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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

おつけでごはん

 小学生のとき、遠足に行って守るべきことを挙げたプリントに、「ゴミをふてない」とあった(子供がガリ版で作ったもの)。私自身、かなりあとまで布団を「ひく」のだと思っていた(だって、たたんであったのを広げるとき、ひっぱるでしょう? 座布団をあてるときだって)。

 耳から覚えるから間違わない、というわけでは必ずしもない。その頃、黒猫フィリックスのマンガを毎日テレビでやっていたが、同級生の男の子二人は、私がフィリックスと言うと、あれは「ピリック」ちゃんだと主張する。「ピリックちゃん、おりこう猫ちゃん」(そういう主題歌(原曲)だった)だというのだ。「じゃあ、百万円かけよう」と男の子たち。私は毎朝、新聞をすみからすみまで読んでおり、「フィリックス」という文字もTV欄で何度目にしたかわからない。これは絶対あたしのほうがあってるんだからね。何回念押ししても、いい、間違っている方がひゃくまんえんだと男の子たち。

 翌朝、百万円は私のものに(って、どこにあったんだ)。青くなっている二人を、「いいよ」と鷹揚に許してやった。

 幕間が「まくま」でないのは、かなり有名な話らしい。検索すると、指摘する文章がたくさん出てくる。
 ルネ・クレールの『幕間』をはじめて見た頃、私は「まくま」と読んでいた。父と話していて何の気なしに「まくまに」と言ったところ(ルネ・クレールの話ではもちろんなく、芝居の話でもなく、映画の休憩時間をそう呼んだのだ)、「まくあい」だと言われてびっくりした。(百歩譲って)そうとも言うのではないかという私に、「まくまなんて言わないよう!」と父。
 幼い父は祖母やよその小母さんたちと一緒に、浅草で芝居見物をしたという。祖母は目に一丁字ない人だった。文字に引きずられて読みを間違うことなど、ありえなかったわけだ。

 芝居の帰り、一行は鰻屋へ入り、鰻のほかに、一人の小母さんが「おしんこ一つ」と注文した。父はしんこ細工が出てくるのかと期待して、おここが運ばれてきたのにがっかりしたという。
 東京では「おつけ」、「おここ」(おこうこ)と言い、味噌汁、漬物とは、日常、食卓で聞かれる言葉では(少なくとも私の育った環境では)なかった。(ふだん食べているものに対して、ずいぶん即物的でよそよそしくないだろうか。「日本人は米を食べる」と言うことはできでも、「朝食には米を食べよう」と言う人はいまい。)かといって、たとえば「おみそ汁」だと、丁寧すぎる感じがする。そう言う人は「おソース」とかも言いそうだ(私の偏見で、実際には言わないかもしれないが。)

 母方の祖母の家があった豊川では、おつけを「おしる」と言った。「おしる」というと、夏の朝のおしるの実——ナスや、じゃがいもや、東京では売っていない莢の長い豆(さやを食べるのだが、成長した豆がひとつふたつ入っているとまた嬉しい。祖母が畑で作っていた)——のあっさりした味と、i音が強めの発音で「おしる」という祖母の声を思い出す。

 オウム真理教から逃げ出した信者二人が、一般の人に助けを求めてきたときのこと。アパートの大家をしているというおじさんが二人をかくまった際の様子をテレビで喋っていた。いかにもきっぷのよさそうな歯切れのいい東京弁を話す年配の人で、「あったかいごはんとおつけを出してやったら喜んで食べた」という。そこに重なった字幕——「あたたかいごはんと漬物を出したら……」。

 違うよ!

 ちなみに、「おしんこ」の方は「おしっこ」みたいな感じで、まともに口に出す気になれなかった。
by kaoruSZ | 2004-09-22 15:10 | にほんごのおけいこ | Comments(0)