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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

見よ眠れる船を――折口信夫の『文金風流』(2)

※見よ眠れる船を(1)

『死者の書』をあらためて読み、これははっきり南家郎女を主人公とする芸術家小説だと判った。郎女は作品を完成するが、それは (そして彼女がなぜそれを作ったのかは)同時代の誰にも理解されない(実は、というか結果的に、これはこの小説と折口が未だに理解されていないこととパラレルになっている)。

『死者の書』続篇は、以前、tatarskiyさんの解釈を聞き、はじめて読んだ。この草稿は、旅の左大臣(藤原頼長と同定される)が、予定を変えて當麻寺に立ち寄る手前で中断しているのだが、tatarskiyさんはこの先を、頼長は寺で郎女作の曼荼羅を見たのち、夢の中でその作者と邂逅すると推定している。郎女には、のちの世の理解者にぜひとも伝えたかったことがあったのだ。要するに夢幻能の形式である。

 頼長は、郎女が作品ゆえに得る、時を隔てた理解者であるが、それ以前に、美しく、教養があり、自由に振舞える力ある者である。すでに『死者の書』本篇にこのような男たちは登場していた。大伴家持と恵美押勝がそれで、彼らは一方的に郎女の噂はするが、彼らの世界と郎女の世界とは交わることがない。そして実はそれこそが郎女の孤独の核心を成す。

 折口のラジオドラマ『難波の春』は、『死者の書』続篇の内容を考える上で、極めて重要な資料たりうる。ここにも家持が登場し、夢の中で東歌の女作者に出会う。そして作品の真実を彼女から聞かされるのだ(『難波の春』については以前連続ツイートした。参考までに)。

『死者の書』の内容紹介と称するものを見ると、家持と押勝は当然省略、大津皇子の死霊を異様に重視、俤[おもかげ]びととこれを同一視(ムリ)、郎女の曼荼羅で大津も郎女も救われたと、映画パンフレットの「あらすじ」並みの捏造だ。「絶対的に現代的」な作家がそんなものを書くわけがないのに。

 まず、作中での現実のレヴェルと、そうでないレヴェルを分けねばなるまい。いくら目立とうと大津皇子は後者だし、作品の因となる郎女の幻視もそうだ。男たちの世界が一方にあり、一方には、そこで話題にされるだけの郎女が、失踪し、発見され、物忌み中に手仕事をする世界がある。この対立という現実から一切がはじまっているのだ。

『死者の書』を本気で紹介しようとすると、巧みなというよりはひねくれた折口の構成に、舌を巻くと言うよりは舌打ちしたくなる。序章で大津に思うさま喋らせ、二では二上山中で、失踪した郎女の魂[タマ]呼ばひする者たちが、あたかも本当に死者の声を聞いたかに思わせて、三で寺と庵の描写説明に行数を費やした挙句、ようやくヒロインを登場させるのだから。

 素直な人はここまでの記述のせいで、死人が郎女を誘[おび]き寄せたか、あるいは二上山中で「こう こう こう」と騒いだのが死者を目覚めさせたと(おや、どっちだろう?)思うだろう。だが、それは、人に耳を傾けてもらえなくなった時代遅れの語部の婆が、郎女が来たのをこれ幸いと.恐い死者の話を聞かせ、信じさせようとしたようなものだ。

「語部の古婆(フルバヾ)の心は、自身も思はぬ意地くね惡さを藏してゐるものである。此が、神さびた職を寂しく守つて居る者の優越感を、充すことにも、なるのであつた」と書く折口もまた、意識していようといまいとこの古婆だと今回気づいた。石室で目覚めて、死に際に思いを残した女の代りを現世に求める死者の話とはそのようにして語られたものなのであり、「人の語を疑ふことは教へられて居なかつた」郎女でさえ、「言ふとほり、昔びとの宿執が、かうして自分を導いて來たことは、まことに違ひないであらう」と認めつつ、なぜその罪びとと、光り輝く雲の上に自分が見た俤とが同一なのかと訝るのは、至極当然なのである。

