おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

私は18センチ、七文半、黄色い月星の運動靴を買った。

 I have a 75 watt, glare free, long life
 Harmony House light bulb in my toilet.

 これはリチャード・ブローティガンの六行からなる詩の最初の二行で、高橋源一郎が次のように訳しているそうだ。

 さて
 便所についているのは
 75ワット、眩しく輝き、長持ちするハーモニイハウス社の電球である

 最初の「さて」はなんなんだ、という疑問はともかく、Harmony Houseが電球製造元の名前だなんて私は知らなかったから、突然見せられたら絶対誤訳したな、パッケージにロングライフ牛乳と書いてあるのがたまにあるけど(私は絶対飲まない)、あれは和製英語ではなかったんだな、glare freeが「眩しく輝き」なのは、まだバリアフリーだのジェンダーフリーだのが有名じゃなかった頃(1991年刊)なので間違っちゃったんだな、などとぼんやり思う。
 しかし、アーサー・ビナードによれば(名詞のあとにfreeがつく用例についてのていねいな説明を見ると、「ジェンダーフリー」は仮に和製英語だったとしてもなかなかいい線行ってるじゃないと思うが、それはまた別の話)、「glare(眩しさ)を取り除いた『艶消し』」を指すglare freeを、「眩しく輝き」とやってしまったことが問題のすべてなのではない。

製造元のハーモニー・ハウス社は、眩しくないように加工して、そのソフトな光をセールスポイントにしている。いや、ホントのことをいうと、“75 watt, glare free, long life / Harmony House”のくだりは全部、トイレの裸電球に印刷されてあった言葉そっくりそのままだ。ブローティガンはそれを引っぱってきて、詩に使った。
                    『日本語ぽこりぽこり』(小学館)43ページ


 これはわからない! いや、私にはわからなくても、Harmony House製品を日常的に使っている人なら当然わかるわけだが(私たちがナショナルの電球、といっても、国営企業だとは思わないように)。同じように広告丸うつしであることが、『マルドロールの歌』について実証的に研究が進んでいることは前に書いた。また、入澤康夫的な作品の場合なら、「ハーモニー・ハウスの電球に書かれている文字」と、自註をつけて誇示してしまうところだ。

 さらに面白い——いや、困った——ことに、この原文と訳文は、中学の英語教科書に並んで載っていたのだそうだ。次のような指示つきで。

身の回りの人やものをよく見つめ、英語で表現してみましょう。上の英語の詩や、その日本語訳を参考にしましょう。

 こう言われて、身のまわりのなんやかやを「英語で表現」した中学生が大勢いたんだろうなあ(面倒だから、あるいは意味がないからという理由で、そんな指示は無視した英語教師も)と私は思い、それから、昔、日本語で同じことをしようとして挫折した、六つになったばかりの子供のことを思い出した。いや、ブローティガンの詩の文句が、「ハーモニー・ハウス社の電球に書かれている文字」だと知ったときから思い出していた。
 小学校入学を機会に子供は、分厚い博文館日記に父親が万年筆で書いている日記といふものを、かれもしてみんとて真新しいノートのページに、入学祝いに祖母から送られてきた手回し鉛筆削りで尖らせた鉛筆で、小学校ではくための靴をその日買ってもらったことを書こうとしたが、たちまち困難にぶつかった。

 きょう、くつやのおじさんのみせで、くつをかってもらいました、と子供は書いた。だが、それだけではまだ十分でない。それはいったいどんな靴か? 一足の靴を紙の上に写/移すためには何が必要で、そのとき失われるものは何なのか。その子は靴の種類(うんどうぐつ)と色を書いた。それから、靴の内側を見て、そこに記されたメーカーの名前(月星)と、寸法をあらわす数字をそのまま書き取った(それらは文字であり、したがって紙の上にうつすのに何の問題もないものだったから)。さらに、どこにも書かれてはいなかったけれど、靴屋のおじさん(すぐそばに住んでいた伯母の夫で、だから実際に伯父でもあった)が口にしていた「もんすう」も書いた(当時はメートル法に移行して間がなかったので、大人たちは日常的に尺貫法を使っていたのだ)。

 それだけだろうか? もうこれ以上書くことはないのだろうか? その靴について何もかも記録しておくために、長い年月ののちもそのことを完全に思い出すために。子供は気づきはじめていた。そうした目的のためのものとして、今、紙の上に書きつけている言葉はあまりにも不完全であることを。
 
