おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

もう口ぶえは吹かない 4 【見よ眠れる船を――折口信夫の『文金風流』(4-4)】

月光とナルシス
 寺に着き、うたたねからさめて渥美を見出した時は、まだ、そうではないように思えたのだが。

「よう出られまひたな」
「えゝ」
「手紙はつきまひたか」
「えゝ、ありがと」
渥美のことばゝ、いつものとほりにしか彼の耳には聞えなかつた。やすらかにこだはりのない口ぶりが、彼の予期とは非常にちがつてゐた。
それに自身はどうだらう、こんなにどぎまぎして、と思ふと顔もあげられない。伏目になつて青畳を見つめてゐる。


 ここに来てほしいと、恋文のような(とは決して言われないのだが)手紙をよこしておきながら、まるでそうではないような、顔と、言葉つきを渥美はしている。寺の住職は叔父にあたり、「わては 時々こゝへ来て、坊主んでもなつて見ようか知らん思ふのだす」というのを聞いて安良は思う。

これがあゝした手紙を書いた人だらうか、何やらだまされたやうな気もちになつて来る。あれを見て、天へものぼる心地で、叔母や母によい加減ないひまひをしてやつて来たかるはずみが見すかされたやうに感じた。

 そして「安良は渥美ばかりにものをいはせておいて、自身はたゞ頷いて見せたり、「えゝ」といつて見たりするだけ」なのだから「来ていたゞいて自身の思うてゐることの万分の一もいへない」などということは渥美の方には全くなくて、「わたしはあなたとおはなしをしてゐるとなんだかかうわくわくしておちついた気になれない」のは無論、安良の方であり、「渥美のことばが、こちらの胸に、一々深く滲み透つてゐる、といふことを知らせたい思ひで一ぱいにな」るばかりなのだ。

 しかしその渥美のことばの内容は、「どうしてこの人はこんなことまで考へてゐるのだらう」と言われるばかりで、具体的な内容は示されず、このあと住職が部屋を訪れて暫く話をする一場を経て、並べた床の中で渥美が次のように言い出すのはいかにも唐突に聞える。

みんな大人の人が死なれん死なれんいひますけれど、わては死ぬくらゐなことはなんでもないこつちや思ひます。死ぬことはどうもないけど、一人でえゝ、だれぞ知つてゝくれて、いつまでも可愛相やおもてゝくれとる人が一人でもあつたら、今でもその人の前で死ぬ思ひますがな、そやないとなんぼなんでも淋しいてな。

 しかし安良はそうは取らない。

 渥美のことばは、彼の心に強い力となつておつかぶさつて来た。彼は唇までのぼつて来たことばをあやふく喰ひとめた。

 ここでは安良の方が、渥美の心を、いわば透視している。渥美がそこで言いやんだのを、「かういつて暫くことばをきつた。それは安良の答を待つてゐるのだ」と思い、「『わたしも死ぬ』唯それだけの答を聴かうとしてゐるやうに、安良には直感せられた」のは、だが、彼らの心が通じ合っているからではないのは言うまでもなかろう。

「わたしも死ぬ」という言葉は発せられない。

けれども、もしもといふ疑念が恐しい力で舌のうへにのしかゝつて、彼に口を開かせなかつた。唇は激しい痙攣にうちわなゝいた。

 もしも、何だろう。もしもそれが渥美の求める言葉であると思ったのか間違いだったら、もしも渥美がそれを望んでいなかったら、もしもこの申し出を拒まれたら、だろう。

しめ残した雨戸から、月が青くさしこんで、障子を照らしてゐる。(…)ざあざあといふ音に、雨かしらと聴き耳を立てると、それは遥かな渓川の音であつた。

 長谷寺で白い影を幻視した時、河原で渥美のことを柳田と話した時にも照っていた月であり、渓川は翌日、渥美と行くことになる場所だ。

渥美はかすかに糸を揺るやうな鼾を立てゝ寝てゐる。寝がへりをうつと、そこに月あかりをうけた額が白々と見える。

 富岡氏が、折口が中学を出て国学院に入った、つまり藤無染の下宿の部屋に同居するようになった年に作った旅の歌として引いている中に、私はこの一節のもとになったとおぼしき二首を見つけた。

寝かへりの額ほの白き旅の君枕屏風はなかなかにうし

ひぢゞかに鼾く君かなしかすがにほゝゑむ片頬[ほ]にくからぬかは


 これは渥美が無染だということではない。たんに無染も素材の一つだったということであり、すでに作品化されているなら、なおさら使うには勝手がよかったということだ。

 月あかりをうけた額が白々と見えたあとは一行アケて、

河内の国も、ずつと北によつて父方の親類が三軒まであつた。父のさとゝ、父の二人の妹のかたづいた 家といつた風の縁つゞきで、どれにも伯父や叔母がをつた。五人の男兄弟のかしらに、唯一人の女であつた彼の姉は、父のさとへ嫁入つてゐる。

