おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

鴨の声が白い

 岩波の「図書」2月号にナマコの話が出ていて、もとはただの「コ」だったと知る(筆者は林望)。そうか、コ-ノ-ワタだったのか。コノ-ワタとなんとなく真中で切っていた(あまり日常言わないが)。サンタ・クロースを、最初、サンタク・ロースと思っていたようなものである(その頃でも別にサンタク・ロースがいるとは思っていなかった)。イリコというのも本来は干しナマコだそうで(煮干をイリコとは東京では言わないから、これは使ったことのない言葉だ)。

 オキ(沖)とオク(奥)は同語源だというのは何かの新書で読んだのだが、それで思い出したのは、コンラッドの『闇の奥』の原題がHeart of Darknessだと知ったとき、〈面白い〉と思いつつズレを感じたことだった(ズレそのものが面白いというか)。一方で、たとえば、押し入れの「オク」と、クレた海のクラい「オキ」が同じ(比喩的につながる)のであれば、押入れの奥が海につながっていても不思議はない。海は明らかに産みであろうし、ワタは海(ワタツミ)で、言うまでもなく腹のワタがハラワタだ。能登からの小包がひらかれてナマコ(酢漬けだった)をはじめて見たとき(ここを参照)、立ちのぼったのはイカのワタから発する海の匂いだった。

 かくも意味が横滑りする以上、たとえば「オク」に唯一のイデア=クオリアが対応することはありえない。「赤」にしても同じことだ(アカアカとアカるいのがアカであろう)。色の名は見え方に影響を与えずにはおかないだろう。意味は本質的に重層的にしか決定されないだろう。
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by kaoruSZ | 2007-02-20 18:20 | 日々 | Comments(0)