『死者の書』は幻想小説ではない。少なくとも「超自然」の介入があるわけではないという意味ではそうである。要するにここにお化けは出ていないのだ。先へ行って郎女は、帳臺に近づく「つた つた つた」という足音を聞き、「細い白い指、まるで骨のやうな――帷帳[トバリ]を摑んだ片手の白く光る指」を見ることになるが、これは語部の婆に聞かされた話のせいで見た夢として説明がつく。何よりも(評者に無視される)男たちの会話の中で、藤原南家の姫が神隠しに遭ったことは取沙汰されても、二上山の死人が目覚めたなどとは言われていないわけで、いかに大津のパートが姫の主観で語られていなかろうと、これは現実のレヴェルにある話ではないと考えるのが妥当なのだ。

 もちろん死者の語りは欠くべからざる部分、それなしでは小説がはじまることのなかった、また標題の拠ってきたるところにもなったパートであり、ブリコラージュする人としての折口が、 中将姫伝説、来迎図、日想觀、山越しの阿彌陀像と拾い集めて、作品の統一をもたらすものとして最後に見出したピースでもある。閨に忍んでくる骨の指(と、先ほどの引用でも明記されていないところがかえって恐しい)の死人と、夕陽に荘厳されて雲の上に現れ出る俤びととは別物である。大津もまた「天の神々に弓引いた」天若日子の一人であるゆえ「顏清く、聲心惹く」のだという語部の婆の返事は答えになっておらず、この齟齬は最後まで解消されることはない。

 墓の中での目覚めと独白という、現在『死者の書』の導入部になっているものについて今述べたことは、言うまでもなく、『山越しの阿彌陀像の畫因』においては、折口が『死者の書』の起源について、「横佩垣内の大臣家の姫の失踪事件を書かうとして、尻きれとんぼうにな」り、「その後もどうかすると之を書きつがうとするのか、出直して見ようと言ふのか、ともかくもいろいろな發足點を作つて、書きかけたものが、幾つかあつた」、つまり折りにふれ繰り返し試みながら果さないでいたのが、ある時についに作品の真のはじまりに到達したと語っているエピソードに相当する。周知の通り、その「發足點」は折口の見た「夢」であった。

 中断していた小説に関して「少し興が浮びかけて居たといふのが、こぐらかつたやうな夢をある朝見た。さうしてこれが書いて見たかつたのだ。書いてゐる中に、夢の中の自分の身が、いつか、中將姫の上になつてゐたのであつた」と折口は書いている。そしてそれを「死者の書」という小説として書くことが「亦、何とも知れぬかの昔の人の夢を私に見せた古い故人の爲の罪障消滅の營みにもあたり、供養にもなるといふ樣な氣がしてゐたのである」

 これについては有名な加藤守雄の証言がある。「ある朝、奇妙な夢を見た。中学生のころ、友人だった男が夢の中に現れて、自分に対する恋を打ちあけた。その 人がそんな気持ちを持っていたとは、その当時はもちろんのこと、いまのいままで、ついぞ思っても見なかった。夢の中で告白されて、はじめてそうだったのか と思いあたることがあった。まるで意識していなかったのに、三十年も過ぎてから、夢に見たことが不思議でならない。それを絵解きして見よう、そう思って書き出したのが、『死者の書』になった」と折口から聞いたというのだ。

『山越しの阿彌陀像の畫因』という文章は、タイトルからして、本当なら「『死者の書』縁起」とでもすべきものがずらされており、「私の物語なども、謂はゞ、一 つの山越しの彌陀をめぐる小説、といつてもよい作物なのである」と控えめに称しながら、実は唯一無二の彼の作品について、書いている時には意識していなかったことまでもあとになって気づき、しかも誰もそう読んではくれないので自ら書いたものだ。「これを書くやうになつた動機の、私どもの意識の上に出なかつた部分が、可なり深く潛んでゐさうな事に氣がついて來た。それが段々、姿を見せて來て、何かおもしろをかしげにもあり、氣味のわるい處もあつたりして、 私だけにとゞまる分解だけでも、試みておきたくなつたのである」と、これもつつましやかに折口は書いているが、いや、到底、「私だけにとゞまる分解」などではありえない。精神分析という語が何度も使われているのはかりそめではない。

