おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

tatarskiyの部屋(25)トランプの絵札――ホームズ物語の4つの長篇について(上)

今回は、ホームズ物語の4つの長篇作品の持つ意味と、その位置づけについて語ってみたいと思う。ご存知の通り、そのほとんどが短篇で占められるホームズ物語のうち、最初の『緋色の研究』と『四つの署名』、そして「最後の事件」後に発表された『バスカヴィル家の犬』と、その更に後(ホームズ復活後の第四短篇集『最後の挨拶』所収の作品群と同時期)に発表された『恐怖の谷』の4つが例外的に長篇となっている。実はこの4つの長篇は、大長篇としてのホームズ物語を読み解く上で、いずれも欠くことのできない極めて重要な意味を持つものだ。

とはいっても、重要でない話などないのだから、より正確な言い方をしよう。作者であるドイルが丹精を凝らして作り上げたホームズ物語の56の短篇と4つの長篇とは、いわばトランプのカードのように、「どれひとつ欠けても成り立たない」ものとして一つ一つに重要な細部を鏤められ、それらが相互に参照しあうことで、隠された意味のつらなりを合せ鏡のように映しあうよう巧妙に配置された、希代の作家の手になる芸術作品である。またそれは、あらかじめ場に配置されて読者というプレイヤーの手に委ねられ、正確な意味とその組み合わせを解き明かされるのを待っている、極上の面白さを約束されたソリティアでもあるのだ。4つの長篇は、いわばこのホームズ物語というトランプの絵札のようなものであり、その位置づけ自体が他の複数の短篇の意味を照らし出してくれるメルクマールなのである。

まず、ホームズの長篇4つのうち、あの世界における現実の時系列上の事件として考えていいのは、実は最初の『緋色の研究』と次の『四つの署名』だけである。残りの2つ『バスカヴィル家の犬』と『恐怖の谷』は完全にワトスンの書いた小説で、先の2つの長篇とも短篇集にあるその他のエピソードとも質を異にしている。
 
具体的に言うと『バスカヴィル家の犬』と『恐怖の谷』は、ホームズとワトスンが実際に遭遇した他の事件=最初の長篇2つやそれまでに書かれた短篇の細部、作中世界ではワトスンが、現実世界ではドイルが参照した実在の事件の資料、そしてワトスン=ドイルが影響を受けた他の作家の作品という、由来の異なる三種の外部テクストの“引用”によって成り立っている。これはメタレベルで言えば他のエピソードもすべてそうなのだが、他のエピソードが作中世界の時系列上で実際に起きた出来事に根拠を持つのに対し、この二つの長篇はワトスンがある同じ目的のために書いた完全なフィクションなのだ。
 
これも具体的に言うと、実在した事件(または伝説)の資料とは、「犬」ではその巻頭の献辞にもある西部イングランドの伝説、「谷」ではアメリカで実際に起きたアイルランド系秘密結社をピンカートン探偵社の探偵が潰滅させたという事件の記録であり、誰にでもわかる外形的なモデルを形成している。

そして他の作家の作品とは、(※1)一例としては「犬」におけるブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』を挙げられよう。あの魔の犬のイメージの出典は、直接的な執筆のきっかけだった伝説のそれ以上に、ドラキュラ伯爵が変身した狼であろうし、作品のテーマと結末そのものが、ホモソーシャリティと異性愛の勝利に終わった『ドラキュラ』のそれを逆転させた、男の結婚の阻止と同性への愛の成就というパロディ的な意味を持ってもいるのだ。

※1 「犬」におけるもう一つの重要な“出典”はディケンズの『大いなる遺産』である。

普通にシリーズを通読した場合でも、「犬」が他の3つの長篇と著しく異なる特徴として、事件の推理部分である第一部とその発端となった過去の回想である第二部という形式を取らないことが挙げられようが、実はそれを帰結しているのは、そのプロットにおける異性愛のロマンスの実質的な欠如である。

ご存知の通り、『緋色の研究』の第一部は戦傷を負って本国に戻され、ロンドンに流れてきたワトスンがホームズと出会い、彼の特異なパーソナリティに興味を抱くうちに、ある日舞い込んだ殺人事件の調査の依頼がホームズと共に非日常の冒険へと乗り出していく最初のきっかけとなるまでの顛末であり、「聖徒たちの国」と題された第二部は、その殺人事件の犯人が捕縛された後に明らかになった、事件に至るまでのアメリカを舞台にした過去の因縁の物語であるのだが、こちらは乾き果てた荒涼たる大平原やユタの開拓地の一面の小麦畑、峨峨たる山脈をめぐる隘路といった引き込まれる情景の中で展開される、誰にでもわかりやすい悲劇的なロマンスと冒険の物語である。

