おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

青虫なんかこわくない

 原爆被爆者が子供たちの前で体験を話したところ、黒焦げになったとか目玉が飛び出たとかいう話は子供がショックを受けるのでやめてほしいと親から苦情を言われたという記事を新聞で目にした。この記述から私が連想したのは、「女性向けポルノグラフィ」を研究するMさんと知り合うことになった研究会での出来事だ。彼女は「レディース・コミック」について発表し、配られたレジュメには、実際のコミックのコマやそれに対比させるための男性向けエロ・マンガのコマをコピーした資料もついていたのだが、発表のあと最初に出た質問は、大学の授業の際Mさんはそうした資料を事前の断わりなしに学生に配っているのかというものだった。そうだとしたら問題だというのだ。

 私が感心し、驚き、また首をかしげもしたことに、Mさんはそれに対して、これから配る資料には性的な表現が含まれていると事前に断わっていると答えた。また、聞きたくない人は教室を出てもいいと言っているというのだった。しかし——学生はMさんの授業を強制的に取らされているわけではないだろう。男の教師が女子学生を前にしてセクハラ表現をするのとはわけが違う*。もともとセクシュアリティについての授業だとわかっているものの中での、この自己検閲は何だろう? (だが、これはどうやら私が無知なだけで、Mさんの周到な返答からもわかるように、すでに明確に問題として共有されていることらしかった。)
 
 小学生のとき、校庭の花壇で見つけた青虫を男の子が枝の先にとまらせ、女の子たちに突きつけてキャーキャー言わせていたことがあった。私はうんざりして、そんなのこわくないやとばかり(実際こわくも気持ち悪くもなかったので)、枝の青虫をつまみ上げた。ところが、勢いあまって指のあいだで青虫をつぶしてしまったもので、さすがに気持ち悪かったし、第一かわいそうだったし、つぶしちゃったぞと男の子にははやされるしで閉口した。

 私は勝気でも〈おてんば〉だったわけでもなく、むしろおとなしい子供だったのだけれど、近所の子たちと暗くなるまで遊ぶというような経験が全くない、言ってみれば社会化の足りない子供だった(虫をこわがってキャーキャーいうのも社会化の結果である)。庭の中だけで遊び、トカゲを手づかみにしていたので青虫も(当時は)平気だったらしい(ちょっとこの時は頑張りすぎたようだが)。だが、女の子が青虫を突きつけられたときに期待される通常の反応とはそういうものではなかったのだ。同様に、性的な表現に遭遇したら目をそむけなければならず、そうしなければ非難されかねない。(その結果、自ら目をそむけるという倒錯に陥る。)

 かつて西部劇を模したウィスキーのコマーシャルが抗議を受けて中止になったという話を御存じだろうか。実際に見ていない人に教えるけれど、あれがレイプを連想させたというのは本当だ(ヒステリックな婦人団体が過剰な読み込みをしていちゃもんをつけたというのは中傷である)。馬に乗った男に囲まれてなぶられる若い女の映像をTVで見た翌日、地下鉄の通路に、砂にまみれて横たわる無表情な彼女が全紙大で並んでいた。こういうことかと私は内心思ったし、一緒にいた同僚の女性は、前夜のCMを見ていないにもかかわらず、気持ち悪がり、いぶかしみ、嫌がっていた。

 そうしたものを公共の場で押しつけられたくないというのならわかる。男のための性的表現に充満した世界の不快さをいうのならわかる。(後年、青虫ならぬ勃起男根を電車の中で突きつけられたことがあるけれど、そのときも私の覚えたのは一方的に驚かされる不快さだったから、少し離れた席に移って観察してやった。)Mさんに質問した人は、性的なトラウマ経験のある女性の場合そうした表現に接してひどいフラッシュバックが起こることがあるのを強調し、配慮の必要を言うのだったが、しかし私は強い違和感と反感を覚えた。Mさんの発表を聞いて、真先に口を出ることがそれか? 女性のための性的表現がテーマの会に、それを言いに来たのか? 

 自分が気持ちよくなるための、自分のオナニーのための〈ポルノグラフィ〉——男のためのものと違って、それはけっして既製品が用意されているわけではない——を子供のときから探し求め(そして見つけ)てきたMさんや私と違って、(これは質問者から離れて一般的な話としていうのだが)被害者としての性にばかり注意が集中する女たちがいるのだ。終了後の飲み会で、私は「孔明華物語」のチラシ[内容は当サイトに載せているのと同じ]を、露骨な性的表現が含まれているから嫌な人は取らないでと、皮肉を言いつつ配った。

*大学のフランス文学の教師に、「外国語の上達にはポルノを読むのが一番。ぼくたちの頃は春本と言ったな、しゅんぽん」と教室でのたまわった人がいた(いうまでもなくお爺さんである。もはや御存命ではあるまい)。セクハラ概念のなかった時代の女子学生にとって、こういうとき期待されていたのは顏を赤らめることだったのだろう。私はにらみつけたけれど、それは性的なものを忌避してではなく、彼の単にマジョリティにすぎない偏った性的嗜好(それ以外世の中にないと彼は思っている)を強制されている不愉快さからだった。
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by kaoruSZ | 2005-08-18 04:45 | 日々 | Comments(0)