おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

『父 中原淳一』(1)

 昔、母方の祖母から、ふとん生地の端布をはぎ合わせた掛布団をもらったことがある。うちは四人家族なので人数分送ってくれたのだが(ふとん皮だけが送られてきて、綿は母が入れたらしい。晩年の祖母のもとに通っていたとき、そうした掛ぶとんシリーズの一枚をかけて寝たことがあるが、母の仕事と違い、それはごく薄い夏掛けに作られていた)、特に私のためには、赤い生地や花柄ばかりを集めてやや小型に仕立てた一枚があった。長年愛用していたが、先年、白いカバー(これは綿レースで縁取りした母の手製)の端が弱って裂けてしまった。市販のカバーでは大きさが合わない。直線のミシンならかけられるから(曲線だってかけられないことはない)、いつか自分でカバーを縫ってまた使おう。そう思って押入れに入れたきり何年も経つ。

 私のやることはたいていそんなふうだが、ここで話題にしたいのはそのことではない。中原淳一の長男・洲一が書いた『父 中原淳一』(中央公論社1987年)という本のことだ。話は戻るが、祖母が布団の端ぎれをそんなたくさん持っていたのには理由がある。母の年の離れた妹が結婚するとき、祖母は布団一式を自分で縫って、綿を入れてもらうため布団屋に持ち込んだ。すると、布団屋の女主人から、最近では布団を縫える人がいなくなって困っていた、ぜひ仕事をと頼まれて、以来、かなりの年になるまで(彼女は四十五歳で私の祖母になっているから、このときでもまだ五十代だったはず)、「布団屋に奉公しちゃった」と自ら称する内職をミシンを踏んで続けたのである。(後年、寝たきりに近くなった祖母に言われて家の中から外を見ると、通りを隔てた斜め向かいの布団屋はシャッターを閉ざしていた。跡継ぎのいないまま、布団屋のおばあさんは祖母より早く亡くなったのだ。)あるとき、そうした端切れのいくばくかを祖母にねだった。何にするのと祖母は訊ね、本に出ていた着物姿の人形を作るのだと答えると、喜んで、私に好きな端切れを選ばせてくれた。母の持っていた、昔の手芸の本(「主婦と生活」か何かの附録)に、出来上がりがカラー・グラビアに載っていた、作り方を何度も読み返した、身体も全部布製で、髪は毛糸の束を半返しにしてとめつけた上に鹿の子の手柄をかけた髷を乗せ、中原淳一のあの少女の顏(とは当時は知らなかったが)を染料で描いた人形を、いつかは作りたいと思っていたのだ。

 もともと裁ち落しだから大きな布はなかった。人形に着せる縞柄か何かの生地は、別に手に入れなくてはならないだろう。ただ、半襟などのアクセントに、それらの小布は使えるだろうと思われた。そうやって持ち返った端切れが、そのまま箪笥の抽斗で何年も眠りつづけたことはいうまでもない。人形を作るのはあきらめても、はいで椅子用の小座布団にしたらどうかと考えたこともある。布を組み合せ、出来上りを想像して、結局また抽出しにしまいこむ(それでも、いつの日か、ポーチぐらいはできるのではないかという希望はまだ捨てていない)。

 母が取っておいた婦人雑誌の附録は、私の子供時代の特別な愛読書だった。もともとは、熱を出して肋膜に影があるとか言われたあとの長い恢復期に、寝床のなかで家じゅうの本を呼んでもまだ読み足りなかったとき、母が出してきたものだ。私が中原淳一の名も覚えたのは、強いまなざしをもった少女人形の、あるいは、まだウェストを絞らない年齢の幼ない女の子のためのワンピースの作者としてだった。ドレスの前につけられた半円形の大きなポケット(幼稚園に入る前に私が着せられていた母の手製のエプロン——実際にはスモックというべき形だった——にも、そんなポケットがついていた)はボウルに見立てられ、そこに盛られたように、果物のアップリケがされていた。中原自身も、服飾作家が自身の愛用品を紹介する欄に写真入りで登場し、商売道具のペン先を大胆にアップリケした自らのネクタイについて語っていた。

18日にMさんにあてたメールの一部:

ところで、今日、日比谷図書館で中原淳一の息子が父のことを書いた本を借りたのですが、中原淳一ってゲイだったんですね。よく知られた話なんでしょうか?
私は知らなかったけど。
グーグルしても、伊藤文学しかそのことを言ってなくて。
ひまわり、それいゆがなつかしかったりする世代じゃないけど、子供の頃、母の手芸の
本でデザインが好きだなと思って見ると中原淳一だった(本人も出てきたりした)という思い出があるんですよ。
小さいときから女性の服飾をはじめとした女らしいものに惹かれて、本当は自分がそういう少女になりたくて、でも実際はむくつけき男で、本物の女は好きな男を「堕落」させてしまうので嫌い、性的なものを剥ぎ取った少女像を描いて、結局現実の女に対しては抑圧的に働くという……。



『父 中原淳一』(2)http://kaorusz.exblog.jp/4428380/
『父 中原淳一』(3) http://kaorusz.exblog.jp/4429355/
『父 中原淳一』(4) http://kaorusz.exblog.jp/4469181/
 
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by kaoruSZ | 2006-03-24 21:48 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(5)
Commented by じぇあい at 2006-03-26 18:57 x
中原淳一は花物語の挿し絵のイメージですね。ああ吉屋信子。復刻版と当時のものと、彼の装丁した本は持っていますが、オトメ心溢れていてわたしは好きです。
Commented by kaoruSZ at 2006-03-27 14:35
コメントありがとうございます。
humsumさん、またサイトの方へ伺いますね。
じぇあいさん、お返事の形で(2)を書きたくなりました(目下、仕事がミクシイ日記で書いているような状態なのですぐには書けませんが、また読んでください)。
じぇあいさんの専門領域でもあるので、今度お聞きしたいなと思っていたのです。息子が書いた上記の本の内容って、一般にどの程度知られているのだろうかということも含めて。
花物語は実は未読なのですが、復刻版で中原淳一の絵を組み合わせたのかと勝手に思い込んでいました。オリジナルがそうだったんですね。(ますます面白い。)
中原の方があとの時代の人のような気がしていました。
女を抑圧するイデオローグと寸分違わぬ言葉を口にしながら、男のために存在するのではない女を描いてしまうところが面白い気がしたりします。
Commented by kaoruSZ at 2006-03-28 01:22
humsumさんのコメントが見当たらない……
まさか、ご自分で消された……?

じぇあいオトメは目下こんな話はどうでもいいですね……
よって返事の形はとりやめます。
勝手に(その2)を書きます。
(いーないーなじんじゃのけーだい♪)

Commented at 2006-03-28 16:03
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by じぇあい at 2006-03-30 16:25 x
どーでもよくないですよ♪
オリジナルというか、「花物語」は何度も版を重ね、いろいろな出版社から出ているのですが、中原淳一の装丁のものは、昭和14年に出された実業之日本社版です。復刻版は、原本の装丁で、中の挿し絵は「少女の友」掲載時のものを使っているようです。
大正4年から連載されたので、時代的には中原淳一の方が後なんですよ。それだけ長く「花物語」が愛されたということですね。
恋するオトメは浮かれつつもちゃんと読んでますよ。その2楽しみにしています。