おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

カテゴリ:この分類に含まれるもの( 6 )

 私の発見をほめてくれた先生は、しかし、私の金魚鉢の絵にいい点をつけてはくれなかった。自分でも満足のいく出来ではなかったから仕方がないが。目のつけどころはよかったかもしれないが、技術が伴わなかったのだ。
 夏休みに描いた自画像は、その点、気持ちよく描けた自信作だった。今までにない描き方をしたという自負があった。とにかく、忠実に描いたのだ。白地に赤や青の小花をつないだ模様がストライプ状に並んだ夏服(母が縫ったワンピース)を私は着ており、その花柄も克明に描いた。前述のとおり、図工は専任の教師がみていたのだから、夏休みの作品でなかったら、担任のNが教室でそれを批評するなどという場面はありえなかったに違いない。
「大人でもこのくらいにしか描けないんだから」、とその絵を掲げてNは言った。「もうちょっと子供らしさがほしいな」

 この言葉は私を当惑させた。「大人でもこのくらいにしか描けない」——これはほめすぎだと思われた。たとえNにほめる意思がなかったとしても。私は上手になりたかった。大人のように。大人になれば(技術を身につければ)、もっと上手に描けると信じていた。その時点ではよく描けたとはいえ、まだまだその先があると思っていた。その可能性を否定され、「子供らしさ」という思いもよらないものを求められたのだ。

 Nならば、野口シカの手紙を「文章読本」の見本に引用するのをためらわなかったかもしれない。斉藤美奈子は『文章読本さん江』で、そういうやり方を笑っている。野口英世の母の手紙は確かに感動的だが、これを文章の手本として称揚するのは、要するに珍獣扱いだというようなことを言っていたと思う。シカさんも、本当はもっと「上手に」書きたかっただろうというのだ。

 Nが山下清の才能を通信簿にたとえて紹介したとき、私は違和感を感じたが、それは、私には、「ほかの勉強は全くできないのに、絵だけはうまいなんてすごい!」という発想自体がそもそもなかったからだった。「ほかの勉強」ができることは絵がうまいことの理由にならないのと同様に、また、絵をうまく描くことの妨げにも少しもならない。なぜこの二つを結びつけて何か言えるなどと思うのか。

 保護者参観日の授業と、そうでない日の授業と、みんなはどっちがやりやすいかと、Nが私たちに聞いたことがある。私はいつでもNの意図を読み取るのに苦労したが、このときもそうだった。質問の趣旨がわからなかったのだ。悪いことに、Nは私を真先に指名した。しかたなく私は、参観日、と答えた。ふうん、という感じの反応を見せて、Nは他の子供をあてた。参観日でない日、という答えを得て満足そうに言った。先生も、誰も来ていない日の方が気楽だよ。なんだそういう意味か、と私は思ったが、同時に疎外感も感じた。そういう口をきくのが型にはまらぬやり方だと、Nは考えているようだった。参観日だから気をつかうという発想が、私にはまるでなかった。参観日と答えたのは、親が来ている日の方が、Nがまだまともに(普通の教師らしく)振舞ってくれるだろうという考えが頭をかすめたからだった。

 今思えば、Nは問題のある教師だったのだ。たぶんひねくれ者の、落ちこぼれだったのだろう。規範から(悪く)ずれていた彼は、規範から外れることをよしとしていたのだろう。そして私のことを、規範に沿った優等生だと思っていたのだ。
 誤解だし、大きなお世話だった。彼は規範から外れていたが、その外れ方は凡庸だった。アウトサイダー・アーティストのように外れることなど、できるわけもなかった。私の方は、実のところ、何が規範であるのかさえ本当は知らなかった。彼に見えていた私は、私のほんの一部だった。オスカー・ワイルドは生活には天才を注ぎ込み作品には才能しか使わなかったと言っているが、私が彼の前で披歴していたのは、言ってみれば学校という場に合わせた才能にすぎなかった。「上手に」描くことを望んでいた私もまた、アウトサイダー・アーティストではありうべくもなかったが。
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by kaoruSZ | 2005-03-19 07:40 | この分類に含まれるもの | Comments(0)
 最近書いた記号をめぐる話に、以前書いて「つづく」にしていた記事を足し、これまでカラだった「この分類に含まれるもの」という項目に分類しなおした。もともとこのカテゴリー(長音をつける方が好みだからつける)名自体は、フーコーが引用したので知られるようになった(のであろう)、ボルヘスの短篇に出てくる「ある中国の百科事典」の、項目の一つをもじって遊びで載せておいたものだ。別に何を入れる予定もなかったが、うまい新カテゴリーも思いつかないのでこれを使うことにした。読者には、「カテゴリ」欄から「この分類に含まれるもの」を選んでクリックしていただき、ゆるい関連を持つトピックとして読んでいただければ幸いである。

