おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

2005年 10月 04日 ( 2 )

 10月1日、前回、前半眠ってしまった(いつもながら睡眠不足のため。映画が退屈で眠るということはまずない)『まごころ』を見に11時の回へ。10時31分の電車で、間に合うかドキドキ。それでも間に合って、見られて本当によかった。涙したのは、富子(役名)が信子(同)に、富子の母は自分の父と結婚するはずだったのだと聞かされて泣き出し、それを見て信子も泣いてしまい、丸太のベンチの上で同じ方向(信子が富子の背中を見る)を向いて二人泣くところでではない。私が涙ぐんだのは、信子が川に入って足を怪我する前の、水着姿の川辺のシーンだ。富子の母と信子の父が結婚していたら、「あなたでもわたしでもない子供」が生まれていたと信子が言い、それは彼女たちをともに否定するものであるはずなのだが、半分あなたに似て半分わたしに似た子供、とさらに続けることで、信子は実は現在の自分の母を否定してしまっている(富子の父は故人だからここからは外れるが、川へ来る直前の場面で、富子の亡父が飲んだくれのろくでなしだったことは祖母の口から暴露されており、さらにこのあと、富子は父の写真を母の箪笥の抽出からそっと出して眺めるのだが、観客にはその容貌は判別できないまま、信子の父の顏がオーヴァーラップする)のだが、それでもなお、まるで互いが互いの半身になったように感じて(と言葉に出して言われはしないが)、二人はほほえみあい、頬を寄せあい、するとキャメラは二人の後ろに回って、柔らかな頬のすきまに川面がかがやくのだ。

 このあと、信子が足に怪我→富子が走って母に知らせる→富子の母と富子が駆けつけると、信子はすでに浴衣をはおっていて信子の父(それ以前に、父が釣りに来ていることは、富子と私たちにさりげなく紹介されていた)がそばにいる→思いがけない再会をする二人の大人と、それをじっと見つめる二人の子供→富子の母が信子の手当てをする→信子が父におぶわれての別れと話は進む。そして翌日、お礼として箱入りの大きな抱き人形が富子の家に届けられるが、大人たちの困惑を察して、富子は人形を返しに行く。自分のあずかり知らぬところで進んだこの一件を知り信子の母は夫をなじるが、かえって自分の非を認めざるを得なくなる。この間、父に召集令状が来て「尊い御奉仕」へ行くことも明らかになる。信子は親には告げぬまま、人形の大きな箱を抱えて富子のもとへ向かう。それを知った信子の母は、ひどい言葉を口にしてしまった富子の母にもあやまりたいと夫に告げてあとを追う。大樹の張り出した枝の下の道を、浴衣姿の富子が足をひきずりつつ歩む後ろ姿。木の下でセーラー服に夏帽姿でひとり面伏せにたたずむ富子。

 この映画はここで終ってもよかったはずだ(と、最初私は思った)。このあと画面は突然変わり(おなじみの大胆な省略法)、軍装で送られる列車の中の信子の父、富子と信子、富子の腕に抱かれた人形、富子の母と信子の母がプラットフォームで人々に混じって送る出征シーンになる。映画が制作された昭和14年という時代がこうした終り方を必要としたという事情は確かにあろう(映画内の設定も昭和14年で、彼女たちは六年生だから十二才として昭和2年生れ、私の母と同年だ)。冒頭の、出征兵士を送ったあととおぼしき愛国婦人会の列へ戻ることで円環を閉じてもいるのだが、しかしそれだけではあるまい。
(つづく)
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by kaoruSZ | 2005-10-04 00:27 | ナルセな日々 | Comments(0)

東洋永遠平和の敵

 30日の1時の回、『妻よ薔薇のやうに』見たが、疲れていて駄目。傑作なのか? わからない……。勤め先へとんぼ返りし、面倒な事案どうにか片づけ、7時の回に再び来FC。席を確保した直後満席に。今度は覚醒phase。『上海の月』、国策映画の断片(半分以下だとのこと)で、タイトルも何もなしに途中からはじまる。どんな映画でも、物語に入り込んでいない冒頭では特に形式ばかりに目が行くことになるが、頭が欠けているのでたまたまはじまりになった、大川平八郎が室内から出て車に乗り込み、走り出すと待ち伏せていた車が尾行して上海市内を走行するあたりも、見事なカメラワークに目を奪われる。中国人の女スパイが山田五十鈴とはチラシ見るまで気づかず。最後に映像に重ねてお題目がぞろぞろ出るが、それが、テロを憎む、テロは敵だとそればっかり。なんてタイムリー! 日本軍が列車顛覆させてもテロじゃないが、抗日ゲリラはテロ、真珠湾攻撃はもちろんテロじゃない。テロは東洋永遠平和の敵という一行もあって、もう誰も覚えていなかろうが、この「東洋永遠の平和」とは大東亜戦争のスローガンの一つ(平和のためと称さない戦争はない)、なんで私がそんなことを知っているかといえば母に聞かされたからで、べつに母は戦時中の体験を伝えようとしたのではなく、女学校の朝礼か何かで教師が毎度「東洋永遠の平和の基[もとい]!」と大声で叫ぶ、その発音が「もとえ!」となまっていたのが、後年繰り返しわが子に話さずにはいられないほどおかしかったというだけだ。

『秀子の車掌さん』、これが『上海の月』と同じ年('41)なのだから驚く。成瀬は傑作が多過ぎるため、そんなにいい出来には見えない。最後のバスの後ろ姿、本物の馬を追い立てて芝居の馬が駆けてゆく、『旅役者』幕切れの二頭の後ろ姿を思い出させる。笑わせるけれど、カタストロフはすでに起きてしまっているのだ。
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by kaoruSZ | 2005-10-04 00:16 | ナルセな日々 | Comments(0)