おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

tatarskiyの部屋(25)トランプの絵札――ホームズ物語の4つの長篇について(下)

(上)より続く

まず押さえておくべきなのは、これも一般的なイメージとは裏腹に、ワトスンが医者を本業としていたのは、実はホームズと出会う以前の大学卒業から軍医時代までのごく若い時期と、メアリと結婚し開業医となってからの数年間に過ぎないことだ。
 
話が広がり過ぎるので、先述したようにここでは使う情報を基本的に「最後の事件」以前の前半のエピソードのものに限定しておく。本題に戻ろう。『四つの署名』冒頭の会話はワトスンがそれまでも度々目にしては苦々しく思っていたらしいホームズのコカイン依存の習慣に苦言を呈することから始まっている。ホームズはそれを軽く受け流し、話題は前作の事件のことに移るが、ホームズはワトスンの書いた小説『緋色の研究』のロマンスの要素が余計だとけなし、ワトスンは再びむっとする。ホームズは更にワトスンがその朝郵便局へ電報を打ちに行ってきたことを言い当てて自分の推理の確かさを示すが、ワトスンは今度は彼が最近手に入れたという古い高価な懐中時計をホームズに手渡し、その時計の元の持ち主がどんな人物だったか当ててみろと彼を試す。ホームズは、その時計はワトスンの兄が父から受け継いだものであるが、その兄は身を持ち崩して親譲りの財産の多くを失い、酒浸りになって亡くなったのだと言い当ててみせるが、ワトスンは自分にとってショックだった事実を言い当てられて怒り出してしまい、ホームズは彼にしては珍しく自分の態度が無神経だったことを詫びる。

そうこうするうちにメアリが依頼にやって来たことでこの会話は中断され、そして依頼内容を話し終えたメアリが退場すると、再び二人の会話となるが、この時にはワトスンはすっかりメアリに夢中になっており、ホームズはそれに対してあからさまに水を注す。ホームズが調査に出かけ、一人きりになったワトスンは、たった今別れたばかりのメアリに思いを馳せるうち「危険な考えまで頭に湧いてきた」ため「最近の病理学論文」にかじりつきつつ、「私としたことが、金もなく、脚のわるい一介の退職軍医の身で、そんなことを考えるなんて、何という身のほど知らずだろう!」と嘆き、自身の将来に「鬼火にも似た架空の光明なぞ求めるべきではない」と希望の持てない見通しに落ち込んでみせるが、これ以降の彼の頭にはメアリのことしかなく、彼女が父から受け継いだ莫大な財宝の所有権を持つことを知ると、そのために彼女が自分の手の届かない相手になってしまうであろうことで落ち込み、そして結末でその財宝が失われたことを知ると喜び勇んで彼女に求婚し、受け入れられると有頂天になっている。

ワトスンはそれをホームズに報告した際に「君のお手並みを拝見するのもこれが最後だと思う。モースタン嬢は僕の妻になる承諾をあたえてくれたからね」と言い、聞かされたホームズは「悲しげにうめいて」「そんなことになりゃしないかと思っていた。だが僕はおめでとうとはいわないよ」と答え、そしてワトスンが自分は妻を、ジョーンズ警部は名声を得たが、君はいったい何を得るのだと問うと、ホームズは僕にはコカインがあるさと答え、彼が再びその「ほっそりした白い手」をコカインの瓶にのばす場面で物語は終わる。

ここまでに提示した場面とその要素を検証してみよう。まず、最初と最後に登場するコカインは、明らかに事件という接点を与えられない時のホームズの、社会からの疎外とそれ故の無気力の象徴であり、ワトスンにとっては自らには理解しえないホームズの不可解な側面そのものである。それは、最終的にワトスンとメアリが得た誰からも祝福される“当たり前の幸福”に対立する性質を持つものだ。そして誰の目にも明らかなことだが、メアリに心を奪われてからのワトスンは、冒頭ではあれほど気にかけていたホームズの自分への態度や彼の内面に対して驚くほど無関心になっている。要はワトスンはメアリに恋し彼女との結婚を夢見ることによって、それまで思い悩んでいた彼自身の問題と彼とホームズとの関係性の問題から逃避し、最終的にメアリから受け入れられることによってそれを完全に正当化したのだ。

