おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

成瀬巳喜男、照応する細部

『夜ごとの夢』('33)と併映の『腰辧頑張れ』('31)[9月26日]で、大家が家賃を取りに来たので父親が押入れに隠れると、先に子供が入っている。上空を飛行機が近づく爆音がして、飛行機見たさに出ようとして子供が暴れる。襖が外れて倒れ、二人は大家に見つかってしまう。

 下線部は、飛行中の機体の映像の一瞬の挿入で表現される。というのは、これがサイレント・フィルムだからだ。それだけで、続く場面の子供の反応から、観客は爆音が聞えたことまで了解する。この瞬間、私は23日の記事に書いた、『三十三間堂通し矢物語』('44)での音の扱いを連想した。あれはサイレントでもそのまま通る——サイレントから継承した——手法なのだ。音なしでも、鉦や太鼓が叩かれる映像に田中絹代の映像を接続させることにより、彼女がそれを聞いていることを観客に示すことができる。

 逆に、トーキーでしかできないことは何だろう。音が先行する(次の場面の音を先取りして直前の画面に重ねる)のはやれない。登場人物が聞いていない音、画面に同調しない音はサイレントでは表現できない。(『夜ごとの夢』で、栗島すみ子が自宅の鏡に向かって顏を映している。その顏が髪を整え化粧したものに変わる。彼女は鏡の前を離れる。すると、もうそこは彼女の勤めるカフェの奥で、顏を直した栗島は客の前へ戻ってゆく。これは『秋立ちぬ』の場面転換と同じテクニックであり、上記の音による重ね合わせを映像で行なっているわけだ。)

『女の中にいる他人』('66)——あれはサイレントではやれない。やっぱり、あのノイズの入り方は尋常ではない。小林桂樹の勤め先の隣は、どうしてやわざわざ工事現場に設定されているのか……観客に気づかせるためだ。あれがノイズであることは誰にでもわかる。一方で、都会の大通りや激しい雨や花火に音が付随するのは当然だから、見(聞き)過ごしてしまう。

 だが、あれらもまたノイズだと、自然な音ではなく、内部を脅かす外部と——たとえそれが小林の内から来るものだとしても(「他人」は女=新珠の中ではなく、むしろ男=小林の中にひそんでいよう)同じことだ——考えるべきなのだ。

『夜ごとの夢』には、成瀬映画の代名詞の一つにしてもいいダメ男(斉藤達雄)がすでに登場する。しかし彼はよい父親ではある。ボールをほうってやろうとして、彼は遊びに夢中の息子に、横あいから来た車をよけさせる。交通事故の頻出をすでに見ている後年の観客としては、このさりげない仕草のうちに、もう事故(遺作に至るまで反復される)の予感がしてかすかな胸騒ぎを覚える。

 斉藤達男が不吉にも玩具の自動車をもてあそんでいる手元が大写しに。そこへ細かいカット割りで子供らが駆けつけ、実際に聞いたかと錯覚させる叫びが字幕で響く。「大変。文ちゃんが!」

 やっぱり——文ちゃんも!

 おもちゃの消防自動車のアップで場面をつなぐことにしよう。『女の中にいる他人』で、三橋達也が小林桂樹の留守中に、彼の息子への手土産にし、遊ばせていた、大きな音を立てる玩具だ。このフィルムで、三橋達也は奇妙な男である。新珠には子供のためを第一に思う母親という大義名分があるし、小林の場合、平凡な男がふとしたはずみに落ち込んだ罠ということで、一応説明されよう。しかし、三橋達也、いったい何なんだ。小林桂樹と並んでどっちが二枚目かは明らかなのに小林に妻を寝取られた、妻のいるあいだは奔放な彼女を満足させられないというひけ目の中に生きていた、小林が彼女を殺したという物的証拠が手元にあり、告白までされながら見過ごそうとする男。彼は一方では、「内」へ入り込んで小林の子供たちを手なずけ、息子の命を救い、おもちゃの消防自動車のノイズを響かせる。

『女の中にいる他人』では、水辺という指標に加えて、それを通り過ぎれば死が待っている(新珠に先導されて小林はそこから引き返す)トンネルの中での二度目の告白の終りでは、車までもが彼らに接近していたのだった。二人を轢かずに、斉藤達夫と息子が最初にそうしたように、日常的な仕草で車をよけた二人の傍を、トンネルの向うからゆっくりやってきた車は通過して行った。

●成瀬関係の記述、今までは「日々」に入れていたが、あまりにも多くなったので「ナルセな日々」の項目を作った。(成瀬に関係ない出来事の割合が多い回もあるが……。)当面、カテゴリの上段に置いておく。
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by kaoruSZ | 2005-10-02 07:34 | ナルセな日々 | Comments(0)