 しかし折口は「日本人總體の精神分析の一部に當ることをする樣な事になるかも知れぬ。だが決して、私自身の精神を、分析しようなどゝは思うても居ぬし」などと高慢と謙遜の織りまざったようなことを書いたので、小説を読む能力に欠陥があり、しかもホモフォビックな人々は、日本人の宗教観を絵解きしたものと解釈してすませるようだ。勿論ここでは折口の「精神分析」だの、伝記的事実それ自体だのではなく、あくまで小説が問題なのだが、実際に三十年前の折口を彼自身が描いた小説があるのになぜ比較しようと思わないのか(と、tatarskiyさんに言われ、今度は『口ぶえ』を再読しなければならなくなった)。

『死者の書』について考察をはじめたのは、そもそも郎女と『文金風流』の女主人公との類似を確認するためなので、必要以上に横道にそれるのは避けたいが、しかし『口ぶえ』については、なるほど主人公の少年安良[ヤスラ]の身の上が、夢の中で「いつか、中將姫の上になつてゐた」と言っても全くおかしくない。むしろそれで辻褄が合う。

  南家郎女は女になった安良であり(どういう点においてであるかはこれから説明する)、折口の「中学生のころ、友人だった男」の変形された甦りとしての死者に出会う者であり、折口が観察した、同時代の、自由を求めて苦闘する女でもある。いや、むしろ、自由に生きることが不可能な女と言うべきなのだが、最後のものは、繰り返しになるが、「女嫌ひ」と称される折口がそんなものを描こうとは、誰も夢にも思っていまい。だから郎女は、何やら作者の手中で操られている傀儡のようにしか見なされず、彼女のパッションは誰にも(周りの者にも読者にも)理解されないのだ。

『死者の書』における現実/非現実のレヴェルははっきり分けて考えるべきであり、また分けられることを先に見たが、同様に、郎女にとっての善きものと悪しきものの区別もまた、多くの読者が見誤るのとは異なり、判然としている。

 要するに、大津の死霊は、郎女の見る俤びと=阿弥陀ほとけではないのであり、前者が鎮魂ないし昇華されて後者になったりはしないのである。これが、『口ぶえ』における主人公の性意識と対応することは、tatarskiyさんに指摘された。具体的には、彼と関わる二人の上級生、岡澤と渥美として具現されていると言うべきなのだが、前者は安良を「肉欲」の対象として、手紙を渡したり、つけ回したりし、後者は「浄らかな人」として、安良の憧れの対象であるのだ。これだけでもそのまま郎女にとっての大津と俤びとであるが、加えて、安良が岡澤と渥美それぞれと川で泳ぐ場面があることは、郎女が寝入りばなに死霊の訪れを受けてのち、夢で等身大の白玉を抱いて水底に沈む、美しいくだりを思い起こさせずにはいない。

『口ぶえ』で「激しい息ざし、血ばしつた瞳、ひしびしと安良に壓しかかる觸覺」と描写される岡澤に、安良は水泳の最中、水中で抱きつかれ頬に接吻される。一方、夏休みに西山の寺に籠る渥美からの手紙に応えて、安良は彼を訪ねてゆき、一緒に川で泳ぐことになるが、彼らは「裸形をはぢらふやうに」離れて衣服を脱ぐ。激しい反発と極端な抑圧の危うい均衡は、自分が実は岡澤に惹かれてもいて、渥美に対する気持ちも同じところから来ているという自覚によって破れずにはいない。二人の少年がとどのつまりはともに死のうとして崖の上から身をのり出すところで、『口ぶえ』は未完のまま中断している。

