おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

余生の文学あるいは中年の幻想

 松浦寿輝『もののたはむれ』(新書館)

 優れた詩人、仏文学者、評論家の初の小説集。綺譚・怪談の形を取ってはいるが、ほどよい恐怖とエロティシズムに浸透された抑制のきいた文章は、おどろおどろしさとはおよそ無縁だ。とはいえ、無にかむせられた仮面のようにその裏に何一つ存在しない端正な文体は、なまな阿鼻叫喚よりよほど恐しい。他人の家の二階座敷に上がり込んだような奇妙な喫茶店で過ごすひとときも、宝石でできた性器を持ち、J・G・バラード写しの終末後の浜辺でテントに横たわる少女娼婦も、何年経っても童形のまま将棋の相手をしてくれる小学生も(そしてあなた自身も)、「本当は僕はいないんだよ」の一言で消滅するだろう。新宿副都心からタクシーを走らせて降り立った南千住で、自分の人生もまた迷い込んだ映画館で見た雨降り映画と同じ幻であり、その映画館自体二度と見つかるまいと悟る老人は、この世界の構造そのものを会得したわけだ。ここでは本物の老人に身をやつしているが、また、女性と同性愛者の男性が各々主人公のものが一つずつありはするが、基本的に、展開されるのは人生の半ばに至ったあからさまにヘテロセクシュアルな中年男の幻想だ(従って、女嫌いのイデオロギーにもこと欠かない)。「腐敗しうるものだけがうつくしい」という美しい言葉が開く新生[ヴィタ・ノーヴァ]。吉田健一の晩年の作は、著者が先行作品として意識したに違いないものの一つだが、その吉田は、「人間にいつから文学の仕事が出来るかはその余生がいつから始るかに掛つてゐる」と書いていた。その意味で、現実の作者が幾つであろうとこれはすでに余生の始まった者の仕事であり、「その輝きを思ふならば若いものが若さを謳歌し、未熟な人間がその未熟さをさらけ出したものなど読めなくなる筈」なのである。(初出『季刊 幻想文学』1998)
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by kaoruSZ | 2004-09-22 15:08 | 批評 アルシーヴ(文学)