花冷えの花と建築をたずねて(1)
2006年 04月 01日日比谷に向かい、三信ビルのニューワールドサービスで食事。いつもの静かさだが、(たぶん)私たちの分を最後にごはんがなくなり、隣のテーブルの人たちはそれを聞いて席を立つ。直前の昼どきに人が押し寄せたのか、名残を惜しむ人が多いのか。この日マスターの姿はなかった。最初の計画では六義園から古川庭園へと思っていたのだが、あるブログ★を見てさる洋館が取り壊されることを、しかもそれが、前から行きたかった林芙美子記念館の隣に建っていると知り、急遽そこへ行くことに。成瀬関連の展示もずっとやっていたのが、3月末で終りと気づく。うっかりしていた。Iさんにはお楽しみということにして伏せていた新たな目的地をそこで明かす。洋館の名は刑部邸。地下鉄で高田馬場へ、そしてたぶん生れてはじめて西武池袋線に乗って中井へ。
林芙美子の家は質素でつつましやかで、風が吹き抜けるようにというのが本人の望みであったというが、昔の家は確かにそのように作られていたもの。成瀬の『放浪記』の終り近く、田中絹代演じる母親に被布を着せて大切に座敷に据えた、高峰秀子の芙美子を訪ねて、庭の方から昔なじみの加藤大介が近づいてくる、その庭。小林桂樹の画家の夫がそっちの方から入ってきたアトリエも左手にある。沓脱石と丸い飛び石、四角い大きな敷石を連ねた通り道。沓脱石がやたらに大きい。もっと小さいし土に埋もれてしまっているが、実はうちにも昔の沓脱石が今でも濡れ縁の前にある。子供の頃は、空襲で焼けた家の、柱を受ける窪みをうがった土台石が庭に無雑作に転がっていたもの。長方形の敷石は今もあり、その両側にかろうじて残る地面に植物を植えて庭と称しているのだ。かつての父が育った家(規模はこれより大きい、なにしろ大家族だ)やその庭や、昔の暮しの匂いを少しだけかいだ気がする。
かつてのアトリエ(そこだけ洋間の黒光りする床、これは断じてフローリングではなく板の間である)のガラス・ケースの中に、古い新聞の切り抜きが収められている。NHKの朝の連続テレビ小説『うず潮』の、変色した記事を見つける。Iさんは知る由もないことなので話さないが、これは見ていた。林美智子主演、津川雅彦が恋人役ではなかったか。だが、『うず潮』がそのあと吉永小百合で映画化されたとは知らなかった。袴をはき、髪が短く見える(たぶん後ろで結っているのだろうが)写真入り記事があったが、きれいすぎ! 上京する前の芙美子をやったらしい。『愛と死を見つめて』のあとの、少年のような袴姿を見て、吉永小百合をはじめて魅力的だと思う。
聳え立つ桜の老木、花は手の届かない高い枝にしかついていない、いや、下の方にも、枝はないが幹から直接花が出ている。若冲の画中にあるような岩と化したがごときゴツゴツした幹と、それが咲かせるミニチュアのような花ぶさの対比が可愛らしい。閉館時刻が近づき、帰出口へと向かいかけたとき、入館者には立ち入れない座敷に立った老婦人が笑顔でこちらに会釈される。私たちのいるうちから元アトリエの展示室をせっせと掃除していた女性が、林芙美子の姪御さんだと教えてくれる。「中にお写真のあった――」展示室にあった記事を思い出してそう言うと、「写真より本物の方がきれいでしょ」と返された。成瀬の映画のことなど少しだけお話してから、隣の洋館について、壊してしまうんでしょうかと尋ねると頷いて、みんなもう引越されたという。あそこはここより古いんですよ、ここは昭和十六年だから。
坂の上と下に出入口のある家の、庭と反対側の高いところへ最後に登ると――そのあたりにはひなたに菫がかたまって咲いていた――アトリエの屋根にはめ込まれたガラス部分を見ることができ、それ以外は通常の瓦からなる美しい屋根が、その全体を人がささやかな生をいとなむ谷間の家――煮炊きのカマドから煙が上がるような――のように錯覚させる。むろん今は生活の場ではないのだが、それでも念入りに手入れされていればそうやって家も庭も生きつづけるのだ(今は住む人のない祖母の家を思わずにはいられない)。坂の多い尾道に似ているところから芙美子がその土地を選んだのではという話があるが★★、その瓦屋根も尾道を思い出させる。いや、かつては日本中でこういう屋根の連なる風景はいくらでも見られたはずなのだ。