『口ぶえ』から四半世紀のち、安良が(折口がではない)女になった郎女の上に、その出来事はどう起こったか。前者の、渥美に呼ばれての大阪から奈良への旅を、俤びとという幻を追っての、都から當麻への西へ向かう旅として逆向きになぞり、そこで、折口の若き日の思い出の中の男(たち)の甦りである、大津皇子=天に弓引く天若日子が、この世に心残して、藤原家当代の姫君の中から最も美しい娘を求めてやって来ると、婆に吹き込まれた郎女は、「俤に見たお人には逢はずとも、その俤を見た山の麓に來て、かう安らかに身を横へて居る」はずが、横たわる床に忍び寄る足音を聞き、「その子の はらからの子の/處女子(ヲトメゴ)の一人/一人だに/わが配偶(ツマ)に來よ」という、婆の聞かせた歌が甦る。

帷帳(トバリ)がふはと、風を含んだ樣に皺だむ。
ついと、凍る樣な冷氣――。
郎女は目を瞑つた。だが――瞬間睫の間から映つた細い白い指、まるで骨のやうな――帷帳(トバリ)を掴んだ片手の白く光る指。

 咄嗟に阿弥陀ほとけの名を唱えて郎女は逃れるが、
白い骨、譬へば白玉の竝んだ骨の指、其が何時までも目に殘つて居た。帷帳(トバリ)は、元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでゐるやうな氣がする。

 骨の指なのか、白玉の指なのか。言葉の(夢の)詐述[しごと]は、「山の端に立つた俤びとは、白々(シロヾヽ)とした掌をあげて、姫をさし招いたと覺えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる」と、骨と白玉のダブルイメージのうちに、郎女を「海の渚」へ導く(たぶん折口は、「夢の仕事」についてのフロイトの記述を、深い実感を持って読んだろう)。

「渚と思うたのは、海の中道(ナカミチ)である」。左右から波が打ち寄せてくるそこを歩きながら、郎女は砂に混じる白玉(真珠)を拾おうとするが、「玉は皆、掌(タナソコ)に置くと、粉の如く碎けて、吹きつける風に散る」。しかしついに白玉は彼女のものになる。

姫は――やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂ふ身……衣もなく、裳(モ)もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現し身。
 姫はそのまま水底へ沈む。
水底(ミナゾコ)に水漬(ミヅ)く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹(ヒトモト)の白い珊瑚の樹である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、搖れて居る。

 これを読んで第一に連想されるのは、アポロンの求愛を逃れようとしたダフネが月桂樹に化ったエピソードだ。ギリシアのあの変身する女たちの一人に、郎女はここで身をやつしているのではあるまいか。もう一つ、白玉と珊瑚へのこの変身は、シェイクスピアの『テンペスト』で、父王の船が嵐で難破したと知り、父親が死んだと思って悲しむフェルディナンド王子に、エアリエルが歌う、
Of his bones are coral made; 
Those are pearls that were his eyes;

を思い出させる――彼の骨は珊瑚になった、この真珠は彼の眼であった。あまりの一致に、これは私が知らないだけで誰かが指摘しているかもしれないと思うが、もしそうでないとしたら、それは「日本」だの「古代」だので折口が出来上がっているという思い込みのせいだろう。

 その時代、「大陸から渡る新しい文物」はまず太宰府に入った。「あちらの物は、讀んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる――そんな空恐しい氣さへすることが、ありますて」と家持に洩らす、恵美押勝の気持ちはそのまま折口のものだろう。「唐から渡つた書などで、太宰府ぎりに、都まで出て來ないものが、なかなか多かつた。學問や、藝術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて太宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであつた」。蓮糸で織った布地に絵を描こうとて、郎女が奈良の館に取りにやらせたのが、「大唐の彩色(ヱノグ)」であるのもゆえなき細部ではあるまい。

 郎女が「大浪にうち仆され」たあとの記述を、さらに細かく見てみよう。

浪に漂ふ身……衣もなく、裳(モ)もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現し身。


 郎女は一糸纏わぬ姿となり、「等身の白玉と一つに」抱き合った裸身が水の上で輝いている。そして海底に沈むと、「水底(ミナゾコ)に水漬(ミヅ)く白玉なる郎女の身」と言うのだから、もう白玉は対象ではなく、完全に一体となってしまって、彼女自身が白玉なのである。ナルシスティックでエロティックな夢。このあと、月光が水底にさし入って、郎女は水面に出て息をつき、即ち夢だったことを知る。

