おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

ケンカのやり方

 1月24日に当方でもリンクを張って東京都に抗議する署名への賛同の呼びかけをした、上野千鶴子任用拒否事件についての続報

 上野氏の公開質問状に対して、期限(31日)を過ぎても東京都及び国分寺市からの回答がないため、上野氏は回答を要求する督促状を出した。抗議文のサイトで全文を読むことができる。(以下、赤字は督促状からの引用。)

 この中で上野氏は、新聞報道や、新たな石原発言(知事の定例会見時に記者の質問に答えた公式なもの)を引いて、以下のように攻め立てている。さすが。

6) 石原知事は、「ジェンダーフリー」に対する誤解が「例外的な事例にもとづくメディアの持ち上げ方」によると発言した。とすれば、2004年8月の都教委による「ジェンダーフリー」使用禁止の通達が、一部メディアの偏ったプロパガンダに影響されたものであることを認めたことになる。したがって「誤解」にもとづいて「ジェンダーフリーの、ある正当性を持ったムーブメント」を抑圧した責任がある。(【対応する資料の番号】)
7) 石原知事は「日本語」の使用を推奨しているが、上野もその考えには基本的に賛意を示している(前回別送資料1)。だが発言のなかで、「ムーブメント」というカタカナ言葉を自ら使用することで馬脚を露呈した。(【対応する資料の番号】)「テレビ」や「パソコン」はもはや「電影機」や「電脳」という言葉に置き換えられないほどにカタカナ言葉として定着しており、「ジェンダーフリー」だけが、その責めを受ける謂われはない。


 もう覚えている人もいないだろうが、その昔、やはり小説家である某都知事が、ハローワークとは何かと議会で質問されて答えられなかったというので批判を浴びたことがあった。しかし、「ジェンダーフリー」という言葉と較べても(当時そういう言葉は影も形もなかったが)格段にみっともない「ハローワーク」なぞ、知っていても知らないふりをするのが文学者としての見識だと言っていいくらいの話ではないかと、当時私は思ったものだ。「ハローワーク」のほうはいまだに現役なのを、過日、退職する人と話していて知った。
「わくわくWeek Tokyo」なるものをご存じだろうか? ウェブ上では残念ながら表記不可能だが、「わくわく」には、さらに“Work Work”と英語のルビ(?)がふられる、奇ッ怪な意味不明の言葉だが、実はこれ、2005年から始まった都の重点事業で、都内の公立中学の生徒に、一週間、学校を離れての職場体験をさせるというものだ。日本なんだから英語使うことねえんだよ、わけのわからない英語をねと都知事は言わなかったとみえる。
 また、この「わくわく」、知事の唱導する「心の東京革命」に基づいて2000年に発足した「心の東京革命推進協議会」とも連携している、都の青少年対策だそうだ。**
 
 心の東京革命。英語、日本語、カタカナ、アルファベットといった表記の問題ではない。見れば見るほど気持ちのわるい日本語だ。
 心。東京。革命。それぞれを見れば変哲もない語なのだが、この三つがくっつくと……ああっ、気持ち悪い!
「改革」だけでなく「革命」までも、今や左翼からアプロプリエイトしたらしい。(平気でカタカナ語を使うぞ、私は。***

 閑話休題。
 朝日新聞の訂正記事も、すかさず下のように取り込んでいる。

8) 石原知事は発言のなかで、不用意に、「ジェンダーフリー」 を分解し、「『ジェンダー』とか『フリー』とか」と二語にしている(【対応する資料の番号】)が、「ジェンダーフリー」と「ジェンダー」とは異なる用語であり、混同は許されない。「ジェンダーフリー」の使用禁止が「ジェンダー」の用語の使用禁止に及ぶのは由々しい事態であり、 国際的にも学問的にもけっして許容できない。朝日新聞報道における見出し、 「『ジェンダー』使用不可 都」(2006.1.26)は重大な誤報であり、朝日新聞は直ちに訂正記事「『ジェンダーフリー』使用不可 都」(2006.1.31)を掲載した。学術用語としての「ジェンダー」と「ジェンダーフリー」とのかかる混同は、無知と認識不足から来るものであり、厳重に注意されたい。

 かの抗議文の存在も、次のように役立てられた。

なお、1月27日付けで東京都知事および教育庁に宛てられた女性学・ジェンダー研究者らによる抗議声明(1808筆の個人および団体の署名を伴う)によって、本件は、上野個人からの東京都および国分寺市への抗議の域を超え、「言論・思想・学問の自由」の行政による侵害をめぐる問題に発展しています。内外のメディアの注目も高く、本状に対する東京都および国分寺市の対応については逐一関係者に情報公開するつもりでおりますので、誠実かつすみやかに説明責任を果たしてくださいますよう、要求いたします。

 念のため記しておくが、畸形的な表記を一概に退けるつもりはまったくない。そもそもこうして使っている日本語自体、漢字の畸形的使用なくしてはありえなかったのだし、それはとりもなおさず、純粋な日本語などというものが幻想にすぎないということだ。

**「わくわくWeek Tokyo」及び「心の東京革命」については、「ちくま」2月号掲載の斉藤貴男氏の文章に多くを負っている。

***もちろんケース・バイ・ケース[←あ、カタカナ語]であり、たとえばブログの記事を「エントリ」というのは、筆者は耳(?)馴れないため今のところ自分からは使っていない。
「電影機」で思い出したけれど、昔、弟が持っていた(今でも持っているんではないか)ブルース・リーのmoving picture、中国語では紙上電影というのだが、要するに「パラパラ」、連続写真を閉じた冊子を片手で操作するだけでブルース・リーのアクションが見られるあれ、カタカナでは「ペーパーシネマ」となっていて(表紙に三ヶ国語が並んでいた)、安っぽいペラペラの感じをよく写しつつ(表記が「ペイパー」ではだめ)なお楽しげな「日本語」にいたく感心したものだ。

★付記★ 
1月30日の記事「恣意的な線引きに抗して」に、2月8日までに主として「註」を加筆、本文よりも註が長くなった記事は、結果として上野千鶴子批判の強い内容になった。なお、今回の一件についての批判ではまったくない。
[PR]
by kaoruSZ | 2006-02-07 23:21 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(1)
Commented at 2006-02-09 06:50
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。