「ヘーゲルや」(2004.12.16)で言及した『アウトサイダー・アート』の著者、服部正は、同書の前書きを、幼いころに経験した絵をめぐるトラウマ的なエピソードではじめている。父親の絵を描くという課題が出たとき、父上は日焼けしている人だったので迷わず顏をこげ茶で塗ったところ、先生にはほめられて高々と掲げて皆に紹介されたが、級友たちからは失笑を買った——その先は容易に想像がつこう。彼以外の全員が、父親の顔を「肌色」のクレヨンで描いていたのだ。

 以来、服部さんは、思い通りに色を選べなくなったそうだ。「さりげなく周囲を見回しながら、級友たちと似たような絵を描くことだけに苦心した」。そして、二十歳のときに「アウトサイダー・アート」に出会う。美術に関わる仕事を目指すようになったのは、規範から自由な「アウトサイダー・アート」から受けた強い印象からだとさえ言う。

 実は私も子供のときの、絵を描くことをめぐる体験のいくばくかについて触れたいと思っていた。それは、アウトサイダー・アーティストの一人としてこの本に紹介されている、山下清という名にレミニッサンスを刺戟されたからでもある。山下の名は、小学二年のときの担任からはじめて聞いた。山下清という人は、と黒板に棒グラフめいた図を書きながら、彼は私たちに説明した。国語も算数も理科も社会も、1よりもっと下だけど(そう言いながら、横軸のゼロより下にしるしをつけたのだろう)、ただ図工だけは、5よりずーっと上なんだ(そう言って、図工をあらわす棒だけを、はるか上まで延ばしてみせた)。

 私はこの教師が嫌いだった。その理由を詳述するのは避けるが……今思えば、彼は教師の中でも、はぐれ者だったに違いない。一種の、それこそアウトサイダーだったのだろう。だが、子供にはそんなことはわからない。型破りな教師であることすらわからずに、いちいちまともに相手をするしかないのだから、考えてみれば迷惑な話だ。何よりも嫌だったのは、自分がそういう彼に、明らかに目をつけられていることだった。いや、目をかけられていたというべきなのだが、それさえ当時はわからなかった。ただ、相手から強い関心を持たれていることはわかる。進級して担任ではなくなっても、母に言われてこの教師に年賀状を書いた(私の母は、元の担任に年賀状を出さないことなど許さなかった)。それで仕方なく出すと、向うは返事のハガキに「兎のように優しい子」などと書いてくるのだ(むろん私のことである。たまたまウサギ年だった)。マジで(当時そういう言葉はなかったが)気持ちわるかった!

 この教師が、私が夏休みに描いた絵を、皆の前で批評した。服部さんの場合のように、それがトラウマになったわけではない——とはいえ、それは私を途惑わせ、不快にさせた。

 その絵は私が、はじめて意識的にリアリズムで描いた自画像だった。リアリズムという言葉を知っていたわけではもちろんない。しかし、そういう描き方は知っていた。なぜなら、二年生になると、図工の時間は専任の教師が担当するようになって、そのはじめての授業の日、図工の教師は金魚の入った水槽を持ってきて教卓に置き、それを見えたとおりに描かせようとしたからだ。

 彼は——白髪の老先生だった——まず、他のクラスの子がすでに描いた絵を私たちに掲げて見せた。どれも、金魚鉢の中は「みずいろ」で塗られていた。金魚鉢は本当に水色だろうか、と彼は私たちに問いかけた。
 私たちは——少なくとも私は——驚いた。直前まで、金魚鉢の中の水は当然「みずいろ」で塗るつもりでいたのであり、金魚の赤、藻の緑、そして水色という配色を、すでに想像の中で楽しんでさえいたのだから。

 実際、金魚鉢の水は水色には見えないことを私たちは認めた。
  ——では、何いろを塗ったらいいと思う?

