おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

月島から門前仲町へ

 女には「勝ち犬」と「負け犬」がいると強引に押しきってゲームをはじめること、あるいは、女には「エリート女性」と「ふつうの女性」がいると言いつのることと、「小説には二種類あり、厳密にその二種類しかない、地名の出てくる小説と出てこない小説だ」という ゴダール的断言とはどう違うのか(あるいは違わないのか)?

 ともあれ、『半島』のあとがきで松浦寿輝はそのように言い切っている。そして、少なくとも松浦の小説に関するかぎり、それは真実だ。

 にもかかわらず、瀬戸内海沿岸の半島から細い海峡で隔てられ、橋によってつながれている「島」という『半島』の舞台が、私には隅田川の河口の「島々」であり、彼の他作品同様東京の地名を持つかのようにしきりに思われるのだった。
 それは、『半島』という作品自体によりも、むしろそれを読んでいた頃、向う側へ繰り返し私が渡っていたことに原因があるのだろう……ある日、築地から思い立って勝鬨橋を渡った。はじめは、月島から地下鉄に乗ってあっさりこちら側に戻ってきた。次には、佃島の住吉神社がある、二十年以上前、上陸した地点を発見した(失われた水の都としての東京をたどる企画で、日本橋から舟で下ったのだ)。佃大橋を渡って帰り、次には中央大橋を渡って帰った。もう行くことはあるまいと思ったのに、またしても足を向け、今度は相生橋を渡って門前仲町へと足を伸ばした。舟下りより後になるが、短いあいだ本所緑町に住んだことがある。仕事をやめたばかりで、歩いて行けるところへは極力歩いた(アテネフランセへも日仏学院へも、映画を見に行くには両国から総武線一本で便利だった)。南下して至った一番遠い地点が門前仲町の赤札堂で、店はあったが、建物自体建て替えられているようだった。

 高校の学区が隅田川の右岸に沿った中央、台東、荒川、それに加えて足立区だったので、名簿で見ると月島から来ている子もいたし、もっと上流の大川端で育った同級生から、子供の頃は夏に川から吹く風がひどく臭かったと言う話を聞いたこともある。今、川沿いは整備されて、匂いがするとしても潮の匂いだけだし、水に親しめるよう、岸の近くは浅く整えられ、石段で下りられるようになっている。それでも水は生きており、干満の差は大きいし、思いがけぬすばやさで打ち寄せる。急に深くなるから入るなと注意書きがあるが、もしなかったとしても、いつ足許をさらい、呑み込まれるかわからない。相生橋の中之島の根元に閉じ込められた水は、行き場を失って飛びかかってくる。

 地図で見れば、ここは小説にあるような半島の先どころか、東京湾の奥まったところに過ぎず、私がたどった遊歩道、波が打ち寄せるそこは、隅田川が河口で二股にわかれる分岐点で、過ぎればすぐ相生橋、渡れば江東区に入る。二十年前に日本橋川から下ったときは、炒めたベーコンを混ぜたクリームチーズのサンドウィッチという、今思うとえらくカロリーの高いランチをたずさえていた。自分で全部食べようというのではなく、一緒に行った仲間と交換したのだが。今でこそ日本橋に覆い被さる高速道路撤去の話も出ているが、それが夢物語だったその頃、将来もしそうなればヴェネツィアの運河のように水面に映る景観が甦るはず、もともとこれは水路から仰ぎ見るべく建てられたのだと説明を受けた建築はとうに亡い。

 正確に言えば、その後、月島には一度、有楽町線で渡ったことがある。当時かの地の住人だった四方田犬彦の講演を、友人と聞きに行ったのだ。全然似合わないソフト帽をかむった四方田犬彦は、小津安二郎の話をした。質問をした年配の男性の東京弁が印象的だった。

 かつての上陸地点に近く、「元祖」と「本家」の佃煮の店こそ残っていたけれど、高層マンションに川沿いの土地を提供して、私の漠然とした記憶の中の佃島はもはや存在しないようだった。それでも、けっして悪いところではない。店々が変な看板を掲げてしまった下谷の例もある、もんじゃ屋程度に観光地化はとどめておき、願わくは軒を接した古い民家がいたづらに改築を望まないことを。

『半島』については、先にアサヒコムで、作者がヒント出しすぎのおしゃべりをするのを読んでしまっていた——結末の部分を書きながらベルトルッチの『暗殺のオペラ』のラストシーンを思い浮かべていたなどと……。結末は読む前からわかってしまったからそこまで行く過程が問題だが、千九百枚の原稿用紙(主人公が翻訳している伝記の訳稿)に匹敵するだけ、本文を書いていないではないか。内容については、驚くべきことに、かつて『もののたはむれ』が出たときに抱いた感想に何ひとつつけ加えることがない。詩に関するかぎり、男流作家と思ったことはないのだけれど。

 それ以前に読売の紙面で、11月に出るという次作についての記事を読んでいた。盗作をしたと非難される詩人についての小説を、自作の詩を使って書いたそうだ。
 自作って、『アレクサンドリア四重奏』のあれだろうか? それとも他にあるのかな。

『オニババ化する女たち』についてはここに書いた。

 鴎外から杏奴にあてた晩年の葉書等出てきたと、朝のTVで見る。小堀杏奴の息子、母の博文館日記や父(小堀四郎)との戦争中の往復書簡は焼却したとか(これは夕刊)。国立国際医療センターの名誉院長だったのか。文人でないだけあって(?)思い切りのいいこと。
 十一月二日は亡き両親の結婚記念日だった。文豪ならぬ父の半世紀を越える日記と、結婚前二年間に豊川-東京間で交されたおびただしい手紙の束と……それどころか、小学生だった父の藁半紙の答案から、建築の学生時代の製図やデッサン、曽祖父が祖父の通う小学校の建築費を寄付した際の東京市長の感謝状まで、階段の下と洋服箪笥の中に押し込まれているが——。

  金婚は死後めぐり来む 朴の花絶唱のごと蘂そそり立ち    塚本邦雄
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by kaoruSZ | 2004-11-05 20:34 | 日々 | Comments(0)