おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

もう口ぶえは吹かない 1 【見よ眠れる船を――折口信夫の『文金風流』(4-1)】

まえおき
 七月十六日以来、ツイッターを利用して『文金風流』について書いていたが、登場する照姫と、『死者の書』の郎女の類似を述べようとして、後者について通常行われている解釈があまりに真実と違うので、『死者の書』に寄り道することになった。まず、大津皇子は、郎女の夢(と人々の語り)の中にしか存在せず、超自然的な出来事など何も起こっていないことを確認して、大津の亡霊が阿弥陀仏の姿に化って供養が完成するといった、物語の捏造を退けようと努めた。また、彼女の孤独は、女に許される水準から抜きん出た知性を持ってしまったところから来ることを示し、大津に誘びかれて彼の裸身を覆う布を作る「機織る乙女」になるといった、受動的な器ないし操り人形としてこの女主人公を捉える俗説を排そうとした。しかし、大津の存在が重要であること――初めて真に『死者の書』が書きはじめられる地点に折口を到らせ、自分がその小説を書かねばならぬ真の理由を初めて覚らせた事件そのものである夢の結果が「彼[か]の人」である事に鑑み、「三十年も過ぎてから、夢に見たことが不思議でならない。それを絵解きして見よう、そう思って書き出したのが、『死者の書』になった」と折口から加藤守雄が聞いた、その三十年前の彼自身がどういうふうであったかを髣髴とさせる『口ぶえ』を読み返そうとした。 
 しかしここで私は一つ思い違いをしていた。夢を見た時折口は五十二歳、三十年では中学時代に遡り得ない。実はそのことは、年齢を確かめた時に気づいていたが、二十二歳なら大学を出て中学校教師になった時期、かつての自分の年頃の生徒に接して思い出が甦り、それが『口ぶえ』執筆を促し、またこの頃、その友人と最後に会う機会を持ったのかと解釈したのだ。

 持田叙子氏の『「口ぶえ」試論』には、教師時代の折口の、その名も「生徒」という短歌連作が引かれており、すでに述べたようにその中に、私は、夢の中で白玉を抱く郎女を思わせる、「白玉をあやぶみいだき ねざめたる 春の朝けに 目のうるむ子ら」(青春の朝に目を潤ませているのは、『口ぶえ』の安良に認められる特徴でもある)や、「くづれ仆す若きけものを なよ草の床に見いでゝ かなしかりけり」という、『口ぶえ』で安良がそれと同じ動作をする生徒と、それを「愛[かな]し」と思って見つめる「われ」という構図を発見して、自分の予見が裏づけられたと考えた。

 また、これもすでに述べたが、飛鳥の古寺の「大理石の礎」という存在しないものを安良が思うことについて、陰鬱なキリスト教世界に対し晴朗な古代ギリシアを代表するものであるからで、メレジェコフスキーから「知らず知らずのうちに」折口が影響された結果ではとの、持田氏の見解に対し、大理石とは端的に古代ギリシアと同性愛を指し、折口は当然意識的にやっているのだと指摘した。

 なぜなら、「大理石」とは他ならぬ安良自身が鏡に己が身を映すくだりで「大理石の滑らかな膚を、日が朗らかに透いて見せた、近頃になつてむっちりと肉づいた肩のあたり、胸のやはらかなふくらみ」と、あからさまにナルシスティックでホモエロティックかつ両性具有的な描写に使われている言葉だからだ。

 この「大理石の」身体が、それから三十年後に書かれる『死者の書』では、郎女が幻視する「俤びと」の、「白玉の」指や上半身、また夢の中で「白玉」と一体となって水底に沈む郎女の、「白玉の身」になっているとは、これまでにまとめた分で書きもしたが、まだ中途であって論じ終えていないことでもある。

