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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

いじめは社会的行為である――あるいはおさん茂兵衛(上)

 新聞を熟読しているわけでもTVのニュースを注視しているわけでもない(おまけに、ヤンキー先生とやらがものを言っているのが映ると反射的にチャンネルを変えてしまっていた)ので、どうやら二週間くらい前に出たらしい「緊急に」「提言」された「以下のこと」を昨日ウェブで見かけるまで知らずにいた。

 ①学校は、子どもに対し、いじめは反社会的な行為として絶対許されないことであり、かつ、いじめを見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底して指導する。
  (中略)
 ⑦いじめを生まない素地を作り、いじめの解決を図るには、家庭の責任も重大である。保護者は、子どもにしっかりと向き合わなければならない。日々の生活の中で、ほめる、励ます、叱るなど、親としての責任を果たす。おじいちゃんやおばあちゃん、地域の人たちも子どもたちに声をかけ、子どもの表情や変化を見逃さず、気づいた点を学校に知らせるなどサポートを積極的に行う。


 一見してあきれてしまうのは、「美しい国づくりのために」これを提言するのだと明記されているからばかりではない。「いじめは反社会的な行為」って何だ? それは社会的な行為以外の何ものでもないではないか。そうした子供たちは、集団でいじめをするほどにまで〈社会化〉されているのだ。だいたい大人たちは、普段、差別し、レッテルを貼り、排除していないのか。松本サリン事件の容疑者と警察が断定した無辜の男性に対してマスコミは「いじめ」を行なったし、鳥インフルエンザを出した養鶏場の老夫婦をいじめて首吊り自殺させた。いじめの加害者というレッテル貼りと管理の徹底はいじめそのものの反復となりかねない。その先には、加害者として排除された子供に自殺者が出ることになるだろう。

  いじめを見て見ぬふりをする者も加害者である。
  地域の人たちも(……)気づいた点を学校に知らせるなどサポートを積極的に行う。


 こうした文章の「形式」が、私には溝口健二監督の『近松物語』における「社会」の構造と重なって見える。「不義密通」を「見て見ぬふりをする者も」同罪であるぞと、主人の妻・香川京子と出奔した手代・長谷川一夫の在所へ行ってその父親に役人は迫る。「地域の人たち」も「気づいた点」はお上に「積極的に知らせる」のでなければならない(そうでなければ連帯責任を問われる)。役人たちを土下座して迎えたいかにも貧しげな父親は、自分を抑圧する者(息子の主家)を彼の恩人と呼ぶ役人たちに、「反社会的な行為として絶対許されない」罪を犯した息子を庇い立てすれば村全体に累が及ぶと寄ってたかって脅され(いじめられ)て、這いつくばって許しを乞い、二人を隠した小屋の場所を告げてしまう。

『近松物語』における恋は反社会的行為であるが、その理由は、それが封建時代における恋だからでは必ずしもない。そもそも、原作の浄瑠璃では、おさんと茂兵衛は恋仲でも何でもなく、夫が下女のお玉を口説いていることを知ったおさんがお玉と寝床を替り、お玉のところに忍んできた茂兵衛を闇のなかで夫と思い込み……という、全くの誤解がもとである。だから、『大経師昔暦』を知っている者は、お玉の部屋にいた香川京子と、お玉に礼を言うために訪ねた長谷川一夫が、灯火の下で顔を合わせるのを見て驚くだろう。彼らは姦通の事実がないまま、成り行きで道行きを演じることになる。

 密通したとは全くの濡れ衣ではあるが、「捕まって辱めを受けるよりはいっそ死んでしまおう」と溝口のおさんは言う。この段階での彼女は、社会の中で生きる場所を失った、いわば「いじめ」のために死のうとしている者だ。死を決意して茂兵衛とともに漕ぎ出した舟の上で、彼女は決然と死を選ぼうとする。傾いた実家への経済的援助を期待して父親ほどの年齢の裕福な男に嫁し、義理と世間体に縛られて生きる彼女は、手に負えないパッションをまだ知らない。彼女が死のうとしているのは、理性的な、最後までコントロールの下に置かれた死だ。死後の裾の乱れを防ぐため、茂兵衛は舟の上に立ったおさんの脚を着物の上から紐で縛る。しかしその直後、今なら口にしても罰は当たるまいと、縛ったおさんの脚を抱きしめ、秘めた思いを打ち明ける。

 この不自由な姿勢が語るとおり彼女は“自立”した女の反対物であり、同時に、男を押し倒す女である。というのは、茂兵衛の告白を聞いたために「私は生きたくなりました」と宣言して、ともに入水しようとする茂兵衛を押しとどめ、脚を縛られたままの恰好で、受身の茂兵衛を舟底へ押し倒すのは彼女の方であり、こののち、慣れぬ旅路で足を痛めたおさんを峠の茶屋で休ませて、ここで別れて自分だけが罪を引き受けようと、長谷川一夫が麓へ向かって波のように連なる木々にまぎれて離れて行ったとき、悲痛な声でその名を呼びつつ木々のあいだを歩けぬ足で追ってゆき、ついに彼に抱きとめられて再び彼を押し倒し、あたりもはばからず地面の上を転がるのであるから。おさんを演じる香川京子が素晴しい。そして押し倒される長谷川一夫の方はといえば、おさんの夫、進藤英太郎や、茂兵衛を陥れる番頭、小沢栄(太郎)と同じ男という生きものとは思えない艶めかしさだ。
by kaoruSZ | 2006-12-13 00:06 | 日々 | Comments(0)