そしてこの『四つの署名』の全体に及ぶあからさまなメアリとのロマンス自体が、冒頭でホームズに『緋色の研究』におけるロマンスの要素をけなされたことへの無自覚かつあからさまな意趣返しなのだ。ちなみにホームズがそうした明示的な異性愛のロマンスを嫌う本当の理由は、決して彼が彼自身の自己申告のような純粋な理性の人だからではないのだが、これもひとまず深入りは避けよう。だが注意深く読めば、この物語において対立しているのが「純粋な理性」と「人間的なロマンス」などではないことは容易に見てとれよう。

本題に戻ると、この一見すべてが明示されているかに見えるワトスンのメアリへの恋と結婚、そして『冒険』『回想』の短篇集で語られるワトスンのその後の職業生活と家庭生活にも、色々と不自然な点が見え隠れしているのだが、それは彼が自身に関して一貫して意図的に伏せている事実に由来しているのだ。

まず、いくらメアリが億万長者にはならなかったからといって、ワトスン自身の境遇が「金のない一介の退職軍医」であることに変わりは無いはずであり、それなのにチャンスと見るや迷わず彼女に求婚した上に、ホームズには君の手並みを拝見するのもこれで最後になるだろうと言っていることからして、婚約期間も置かずにすぐにでも結婚するつもりであることが窺えるし、そして続篇である短篇集で語られている状況からして、実際さして間を置かずに結婚した上に、ほぼ同時に医師としての開業権を買い取って診療所を引き継ぎ、開業医としての職業生活も極めて順調なスタートを切っているのだ。

また、日付を確認してみれば、『緋色の研究』の事件があったのは1882年3月であり、『四つの署名』の作中での日付は(※4)1888年7月である。この間、ワトスンは一体何をしていたのか?騙されてはならないのは、これ見よがしに「最近の病理学論文」を読んでみせていようと、彼が実際に医師として働くことを考えていた様子はまったく見られないことだ。そして『冒険』の最初の「ボヘミアの醜聞」で久しぶりにベイカー街を訪れたワトスンに、ホームズは「医者の仕事に戻るつもりだとは、聞いた覚えがなかったが」と言っている。この台詞自体、彼がホームズと同居していた頃は“医者ではなかった”ことの傍証であろう。ホームズと同居を開始してからメアリとの結婚までのワトスンの数年は、社会的には完全なモラトリアムだったのである。その間、彼は何をしていたのか?“探偵の助手”では答えになっていない。

※4 ここでは詳述しないが、実はこの日付、というかワトスンが結婚した年がいつなのかの記述がエピソードによって食い違っているのには、決してドイルの無自覚なミスではない明確な理由がある。

もったいぶっても仕方がないのだが、例によって答えは目に見えるところに書かれている。「本を書いていた」のだ。これも例によってミスリーディングを誘う書き方をされているが、ワトスン自身もホームズもワトスンが書いた本が『緋色の研究』1冊だけだとは一言も言っていない。ホームズに『緋色の研究』をけなされたワトスンが「私は彼自身を満足させるためにとくべつに書いた作品のことで彼と議論するのがばからしくなってきた。じつをいうと、私が彼の仕事のことを書きつづるのが、当然なさるべき価値あることででもあるかのように、彼が自負しているのも、すこし業腹でなくもなかった」と独白していることも、逆説的にそうしたホームズのために書いた“特別”以外にも、ワトスンの手による物語が存在するのであろうことを裏づけてくれているだろう。

そして、ワトスンの結婚と開業権買取のための資金がどこから出たのかも実は全く隠されてはいないのだが、それをワトスン自身がはっきりと言葉にしてしまうのは差し障りがあったのだ。まず、あのホームズとワトスンの会話での、例の懐中時計をめぐる事実からわかることは、あのごく近い時期にワトスンが兄を亡くし、それによって兄が父から受け継いでいた遺産が彼の手に渡ったことであり、そしてあの日の朝彼が郵便局から打った電報も、おそらくはその遺産相続に関する連絡、より推測を進めるなら兄が最後まで手放していなかった不動産の売却に関するものだったのだろう。

