片付いた部屋
2006年 11月 22日もう遅いので今日は先に寝るという。そのあと私が四畳半の座敷(1)に戻ってみると、そこには何一つなくなっていた。ただ畳が白々とひろがっている状態にまで、母が片付けてくれたのだ。隣の六畳(2)との境のふすまはたて切られていた。母はそっちでやすんだらしい。
不意に私は思い出した。漏水があると言われて、目下、留守のあいだや夜間は水栓を閉めている(3)。母は知らないから、何もしないで寝ただろう。いや、それ以前に、水が使えなくて困ったのではないか。いや、それ以前に……。
白々と部屋の一方を塞いでいる襖を私は見た。私は強くまたたいたが、スクリーンが上がってその向うの現実をあらわにはしなかった。だから私は襖をあけて入り、布団の中でこちら向きに横になっている母を見出すと、しゃがみ込んで声をかけた。「お母さん、お母さんはもういないけど……」
母にはわかっているようだった。
(1)十一年前の五月、母はこの部屋で就寝中に急逝した。
(2)長くこちらを「茶の間」としていたが、母の死後、父は四畳半で寝起きも飲食もするようになり、私もそれを踏襲している。
(3)これは事実である。
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帰宅すると母(あるいは他の誰か)が来ている……という状況は、前夜読んだマンガ(今市子の『いとこ同士』。男主人公が同僚を連れて帰ると、恋人である従弟が来ていたり、従弟が来るというのに母が帰らずにいたりする)に由来している。また、読売の夕刊で読んだ記事(様子を見にきた妻に優しい言葉をかけて眠りにつき、そのまま亡くなった先輩の学者の話)が、母の最期を思い出させたということがある。