おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

「私たちは表象の横奪論をほってはおかない」訂正箇所のお知らせ

拙稿「私たちは表象の横奪論をほってはおかない」http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/eiga-4.html
のうち、第二章の次の部分を以下のように訂正します(ゴチック部分を追加)。

・Aさんの言う“リベラル系の男性ブロガーが彼であると知ったときは信じられない思いだったし(後略)

・Aさんの言う“リベラル系の男性ブロガーの一人が彼であると知ったときは信じられない思いだったし(後略)

 順に説明します。第一章で、私は友人のAさんからの、次のメールを引用しました。

《(前略)どうも「腐女子」という単語が一人歩きして属人的なレッテルになる
につれて、この人にはまったく関係無いだろうと思っていたような、いわゆるリ
ベラル系の男性ブロガーまで
「腐女子といわれるような連中が、ゲイ男性の人権を省みずに表象暴力を云々」
という様な発言をするようになっているのを見た時には、言うに言われぬ恐怖感
を抱かずにはおれませんでした。》
(引用1)

 ここで言及された“男性ブロガー”の一人(Bさんと呼ぶことにします)については、さらに二章において言及しました。以下にその部分を引きます。

「(略)驚いたことには、〈女〉であることのみじめさに苦しむ哀れな女(註3)が、さらに劣位にあるゲイ(註4)のイメージを消費している、男が自分より劣るとされる女の表象を消費するように、女は下位にいるゲイの男を……などと、どうしたらそんなことが思いつけるのかわからない説明をする人がいるのだった。百姓がエタ非人を蔑むみたいなこの言い方は、これもAさん経由で知ったのだが、やおいにパラノイア的憎悪を抱いているらしいゲイ男性のコメントに対し、ある男性ブロガーがしていたものだ。私もこのブログは知っており、むしろ好感を持っていたので、Aさんの言う“リベラル系の男性ブロガー”の一人が彼であると知ったときは信じられない思いだったし、過去のコメント欄にそういうやりとりを見つけたときは(Aさんは二度と見たくないと言っていたので、私は自分で探し出した)それ以上にショックだった。同性愛は生まれつきだから許してほしいとマジョリティのお情けにすがるに等しい論理で承認を求めるゲイ(男性)がいるように、彼は女の代弁をして、女はそうせざるを得ない状況に置かれているのだから許してほしいと言わんばかりに、そのゲイ男性と「腐女子」の間を取り持っていた……。」(引用2)

 ここで私は、当該ブログ名もURLも明記せず、直接的な引用という形も取りませんでした。5月1日に私はBさんにメールを送り、そのようにした理由を説明するとともに、Aさんの言う“リベラル系の男性ブロガー”がBさん一人であるかのように読めてしまうのは私のミスなので、ブログ上でそれは訂正するつもりだし明記もやむをえないかもしれない旨伝えました。それに対しBさんからは、参照先を書かなかった理由については十分納得できるから、明記せずともよいという返事がありました。

 もう一つ、Bさん(とそのお仲間)にとって気に入らなかったのが、「この人にはまったく関係無いだろうと思っていたような」という部分でした。つまり、やおいに「関係無い」どころではないBさんであるのに、それを知りもしない鈴木やAに勝手なことを言われたと受け取られたのでした。

 しかし、この部分は、やおいについてそのような(ネガティヴな)発言をする可能性があるとは想像もしなかった人が、というほどの意味でAさんは書いているのだろうと、少なくともBさんについては私は読みました。もともと公表を前提としない私信であってみれば、そうした例が具体的に書かれてあったわけではなく(私が原稿を書くにあたって、本人の了承を得た上で引用したのです)、メールを受け取った時点では、そのようなケースが複数あったのだろうとのみ私は理解していました。実際にそれらのサイトを教えてもらったわけではなく、繰り返しになりますがBさんがその一人であるとは思ってもみなかったのです。

 ちなみに、拙稿が公開されてのち、Aさんは、(Bさんではない)「リベラル系の男性ブロガー」二人に、メールの引用部分は貴方のこと(でもある)ので、鈴木の文章をぜひ読んでほしいというメールを送りました。そして一人の方からは、十分に知識がない事柄についてあのような言及をしたのは軽率だったと率直に誤りを認める返事が、そしてもう一人の方からはより深刻な、鈴木の文章にショックを受けわが身を省みているといった趣旨の返事が届いたそうです(ちなみに、彼らの「誤った」知識源は、Bさんがブログのコメント欄でやり取りをしていた相手と同一人物でした)。

 ウェブ上での彼らの発言を目にした時には苦しい思いをするばかりで声を上げられなかったAさんでしたが、その代弁を、あの原稿という形で、どうやら私はいくらかはなしえたようです。また、Aさんも、思い切って話せば理解してもらえるという手ごたえを得られたようで、その意味でもあれを書いてよかったと思っています。

 さて、この二人の“男性ブロガー”の場合は、「よく知らないことについてうっかり発言してしまった」のでしたが、Bさんはやおいについては十二分の知識を持っていて、しかも、あのような発言をしているのですから、同日の談ではまったくありません。

 URLの明記を避ける理由については、察しのいい方はすでにおわかりでしょうし、別に、絶対に明らかにしないというつもりでもないのですが……しかし、今回の拙稿は、Bさんに対する批判に特化したものではありませんし、私があのような形で書くに至った状況を明らかにするためにその発言にも触れたに過ぎないのですから、とりあえずは伏せておくことにします。今後、当該発言を直接問題にする機会(きっとあると思います)には、ブログ名等はむろん明らかにします。

