おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

蛆虫の無方向的な運動

ミシェル・レリス『ゲームの規則 ビフュール』(岡谷公二訳・筑摩書房)  

 夏休み、両親に連れられて入った食堂に、驚くべき文字が掲げられている。「生[いき]ビールって何?」子供は尋ね、即座に思い違いを正される。だが、そのほんの一瞬、泡立ち、震え、動き回り、笑ったり喋ったりするのかもしれない黄金[こがね]色の液体の怪物は確かに存在したのだ——生きているビール。「マドレーヌのように泣く」(註) という成句が、「泣くお菓子とか、段になっている部分に液体が滲み出ているお菓子」を想像させたという本書のくだりに触発されての、私的な回想を許されたい。こうした記述には(かの有名なマドレーヌ同様)、読者をむしろ読者自身へ、記憶の中の類似の経験へ向かわせる作用があるかもしれない。子供だったことのある誰にも覚えのあろう、ありふれた体験。だが、ミシェル・レリスのように、言葉遊びと言うにはあまりにも真剣に——子供の遊びのように真剣に——生涯、透明なコミュニケーションを躓かせる言葉のなまなましい手触りに、ひたすらこだわりつづけた人はめったにいない。幼い彼の肉体から叫びや笑いのように発せられた音声が、実は単語の一部であり(それゆえ正しくないとされ)、他の人々の文化に属するという発見の挿話で本書は始まる。レリスは幼年時代を特権化しはしない。その時彼は無垢だったのではなく、すでに言語の中に生まれ落ちていたのだから。彼は「正しさ」を知り、大人になるが、意味を生じさせる魔術的なこの力を、かつての自分と言語をめぐる際限のない記述に使うのだ。いや、「かつての」と断わる必要さえ本当はないのだろう。幼年時代があり成人した今があるがそこに隔たりはない。成長はなく、ただ滲み出る液体を滴らせながら這い回る蛆虫の無限の運動があるばかりだ。

 さめざめと泣くという意味。マドレーヌとはマグダラのマリアのこと。


(初出『季刊 幻想文学』)
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by kaoruSZ | 2004-09-22 15:05 | 批評 アルシーヴ(文学)