おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

見よ眠れる船を――折口信夫の『文金風流』(1)


彼〔か〕の船は此の世の涯より
汝〔なれ〕が幽〔かそ〕けき欲望〔のぞみ〕すら
叶へむとして来〔きた〕るなり。
ボードレール「旅への誘い」


【七月十六日】折口の戯曲について、先日またtatarskiyさんから電話で聞く。『文金風流』というのだが、検索しても全集の収録リストに出てくるばかりだ。論じている人いないのか。手すさびとしか思われていないのか。溝口か成瀬に黒白で撮らせたかったような話というか、聞きながらそういう映像で浮かんだ。

  語り物の知識などさっぱりなので初めて知る名前だが、豊後節の祖で、実在した宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)が主人公。といっても、『死者の書』が中将姫伝説に取材しながら全く別なものに書き換えているのと同じく、豊後掾の前身が侍というのも、それ以外の登場人物も、皆折口の創作らしい。そして『死者の書』の郎女に相当する女がここにもいる。

 一言でいえば才能があってもどうにもならない女、女であるためにそれを生かすことのできない女、豊後掾がそうであるように自由には生きられない女だ。もう一人、狂女がいて、実はこの二人を合わせたのがかの郎女というわけだ。 

  狂女の話の方で登場する僧の物語には、明言されない男色がかかわっているらしい。だがそれは脇筋で、メインは女(姫君である)に同情した豊後掾が、彼女との心中を承知する話。実は彼の得意は心中物で、文金風と呼ばれた髪型・衣裳のダンディズムばかりか、心中までも真似る者が続出、相対死[あいたいじに]は 禁止され豊後節は弾圧されたというのは歴史的事実らしいが、面白いのは、姫君がそれに憧れたわけではなく(それではボヴァリー夫人だ)、二人が恋人同士ではないことだ。当時、この反メロドラマを誰が理解しえたのか。折口の作家としての才能の凄さは弟子に“伝えることのできる”学者としての業績を軽く超える。そうあらためて確信しつつ、今度コピーをもらって読むのを楽しみにしている。

【八月五日】おとといtatarskiyさんから、『文金風流』、コピーを糸で綴じたのを恵贈さる。歌舞伎台本(ラジオドラマではなかった)で、実質生前未発表作。凄い。ミイラの棺を開けたらみづみづしい色あざやかな花束が現れて、それが目の前で塵と化したのではなく、今時ひらいたどんな花より鮮やかに咲きつづけているという凄さである。

  解題によれば雑誌『新演劇』の脚本募集に応じたものというが、不採用だったという意味なのか、それとも実際応募しなかったのか、いづれにせよ上演されていないのだろう。また、まともに読まれたこともないのだろう。tatarskiyさんの認めた『死者の書』との類似に、これまで誰も気づいた形跡がない以上。

『死者の書』などよりよほど“普通に”理解できる筋書を持つ、巧みに構成され、洗練された戯曲なので、上演されたことがないのが惜しまれるし、歌舞伎台本としても完成されたものだと思われる。あまりに完璧過ぎて、もし実際に審査されたとしても、当時の人にはその新しさが分らなかったに違いないほどに。

  風俗壊乱の廉で江戸を追われた浄瑠璃語り豊後掾の実話に、折口は武士という前身と、姫君との“心中”という結末を接いで『文金風流』を仕立てた。序幕で主人公の存在は、姫路城下の花見の幔幕の中から聞える謡の美声の主としてまず感知される。このあと彼は、同輩が狂女を斬ろうとするのをやめさせようとして誤って相手を殺してしまい、武士を捨てて出奔するのだが、その場で切腹しようとしたのを止めた僧、慶円に、「此芸能もて世に立たれたら、恐らく天下第一の名人となられる」と言われる。

 これが、彼が豊後掾になる発端なのだが、慶円も実は偶然そこに居合わせただけではない。後の豊後が助けたお兼は、「文ひろげの狂女」とあだ名され、「あまた家中[かちゅう]の人々より彼に寄せたる艶書の数々」を「喜んで披露しある」いている(豊後に殺された男もかつてお兼に文を遣った一人である)。しかし彼女が好きになったのは慶円だけで、その結果今のようになった、つまり彼自身は与り知らぬ事ながら、自分に叶わぬ思いを抱いて狂ってしまったと慶円は語る。これは、道成寺から奇妙に内実を抜き去ったエピソードで、慶円の傍観者性(手出しをした豊後との対比に於ても)を際立たせる。

