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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

「倒錯は自由にする」

  同性愛者かっこよす。性的に倒錯してる人はみんなかっこよす。 

 きのう「倒錯」という語が出てきたのは、上の文句ではじまるこの記事を見たから。そして、きのうは眠くて、何かひっかかっていながら思い出せなかったのが本日のタイトルの言葉で、スーザン・ソンタグの本に出てきたんだけど、彼女の発言ではなく……あとで説明します。

 上のブログの書き手はなかなか愛すべき人だと思うのだが、そりゃ、「自分は倒錯してない」という同性愛者(この言葉だって問題ありありだと思うが、とりあえずそう呼んでおこう)からの抗議がきても仕方がなかろう。(あと、実際の同性愛者を知らないよね。だって、「みんな」じゃないもん。非難のコメントを受け、書き手いわく 今考えてみるととんでもないことを書いてしまったと思います。「自分の中の美化されたイメージ」は倒錯しててかっこいいなぁと書かなきゃいけないですよね! そうそう、そのとおり! このコメントも可笑しいなあ。) 

  まあ、怒り狂ったり、罵倒を浴びせたりすべきものではないと思うけど。書き手の再コメントで面白い(「可笑しい」じゃなく)と思ったのをもう一つ――[「あたしもバイになりたい」という発言は] [「ヘテロ男から一方的に欲望される対象」でしかない自分の境遇とかセクシュアリティから逃れたいだけという指摘はハッとさせられました。
 
 私の感じ方は、次の「当事者」のものに近い。

id:churchill氏の発言、私はフツーに「あら、かっこよいって言ってもらえるなんて光栄だわ」ぐらいにしか思わないのだけれど、けっこう過敏に反応するかたもいて考えることは多々あります。”倒錯”発言は確かに頂けないけど、「倒錯してますが、何か?」って堂々としてたら良いじゃん。みな異常って言われることに過敏になり過ぎている気がするなぁ。「あなたは同性愛者であることで苦労をしたことがないから、そんなことが言えるんだ」ってよく言われますけど、私にだってそれなりの苦労はあるもんね~。

  こちらは十八歳だって。すてきすてき。
 今日見つけたトラックバック元へ行って見つけた記事なのだけれど、、ありうべき反応として「倒錯者ですが、何か?」大いにありとは私も思っていた。クィアーやオカマ(自称としての)例もある。

「非嫡出子ですけど、何か?」
「嫡出がなんぼのもんじゃい!」

もありだろう。

 話がタイトルに戻ると、これはスーザン・ソンタグが『土星の徴しの下に』という評論集中の一篇でロラン・バルトを論じている中にあった言葉。バルトは「倒錯は自由にする」という古風な考えを持っていた、とソンタグは言うのだ。(だから、ソンタグ自身は必ずしもそれに賛成ではないということ。)それからもう人つ、四方田犬彦の文章でやっぱりバルトを「倒錯者」扱いしていたのがあって、それも「かっこよい」ものだった記憶があり、それから、「perversion」についてのバルトの簡潔な定義「生殖を目的としないセックス」というのもあって(これはフランス語で読んだ。といっても、ろくろく読めない中でこのセンテンスだけ確認した)、これもかっこいいじゃないか。(だったら、避妊してれば「倒錯」か? と言えば、ペニスを膣に入れること=セックスだと思っていて、実際それしかしない人々は、避妊していようがいなかろうが「倒錯」なわけないだろう。)

『土星の徴しの下に』は、原書が出たときに読売の夕刊文化欄のコラム(記者が書くのではない)に紹介されて、私はその記事だけを頼りに、丸善か紀伊国屋か忘れたが(たぶん紀伊国屋)、注文し、半年くらい待って船便で運ばれてきたのを入手。英語の本を平気で読むようになったのは、アメリカ製のゲイ・ポルノを読むようになってからだからずっと後年のことで、このときは読めもしないのに注文したわけだ。その後、この本は翻訳されて、私は買ってしまったけれど、くだんの箇所が「文学は自由にするという古風な考えを」になっていたのには一驚。原文はたしかIt liberatesで(そのときはちゃんと確かめたけど、今は本を探し出せない)、訳者である大学教授はこのItの先行詞を をliteratureだと思ったわけね。文学が自由にする、なんてバルトが言うわけないとは(いくらソンタグの見方だとはいえ)思わなかったのか。まして、倒錯が自由にするなんて考えは浮かびもしなかったんだろうなあ。
by kaoruSZ | 2006-05-31 22:09 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)