 折口の夢から遡ること「三十年」の『口ぶえ』に、『死者の書』の起源を探ろうとしたのは間違いではなかった。見つかったのは、たんに、彼が自身の少年時代をモデルにした安良が、どのように描かれているかだけではなかった。これもまたすでに書いたが、この二つの小説の細部の関連を注意深く読むならば、体操教師の手で上着を剝がれた「如月の雪」と形容される「いたましい」安良の裸体が、『死者の書』では、「明るい光明の中に、胸・肩・頭・髮、はつきりと形を現(ゲン)じた」「白々と袒(ヌ)いだ」「いとほしい」俤びとの半身に変っているのが認められよう。また、「一すぢの糸もかけて居ない」雪の膚[ハダエ]を衆人の目に晒すという、ナルシスティックでマゾヒスティックな安良‐折口の空想の方が先にあり、それが、多くの糸(で織った布)によって、寒さを防ぐ目的で(雪やその換喩としての白さとは寒さの喩でもある)裸体を覆うという合法的な筋書へと、(無論、無意識に)変形されたのであろうこともすでに述べた。

 このようにテクストの検討自体は問題なく進んだのだが、やはり私は思い違いをしていたのだった。単純に、富岡多惠子の『釋迢空ノート』が解明した事実関係を知らなかったということだが。富岡氏が明らかにしたところによれば、三十年前即ち明治四十二年、折口は、片思いの対象だったらしい元同級生とは比較にならない、大切な人と死別している。(ついでに幾つか訂正を。件の夢を見た時点で五十二歳と思いそう書いたが、正確には昭和十三年(一九三八年、折口五十一歳)のことのようだ。大学卒業が一九一〇年、教員になるのはその翌年なので、二十二歳で教師というのもありえなかった。『口ぶえ』執筆は二十六歳の時になる。)

 三十年遡って到りつくべき時は、中学時代ではなく、その人・藤無染の死の年(一九〇九年/明治四十二年)だったのだ。初めて上京して国学院に入る際、折口は彼の部屋にいきなり同居している。これは当然以前から知り合いだったからだと富岡氏は考えるのだが、折口は自作の年譜にその名を明記しながら、関係は勿論、彼が何者なのかさえ、話さず、知らせず、書き残さなかった。加藤守雄が調べようとしたがわからず、その後誰も調査した形跡のないこの人物について、折口の伝記的事実と夥しい彼の短歌を突き合せることで、富岡氏は事実を突き止めてゆく。「『藤無染』が具体的に姿をあらわしはじめると、なんのことやらわからなかった短歌の連作が、ドラマティックに動き出すのを見る思いがすることがあった。『藤無染』というピースをはめこむと、一挙に絵柄がはっきりするジグソーパズルのような気さえしたこともあった」と富岡氏が言う過程の幾らかは、この本を読みながら追体験できよう。

 こうして見出された物語は驚くべきものである。「『情況証拠』の積み重ねによる」推量は本文ではてきるだけさし控えたという「追記」の中身を先に記すなら、折口は中学二年、十三歳のとき初めて一人旅を許されて大和廻りをした時、現在のJR奈良線桜井駅で、二十二歳の僧侶・無染に出会ったのではないかと富岡氏は「推量する」。「一泊の大和旅行から帰ってすぐ、京都西山・善峯寺に滞在する無染からの誘いの書状にこたえて善峯寺に行った、とも推量する」

 京都西山――『口ぶえ』の読者ならすぐおわかりになるろう。初めての泊りがけの一人旅を終え、安良が帰宅してから二日後、上級生の渥美から手紙が届く。その中身を読むや、安良は母や同居の叔母に嘘をついて、渥美の滞在する西山・善峯寺へ赴く。実際には、旅先で知り合った男から折口が呼び出されたのを、小説ではそのように変形したと、富岡氏は「推量」しているのだ。

 相手を藤無染と同定しない「本文」での「推量」は、さらに大胆でさえある。というのも、『口ぶえ』が大胆なテクストであるからだ。一人旅の安良は、「灯ともし頃になつて疲れきつたからだを、ある停車場のべんちによせかけてゐた。(…)突然、彼の脇に歩みよつた若者がある。/『君は大阪ですか』/『ええ』」

 大阪のどこか、中学はどこかまでを聞き出して、一高生の柳田と名乗る相手は、渥美というのは自分の従弟だと言って、安良を駅から連れ出し、堤に座って話をする。十三歳の折口は、こうやって桜井駅で「若者」に声をかけられたのではないかと、富岡氏は言うのだ。

安良が帰宅するとすぐに受け取る、「京・西山にて」と書かれた手紙は、じつはこの「若者」からだったのではないか。
(中略)
安良が、このひとり旅から帰ってすぐ、手紙の呼び出しに応じ、アリバイを作りに父の実家へいくことさえして、「むにむさんに山をめあてに」善峯寺へ向ったのは、旅での忘れられぬ思い出を残した「若者」が寺に待っているからではなかったのか。