 第二幕は江戸の芝居小屋横ではじまる。大入りで入れず、豊後をいわば出待ちする人々の会話だけで十五年後の彼の状況を髣髴とさせる、折口の手腕は水際立っている。序幕でも彼の容姿は家中[かちゅう]の侍女たちから、「あのお容子であのお声」「あんな男を持つ人は、どうした果報の姫御前であらうぞ」と言われていたが、ここでは専ら男たちによって彼の美しさが語られる。

町人一 したが文金の声も声だが、男振りと来ちや一層たまらないや、業平が絵馬堂から抜け出した様な顔をして、三日月なりの小袖に、片身変りの片衣をひつかけて、舞台を斜めに、見物の方を向いて坐つた容子なざあ、女の子にやほんに眼の毒といふもんさあ。
町人二 いかな役者もあの男と並べた日には、お月様の前に出た星よりももつとみじめだ。あの男が結ひ出して、当時流行[ハヤリ]の文金髷、この辺[あたり] にもたくさん見えるが、あのまつ黒な大たぶさに、金糸を高く結び上げた恰好なんぞ、何ともかとも言はれない。あの時ばかりは何だかこちとら野郎に生れて来たのが、まゝならねえやうな気がすらあ。女の子にとつちやたまるめえ。


 江戸っ子の町人二人、本当は自分が「たまらねえ」のが見え見えなのに、女の子がと言っているところが可笑しい。

 あるいは、「あの声を聞いたが最期、家も名聞も打ちやらかして、思ふお方と死にたくならあな」――だから結婚していてよかったという男。これに続く会話からは、折口のユーモアのセンスも窺われよう。「いつもと違って歌から芝居に持ち込んだ」、つまり芝居とコラボレートした豊後の新作は「文ひろげ」といい、 文金風の髪型・ファッションのみならず、情死まで流行らせた彼は、「若い身でこれ聞かねば、江戸に生れた甲斐のない娘・息子の仲間外れぢやといふ程な浄瑠璃」として、若い男女の熱狂的な支持を得ている。

 ここで、序幕の反復めいた事件が起る。先ほどは狂女が殺されかけたが、今度はお忍びの姫君一行が悪御家人に因縁をつけられたのを、小屋から出てきた豊後が助ける。侍三人を向うに回し、鮮やかな立ち回りで相手を制圧する伊達男は、文武両道のスーパースターだ。豊後が去り、人々が散ったあとに、傍の茶屋の中から、一部始終を見ていた慶円が現れ、文ひろげの狂女までが登場するが、慶円の顔を覗き込んでも判別はつかない。

 豊後の向かった先は兄弟子・都千中の住いである。第二場はそれに先回りして、千中の妻で芸者上がりのおこのが、自宅で家主と対坐するところからはじまり、込み入った事情を 会話だけで明かす。家主は、芸一筋で頑固一徹(そのため家賃が払えない)の千中に、檀那衆に稽古をつけて援助を受けることを奨め、「此頃流行 [ハヤリ]の豊後節は、こちらの弟々子[オトトデシ]で、京から一処に下つた国太夫半中と言つた男が初めたんだとか言ふことだが、此頃は猿若の芝居に出て、時にはお大名の館へも上り、高家の姫君様迄が忍んで聴きに御座るげな。兄弟子が蹶落されてゐて、残念だとは思はないのかねい」と言うが、千中は国太夫即ち豊後の新作の節回しに意見することしか頭にない。 

 河東節の名手おこのを芸を捨てるのを条件で娶った千中の話は、一見昔ながらの芸道ものだが、実は慶円と狂女お兼、そして豊後と照姫のカップルと重ねられることで新たな意味を持つ。これは芸道ではなく芸術の話であり、折口は絶対的に現代的(absolutely modern)な書き手なのだ。

 豊後は千中の意見を容れず、千中は豊後の援助の申し出を断って、兄弟弟子の縁どころか、亡き師に代り師弟の縁も切ると宣言、盆ぎりで立ち退かねばならぬから、二日後には京へ帰ると豊後を追い出す。するとおこのが、情熱の失せたまま夫婦を続ける気はなくなったから自分はとどまって尼になると言い出し、二人は“熟年離婚”を決める。  