実はこの素直な物語にも裏が無いわけではないのだが、ここではひとまず深入りは避けよう。だがこの第二部の大半を占める饒舌なロマンスは、実は注意深く読めば明示されているようにあくまでワトスンの書いた小説であることと、(※2)その構造自体の持つ重要性は指摘しておくべきだろう。

※2 『恐怖の谷』も、基本的な構成としては『緋色の研究』の意識的な焼き直し=セルフパロディである。詳細は以前の解説を参照。

実際の犯人ジェファスン・ホープの供述はレストレードの手記にある通りの簡潔なもので、実は
それとラストに示される事件後の「エコー紙の記事」にある、被害者二人と犯人の出身地やモルモン教が関係していることといった、実はそれ自体の真偽も定かでない幾許かの補足こそが、事件とそれに至る因縁について現実に語られた全てであり、ワトスンはそれを基本の素材とした上に、おそらくアメリカの地理や気候風土についての資料(※3)を情景描写のための素材として追加して、あの「聖徒たちの国」という小説を書き上げたのだ。その手法と“製作工程”は、言うまでもなく現実のドイルが行なったそれと同じものである。

※3 実はそれらに加えてホーソーンの「緋文字」が重要な“出典”となっている。

またそれは暗に第一部の冒頭からの全てが、本質的にはこの第二部と同様、ワトスンの手によって事後的に構築されたフィクションであることを示しているのだ。この「作中人物としての作者の手による劇中劇」というマトリョーシカのような構造は、実は全ての事件のエピソードに共通するものであり、はっきり言えば4つの長篇と56の短篇からなるホームズ物語のうち、“ワトスンの手による小説”でないものは2篇の例外を除いては存在せず、それは現実におけるそれが全て“ドイルの手による小説”であることと絶対的にパラレルである。ワトスンとは厳密に“あの世界”におけるドイル自身なのだ。

上で“2篇の例外”と言ったが、これは共に『事件簿』所収のホームズの一人称による短篇「白面の兵士」と「ライオンのたてがみ」のことで、実はこの2篇の真の重要性は、それまでワトスンが隠蔽していたホームズ自身の素顔と、二人の真の関係性が垣間見えることであるのだが、それは別の機会に譲ろう。

補足のつもりの部分がだいぶ長くなってしまったが、つまり『緋色の研究』の時点で、この後に続くホームズとワトスンの物語を読み解くための基本となる鍵が提示されているのだ。まず一つ目は、第一部のワトスンのホームズとの出会いから事件の調査を通して彼についての認識を深めていく過程が、言うまでもなく『冒険』以降の短篇集の世界とも共通するフォーマットとなっており、それが実はそのまま、二人の関係の進展という裏のテーマ、つまり同性愛の物語を担っていることである。そして二つ目は、第二部が彼らが遭遇した事件の当事者たちの物語であり、それが明示的な異性愛のロマンスと、それを起点とした激しい愛憎を伴った、“過去の因縁”と“復讐”の物語であることだ。これはあらゆる意味で第一部と対照的な特徴をそなえた、色違いの双子のような関係にある。

戦傷を負ったワトスンが流れ着いた「下水溜めのような大都会」ロンドンの人の群れ、ホームズと出会った病院の研究室、ベイカー街の二人の部屋、事件の現場となった殺風景な空家、馬車が行き交う街角や下町の風景といった場面は、いずれもくすんだ窓ガラス越しに映る景色のように彩りを欠いており、それは言うまでもなく、第二部のアメリカの大自然の鮮やかな描写と対比されるものだ。そしてそれを背景に展開される、はっきりとした物語性と強い情動のドラマもまた、ホームズとワトスンの淡々とした日常や、強い感情のやりとりや対立のないまま連れ立っているかに見える二人の関係性、またその二人の関係性そのものに、表面を流し読みしている限りでは、全巻を読み終えても変化やその契機が窺えないであろうわかりにくさと正反対である。勘のいい方ならもうおわかりだろうが、この“わかりやすさ”と“わかりにくさ”の対比は、実はそのまま“異性愛”と“同性愛”に対応したものだ。

結論から言えば、ホームズ物語におけるそれぞれの事件の当事者たちの物語や、その中で描かれる強い情動には、実はホームズとワトスンの二人の間に本当にあった出来事や、それに伴う彼ら自身の情動が投影されている。正確に言えば、それらはワトスンによってそうした機能を果たすよう再構築されたのだ。

またそれぞれのエピソード同士でも、明示された異性愛のエピソードは、実は明示されない同性愛のエピソードと対応しており、前者がそれ自体としては語りえぬ後者の真実の絵解きとして配置されているのだ。端的な例として「第二の血痕」と「ブルース=パーティントン設計書」の対応関係を挙げておこう。