と、安良自身は覚えがないと言っていた寺までの経緯が語りによって辿られるのだが、こうした血縁は細部まで折口のそれと同じものだ。姉一人の下は二人の兄に双子の弟という、兄弟の構成も一致する。たぶんもう一人が兄がいたが、夭折したところまで同じなのだろう。だが、言うまでもなく、これはフィクションだ。現実とそっくりのフィクションであり、あまりにそっくりなので見分けがつかないだけである。 

 兄も弟たちも、『口ぶえ』に登場することはなく、母と叔母たちからなる家族で兄たちが遊学中の今、安良が「一人まへの男」としての扱いをうけていることを述べる際に言及されているだけだが、「父のさと」だけは、先に祖父のさとの大和へ一泊旅行に行った安良が、帰ってすぐまた出かける口実として使われる(しかしなぜここまで口実が必要なのか。現実の折口十三歳の時は、初めから一人旅を「許されて」いるのに)。

 富岡氏は、安良が柳田に中学校の「三年」と答えていることを記したあとで、安良は「『父が三年まへに、心臓麻痺で亡くなつて』祖父のさとが飛鳥の古い神社だときかされて、そこを訪ねたくなったとしている。現実では、父の死は、迢空十五歳、中学校四年生の時である。自伝的小説といっても、小説というのは現実の中の、小説のために「使える」ところを使って書かれるのはいうまでもない」と書いていて、私はこの文章の繋がりが俄かには理解できなかった。要するに氏は、小説はそれよりも上位の現実から「使える」部分をつまみ取り、必要があれば変形してフィクション中に書き込むものだと考えている訳で、氏の書き方だと、“大和旅行時に父親存命の「現実」”は、折口には「使えない」ので、変形したということになる(ちなみに、先に述べた、藤無染との体験を素材として『口ぶえ』に「使う」というのは、夢が材料を選ばないように、根拠のないよせあつめとして小説が構成されるという話であり、富岡氏が言っているのとは異なる)。

 父在世では、なぜ、「使えない」のか。伝記的細部を、一見不要と思われる処まで忠実に再現しているこの小説で、そんなにも大きな変更があるのは重要と思うが、どうも富岡氏は、父の死が、祖父のさとへの関心を安良に目覚めさせた程度にしか考えていないようだ。

 勿論、折口が現実の父にまつわるもろもろを捨て去ってこの設定を選んだ理由を、富岡氏が知らぬ訳はない。折口の場合、彼自身の出生の秘密には踏み込まずとも、 双子の弟に関することだけで、事実の奇なること通常の小説の域を越える。自分よりも悩み少ない少年として折口は安良を設定したのだが、小説の結構としての父の不在は、その程度の理由によるのではない。安良の亡父は、幼い彼を俳句に親しませ、文学の手ほどきをした人である。岡沢の恋文に安良は人を食った俳句で応えるが、文学が分らないので理解できなかったと岡沢は言う。安良の求める男に文学は必須であり、失われた父を求めるとは理想の男を追うことに重なるのだ。

 富岡氏の本に詳しいが、折口の父は、北河内の裕福な名主の家から、折口家の入り婿になった。「だが、祖母などでの話では(…)家に来て十五、六年間と言ふもの、結婚前から持ち越した遊蕩生活を、毫も緩めなかつた」と折口自身が書いている。安良の父にはそのようなことは全くない。「父は朱子や王陽明などといふむつかしい名の支那人の書いた書物をたくさん蓄へてゐる学者」で、「安良が幼稚園から小学校へ進んだ頃、毎朝ほの暗いうちから寝床の中で目をあいてゐると、きつと安良、安良、と呼ぶ。ちよこちよこと二間ほど隔つてゐる父の寝床へはしつて行つた。彼を蒲団のなかに抱き入れて、古池やの、かれ枝にのと、口うつしに暗誦させた」という。

