おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

降ればどしゃぶり

 7月9日(土)、新文芸坐での日替り成瀬巳喜男特集はじまり、『女の座』と『乱れ雲』最終回で見て、『女の座』にすっかり引き込まれる。戻ってデニーズで夕飯 、TSUTAYAで本。雨風ひどく、停めてある自転車をなぎ倒し、アーケードをガクガク揺り動かし、傘を持って行かれそうな台風並みの勢い。あくる朝初回で『めし』『浮雲』を、それに引きつづき蓮實、山根対談見ようと決めて、念のため目覚ましセットする。二時間前に目が覚めたが、うとうとしてベルで起きる。前日、冷房の風が半身に当たって気持ち悪かったので麻のストールを用意、うってかわった晴天に帽子かぶって出る。9時55分はじまりだが、電車を降りて昼食用におむすびを買い、外へ出たところで十時の鐘鳴り渡る。それでも予告編があるから間に合うと思って行くと、満席のためトークショー終るまで入場不可とあり愕然。

 実は、金曜日から軽い咳が出はじめ、土曜日には周囲を気にしつつどうしても苦しくなると台詞の切れたところで咳ばらいしていた(音楽が大きくかかるような場面はほとんどない)。二回目の『めし』上映は二時半、大変な時間のロスである。こんなことならその分眠って体力の温存をはかればよかった……。ともかく入口まで上がって訊くと、立見席まで一杯なので入っても映画を見られる状態ではない、しかしトークショーは後ろの扉をあけるかもしれないのでロビーで聞けるかもと、貼紙とは異なる話。客が多い場合はロビーだけでなく階段で待ってもらうことになるが、階段は冷房がないという(冷房対策ならしてきたのにねえ)。トークに未練が出て、とりあえずチケット買う。トークは一時五十分から。一時半には来てくれという。パルコに戻ってセールを見て歩き、西武の屋上でお茶を買っておむすび食べ、子供連れが食べているのを見て食べたくなったやきそばまで食べ、パルコ上のロゴスで洋書のセールを見るうち一時を回る。

 戻ると、トークショー終了まで云々とはもう書いていない(何も書いていない)。ロビーに入ると行列できはじめている。体力温存を考え、立ちっぱなしの列には入らず、壁際のベンチを確保。風が来るのでストールを巻き(元気なときは冷房にはめちゃめちゃ強いので、やっぱり体調が悪いのだ)、西武のリブロで買った本を読みかけて閉じる。目をつぶると、眠りかけて本を落す。列、あっという間に延びている。並んでもトークショーに入れるとは限らず、『めし』の座席も保証できないとスタッフが声をからす。上映終ったので列の最後尾へつく。もうそれ以上は中へ入れず階段に並ばせている模様。すぐにロビーの列動き出す。映画だけで帰った人もかなりいたようだが、席は取れず。通路後方の段々に人が座りはじめる。真中あたりの座席にペットボトルが残されている列の通路際で、あそこはどうなんだろうと見ていると、通路際の席にいたおじ(い)さん、「お話聞いたら帰るから、席あきますよ」と言ってくれる。そのときは沢山あくと思うので、と断ってお礼を言う。最後列の座席の背にだらしなくもたれて見ることにする(体力温存優先)。あとから入ってきた人、例の席を指差して尋ね、あいていると言われて喜んで入る。

 蓮實、山根両氏は成瀬本上梓したばかりとのこと。映画見た上で読もう。ロゴスでぱらぱらと見た映画紹介本は、『女の座』は小津のコンセプトの流用で(こうした用語を使っていたわけではないが)成瀬のオリジナリティなしと断じていたが、むしろ小津からの数々の引用とその変奏として興味深いと私は思った。遺作の『乱れ雲』はまた全然違う種類のフィルムで、司葉子と加山雄三が会うまいとしても会ってしまう、(逆?)メロドラマ、後半、十和田湖畔に舞台が移ると、観光地で殺人が起きるTVドラマを連想してしまう(司葉子の実家は旅館である)が、そもそも湖の岸や遊覧船はシネマスコープ画面にこそふさわしかったのだと知るべきだろう。四作どれも乗物の扱い面白し。ブラジル、富士山、ラホール、仏印、屋久島といった「遠いところ」の設定も。『めし』と『浮雲』を続けて見れば、列車の中で眠る男を見守る原節子と高峰秀子の構図の類似にいやでも気づくが、後者では輪タク、船、担架と乗り継ぐその先がある。

「文芸しねうぃーくりい」の筆者は成瀬を見たあと出てきた食べ物を食べたくなることを書いていて、私も前日はことさらラーメンとギョウザを食べた(デニーズのだが)。しかし、二日目は、幕間にカステラ買って食べると、次の映画ではスクリーンの中でカステラが食べられるというふうに、むしろ先んじてしまったのみならず、咳、次第にひどくなり、『浮雲』の本妻が咳をしているのでその切れ目にこっちが咳をするのがますますはばかられるが、苦しくなるので定期的に咳こまずにはいられず、映画内のひとは無意味に咳をしたり吐き気をもよおしたりしない(前者は昔の映画では結核の、後者は妊娠の記号)ので、本妻はあっという間に死んでしまい、屋久島に向かう高峰秀子まで咳をはじめ、微熱があるのかもしれず(高峰も私も)、屋久島の雨のはげしさ、前日の東京の時ならぬ嵐と重なって、気に入りの傘をどこかに置き忘れたのではないかと不意に不安になって座席の上で身辺を確かめるが、その直後、その朝日除け帽をかぶって出たことを思い出す(やっぱり熱があるようだった)。
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by kaoruSZ | 2005-07-11 17:46 | ナルセな日々 | Comments(0)