  そして仰ぎ見る天井の板には「幾つも暈(カサ)の疊まつた月輪の形が、搖(ユラ)めいて居て」そこに彼女は、再び俤びとが現れるのを見る(それもまた夢なのだが)。

胸・肩・頭・髮、はつきりと形を現(ゲン)じた。白々と袒(ヌ)いだ美しい肌。(…)乳のあたりと、膝元とにある手――その指、白玉の指(オヨビ)。

 夢の中で「抱き持つた」、そして彼女自身がなっていた白玉が、再び距離を取り戻して、彼女の寝姿を見下ろしている(この豊かな肉体が、骨の指を持つ死霊の対極にあることは強調されていい)。

 ところで、この「白玉なる身」という表現は、次のように記述される 安良の身体にもふさわしいのではなかろうか。

ふりかへると斜に傾いた鏡のおもてに、ゆらゆらとなびいて安良の姿がうつつてゐる、大理石の滑らかな膚を、日が朗らかに透いて見せた、近頃になつてむっちりと肉づいた肩のあたり、胸のやはらかなふくらみに、思ひ無げな瞳をして、ぢつと目を注いでゐた。

 湯上りに、鏡に映った自身の姿に見入る場面である。鏡が水鏡めいていること、裸体の描写に男性と特定される要素が薄いこと、膚を大理石に喩えていることなどが一見して目につく。

『「口ぶえ」試論』で持田叙子は、安良が飛鳥の古寺の「大理石の礎」を思い浮べることについて、ここで安良の膚の比喩に使われた「大理石」の一語にも言及しつつ、 メレジェコフスキーの『背教者ジウリアノ』において、「陰鬱なキリスト教世界」に対してジウリアノ(ユリアヌス)の憧れる古代ギリシア世界が大理石に代表されることから、「こうした大理石のもつ意味に、折口は知らず知らずのうちに影響されているのではないだろうか、それゆえに安良は大和飛鳥のイメージとして、実際には稀有な「大理石の礎」のイメージを思い浮べてしまうのではないであろうか」と言っている。折口の西洋的教養の拠って来るところを、このように具体的に指摘して貰えるのはまことにありがたい。しかしこの大理石とは、端的にGreekの指標ではなかろうか。

 理想化された古代ギリシアの同性愛。晴朗な空にそびえる大理石の神殿と、ヴィンケルマン的な純白の神々の像。鏡の中の安良の肉体は、その石像とナルシスティックに同一視される。ヴィクトリア朝から二十世紀初頭の英国においてヘレニズムに傾倒した文学者たちを、折口が知らなかったわけもあるまい。

 先に見た郎女の夢が、オヴィディウスやシェイクスピアの引用と、フロイトから学んだ知によって織りなされ、純粋に日本的なものなどほとんど見当らないように、ここでも彼の構築する作品は「西洋渡りの新しい文物」を「基」に成り立っている。「大理石の」は、衣の下の鎧のように、真実を覗かせているのである。

「こうした大理石のもつ意味に、折口は知らず知らずのうちに影響されているのではないだろうか」という修辞的設問は、だから到底成り立ちうるものではない。「大理石」は、古代ギリシア=男同士のエロティシズムという含意ゆえに呼び込まれたのであり、意識的なものでしかありえない。第一、飛鳥の古寺に大理石を使ったものなどまずないと、折口が知っていなかったとも思えない。知っていたからこそ、わざと出したのであろう。大理石の礎の寺がほとんどないように(一つだけあるそうだ)、金の垂れ髪の阿弥陀仏など例がないのに、「俤びと」に平気でそのような容姿を与えたのは、「知らず知らず」やったことではないだろう。

