おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

魔法が解けたあとに

 スティーヴン・ミルハウザー『三つの小さな王国』(柴田元幸訳・白水社)

  二十年代の漫画作家を主人公とする「J・フランクリン・ペインの小さな王国」ほか二篇からなる本書で、〈万人に受けるタイプではない〉(訳者あとがきより)ミルハウザーの邦訳も、『イン・ザ・ペニー・アーケード』以来、すでに四冊を数えることになった。自動人形、博物館、ゲームといった彼のおはこが誰に〈受ける〉かと言えば、それはまず子供たちであろう。しかし、かつては驚異の目で眺めたものも、年月を経て再びめぐり会った時には、子供時代の魔法が解けたペニー・アーケードのように、昼の光の下でガラクタと化す危険性をはらんでいる。大人の鑑賞に堪えうるには、より巧緻で精妙な詐術、そしてより長時間の骨の折れる労働が必要だ(四分間のアニメーションに必要な四千枚のドローイング!)。単に白地に引いた黒い線にすぎぬもののための、彼を理解しない妻や雇い主からも、彼の作品に感嘆しつつも分業化、機械化を勧める友人からも離れての、フランクリン・ペインの孤独な手仕事、それは幼年時の魔術的な対象を再び見出すために通らねばならぬ迂回路で、その果てにあるのは、夜を迎えて目覚めたおもちゃが動き出し、人形が巨大化して人気の絶えた都会をさまよい、そして元に戻って朝を迎えるまでの、魅惑の数分間だ。幼い日、フランクリンは父の暗室で、白紙の上に浮き上がっててくる幻像こそが世界であると知った。ミルハウザーがフランクリン・ペインの緻密さで、架空のアニメーション、絵画、博物館(そしてもちろん物語)を記述する時、言葉にその指示物が取ってかわり描写が不要となる——映画の原作となることで消費されてしまう小説のように——ことはけっしてない。それはいつまでも白地に浮かぶ黒い染みでありつづけ、彼のページを開く者を、ひととき不滅の王国に招き入れる。
(1998)
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by kaoruSZ | 2004-09-22 17:28 | 批評 アルシーヴ(文学)