また、これはドイルの作家としての特性そのものでもあろうが、『緋色の研究』に端的に見てとれるように、物語の真相は常に、過去に設定された因縁の発端から、現在におけるその顕在化と破綻としての“事件”に向けての、直線的な強い情動のドラマとして語られる。それは過去からの来訪者=脅迫する者と、脅迫される者との間の、“過去の秘密”をめぐる愛憎劇であり、もっと言えばこれはほとんどの場合、ある男とある男の間の問題である。男女の場合は総じて男同士のそれほど相互的な強い情動を書き込まれてはおらず、むしろその置き換えであると言えるのだ。

つまり、三つ目の鍵とは、「推理パートとして提示されるホームズとワトスンの関係性=同性愛の物語」と「真相としての“過去の因縁”の物語=異性愛のロマンス及び男同士の復讐譚」に分割された物語の構成そのものが、“作者”であるワトスンが再構築したフィクションに他ならないことであるのだが、これほどの構成能力と文章力を併せ持つワトスンが、ホームズと出会って『緋色の研究』を執筆するまでなんらの文学的野心も持たない単なる退役軍医であったとは思えないし、事実、これ以降の物語の細部を注意深く読み込めば、ある時点からの彼が完全に作家に専念しており、ホームズ物語以外にも歴史小説を執筆し、おそらくは現実のドイルに匹敵する成功を収めたのであろうことが窺える。だが、ドイルはそうした細部を読み取る目を持たぬ読者にはワトスンが作家であることを意図的に伏せており、実はそれこそが全篇を通したある種の“叙述トリック”を成立させているのである。

大長篇としての『シャーロック・ホームズ』の物語の進展は、ホームズとワトスンの長い長い恋愛の成就に至るまでの過程であると同時に、実はそのまま作者であるワトスンの作家としての成長と成功に至る軌跡である。またそれは言うまでもなく、現実のドイルのそれと完全に同期したものだ。そしてホームズとはワトスンに物語を書かせる者、つまり霊感を与える彼のミューズであり、彼らの愛とはそうした物語=芸術の源であると同時に、決して語ることを許されぬ“犯罪”でもある。そして、それは必然として、公認される望ましい関係性=異性愛に基づく健全な家庭生活と社会参加の反対物なのだ。

『四つの署名』で語られる、ワトスンの結婚に至るメアリの登場とそれに対するホームズの嫉妬は、実はワトスン自身の芸術と社会生活の間での葛藤そのものでもある。この第二作は、構成としては『緋色の研究』と同様「事件の捜査」とその発端となった「過去の因縁」の組み合わせであるが、前作より「過去の因縁」の比重が遥かに軽く、第二部として後半を丸々占めていた前作に対して、こちらでは最後の一章が割かれているのみである。それは前作では「過去の因縁」の物語に託されていたロマンスの要素が、こちらでは「事件の捜査」のパートにおけるホームズとワトスンとメアリの三角関係として現在進行形のドラマを形成しているからだ。そしてこちらの「過去の因縁」の物語は単に財宝をめぐる男同士の復讐譚であり、つまりロマンスの要素がどちらにあるかによって比重が偏るパートが決定されているのだ。

そしてこれは言い方を変えれば、この『四つの署名』における真の“当事者”が、明白にホームズとワトスンであるということであり、このエピソードの真の意味が、ちょうどこの頃にあったある出来事をきっかけに、自身の現状や将来の展望について思い悩んでいたワトスンが、メアリの出現によって、彼女との結婚によって現状を打開するという選択肢を思いつき、最終的に事件の解決による障害の除去によってそれが実現するまでの経緯であることだ。このエピソードにおいて最も重要なのは――これに限らずホームズ物語の極めて特異な性質による必然でもあるのだが――冒頭から依頼人であるメアリの登場までの間の、ワトスンのホームズとの会話と地の文での彼の独白である。そしてこの部分で示唆されている問題がワトスンの結婚という決着を見た後の、結びの部分での再度の二人の会話は、その決着こそが二人の関係の不穏な転機となることを暗示するものだ。
 
話をわかりやすくするために、これ以降に出た短篇集である『冒険』と『回想』から得られる情報で推測を補強しつつ語ることにする。その前に述べておくが、この長篇2冊と短篇集2冊からなる「最後の事件」以前の物語は、依頼のあるたびに断続的に書き継がれたとは思えないほど一貫した物語になっており、通俗的なイメージとは全く逆に、大長篇としてのホームズ物語には『緋色の研究』から『事件簿』に至るまで、物語としての本質的な齟齬や矛盾は一切存在しない。それは真のテーマが一貫してホームズとワトスンの二人の関係性=彼らの恋愛の不可逆的な進展の過程であったからこそだろう。


tatarskiyの部屋(25) トランプの絵札――ホームズ物語の4つの長篇について(下) へ続く

 
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by kaoruSZ | 2014-03-10 11:23 | 批評 | Comments(0)