  第三幕は第二幕と同じ元文五年(その二日後)の設定で、これは実在の豊後の没年だが、彼はその二年前に江戸八百八町の芝居小屋お構いになって帰京しており、また心中も史実ではない。だから作品においては照姫との関係こそが重要なのは当然だが、それは語り手が虚構として語ったものを自らなぞって死ぬことになるという意味ではない(それでは豊後節に煽られて死ぬ者と同じになってしまう。千中は彼らを、「おぬしの浄瑠璃聞いて死ぬる者が多いとの噂、何を盲千人の世の中、文句は訣[わか]つても、節につまされて死ぬといふことはあるまい。高々、死んでも浮き名が謳はれたい阿呆どもぢや」と言っている)。ここでは、そう思ったのは間違いだった(芸の素晴しさで感動させているわけではないと千中は豊後をそしっている)という話になっているが、真実は、大衆には文句、即ち物語しか分らぬという方にあろう。 

 逆に言えばここでの折口の営為は、見る目を持たぬ多数派にも分る文句(メロドラマ)として二人の関係を織り成しつつ、選ばれた少数の耳には間違いなくその節[ふし]を届かせんとするものなのである。

 第三幕は、大名家下屋敷の大川べりにある垣の切り戸から「白無垢の袿[ウチカケ]が逆に懸けてある」長持ちが運び出されるという、ただならぬ情景ではじまる。船で去るのを陰ながら見送るのは照姫づきの埴科、急死したのは乳母の篠の井、埴科の独白によれば姫君は「お乳[ち]殿のおしつけで、何一つ欠点[オロカ]のないお育ち、とりわけ、糸竹の道は家中は素[モト]より、検校、勾当の間にも、をさをさ及ぶものもない御鍛錬」。糸竹とは管弦、音曲のこと。これはつまり序幕で侍女らが、「去年京から下つた宝生の太夫も、舌を捲いたと聞いた」と噂していた、豊後と同様の才の持ち主で照姫があるということだ。

 しかし武士を捨てても生きられる豊後と違い、「惜しやこれ程の芸能持つて、お生れ遊ばし乍ら、大名の姫君とあるお身の不肖、聞き知るもののない御殿帳台の中に持ち腐れに遊ばさうと、わたしも素より好きの道とて、いとほしがつてお思ひ遣り申したが」誤りだったと埴科が述懐する通り、姫君にはそもそもそれを生かす道がない。

「永のお気鬱をお霽し申さうとて」「お気発散の御為とて」姫を外出させたと埴科の科白はさりげないが、要するに照姫は以前から鬱だったのであり、それは彼女が封建時代の姫君などではなく、折口がそうしたものを描くとは誰も思わぬのであろう自由に生きたいと望む女、近(現)代の自我のある女だからだ。

【八月十七日】
『死者の書』久方ぶりに通読する。青空文庫に感謝(現代仮名遣い版なんて愚かしいものまで揃えることは全くないけど)。さらにtatarskiyさんから、富岡多恵子の『釈迢空ノート』について電話で聞く。tatarskiyさん、『文金風流』の狂女のモデルが分ったと言って……うーん、これは決定だね。安珍清姫の形式を借りながら内容が抜けている理由もそれで説明がつくし、第二幕終りの狂女再登場時の、「十五年経つた割合ひに若い顔をして」というト書きに感じた妙なリアルさもそこから来たものかと気づく。

 詳しくは富岡の本手に入れてから書くが(図書館飛んで行こうとしたが土日閉館時間が早くて果さず)、背景が判ってみれば、「叔母が部屋で召し使うたる」女が自分を「隙見し」、「様々思ひ悩んだ末、心みだれて狂ひ出」たと「叔母より承り、存じもよらぬ事とは申しながら、罪深い事致したと」と慶円が言うのは、少なくともそう言わせる折口は、とぼけているのだ。

 幼少時に寺に迎え入れられた跡継ぎでありながら、師の坊(恐らくは愛人)に死なれ、出奔する慶円は、明らかに折口の投影だが、彼はまた、相手と関ることのない傍観者でもある。その分、物語の案内役であり、豊後に芸で生きることを奨めて、まるで作者のように筋書きを進めた人でもあるのだが、その 彼が唯一積極的にその手もてする行為は、姫と豊後が死ぬために入った船のもやいを解くことである。

 この第三幕第二場の幕切れは一篇の幕切れでもあるのだが、読み返すとこの辺り、全くリアリズムに則っていない。前段で姫は尼寺へ入ることに、豊後は江戸での公演禁止と決り、これが最後と豊後が謡った翌朝、おこのと別れ京へ上る千中と、橋上で和解し見送った豊後の前に、切り髪姿の姫が現れるが、その後を例の悪御家人どもが追って来る。