つまり、あの時のワトスンはおそらく最後に残っていた肉親を失い、それを契機に実家の地所も売り払うことになり、いよいよ根無し草の天涯孤独の身の上であることを否応無く思い知らされていたであろう状況にあったのだ。その一方、日々の生活を共にしている相手であるホームズは、興味の尽きない対象ではあっても、同時に極めて不可解な側面を併せ持ち、本当に相互に理解しあい心が通いあっているとは言いがたい関係であった以上、ワトスンが孤独感を募らせていたであろうことは容易に想像できる。また、ワトスンの兄がおそらく独身のまま不遇と孤独の内に死を迎えたのであろうことも、ワトスンにこのままでは自らもそうした寂しい死を迎えることになるかもしれないという危惧と、それを避けたいという切実な願望を生じさせていたに違いない。

先に進む前に、この時点までのワトスンの境遇について推測がつくことをまとめると、元々ワトスンは、一度は軍医としてのキャリアを選択したものの、作家になる夢も捨てきれずにいた若者であり、図らずも戦傷を負ったことによってもたらされたモラトリアムと、その最中に彼の創作意欲を刺激する極めて特異な人物であるホームズと出会ったことによって、作家としての第一歩を踏み出すことになったのだ。だが(現実のドイル同様)処女作である『緋色の研究』は出版に漕ぎ付けたものの成功とは言い難く、その後もホームズとの冒険を重ねることで着想には恵まれたものの、作品として発表する機会にはほとんど恵まれずに過ごしていたのだろう。この時期のワトスンの生活は恩給と、おそらく父が亡くなったときに彼の取り分として残された遺産の運用によって成り立っていたのだと思われる。

ここまでの推測を踏まえた上で『四つの署名』冒頭の二人の会話に戻ってみれば、そこに現れている彼らのすれ違いの意味は明らかだろう。ワトスンが常になくホームズのコカイン注射を咎めだてしたのは、決して「昼食のときに飲んだボーヌ・ワインのせい」などではなく、定職もなく、作家としても一向に芽が出ないうちに、最後の肉親であった兄の死によって本当に天涯孤独となってしまったという状況から来る焦りと不安という極めて人間的な心理状態を、コカイン注射という、(今の自分が抱いているような常人の悩みへの共感は期待できないと感じさせる)ホームズの常人離れした不可解さを象徴する行為によって刺激されたためだ。そして、案の定とはいえそれをあっさり受け流された上、その後の会話でもホームズのためにこそ書いたつもりの処女作を貶されたことには当然傷ついたであろうし、(「最近の病理学論文」を手元に置いて読んでいたことが示唆しているように)作家を目指すのを諦めて医者に戻る方に傾きかけていた気持ちをますます後押しされてしまったに違いない。

ホームズに兄の形見の懐中時計を渡し、その元の持ち主がどんな性格や習慣を持った人物だったか当ててみろと彼を試したのも、肉親の遺品に象徴される自分の悲しみなど、常人離れした彼にはわかるまいという当てつけである。ホームズが時計が掃除されて間もないので推理の材料がほとんどないと言うのを聞いて「掃除していない時計だって、彼に何がわかるものか!」と、常の彼らしくない意地の悪い感想を持つのも、本当は「自分の気持ちなど彼にわかるまい」という憤懣やるかたない感情の表れなのだ。結局、ホームズはワトスンの兄の性格とその不遇な最期を見事に言い当てると共に、ワトスンの感情を傷つけたことを謝罪するが、つまりはここで示されている彼らの感情的なすれ違いと、この時ワトスンの置かれていた状況こそが、「ワトスンの結婚」という結果をもたらした事件の真の発端なのである。

ここまでの解説を読めばもうよくお分かりいただけただろうが、ちょうどその時に依頼人としてメアリが現れたことは、ワトスンにとってはまさしく渡りに舟と言える願望の実現の糸口であったわけである。彼があっという間にメアリに夢中になったのも、到底純粋な一目惚れとは言えない先立つ動機があってこそなのだ。だがそれは表面の記述の中では、ワトスンが兄の遺産を受け継いだことと、彼が作家志望であることが巧みに伏せられていることで、単純なロマンスとして印象操作されているのである。言うまでもなく、こうした“叙述トリック”の全てはワトスンを単なる素朴な記録者と誤認させるためのワトスン=ドイルの企みであり、その作為に意識的になることこそ読者にとっては“挑戦”への第一歩なのだ。

