tatarskiyの部屋(22)‐1
2013年 10月 17日実はこの後にまったく見当違いな被害妄想から“腐女子”叩きに便乗するツイートをした「自称百合好き」のせいで更にくだらない方向に話がそれていってしまったのだが、私はそれについても徹底した批判を行なった。そちらの顛末についてはこちらの記事(tatarskiyの部屋(22)-2及び 3 を参照してほしい。
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和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月10日
「Free!」のキャラを「女じゃねーか」「女でいいじゃん」って言う奴いるけど、あんな女は現実にいないから^^それは男に都合のいい妄想をテンプレート化したものに「女」と名付けているだけだから^^現実と妄想の区別つけて、自分の妄想を女に押し付けるのいい加減にしろよチンカスども^^
ネコクロ @gata_negra13 7月10日
@amezaiku えええ!?そんなこというチンカスがいるなんて…どこが「女」なんでしょうかね?ああいう天然な性格=「女」とか笑えちゃいますよ。
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月10日
@gata_negra13 なんか女っぽいとかカマ臭いとか色々あるんですけど、一番突っ込みたかったのは「会話が女同士にしても違和感が無い」とかいうコメントがあって「いやあるよ!」って叫びたかったです。
まきは岩鳶高校水泳部雑用係 @nejimakipero 7月12日
そういえばFree!の感想で男の人が「なんか女子の考える男子の日常って感じで気持ち悪い」って言ってたけど、京アニ女子の日常がリアル女子の日常だと思ってる皆様にその言葉をそっくりそのままお返ししときますね
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月12日
私がFree! の女キャラについてこんなに言うのって、ここで許したら「やっぱり男の欲望は上位のもので、女の欲望は下等だから、どんな場合でも前者を優先させるべきなんだ」という認識を許容し続けることになるので「男の欲望は自然で当然」を否定するためにも口うるさく叫び続けます。
海燕 @kaien 7月12日
ぼくは「こんな男/女はいない」という言葉がキャラクター造形への批判になりえるとは思わないんだよね。現実にはいないような個性だから魅力的なんじゃないか? どこにでもいるような性格のキャラなら現実を見ればいいじゃん。眠狂四郎とか金田一耕助は「こんな奴いない」からこそ魅力的なのでは。
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月12日
私のあの主張は「女という幻想を現実にまで押し付ける男性ジェンダー」についての言及も含まれているのに、なんで「フィクションは現実と違うから楽しいんだよ」になるんだよ。ふざけんなよ。
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月12日
「フィクションの男キャラへの批判」ではなく「”男”が”これこそ女である”という主張をし、それが通ってしまうことの異常性」を指摘してんだけど。そこになんの違和感も覚えないの?
海燕 @kaien 7月12日
ある性別向けの作品を異性が見て違和を感じ、それを意見として表明する。そのことそのものは問題ない。ただ、その意見がなかなか建設的な議論にまで至らず、「こんな奴いない」レベルの浅い批判にとどまってしまい、それに対する反論も同レベルでなされてしまうという事態は好ましくないと思うのです。
海燕 @kaien 7月12日
「こんな奴いない」「こんなこと現実に起こるはずがない」というのは、およそフィクションに対する最も浅薄な批判なのではないかと思うんだよね。現実を超克したいという願い、より素晴らしく、より美しく、より鮮やかに、という思いから作られたものに対し「これは現実ではない」と批判するとは……。
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月12日
RT>「こんな奴いない」ではなく「これは○○だ」という決めつけを強者が行うことを問題視してのあの批判なんだけど、いい加減現実の関係性丸無視で「どっちもどっち」に持っていくの止めろよ。
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月12日
私が指摘しているのは「現実にこのキャラがいるかいないか」ではない。「女と名付けられたテンプレート」が現実に存在し、それが権力となっているのだ。
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月12日
私はいかなる場合でも「女性性」と「男性性」を並べることは心情的にも理論的にもしたくはない。
海燕 @kaien 7月12日
「「「Free 」のキャラを「女じゃねーか」「女でいいじゃん」って言う」ことが「”男”が”これこそ女である”という主張」をしているとは受け取りませんでした。この言葉だけだと「(フィクションで描かれた女キャラクターそのものじゃねーか」「女キャラでいいじゃん」とも受け取れるかと。
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月12日
RT>男の妄想の女ジェンダーと現実の女を綺麗に分けられていると本気で信じているのならおめでたいことだ。
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月12日
結局いつもの「女性差別なんてないだろ」の人間か…
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月12日
男の妄想と現実の女が綺麗に切り離されているっていうのならなんで某ゲームで「三次元はもういらない」って宣伝文句が出たんだよ。