 そんなところへ今さら三悪人が出てくる道理がないので、これはもう「一人の手を捻ぢ、一人の肩を抑え、一人を踏んで(…)色々悪侍をあしらうて、果は二人を斬り、一人を川へ投げ込む」という豊後大活躍の場を作るために過ぎないが、同時に、第二幕で姫一行を助けた時の、「侍三人を色々にあしらうて、とゞ一人を 当て身で仆し、一人を踏まへ、一人を後向きの立身に捻ぢ上げる」の変形された繰り返しでもあり、序幕で狂女を救った出来事の反復でもある。

 あの時はこうした形ばかりの立ち回りではなく、相手の命を奪った事件が彼の運命を変え、また、『文金風流』一篇を可能にしたが、今また同じ型が反復されるのは、これから彼が姫との決定的な関係に踏み入ることの徴でもあろう。

 また慶円は、まだ千中が去る前から、上手から出て様子を窺っているのが観客から見えているのだが、この僧、序幕でその場に居合わせたことについては詳しくいきさつが語られ、第二幕でもお盆の経を頼まれた茶屋のうちより騒動を目撃したと一応の説明がなされているけれど、もうここでは何の因果もなしに柳の陰に立っている。

 今は尼となった姫君と豊後が「一処に」死ぬことを決め、「此処で死んでは、お家の名折れ」と、豊後が「あれにて」と船を指し、二人が入ると「僧せはしく出て、艤ひを解」き、船の簾を上げて豊後が「断末魔の苦悩を救ひの御経[オンキヤウ]」を頼み入るが、実は十五年後の江戸に慶円が来ていることを、豊後はこの時まで知らなかったはずである。観客は何の疑いも持つまいが。

 一方、文ひろげの狂女の第二幕第一場での登場はいささか不気味ながら、続く第二場での豊後の科白「十五年前、国を出る砌、ちと恩を受けた方のみよりの者、江 戸で計らず廻りあひ、見るに見かねて連れ戻りました」で合理的に説明される。老婆をつけて「うちに養うて」あるのだが、脱け出し「狂ひ回る」こともあるという。

 だが、船が河心へ出るのを橋上から僧が見送り「黙拝」するところへ、「突然橋向うから出る」狂女は、婆の目を盗んで出てきた訳ではあるまい。「船中から幽かに念仏の声。続いて悲鳴」という修羅場にただただ「黙禱」を続ける僧を補完して、最後の絵を完全なものにするために、彼女は枠組の外、物語の外からやって来たのだ。

「狂女橋詰へ出て、文を両手で捧げて、拡げる。」これが最後のト書きであり、あとは「静かに幕」という指定があるばかりだ。狂女が掲げる文、男たちの恋文とは何だろう。少なくとも、心中する男女の称揚や鼓舞に繋がるものでないことは確かだ。慶円が狂女との因縁を打ち明けるよりも前、侍女らが豊後(の前身)に語った、お兼発狂のいきさつは、慶円のものとはいささか異なっていた。奥の中老(慶円の叔母である)に仕えた町人の娘お兼は、「大勢の殿方に思ひを寄せられ、聞かねば死んで呪ふと言ふもあり、心に従はずば殺さうと囃すお侍衆もあつて、あんまり恐さ、煩さゝにとりのぼせて、とうとう正銘の気違ひになりました」。そして自分の恋文を人前で読まれて頭に血が昇った男に斬りかかられたところを豊後が助けるのだから、「文ひろげ」という行為はどう見ても恋の側に立つものではなく、文をよこす男たちへの揶揄でさえありうるものだ。そして僧慶円と狂女の奇妙なカップルは、「思ひ合うたる二人の心、うそいつはりのないからは、二人連れ立ち死出の旅」と、美しい紋切型で謳われる、豊後と照姫の関係を異化するものに他ならない。

 乳母篠の井の死ではじまる第三幕第一場に戻って、誰にも解る「文句」(=紋切型)が、当事者たちと観客に、豊後と照姫の愛-死を納得させるに至る過程を辿らなくてはならないが、その前に、せっかく『死者の書』を再読したことでもあり、『文金風流』と『死者の書』の類似について押えておきたい。

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by kaoruSZ | 2015-09-08 19:22 | 文学 | Comments(0)