 折口の父が教養人でなかった筈はなく、あるいは本当に俳句を教わったことがあったかもしれないが、はっきり父の特徴を写したと分るのは、「田舎のたかもちの大百姓から出て、人にあたまをさげることを知らなかつた」安良の父の「気むつかしさ」だ。折口の父の、遊蕩は止んでも「ものごゝろついた時分は、唯むやみに気むづかしい父の表情が、私どもの前に、人をよせつけぬ壁の様に峙つて見えた」という、その気むつかしさだけが安良の父にも移されて、「しちめんどうな親類づきあひに、心を悩ますのを嫌つた」ため、「祖父のさととは音信不通になつてしまつてゐた」となっているが、このあたりも多分事実に基づいていよう。祖父も入り婿で、大和と河内に別々に実家がある訳だが、安良にとっては、「祖父も、父も、歌や詩を作り、古典にも多少の造詣は持つてゐたので(…)安良も、いつの間にか飛鳥や奈良の昔話に、胸をどらすやうになつてゐた」と、一つに括られる人たちなのである。

 奈良の神職の家に生まれて医師だった祖父は「死んで二十年にもなつてゐるけれど、土地[トコロ]では今でもなんかのはずみにはその名がひきあひに出て、春の海のやうな性情や、情深かつた幾多の逸話が語られた」というのだから、まさしく父の「気むつかしさ」とは反対で、「じやうひんで脆い心もちが慕はし」い(「岡沢には、これが欠けてゐるやうに思はれた」)安良の理想にかなう。その、とうにいない死者の国に旅をするのが大和行きだったのだ。それは、布団の中で父が俳句を教えてくれた「そのようなその頃からして、彼のあどけない心のうへに、うすら明るい知らぬ国の影がうつつてゐた」と言われる国、「近ごろになつて彼の前にまざまざと隠れなく見え出した、西行や芭蕉などいふ人の住んでゐた世界」、「白じろと彼の前につゞいてゐる」「西行や芭蕉のあゆんだ道」に通じるものだ。そして「安良がその道へ行かうとすると、どこからともなく」「ちよろちよろと這ひ出して来て、行くてを遮つた]「淡紅[トキ]色の蛇」とは相反するものだ(少なくとも安良はそう思っている)。

 この文章を書き出したとき、私はまだ『口ぶえ』を再読していなくて、渥美と岡沢は単純に対立するように、漠然と記憶していた。しかし、読み返してみたところ、安良ははっきりと岡沢に性的に惹かれているのだった。それだから「美しいものと思ひつめてゐた心の奥に、これまで知らずにゐた、さういう汚いをりがこびりついてゐるのだと思ふと、あたまがかきみだいたやうに、くらくらとして来る」のだし、「この頃では思ふことなすこと、すべて岡沢に根ざしてゐるやうに見えた。それがまた彼には憎むべきものに思はれ」るのだ。

一番風呂にはいった安良が、「小一時間も風呂にひたつて、軟らかな湯に膚を弄ばせながら、身うごきもせないでゐる」うちに、思いが岡沢の上にそれて、そう「思はれ」だのだが、叔母に「安さん、まあどうしてなはんねん。溶けてなはれへんか」と座敷から声をかけられて「罪ある考を咎められたやうに、ぎよつと」するのも当然なのである。

 このあと急いで二階へ上がった安良が、鏡におのが姿を映すくだりは、すでに「見よ眠れる船を」(2) でも扱ったが、少し長いけれどその時引用しなかった部分を引く(これでも全部ではない)。

鏡を伏せ加減にして、片脚をまつすぐに立てゝ、今[マウ]片方の脚を、内へ折り曲げるやうな姿勢をつくつて見る。豊かな腹のたわみが、幾条の緊張した曲線を畳んで、ふくら脛のあたりへ流れる。後向きになつて、肩ごしに後姿を見ようとして、さまざまにしなを凝して見る。その度毎に、色々な筋肉の、皮膚のなかを透いて見えて、いひしらぬ快い感覚に、ほれぼれとなつてゐた。

 安良のナルシスぶりは明白だが、再読して物語の中に置いた時、これはたんに自己を見つめるというより、岡沢に愛されている自分を見ているのだと気がついた。やはり持田氏が似ていると言う谷崎の『颱風』とは、同じ、男が鏡を眺めるのでも、大分違う。谷崎の場合、鏡の中の自分を見るのは、性的対象としての女に対する男としての、自信に満ちた主人公の眼差しであろう。 

 安良の机の脇に据えられた鏡は、「伏せ加減に」するのでも分るように鏡台(「叔母の大きな鏡台」)で、

家職にとりまぎれ、身じまひにかゝつてゐることの出来なかつた女の人たちは、鏡をさへも二階へ抛りあげたまゝにしてゐた。それでも時をりは、買い出しに出かけるのだというて、母などが、鳥の巣のやうになつた髪を片手につかんで、上つて来た。

 それに今は男の安良がじっくり身を映しているのである。
[PR]
by kaoruSZ | 2015-10-14 18:35 | 批評 | Comments(0)