 訂正については以上ですが、この機会に、引用2で問題にしたBさんのコメントについて、どこがおかしいのか簡単に述べておきます。説明しないとわからない人たちがいますので。

彼等は自分と同等
もしくは上の人間には
欲望を感じません
(中略)
明らかな弱者
ゆえ安心して
欲望するのです
自己(おのれ)の
無力感を
はらすために
さらに無力な
者をねじ伏せ
るのです


 Bさんの説による、「やおい」を楽しむ女の欲望のあり方は、ひょっとしてこんな感じなんでしょうか? これだけでも全くリアリティありませんが、さらにBさんは、やおいとは女が男に恥辱を与えるために、自分より劣位の同性愛者のイメージを使うものだと言っています(直接の引用でなくて申し訳ありません(Bさんに対しても)。しかしポイントは外していないはずです)。

 私はつい、「どうしたらそんなことが思いつけるのかわからない」と言ってしまうのですが、Aさんは「この人はなぜそういうことを言うのか」と考える、洞察力に優れた人です。そのAさんの示唆を受けて考えたのが以下のことです。

 コメント欄の相手とは話がまるきり噛み合っていない、Bさんのいわばひとり語りに見えるコメントから、確実にわかることが一つあります。Bさんは「やおい」に関して、「男が(他から)恥辱を与えられる」というのが重要なポイントだと認識しているということです。

 それならばマゾヒズムとの関係で、私もそれがやおいにおける重要なポイントだと考えます。フロイトの論文“The child is being beaten”で、女の子が、(彼女の空想の中で)打たれている=恥辱を与えられているのは男の子だと証言していることともこれはかかわります。

 しかし、表にあらわれた空想の内容が男の子が「恥辱を与えられている」というものであったとしても、それをそのまま「恥辱を与えるため」にしていると解したのでは、「表現」というものについて何も理解していないということになりましょう。

「腐女子」に一般化しての、自らとは切り離しての言及ではなく、自分にとって「やおい」はどのように「恥辱」とかかわるのかを認識した上での発言であったら、それこそ、Bさんにとってもそれ以外の人たちにとっても有益だと思うのですが……。

 ある時私は、ゲイ男性であるCさんから、ポルノを見るノンケの男性(の一部)が画面の女性に同一化している可能性について書いていたのは誰だったっけ、と訊かれました。田崎英明でしょう(以前、Cさん相手にそんな話をしたことがあったのです)。それから山崎カヲル、と私は答えました。

 ゲイポルノで、ゲイがノンケの男をレイプするのがあるんだけと……とCさん。

 ああ、その場合、ゲイがノンケの男に同一化するのね、と私。

 それとも、その場合、ゲイはどっちに同一化すると思う? と訊かれて、そりゃノンケでしょう、と答えたのだったか。ともあれ、私も即座に理解しました。「やおいもそれで説明できると思う」というようなことを言った覚えがあります(あくまで部分的な説明です。念のため)。
 当然のこととして、『直腸は墓場か』のレオ・ベルサー二の名前が出ました。

 Cさんが例に挙げたゲイポルノの場合だと、劣位のゲイ男性が、優位のノンケ男性の表象を使っているわけで(Bさんの、優位、劣位というのに倣って言えば)、劣位の者を使ってポルノが作られるというBさんの説とは相反します。

 やおいにおいて、劣位にある(とされるとBさんが思い込んでいる)ゲイ男性に恥辱を与えることのどこに「萌え」があるというのか。

 そもそも、そこで恥辱を与えている(とBさんが思っている)のは誰なのでしょう?
 
 そしてそのとき、Bさん(“当事者”としての)はどこにいるのか。

 Bさんが何に萌えようと自由ですし(実際、「恥辱」は性的ファンタジーの重要な要素です)、男性であるBさんとやおいの、そのような形式(どのような形式か私は正確に把握しているわけではありません)を取ったかかわりが語られることは有意義であろうと思います。しかし、それをもって、腐女子一般に適用するような、いや、腐女子一般を代弁する(代表して語る)ようなことはつつしんでいただきたいものです。

 まして、(控えめに言って)理不尽極まりないやおい批判者におもねるためにそれをするとは。
 そんなつもりはないとBさんは言うことでしょう。そして、Bさんの意識としては、本当にそうなのでしょう。何の悪気もなく、善意から女性のために発言しているのだと。
 しかし、どう思っているかと、言説が実際にどう機能するかは別のことです。

《「家長が自分の縄張りに属する女の不始末を詫びている」ように見えるし、実際Bさんにはそういう影響力がある。》
 これは件のコメント欄でのBさんの振舞いについての、Aさんの意見です。

 Cさんの言うゲイポルノの例では、なぜ、レイプされる男がノンケとして設定されるのか。
 なぜ、それを楽しむゲイ男性は、セメとして「上位の」ノンケ男性を犯すのではなく、わざわざ自分をノンケと思いなしてウケに同一化するのか。

 話はかように一筋縄では行かないのです。こうしたことがわからなければ、やおいの理解などとうてい覚束ないことでしょう。

 なお、赤字で引用したのは山岸凉子の『緘黙(しじま)の底』において、実の娘に性的虐待をする父親について語られる科白です。「無力な子供」を「無力な者」に変更しました。
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by kaoruSZ | 2008-05-25 05:34 | ジェンダー/セクシュアリティ | Comments(0)