだけでも真っ暗な穴の中に突き落されるようなことであるのに、このような仕打ちを受けたことで、かえって私の方では、彼から離れることなど考えられず、彼なしでは生きられないとわかってしまった。フランスの捜査関係者に別れの挨拶もせず、私は船上の人となった。ただ彼に会うことだけを思って海峡を渡った。

 バーゼルで私は彼にこうしたことをすべて打ち明けた。それまで私が彼に言っていなかった最大の秘密は父に関することだった。不慮の事故で、滞在先のロンドンで亡くなったとだけは話してあったが、父の死が兄と私に与えた深刻な影響は、私がなぜ探偵という職業をはじめたか、また、マイクロフトがどうしてあのような非社交的な私生活を送っているかにかかわるものだ。モリアーティがどうして私にとって最大の敵と目されるようになったかもそのことが説明してくれる。わが友はこの件について完全に了解してくれたが、ここでその詳細に立ち入るのは、私だけでなく兄にまでかかわることであるので御勘弁願いたい。


 その晩、診察室にいた彼に会えたのは偶然に過ぎなかったのだろう。すでに妻は寝ている時間で、家中でそこだけ明りがともっていた。フランスにいるとばかり思っていたので、ベルを鳴らしたのが私とは思わなかったのだろう。こちらの顔をひと目見て彼がぎょっとしたのがわかった。私だったからではない。あまりのやつれようにである。だが、私の言葉にはもっと驚いたに違いない。フランスだったんじゃないのか、もう仕事は終ったのかという問いかけにもろくろく応えず、「モリアーティが追いかけてくる。もう死ぬしかない」と繰り返すばかりだったのだから。
 もちろん私はモリアーティがすでにこの世の人ではないのを知っていた。だが、君に見捨てられたら死ぬしかないとは言えない以上、そうでも言うしかないではないか。いや、計算してそんな台詞を吐いたのではない。その言葉は口から自然に出てきた。私はその狂人になりきっていた。

「君は疲れているんだ。一週間ほど旅行にでも出て静養したほうがいい。必要ならぼくも一緒に行こうか」と彼は言った。「リヨンから帰った時もそうしたっけね」
 それでは彼もあの時のことを忘れたわけではないのだと思ったが、すぐに苦々しい思いが甦ってきた。「奥さんがいるんだろう? 仕事もあるんだろう? 君には無理だ」唇を嚙んで横を向いた。
「妻や仕事のことより今の君の方が心配だ。明日の朝、すぐにでも発とう」
 この男はなんと口がうまいのだろう、と私は思った。女性に対する時はいつもこの調子で、私のことも女並みにあしらっているのだ。私を避けつづけ、手紙の返事もよこさなかったくせに、君の方が心配とは、どの面下げて言うのだろう。

晝顔 Beau de jour (下)へ続く

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by kaoruSZ | 2013-05-22 23:03 | 文学 | Comments(0)