そこからは、隣の下落合駅近くのカフェ杏奴(刑部邸関連のブログで見つけた)を目指すが、残念ながら早仕舞いを知らせる紙がドアに貼られていた。気がついた店の人に謝られる。次の駅である高田馬場へ向かう途中、巨大な円錐形のかたちに刈られた若緑の木にひかれて薬王院を見つける。花もありそうなので中へ入る、ここも芙美子邸と同じく高低のある地形、参堂を登って古いお地蔵さんや無縁塚を見る。少し前なら枝垂桜がきれいだったろうと思わせる木のすがた。牡丹で有名なお寺とあったのを思い出すが、、むろんこれはまだ。しかし、戻ってくると、境内には侘介、乙女椿、それ以外にも椿の木があり、その上小道に沿ったところでは繁らせた椿の木が花盛りの壁をかたちづくるという素晴しさ。あとで地図を見て、金井美恵子の小説に出てくる「おとめ山公園」はすぐ近くだったと知る。つまり、山手線の駅としてしか目白を知らない私には、それは高田馬場の先としてしか思い浮かばないのだが、実際にはさまざまな線によって結びついているということだ。
だから、高田馬場に着いたのも、だんだんに近づいたわけではなく、横道から通りへ抜けると不意に道の向うに「愛国喫茶」の看板が見え、はっとしてこちら側の道沿いに目をやると西友があり、その左側にはかつてパール座の入口だったところが見え、行く手にはガードが見えて、長いこと足を向けることがなかったが確かに自分の知っている場所にすでに入り込んでいたことを知ったのだ。(あとになって、向う側に当然見えているはずだった甘納豆の店を目にした覚えがないのが気になってグーグル検索、「花川」閉店していたと知る。)
★冒頭で情報源としてあげられている「玉井さん」のサイトはここ。林芙美子邸についてもいろいろわかる。こちらもこの地域について詳しいサイト。ここにも記事が。多くの人に愛されていたのだ。
★★こちらのサイトで読んだのだった。
薬王院の白椿、開ききらずに落ちていましたが、そちらのブログで知識を得ていたのですぐに名前がわかりました!
落合文士村・目白文化村・長崎アトリエ村・池袋モンパルナスなどの資料になかなか出てこないのだけれど良い作品を残している芸術家達を掘り起こすのもまた面白いものです。 いつか カフェ杏奴にいかれたら 「杏奴ノオト(アナログの伝言板のようなものです)」に足跡をのこしていってくださいね。
またぜひ足をのばしたいと思っています。カフェ杏奴の場所も覚えましたし。
要町といえば、同行した友人の祖父母が要町在住とは前から知っていたのですが、今回芙美子の家を見ながら言うには、お祖父さんは画家で、アトリエのある古い家に住むのだとか……ひょっとしたらかつての芸術家集団の一人かしらん!
で、まずはいいたいことを書いておこうと、Blogを書いています。
いのうえさんとは、林芙美子記念館についてのエントリーにコメントを書いていただいてから、すっかり親しくなりました。いのうえさんにすすめられて杏奴に行き、Blogにも書きましたがいいところです。お寄りになってください。
都知事については、かねがね腹立たしく思うことがありますが、「ババア発言」に至っては、とても許しがたい。同感するところが多々ありそうです。今後も、このBlogに寄らせていただきます。よろしく。ぼくもトラックバックさせていただきます。
曳船の再開発は物凄いですね。私は荒川区在住で最寄駅は町屋ですが、あそこも、町の一角を消滅させて、最近、地下鉄の駅の真上に高層住宅ができました。私の亡父も建築の仕事をしており、現在も父の設計した築四十年を越す家に住んでいますが、低層木造住宅の密集地をなくそうという行政の目からは既に老朽木造家屋にしか見えそうにありません。(幸い(?)周りにぼこぼこマンションができ、木造密集ではなくなったかも。)マンションの向うに一時隠れ、それでも待てば出てくるお日様を頼りに洗濯物をほしています。
玉井さんのブログにも、リアル界の下落合辺へもまた寄りたいと思っています。こちらこそどうぞよろしく。
しかし、記念館はともかく、あのあたり……記念館を残して……にならないことを祈ります。