 翌日は上野の松坂屋に母と行き、文房具を購入した。まとめていろいろ買ったので、小さなボールを店員がおまけに渡してくれた。だが、帰宅して「みせの人がおまけにボールをくれました」と書こうとしたとき、子供は書き進められなくなった。「おまけに」という言葉は、副詞として(と今では説明できるやり方で)も働く。そう読み取られる可能性を排除したかった。だが、悲しいかなその技術がないのだ。「おまけとして」と書けばよいという知識すらもまだなかった。
 未来の読者(誰?)に書かれたものの意味を誤解されるのを恐れ、はじめての日記は二日で挫折した。

 その年の夏休みには、子供は制度的な絵日記を巧みに制作しているから、それまでのあいだに適当に書くということを学んだのだろう。いや、学校に入る前から子供は祖母に、たくさんの手紙を送っている。だから、相手がある場合の書き方ならわかっていたのだ。それが、あてのない無償の書きものになろうとしたとき、加減がわからなくなった。理論的には描写は無限に可能である(ロブ=グリエによるトマトの切り口や、『ボヴァリー夫人』のシャルルの帽子の描写を見よ)。だが、さすがにそのことに気づくほど天才ではなかったから、いい加減(ほどよい加減ということだ)で描写を止めることができた。数年後には「非常に優れた作文を書く」と通信簿で評されることになる技術を、子供は身に付けはじめていた。

 ブローティガンの詩の残りを読みたいと私は思った。なんとも便利、かつ恐しいことに、原文も訳文もウェブでたちまち手に入った。全文を引用する。


友なる電球

 さて
 便所についているのは
 75ワット、眩しく輝き、長持ちするハーモニイハウス社の電球である
 このアパートには二年以上住んでいるが、いまだに光りつづけているのだ
 もしかしたら
 ぼくのことを好きなのかな

 §

Affectionate Light Bulb

 I have a 75 watt, glare free, long life
 Harmony House light bulb in my toilet.
 I have been living in the same apartment
 for over two years now
 and that bulb just keeps burning away.
 I believe that it is fond of me.
                         
 後者から読みとれる(気がする)、自分の所有物——といっても、大量生産品の安電球一つだが——それがやさしい光とともに「私」に向けつづけるおだやかな好意。それに較べて、これだけの短い文でありながら、源一郎訳の「ぼく」からは、傲慢な、思い込みの強い、鼻もちならない男性像が浮かんでくる(たぶん「である」とか、「のだ」とか、あるいは「さて」といったもったいぶり方のせいで)。そう思うのは私だけだろうか?(「私だけだろうか」なんて、すごい紋切型を使ってしまった。たぶん、はじめてだろう。)
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by kaoruSZ | 2005-05-03 17:45 | 日々 | Comments(5)
Commented by jj at 2005-05-03 18:41 x
英語が出てるとつい首をつっこんじゃいます。おっしゃる通りかと。実際蛍光灯が使えるようにしてあるアパートは今も少数派だから、上の文句は普段日常に目に付くもの。(電球は蛍光灯と違って、予告殆どなしにいきなり切れるから、常に予備を用意してたりして。)それに、付け加えれば、「I believe」と得意げに言い切ってるのがかわいいのに、そこはかえって「好きなのかな」なんて柔らかくしちゃってる。
Commented by kaoruSZ at 2005-05-03 19:08
ようこそ、JJさん。「I believe」って断言は「得意げ」でいいんですね(英語のニュアンスいまいち自信なく)。「ぼく」の方は、「好きなのかな」って妄想的に思い込み、女に嫌がられそうな感じです。しかしこれ、中学生にわかるのかな。
Commented by jj at 2005-05-03 21:14 x
確かに。(と、寝るタイミングを失って朝の五時に書いておりますが。)調子に乗って付け加えれば、蛍光灯の光は ugly で、部屋を複数の電球で照らすのが好きな西洋人が、柔らかく光り続けている電球についての詩を書くのは自然の事なのかな、とも思います。バンバン蛍光灯で明るくした部屋が好きな私の想像ですが。
Commented by htanaka at 2007-01-14 14:35 x
「日本語ぽこりぽこり」を読んでこの詩をGoogle検索したところこちらのブログに参りました。おっしゃるとおり、高橋源一郎氏の訳は「傲慢な感じ」がします。
最後の一文は「きっと僕のことが好きなんだろうな」位の訳文がいいと思いました。駄文失礼いたしました。
Commented by kaoruSZ at 2007-01-16 15:44
htanakaさん、コメントありがとうございます。私自身はあえて訳し直す元気がありませんでしたが、そういう感じでしょうね。一般に日本語で何かをそっけなく述べるのは難しいんだと思います。
コメント頂いて上記の文を読み直す機会ができた結果、関係のあるようなないようなことを最新の日記に書きました。