「最後の事件」に至るまでの二人の関係性の変化と真の展開を把握した上で、先に触れた『四つの署名』でのホームズとワトスンのすれ違いとワトスンの結婚に至る流れをホームズの視点から再構成すると、実に笑うに笑えない悲喜劇であることがわかる。読者にとって明示的なワトスンの視点からでは、冒頭のホームズのコカイン中毒に対する友人の心配を鼻で笑う態度や、友人が自分をモデルにして書いてくれた小説をまるで評価せずに通俗なロマンスが邪魔だと小馬鹿にする態度は、単に理不尽にしか映らず、やはり常人には理解し難い冷淡な人物なのだという印象を強めるばかりだが、実はホームズがワトスンの小説『緋色の研究』を気に入らない本当の理由は、実際の事件の調査において、ワトスンが異性愛のロマンスの要素に気をとられて見落としていた、それとは決定的に異質な(はっきり言ってしまえば非常にクィアーな)要素をホームズは見逃さなかったからであり、彼はそうしたワトスンの“凡庸さ”を揶揄せずにはいられないだけなのだ。

彼の「ユークリッド幾何学の第五定理に、恋愛物語か駆け落ちの話をもちこんだような結果になっている」というワトスンへの嫌味は、「目の前にあるクィアーな真相に気づきもしないで、そこにありもしないヘテロセクシュアルなロマンスばかりを想像でクローズアップするなんて、君は無粋なことをしたものだ」とはっきり言えないばかりの言い換えなのである。「ただ説明に値するのは、僕がいかにして事件の解決に成功したかという、結果によって原因をもとめうる解析的な論理の巧妙さあるのみだよ」というけんもほろろな言い草も、その本心は「その場にありもしなかった異性愛のロマンスに思いを致すよりも、彼の目の前にいた自分だけをもっとよく見ていて欲しかった」という微笑ましいほどの焼き餅なのだ。そして彼のコカインへの耽溺も、そうした「凡庸な人間の目には映らない手掛かりを容易く見つけられる」という稀有な能力と、それと不可分一体である彼の特異なセクシュアリティゆえの疎外に由来しているのだ。

しかし、皮肉なことに、こうした彼の「素直になれない態度」は、折悪しく常になく落ち込んでいたワトスンの気持ちを彼に対して閉ざさせる結果となり、そこにあろうことかメアリが登場したことによって、ホームズは完全にワトスンの心をメアリに奪われてしまったわけである。ホームズはメアリと接触したワトスンの反応ですぐにそれと覚って不満を態度に表し、(手料理を振舞ったりヴァイオリンを演奏したりして)懸命に彼の気を引こうと試みてもいるが、そうした努力もむなしくワトスンは結婚とホームズとの同居の解消を決めてしまったのはご存知の通りである。

ワトスンは自分の結婚を素直に祝ってくれようとしないホームズに「君はこの結婚に不満な理由でもあるのかい?」と問いかけるが、ホームズはそれに対して、「そんなことはけっしてない」と答え、メアリ個人については、「あんな愛らしい婦人はいないとさえ思っている」ほどだし、「そうした方面の才能には恵まれている人」だから「僕らの仕事を手つだってもらっても、ずいぶん役にたつと思う」と高く評価しつつ、「しかし恋愛は感情的なものだからね。すべて感情的なものは、何ものにもまして僕の尊重する冷静な理知と相容れない。判断を狂わされると困るから、僕は一生結婚はしないよ」と締めているが、一見してこのやりとりのちぐはぐさは明らかだろう。ワトスンの結婚に不満な理由でもあるのかと訊ねられたのに、結局その答えはホームズ自身が結婚しない理由にすりかえられているのだ。そもそもワトスンは「君のお手並みを拝見するのもこれが最後だと思う」と言っている通り、結婚したらもうホームズと一緒に“仕事”をする気などないのだから、メアリに「僕らの仕事を手伝ってもらう」必要などないはずである。

