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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

ゴッホ展へ(上)

 けさ、地下鉄を出ると夏の光。青空を白い雲が流れる。

 17日(火)、久方ぶりに平日の休みを取り、竹橋の近代美術館へ招待券でゴッホ展見に行く。(西洋美術館のときも同じようなことを書いているが)内部の変わりように驚く。もっと天井が高くて吹抜になった広々とした空間だったと思うのだが。ベルギー象徴派展(今、同じ名前でBunkamuraでやっているが、このときはクノップフの「愛撫」がポスターになったので、駅のホームでも電車の中でも人面のチータが見られた)に来たのが最後だったのだろうか。中央に「霊感の泉」という大きな絵が展示されていて、そばに立つと本当に気持ちよかったものだが。あれ以来だとすれば、二十年以上足を運ばなかったことになる。(あとで調べたら、数年前、二年半も休館して改装したらしい。)

 十時開館で、十五分前に着く。地下鉄からの道、通勤とは全く見えない既リタイア年齢の群れが続いていたのだが、それがみんな(やはり!)一点を目指す。当日券売場には行列(すでに群れ、人だかり)。券を持っている人はどんどん中へ入れている。Iさんが九時四十五分発の、東京駅からの無料バス第一便に乗ってくるので中へは入らず(会えなくなりそうだし、この人数では、並んだところで大勢に影響なさそう)、ゴッホ展特別仕様のバスの黄色をめあてに外で待つ。○時間待ちの札がすでに用意されている。ついにバス来る。降りてくる人もほんとに若くない(若いのはIさんくらい)。発着所には、出発までにバス三台(一台あたり定員四十人)でも運び切れない列ができていたとか。前日ウェブでバスも行列だったという記事を読み、こっちからメールで知らせてはいたが、そこまですごいとは。Iさんは早く着いたので二番だったそう。

 いい展覧会なのに人が多過ぎ。みんな、そんなにゴッホが好きか? (私は好きだ。)出口近くで「これだけ?」と言っている人たち二組に遭遇。「これで終りなの?」なにが不満なんだか。「私たち、糸杉見そこなったのかしら」すぐそばにかかってるんだけどね。人の頭で見えないからしょうがないけど。私は糸杉の絵の一つ手前の、療養所の庭の絵が好き(療養所と訳してあったが、原題——じゃなかった、英語タイトル——のasylumってむしろ精神病院の意か。ゴッホが自主的に入ったところ)。

 広重描ク赤い花の錦絵なども見られてよかった。ただしその奥の、浮世絵風のゴッホ作品のあたり、袋小路的な会場の構造もあって人が溜まっており、私は入り込むのをあきらめた。一歩会場から出ると、売られているゴッホ・グッズの多種多様さに一驚。最近の展覧会では見馴れた風景だし、キッチュながらくた、まあ面白いといえば面白いけど。「ベルギー象徴派展」のときは特大の「愛撫」ポスターを買ったっけ(「愛撫」Tシャツなど当時はもちろんない)。本物よりずっと大きく、チータの尻尾は途中まで。当時、親元を離れて暮らしはじめたばかりで、ポスターを貼れる壁があるのが嬉しかったのだ(砂壁にそんなポスターは貼れないし、第一似合わない。実家——現在戻って住んでいるわけだが——はトイレまで雨戸があり、日除けはすだれだから、カーテンというものにも憧れた)。

 やはりそのとき買った小さなポスター「私は私自身に扉を閉ざす」(これもクノップフ)は、部屋のドアに貼った(テーブルに肘をついた——それとも棺の上だったか——長い髪の女性。Hとイメージの重なる肖像)。これはまた別の話だけれど、最近、一般人(じゃなくて、無知な人々と言えばいいと思うが)に誤解される病名を変えようという動きの中に、「自閉症」という名称もあるという。自らの意思で閉ざしていると思われたり、育て方のせいだと誤解されたりすると。「自閉症」という病気の場合については、これは基本的に正しい議論なのだろう。それとは離れて言うのだけれど、一般的に、「自ら閉ざす」のはそんなにいけないのか? 閉ざしていたら悪いのか? ゲイになりたくてなっているわけではないという言説とも通じてこれは気に入らない。クノップフのあの閉じ方、人間嫌いぶりは好ましい。

 とはいえ、あれらのポスター(今は戸田で、どこかに巻いて置いてある)を買った頃のような吸引力は私に対してはもうないので、今回のはどっちてもいいような気がしていた。しかし、これを書くうち、Bunkamura(以前にもクノップフ展があって、マルグリットが、兄が描くほどの透明な美人じゃないことを知った。しかし、この名称——美術館の、である、はじめっから嫌い——なんとかならないか。弟が結婚して間もなく、外国人である奥さんと何かの展覧会を見てきて、奥さんが(当時は新しかった)Bunkamura行ってきたの、Bunkamura、とあたりまえの日本語のように連発するので、変な名前なのよ、ブンカムラ、と応えたもの。あれから十年以上変な名前でやってきたことになる)で今やっているのを見たい気もしてきた。
by kaoruSZ | 2005-05-19 09:41 | 日々 | Comments(0)