 私は最前列にいた。老先生は私の机にズボンが触れるほどの近さで立ち、私の頭上でそう問うた。私は金魚鉢を注視した。ガラスを通して、その向うにある教室の壁が見えた。二階建ての木造校舎の、その春私たちが二年生になって一階から二階に移ったばかりの、しかし造りは一年生のときと同じなので外を見なければ二階であることを忘れてしまいそうな教室の壁一面を覆っている、見慣れた薄緑のペンキを塗られた羽目板が。
 先生を見上げて私は答えた。「金魚鉢のうしろにあるものの色をぬる」
 思いがけない方向からの声に、先生は私を見おろすと、私の頭に片手をおいて、「この子はいいことを言う」と呟いた。そしてそのあとはずっと、説明が終って実際に絵にとりかかるまで、大きな温かい掌は私の頭の上にあった。
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by kaoruSZ | 2005-03-18 23:22 | この分類に含まれるもの | Comments(0)
 読売の記者である鈴木美潮さんが、15日の夕刊にエレベーターの三角マークのことを書いていた。間違って閉じる方を押して人を挟んでしまい、「イヤな女」になってしまうのだそうだ。ウェブでもあれがわかりにくいという意見はよく見るという。
 私は、自分で書くに先立って一応検索を試みたものの、キーワードの選択がまずかったのか、そのときは一つも見つけられなかった。下のjjさんのコメントによればアメリカ人にもわかりにくいのだそうだから、どうやら、私だけが「絵文字の読めない女」ではないらしい。

 しかし私は、わかりやすい、夾雑物のない、透明に意味を伝える記号を、指向したり、提唱したりしたくて下の記事を書いたわけではもちろんない。美潮さんの記事の趣旨はそうだし、以前、同じコラムで「オニババ化する女たち」を彼女が取り上げたときも、確か、著者の主張に従ったのでは働きながら子供は育てられない、という、実際的な理由から反論していたと思う。まあ、ブンヤというのはえてしてそうしたものだろう。私はといえば、女という「自然」を標榜する三砂の言説が孕むイデオロギー性をこそ問題にしたのだった。

 さて、三角形の向きで読み取るのと、門構えの中の記号の差異で読み取るのに、決定的な違いはない。ア・プリオリに三角形の方が簡単だということはありえない。それをたとえばアメリカ人が、開も閉もアルファベットのように普遍性、合理性のない「東洋人の使うゴシャゴシャした形」(jjさん)と感じるとしたら、本人たちにとってどんなに自然であろうとも、それはけっしてニュートラルな感覚ではありえない。理解する必要(と価値)がないと思っているから理解しないのだ。中国人は日本の仮名を見て、由緒正しい漢字をしょうもなく変形させて、と思うかもしれないし、逆に韓流ブームがきっかけでハングルに関心を持った人には、あの「ゴシャゴシャした形」が意味を持って見えてきたことだろう。

「開」と「閉」を見せてどちらがひらいておりどちらがとじているかと尋ねる「外国人」として、実は私が想定していたのは父方の祖母である。幼いときから口べらしに外へ出されて育ったそうで(「おしん」みたいなものだ)、学校へは一度も行っておらず、むろん読み書きはできなかった。「ヨシはあたしの三十八のときの子だよ」と繰り返し私の父のことを言っていた(「ヨシの子がこんなに大きくなるまで長生きするとは思わなかった」という科白がそのあとに続く。幼い私を前にして、他の大人にそう言うのだ。そのたびに、私はこんなに小さいのに、おばあちゃんはなんで大きいと言うのだろう、と思っていた)祖母は、生きていれば(なんと)百十八歳で、もちろんとうにこの世の人ではない。
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by kaoruSZ | 2005-03-17 06:12 | この分類に含まれるもの | Comments(0)