 持田氏の論文から論旨とは別に一つ教わったのは、折口が中学教師時代(『口ぶえ』発表と同時期)、自分の教え子たちを題材に短歌を詠んでおり、のちに連作「生徒」の中に組み入れて『海やまのあひだ』に収録された三首のうち、一首が
白玉をあやぶみいだき ねざめたる 春の朝けに 目のうるむ子ら
だったことだ。これは白玉を抱く夢を見てめざめた郎女であり、そのプロトタイプではないのか。

 ただし持田氏は、『口ぶえ』とヴェデキントの『春のめざめ』との関連を議論するためにのみこれらの歌を出してきており(「生徒」については、折口自身が、「『この連作はうえできんと[原文傍点]の「春のめざめ」を下に踏んでをり、』と述べている」そうだ)、この歌と『死者の書』の関連についての言及は見当らない。

『春のめざめ』は、性について無知なまま、少年少女が関係を持って、少女が妊娠し云々という、当時としては衝撃的な内容であるが、「少年少女の性欲の具体的な描写などは全く無い」「淡々とした」ものであり、それに比べると『口ぶえ』の描写は「蒸せかえるような熱気を孕んでいる」と持田氏は言い、もう一つの先行作品として谷崎潤一郎の『颱風 』を挙げて、その類似と相違を述べる。しかし、確かにこれらの作品は折口に影響を与えたであろうが、言うまでもなく最大の違いは、『口ぶえ』における欲望と憧憬[しょうけい]が同性に向けられていることだ。無知な少年少女は勿論、「初めて女体に接」して「淫蕩の血が目覚め」た男が「荒淫の限りを尽して頓死」する、 「根太や膿、血などのおぞましいもの」に満たされた『颱風』も、折口からはあまりにも遠い。

 無論持田氏は、「同じように身体感覚に注目しながらも、「口ぶえ」にはそうしたダイナミズムはない。折口は、メリヤスシャツの肌ざわり、目覚めの倦怠感、 寝汗など、少年の身体の内側に刻まれる繊細で微弱な日常のリズムを据え、そのことによって返って生々しく少年の性愛に迫るのである」と結論し、それはその通りで『口ぶえ』の特徴をよく捉えていると思うが、その「性愛」が男同士のものであることがなぜ名指されないのかが、解せない、

 勿論、主人公と岡澤や渥美との関係について持田氏は、「安良は二人の上級生に心惹かれるが、二人は対極のタイプである」「かたや肉欲、かたや精神性を強調される岡沢と渥美」「岡沢と安良の水中シーンをなそるかのように、西山の谷川で二人が泳ぐ場面がある」と、適切な指摘をしており(私もこの論考の元となった連続ツイートの途中で読み返し、多くの示唆を受けた)、『口ぶえ』がそういう話であることは、小説を読んでいない者にも容易に理解されうるのだが、最終的に持田氏は、同性愛のモチーフそのものについての考察は無しで済ませている。

 この詰めの甘さが、『死者の書』においては「大津皇子と彼のために機を織る中将姫との直線関係に」「構図が凝集」され、「最終部の大津皇子の復活に向けて鮮明な浄化感を形成しているのに比べ、「口ぶえ」の最終部は糸の切れた風船のようにたよりない。渥美と安良は蓬々と吹く夕風の中、途方にくれて見つめ合う。彼らを導くものはもはや死しかない。しかし悩みつかれ、万策つきてお互いをみつめるその蒼ざめた少年の顔の哀れこそ、この時点での折口の最も描きたいものではなかったか」という散漫な結論部に至るのを見る失望感は大きい。

 まず、郎女が機を織ったのは大津のためではないし、最終部で彼の復活を示す記述は全くない。「郎女が、筆をおいて、にこやかな笑(ヱマ)ひを、圓(マロ) く跪坐(ツイヰ)る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。まして、戸口に消える際(キハ)に、ふりかへつた姫の輝くやうな頬のうへに、細く傳ふものゝあつたのを知る者の、ある訣はなかつた」というのが『死者の書』の最後から二番目の段落である。浄化感はおろか、安良と違って郎女には、見つめ合う目すらなかったのだ。

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by kaoruSZ | 2015-09-09 19:41 | 文学 | Comments(0)