和紙子@腐女子であることは罪ではない @amezaiku 7月12日
フィクションに限った話しではなく「男の造った女」は現実の女に対して凄まじい重圧を発揮するんだよ。だからこそフィクションでも男の造った女キャラは許されて女が造った男キャラは許されないんだよ。「(男の造った)本当の女はそんなことしない」から。全部地続きなんだよ
ねこ@がんばらない @naruhodowakaran 7月12日
ヘテロ男としてアニメを見てきた身として思うけど、アニメのほとんどはヘテロ男による女性幻想、妄想に満ちている。そういう妄想ってアニメに限らず様々なメディアから溢れでていて、我々の生活を覆っているわけで、それが女性にとってどれほどの抑圧になってるかってことはまず前提にされるべきだよね
ねこ@がんばらない @naruhodowakaran 7月12日
「Free!」を見て、アニオタ男が「こんな男はいない」「こんな筋肉ありえない」とか吠えたり、腐女子のBL消費をキモいとか言ったりするのって、まんまお前らの美少女アニメ消費に言えることだからっていう批判が出てくるのは当然だなって思うわ。
ねこ@がんばらない @naruhodowakaran 7月12日
そういった議論が建設的じゃないとしてもそういうカウンターをミソジニーヘテロ男は沢山浴びたほうがいいって思うわ。自分の女性幻想の消費がいかに女性への抑圧になってうるかということについてもっと自覚的になれって意味で。
ねこ@がんばらない @naruhodowakaran 7月12日
生産量が圧倒的に違うと思うんだよね。99%の男性による女性幻想の生産物に対して、女性による男性幻想の生産物って1%にも満たないんじゃないかな。その1%を男性が必死に叩いてるのを見ると鏡見ろって言いたくなる。
ねこ@がんばらない @naruhodowakaran 7月12日
だから個人的には「Free! 」みたいな美少年アニメはもっと出てきたらいいなって思うし、腐女子のBLとかも「いいぞ!もっとやれ!」って感じで応援している。
ふて☆ねこ @futeneco 7月13日
こんな女はいない!と、散々言っといて、こんな男はいない!に反論するなんてという御意見。いや、そこ同じじゃないし、そもそもこんな男いないwwに対する反論じゃん。そこの非対称性は理解しとけよなぁ。なんだこれ。
tatarskiy @black_tatarskiy 7月12日
RT↑今更ですが、和紙子さんの意見に賛成なのと、一連の流れを見て私からも補足。「男の描いた理想の女像」と「女の描いた理想の男像」はいかなる意味でも対等ではないし、同列に批判もしくは許容されるのが当然なんてことはありえない。
というか一連の流れを見ると、「男と女」という単語の並びを見たとたんに脊髄反射的に「お互い様」と言い立てまくりたがる阿呆が大勢いるようだ。本当はそれこそが自覚の無いミソジニーの発露としか思えないんだが。ぶっちゃけ権力関係の隠蔽だよね?
「男と女」だと判断力が狂う向きにもわかるように説明するが、例えば「大人の考えた理想の子供像(純真無垢だとか学校の先生に褒めてもらえるような良い子だとか)」が子供にとっては抑圧であり、時にありのままのその子であることを許さない暴力でありうる、ということを否定する人はいないだろう。
逆に「子供の考えた理想の大人像」というものがあるとしても、それは「大人の考えた理想の子供像」と同等の権力を持ったものではありえないことは誰にでもわかるだろう。後者が現実の子供にとっては従うべき規範として働くのに対し、前者によって現実の大人が抑圧されることなどありえない。
それと、今回の「Free!」の一件でもそうだったけど、一般に男が男キャラに対して「こんな男いない」と言い立てるのは「女っぽいから」という理由でだけど、女が女キャラに対して「こんな女いない」と言いたくなるのは「過度に“女らしい”から」で、つまりは完全に非対称だ。
これはそもそも「女らしさ」というのが「男にそんなものがあるのは恥でしかない」属性の寄せ集めだから。つまり男は日々女性に対して「俺にそんなものがあるのは恥でしかないが、お前がそれを内面化するのは義務である」というダブルスタンダードの押し付けを当たり前のようにやっているわけだ。
で、この「男にとっては恥」になるものの中でも最大のタブーといえるのがずばり「同性と親密な関係を持つこと」つまりはホモフォビアで、だから今回の「Free!」の男キャラに対しての「こんな奴らは女だ」という反応がミソジニーとホモフォビアが見事に一体になったものだったのも当然の帰結。
そして「男らしさ」というのはあくまで「女っぽくなんかないこと」であり、つまり「男らしさ」も「女らしさ」も「なにが男にふさわしい/ふさわしくないか」も皆「男が決めたこと」でしかなく、これはもっと言えば「なにが“リアル”か」そのものを「男が決めている」ということ。
彼らが一体何を「リアルでないことにしたい」かといえば、端的に言ってしまえば「男が女のように美しいこと」「そうした“女のような男”が同じ男と親密になること」の二つに尽きる。そしてこの二つへのタブー視と嫌悪――ホモフォビアとミソジニー――は、私たちの現実の日常そのものを覆っている。
今回の「Free!」の男キャラへの彼らの反感も、そうした彼らの「現実の日常でのホモフォビアとミソジニー」が「そのままフィクションへの評価に持ち込まれた」に過ぎない。つまりは完全に権力者による権力の行使であり、それに対して女性から反発や非難が起こったのは権力者への当然の抗議である。
それを「リアルな異性が描けないのはお互い様」だの「フィクションはありえないから楽しい」だのとは片腹痛いし、それ自体が男=権力者の一方的な横暴を隠蔽する暴力である。男の描く「女らしさ」とは、女にとっては断じてフィクションではなく、日々彼女に押し付けられている「現実の規範」そのものだ。
(ブログへの掲載に際して誤字脱字を補い、↓を↑に変えてあります)
2へ続く http://kaorusz.exblog.jp/20773748/