“夢の仕事”が辿られるのを見るような鮮やかな分析だ。

 また、富岡氏は、『口ぶえ』の次のような細部に注目している。「若者」に“偶然”出会う前、安良は、蜜柑畑の中の野番小屋に近づいていた

つきあげ戸から覗きこんだ彼は、そこにあさましいものを見て、思はず二足三足後じさりした。小屋のなかゝらは、はたちあまりのがつちりした男が、愚鈍なおもゝちに、みだらなゑみをたゝへて、驚いたといふ風に戸にいざり出て、こちらを見つめてゐた。

安良はをりをりあとをふりかへつた。さうして蹲つて、耳をそばだてた。深い檜林には、人音も聞えなかつた。目を閉じると、淡紅色の蛇が、山番の裸体の肩や太股に絡みついてゐるのが、まざまざと目にうつゝた。

 駅での若者との出会いを経て安良は帰宅するが、一人旅ではなく、斉藤と言う同級生と一緒だと嘘をついていたので、留守の間にそれが露見したふうはなく、母や叔母が「何も知らぬ容子に胸を撫でる」。そのあとの叙述――

その夜は大きな蚊帳のなかに、唯一人まじまじとしてゐた。露原にわだかまる淡紅色の蛇が、まのあたりにとけたりほぐれたりして、ゆらゆらと輝いて見える。(中略)夜なべに豆をひく隣の豆腐屋の臼の音が聞える。あたまから蒲団をかづいて、その下で目を固く閉ぢた。蒸れかへるやうななかで、自身の二の腕を強く吸うて、そのまゝ凝つて行く人のやうにぢつとしてゐた。しかし、そのうち汗や湿気に漂うて、彼は昏々と深い眠りにおちた。

 なるほど、そう言われて見ると、「若者」との場面で“検閲” されたものが、前後に滲み出てきたかのようだ。若者との会話自体は、勉強も大事だが運動をよくしろと渥美に言ってくれなどと、ほとんど夢の中の会話のように意味がなく、従兄という名で渥美の分身が現れたようでもあるのだが、富岡氏の言うとおりであれば、そもそも若者の方がオリジナルで、渥美はそこから派生したのか?

 富岡氏は、「渥美を、中学同級のアコガレびととしているのは、「おとり」で、渥美と若者は同一人物だとすれば、すべてツジツマが合ってくる」と書く。(なんでも「加藤守雄も中村浩も」「『小説』にまんまとだまされて」、渥美を、折口の夢に現れた中学時代の同級生・辰馬桂二と、ほとんど同定しているのだという。)

 先に引用した、駅で出会った「若者」とのエピソードの前後に置かれた二つのくだりについて、富岡氏は言う。

これはあきらかに、この大和へのひとり旅で、安良少年がはじめてのなんらかの性的体験をしていることを示しており、この体験は、渥美とは無関係で、むしろ突然あらわれた、渥美の従兄だという「若者」との出会いがそこにかかわっている気配がある。
 
 また、

『淡紅色の蛇』のからみ合い、という幻視はあまりにもわかりやすい性的な象徴だが、『自身の二の腕を強く吸う』というのは体験の回想、或いは反復のように思える。そしてこれは、現実の体験が小説に『使われている』のではないか。

 エクリチュール以前の現実の探求に関して、富岡氏の「推量」は感嘆すべきものであり、私は全面的に信用する気でいる。ここで引いた解釈も、面白いと思うし、基本的に反対することはない。ただし、短歌が対象の場合であれば、折口の歌はほとんど日記のように折口の人生と重なって見えたから問題がなかったが、小説になるとそうではない。

『口ぶえ』もまた短歌と同様、ある時期の折口の人生を模した「物語」であるかに見える。だが、これは、あくまで「見える」だけであり、この類似は作品にとっては偶然に過ぎない(本当は短歌も同じだが)。作品は「現実」とは別の構造を持つのであり、折口の歌の場合、そのずれが相対的に目立たないだけだ。