皆まで言うのは野暮というものだが、つまりホームズの返答は、「自分がワトスンの結婚に不満な理由」が「けっしてない」どころか「けっして言えない」ものであるがゆえの苦し紛れの言い換えなのだ。メアリに僕らの仕事を手伝ってもらえる云々は、要するに「君と一緒に仕事をする機会がこれで最後になどなってほしくない」という意味であり、ホームズがメアリ個人にワトスンの配偶者にふさわしくない点があるとはまったく思っていないという表向きの情報とあわせて、「ワトスンに自分から離れてほしくない」という本音を隠しつつ表わしているのである。恋愛は感情的なものだから自分の尊重する冷静な理知とは相容れないという持論に続けての、「僕は一生結婚はしないよ」というどこか意固地に聞こえる台詞も、本当は「君に一生結婚なんかしてほしくない」という極めて感情的な心の中の台詞が、正反対の形で表わされたものに他ならないのだ。もうおわかりだろうが、この最後の場面での二人のやり取りは、最初の場面でのそれと完全に照応しており、どちらの場面でも、ホームズの一見するとぶっきらぼうで冷淡にさえ思える台詞の奥に、実は自分に対する感情が潜んでいることに気づかないワトスンと、それに密かに苛立ちを覚えつつも素直になれないホームズとのすれ違いが描かれているのだ。そして、最後の場面での二人のすれ違いは、最初の場面からのそれの結果であり、ホームズにとっては紛れもなく悲劇でありながら、ワトスンはそれに気づきもしないという滑稽さが二重底の悲喜劇を構成しているのである。

このワトスンの結婚以降、「最後の事件」に至るまでの展開は、実は『四つの署名』冒頭でのすれ違いを生んだ二人の齟齬が解消されるまでの――もっと言えば、ワトスンがホームズを今度こそ完全に理解し得るまでの過程である。ワトスンは最終的に、ホームズが自分の書いたものの何が不満であったのか、彼に見えていて自分に見えていなかったものは何か、何が彼を薬物の力に依存させるほどに疎外しているのか、そして彼は自分に何を求めていたのか、その全てを完全に理解し、もう二度と再び彼を裏切らないことを誓ったのだ。

そしてワトスンにとって、ホームズを理解することそのものがエロティックな“学び”であり、彼はそれによって真に作家として自立することができたのである。『冒険』『回想』の2冊の短篇集はまさしくその成果であり、その後に書かれた『バスカヴィル家の犬』と『恐怖の谷』は、実は二人の葛藤と愛と、そして理解に至る軌跡のクライマックスだった「最後の事件」の二通りの変奏なのだ。

つまり、ホームズの長篇4冊は、『緋色』『署名』の2冊がドラマの始まりを、『犬』『谷』の2冊がそのドラマのクライマックスである「最後の事件」に至る物語全体の変形された繰り返しを担っているのである。いうなれば、後の2冊の持つ意味は「最後の事件」までの第1部そのもののダイジェスト版だともいえるが、前の2冊よりも遥かに濃密でマニエリスティックな構成になっている(逆に言えば、まったく素直には読めない)。そうした技巧の進化そのものが、ワトスン=ドイルの作家としての老成の証でもあろう。そして読者にとっては、非常に挑戦し甲斐のあるパズルでもある。ぜひ多くの方にチャレンジして欲しい。


P.S
おまけ。本文では「空き家の冒険」以降の後半のエピソードには触れなかったが、実は『四つの署名』冒頭でのホームズの推理――及びそれが示唆するワトスンの経済状況――に対応した細部が「踊る人形」冒頭に存在する。ファンの間では割と有名なネタではあるが、実はこれが遡って『四つの署名』でのそれがやはりワトスンの経済状況に関連したものであったことを明かしてくれているのだ。これを言ってしまうとほとんどネタバレなのだが、<あけっぱなし⇔鍵をかけられている>という対比はわかりやすい。というか、やっぱりホームズ怖い。帰還後は完全にヤンデレである。
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by kaoruSZ | 2014-03-10 11:41 | 批評 | Comments(0)