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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

映画館の日々

——となかなかいかないのは残業の日々だからで、それでも、おととい(月曜日)は五時を過ぎたところで発作的に仕事を中断し池袋へ。土曜日から新文芸坐で、黒沢明の『夢』を除く全作品上映をやっている。
 土曜日の朝、久しぶりにバスで池袋に向かい(車窓から金メダリストの北島の実家、きたじま精肉店を発見。こんなに近かったのか。近くてもテリトリー外だと不案内なもの)、10時からの初回を見る。新聞で紹介もされていたもののこんな早くからは来まいと思っていたら、意外な盛況。帰るときには階段に行列ができていた。まあ、これは演し物が『七人の侍』だったかららしく、月曜日はすいていたが。
『七人の侍』、実ははじめて。幕間[まくあい]にテーマ曲ずっと流していたし、月曜日は歌詞つきで(しかも、男声、女声の二種類)やっていたから覚えてしまう(旗のーにさーらいはーーーー 嵐のなーにひーがえるーーーー)。『七人の侍』は土日の二日間やったが、このあと木曜日までは一作品につき一日しか上映しない。昨日は行けなかったが、月曜日、行ってよかった。『虎の尾を踏む男達』と、楽しそうに見に来ているおばあさんを見られたから。

『七人の侍』、志村喬と、彼の登場のしかた、なぜ彼がいきなり髷を切り頭を剃ってもらっているのか、その謎を、侍を探しにきた百姓たちとともに観客に体験させるあたりが圧倒的。ともかく、説明抜きで、見せる。木村功の美剣士、とっくにトウが立ってる(三十過ぎだったそうだ)ものの、ミスキャストとは思わない。

『虎の尾を踏む男達』は全く予備知識なく見た。安宅の関を通る義経主従の話(虎の尾を踏むとはこれのことだったのだ)。強力役、エノケンのトリックスターぶりがまず見事。メロディつけてコーラスとして画面にかぶせる地謡の扱いも面白い。台詞は歌わないのだからミュージカルではない、やっぱりコロスだろう。エノケンにも「女のよう」と言われてしまう義経の「女[おんな]」性を再確認。(イエスと弟子たちもそうだが、絶対総受けの女役だ。)岩井半四郎の義経、強力姿になって笠を深々とかぶる以前から、キャメラは後ろからしか写さない。関を抜けてのち、弁慶の手を取るところで笠を脱いで美しい顔を見せる、というわけだが、ここでも斜めからしか撮らない演出。弁慶役の大河内伝次郎やエノケンといった顏の役者はもとより、あれだけ顏、顏、顏の映画でありながら。

『一番美しく』は、途中で、見たことがあったと気づく。旧文芸坐のラストショーで、日本映画を延々とやっていたときに混じっていたのではなかったか。勤労動員された娘たち、母危篤でも会いに行かずに増産。微熱があっても隠す(この世代だった母から、毎日いっせいに体温を測ったと聞いたことがある。夕方微熱が出るのは結核なのだ)。頼まれもしないのに鼓笛隊で町を練り歩く。国策映画であり、当時は本気でこれをやっていたのだという、時代のドキュメンタリーでもある。題名と異なり女の子たちが美しくなくて楽しくない。主演は最初の黒沢夫人だが、若い娘とは思えぬおばさん顏なのだ。大義なき残業をやっている身としては、がんばることのアホらしさを再認識。『姿三四郎』、『虎の尾を踏む』では富樫役だった藤田進(弁慶、エノケン、眉をはね上げて描いた梶原の手の者といった異相とは対照的な穏やかな素の顏)が主演だが、残念ながら途中で眠る(疲れで)。

 さて、観客のおばあさんだが、おむすびとコロッケとお茶のペットボトルをたずさえていそいそと席に落ち着いた私の耳に、通路を隔てたやや後ろの席から、「映画はいいねえ」というさも嬉しそうな声が届いたのだ(同感、同感。食べ物をそろえておくとさらにいい)。「歩けるかぎりは連れて来てね」そう頼まれている連れの男は息子か孫か。彼を相手に、堺駿二の話をしている。堺正章の父親としてなら私も知っている名前。『七人の侍』のテーマを男声が歌い出し、これは誰かしらね、と言う。(私も知りたい。)
『一番美しく』が終って、廊下に張り出してある資料から、教師役が入江たか子だったと知る。化け猫女優。映画を見たこともないのにそういう言葉だけは知っている。ポップコーンを買って席に戻ると、化け猫映画で有名だったのよ、とおばあさんの声。油をぺろぺろ。場内が暗くなりかけたときも、まだそう言って楽しそうに笑っていた。
by kaoruSZ | 2005-03-30 12:24 | 日々 | Comments(0)