 たとえば先程の「自身の二の腕を強く吸う」というのが「体験の回想、或いは反復」であり、「現実の体験が小説に『使われている』」のだろうという話でも、「現実の体験」は作品の中に置かれる時、その意味はあくまでも、それまで書かれた言葉との関係の中にしかない。だから「自身の二の腕を強く吸う」とは、まず何よりも、その前に読まれる「淡紅色の蛇が、山番の裸体の肩や太股に絡みついてゐる」の、「回想、或いは反復」であろう。「わだかまる淡紅色の蛇が、まのあたりにとけたりほぐれたりして、ゆらゆらと輝いて見える」という幻視ではおさまらず、安良はそれを、自分の身体で表現‐再現しているのだ。

 また、「『淡紅色の蛇』のからみ合い、という幻視はあまりにもわかりやすい性的な象徴」と富岡氏が言うイメージにしても(闇の中に見る蛇は一匹の様に思えるが)、蜜柑畑の小屋を覗いた安良が何を見たのかは必ずしも明らかではない。彼を「思はず二足三足後じさり」させた「あさましいもの」とは何なのか。

「愚鈍なおもゝちに、みだらなゑみをたゝへて、驚いたといふ風に戸にいざり出て」こちらを見ている「がつちりした若い男」が、彼の拒否する(実は惹かれてもいる)上級生・岡沢の同類なのはすぐ分るが、いざり出てこちらを見つめる足萎えめいた男から、いったいなぜ「をりをりあとをふりかへ」りつつ、安良は必死に逃げるのか。

「淡紅色の蛇が、山番の裸体の肩や太股に絡みついてゐる」とは、雷神たちがその上に蹲る、黄泉のイザナミをも連想させる姿だ。『死者の書』はオルフェとしての折口が三十年後に敢行した地獄下りであろうが、この森番は、墓で目覚める「彼[か]の人」を遥かに予告するようにも見える。無論大津は「つた つた つた」と足音をさせて忍び寄るがそれは郎女の夢の中でのこと、昼の光に晒されれば、正体はこれと変らぬ(あるいはそれ以上の)「あさましさ」なのではないか。それは安良あるいは折口が旅で知り合った「若者」の反面でもあり(でなければ安良は床の中で、あのように熱心に闇の中で出会いを反芻しはしないだろう)、郎女の「俤びと」と死霊の解消不可能な分裂の起源でもある。とはいえその出会いは本当にあったのか。折口にとってはあったとしても、安良にとってはそうでないとも、あるいは夢の中でしか起らなかったとも言えるかもしれない。まるで夢の中の出来事のように、テクストの表面から消去されたのは正しかったのかもしれない。

 なぜなら、自分の腕を吸って眠りに落ちる安良のナルシシズムとオートエロティシズムは、他の男に向ける眼差しに先立って、またそれ以上に『口ぶえ』を特徴づけるものであり、自分の外に自分のなりたい理想の近江を創造した三島と違い、折口は、現実の自分より美しい、鏡を見て自足する少年として安良を創造したのだから。

別セリーで書いたが、https://twitter.com/kaoruSZ/status/644923237621587973 富岡氏のやっているのは「作家の人生を理解するために作品を役立てること」であって、短歌の場合はそれがうまく行っていたのだった。折口が意図的に隠したものを補うことで、もとの連関に戻してやり、文脈が通るケースだったからだ。それが作品の構造を見つけることだったからだ。だが、『口ぶえ』や『死者の書』は、「現実にあったこと」をそこから見つけるための資料として読んでいたのでは、何も理解できないたぐいの書き物だ。そして作品を理解することなしに作家の人生を理解することなどありえない。

 長い年月、誰もそんなことができるとは思いもしなかった調査をした富岡氏のお陰で、今では私たちは折口が出会いから九年後に無染の死に遭い(上京して同居した翌年、無染は結婚、その翌年長女誕生、さらに翌年妻は結核で死亡、翌年無染自身も結核で死去)、『口ぶえ』はその四年後に二十六歳の青年によって書かれた、輝かしい青春の形見であることを知っている。四半世紀後、夢に見た「古い故人の罪障消滅と供養」のために折口は小説を書いた。何が供養になるのか、罪障とは何に対しての罪なのか。はっきりしているのは、供養と称しながら故人を骨の化け物として甦らせるのが小説を書くことだということだ。

2 http://kaorusz.exblog.jp/24969092/ へ

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by kaoruSZ | 2015-10-07 04:46 | 文学 | Comments(0)