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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

性別化される身体

 トマス・ラカー『セックスの発明』 (高井宏子、細谷等訳・工作舎) 

 もし性別[セックス]が、発明されるまでもない身体的事実としてあるのなら、歴史学者である著者が、本書を書く必要もなかっただろう。だが、セックスとは一つきりで、女性とは不完全な男性であり、腟とペニス、子宮と陰嚢、月経と痔の出血(!)は同じもの、とされた時代もあって、そうした考えが放棄されたのは科学の進歩によるのでは必ずしもなく、時代のイデオロギーが別の物語を要請したからだと著者は言う。例えば、妊娠には不可欠と信じられていた女性のオーガズム(性交によるとは限らない)に関する記述が産科学の本から消え、受動的で性欲を持たぬ女性というまことしやかな物語が作られた時期は、排卵や受精が性的快感とは無関係に起こることが確認された時期と一致しない。フロイトの、女性の成長に伴うクリトリスから腟への性感帯移動説に関して、私は以前から当時の医学界の常識に興味があったのだが、本書を読んで驚いた。何とフロイト以前には、クリトリス以外に女性がオーガズムを感じる場所があるとは、誰も思っていなかったし、彼自身、自分の主張の解剖学的・生理学的根拠のなさを知っていたに違いないというのだ! 結局彼の関心は、解剖学的には根拠のない異性間性交を身体が役割の性として引き受けさせられる、という事実を確認することにあったのだと著者は言う。近代以前の解剖学者の中立的ならざる眼差しには、腟が裏返されたペニスとしか見えなかったのだが、フロイトは、クリトリスがペニスに相当すると知りながら、腟とペニスを対立させて、男女の社会的役割の根拠を身体組織の中に見出したいという同時代の熱望に応えたのだった。私たちの居場所も基本的にはここからさして隔たっていないのだが、さてそれは、いかなる同時代の欲望の反映だろう?(初出『季刊幻想文学』1998)
by kaoruSZ | 2004-09-22 15:00 |  (性、フェミニズム)