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おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

西洋美術館へ

 26日水曜日、読売にもらった招待券でマティス展へ。開門前に到着、文化会館の軒下で雨をよけて待つ(こうしないことにはすいた部屋で見られない)。幸い、列を作るほど人はいない。もう一枚の券はひとりで来ている女の子でもいたらあげようと入場券売場の前で見渡したが、おばさんグループばかり(近くにいたのは)だったのでやめる。(ひととおり見終わったあと、一枚の絵の完成までの変遷——画家が写真におさめておいたのだ——を説明する短いフィルムを腰掛けて見たが、仕切られていないのでそのあいだも周囲を動き回るおばさんたちのおしゃべりが耳ざわり! 老夫婦もけっこう目立った。)

 展示は思ったより小規模というか地味め(近代美術館で二十三年前にやった展覧会よりも。といっても、それでマティスの素晴しさがわかったこと以外はほとんど覚えていない。たぶんカタログはお金がなくて買わなかったと思う)で、でも、明るい色を多用した油絵の部屋は気持ちいいし、タイトルにあるとおりプロセスとヴァリエーション、それに切り絵の現物や最後の方の墨によるドローイング(こういうのは知らなかった)を見られてよかった。切り絵、思いがけず大きく、貼られた紙が途中で継ぎ重ねられたりしているとはじめて知る。これはリトグラフではわからない。大量複製とは正反対の、退色してゆくしかない紙の集積……。

 モデルを前に描かれてゆく絵を撮ったフィルムが現存していて、小さなモニターで流しつつ、その完成品(複数の「ヴァリエーション」)を展示するという趣向もあった。子供の描くそれのように単純化された絵の女の目鼻立ちと、かつて生きていたモデルの現実の顏。ちょっとこの組み合せには興味をそそられた。こんなものを見ていいのかという気もするのはなぜだろう。クノップフの妹の写真なら、絵で見るほど美しくはなかったのだと思うだけだが、その絵が動いていると何が違うのだろう? マティスはクノップフのように美化するのではなく、通常の写実から、はずれてゆくわけだが。映画は「現在」であり、ロラン・バルトのいう「かつてあった」(=今はない)ではない。作品として完成したと見なされ、時間の中で古びてゆく絵の傍で、生き生きと動き出す「現在」(の幻)のほうについ注意をひかれてしまう。

 西洋美術館にはじめて来たのは、小学生のとき、新聞で記事を見て母親にねだって連れてきてもらったルオー展だった。長蛇の列で、母親は何でこんなものを見たがるのかとプンプンしていた(自分でもなんで見たかったのかわからない)。はるかに下って、地下に新しい企画展示室ができてからは、たぶん三回目。今年、早めの夏休みでアメリカから帰っていたJさんと、「栄光のオランダ・フランドル絵画展」(フェルメールの「画家のアトリエ」が来ていた)を見たのが二回目で、一回目は何だったっけ……。二回目だとわかるのは、本館の外が見える部屋にもうモネはないという話をそのときJさんにしたから。以前、ガラスの外に静かな雨が降っている日、人のほとんどいない部屋で見たモネ(有名な睡蓮よりむしろそれ以外の風景画の小品)が、外と同じに絵のなかもけむっていて実にいい感じだったのだ。今では印象派以降は、窓のない新館に移されてしまった。

 以前はその新館で企画展示をやり、見終ると常設展示の本館へ移るようになっていた(新館を出るともう戻れない)が、今では順路が逆(本館から新館へ)である。本館側開口部は上部がアーチ形で、その上の壁には絵までが描かれていたと思うが、これはもうずいぶん前からなくなっている。新しい壁で覆ってしまったのか、開口部もただの四角だ。どれくらい前だったか、モネ展(ウェブで調べると1982年だがそんな前?! それとも、そのあともう一度あったか)で、本館に近い最後に展示されていた「ジヴェルニーの小道」ほか晩年の作の前で近づいたり離れたりし——近づくと絵具が塗りたくられているだけだが遠ざかると確かに形があらわれてくる、逆に言えば、幻影に惹かれて近づいてゆくと物質としての絵具に遮られてしまう、その繰り返しに感嘆した末、ついに見尽せないまま見ることをあきらめて本館へ入ってゆくと、キャンバスに絵具がほどよくしみてものの形を浮び上がらせている古典絵画を見ることになり、これが絵ならさっきまで見ていたものはいったい何かと思ったものた。

 新しく、新館との境に自働ドアができていた。踊り場と展示室の境も、一階の彫刻のあるところ(常設展示の入口)にも、自働ドアが設置された。本館二階に見られる幅の狭い階段は、知るかぎりいつも通行止めだったが、もともと飾りだったのだろうか? 階段上のギャラリーは以前は背の低いパネルのような柵に囲われていたと思うが、入口を完全にふさがれて、天井まで届くアルミサッシ窓(ではないだろうが)みたいなものをはりめぐらされてしまった。その中に光源を入れて照明器具にした(???)【写真】。そういえば、新館の天井は渦巻式の孔が一面に並んでいて、できた当時、天候によって開いて外光を入れるというふれこみだった(サイトの記事を読んで思い出した)けれど、そして確かにあけているところを見た覚えがあるけれど、今では勝鬨橋のように閉まったままであるらしい。
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 雨で濡れそうなのでカタログはやめ、絵はがきのみ買う。
by kaoruSZ | 2004-10-27 17:23 | 日々 | Comments(0)