絵文字が読めない女

「開」「閉」なら問題ない。ほとんどオートマティックに見分けてボタンを押す。
 それなのに、職場のエレベーターときたら、階をあらわす数字の下に、三角形を組み合せた変な図形が二つ並んでいる。どちらも、三角形が左右対称に配置され、細い縦線が中央に引かれている。そして、
【記号1】「三角形が線を挟んでカドを突きつけ合っている」が「閉」を、
【記号2】「線と平行に辺を並べ、外側にカドが向いている」が「開」を意味するのだ。
 なぜ?
 中央にカドを向けた三角形は、左右の翼を外へ向かって大きく広げたところであるように私には見える。これは「ひらく」だと、直観的に思ってしまう。一方、縦線を境に並んだ二つの辺は、ぎりぎりまで近づけられた手のひらのようだ。強い力が両側から加わって、接触面を最大にしつつ均衡を保っているように思われるのだ。
 もちろん、立ち止まって考えてみれば、これが矢印の変形であることが理解できる。
 要するに、
  
   【記号1】は  →|←  と、   

   【記号2】は  ←|→  と同じなのだ。

 だが、いうまでもなく、エレベーターに乗る際は、いちいちそんな分析をしている余裕はない。私が「ひらく」のつもりで咄嗟に押したボタンのせいで、人が挟まれてしまうかもしれないのだ。
 上のような矢印にしておいてくれたなら、私にも一目でわかったのに。洒落たつもりで三角形になんかして。
 あるいは、もう少し三角形が小さく、また、中央の線から離れていれば、私にも読みとれたかもしれない。
 もちろん、三角形は上下の行き先をあらわすものでもある。▲と▼。これは一目でわかる。第一、それ以前に、ボタン自体が上下に配置されている。

 以前、こうした絵文字は、職場の中でも新しい区域のエレベーターにしかなかった。たまに乗ってわかりにくいと思いはしても、それだけだった。ところが、今では古い建物もすべて改築され、開閉ボタンはすべて絵文字になった。外国人にもわかるように。そうした配慮もあるのだろう。
 しかし私にはわからない!
 閉まりかけたところに来た人のため、本来ならボタンを押してしかるべき場合でも、間違いそうで私にはうかつに手が出せない。以前、そういう状況で、自分でボタンを押してドアを開け、乗り込んできた女性に向かって、この記号わからなくてと洩らしたことがある。相手は、「私もです」と言ってくれた。

 エレベーターのドアが開くと、大荷物の台車を支えた業者の人が後向きに立っていた。手前のわずかなスペースに、私ともう一人の女性が乗り込む。私の前にボタンがあった。閉じるボタンを押そうとして、固まった。
「右」と彼女の声。私は右側のボタンを押した。
 上昇するエレベーターの中で、ボタンを指して私は言った。「私、どうもこれがわからなくって。漢字にしてもらった方がいいんだけど」
「頭脳派なんだ」と彼女は言って降りて行った。

 いや、そうじゃないな。絵を勝手に読みとってしまうんだから。でも、読みとりは本来すべて恣意的なものだろう……。いったい何派なんだろう?
 澁澤龍彦が、スカートをはいた赤いひとがたのトイレのマークから、それが女性用だということを自分は読みとれないと書いていたことを思い出す。あれは、自分が根っからの文字派であることを言いたかったのだろうか?
 女性用を表わすマークまで読みとれないとは言わないが、上野ABAB(アブアブ)のトイレの不思議な表示には頭を悩ませたものである。男性用のトイレなのだが、鷺だか何か、長い脚の鳥が立っている絵が、スカートをはいていない男性マークのあるべき場所に掲げられているのだ。どうして鳥が「男」の意味に?

 エレベーターの中でのように咄嗟に判断しなくていいので、ぼんやり考えをめぐらせた。男が鳥なら女は何? 立っている鳥……男は立ってするから? では女は? 何かすわっている動物か? それにしても何という発想!(と、それが自分の発想とはまだ気づかずに考えた)。なんの動物だろう、ぜひ見なければ。
 上野ABABは一箇所に男女どちらかのトイレしかない。上だか下だか忘れたが、階段を伝い、隣接する階のトイレに急いだ。
 そこにあったのは、女性用トイレであると誰にも見誤りようのない、赤一色で描かれた、つば広の帽子をかぶった女性の横顔だった。
 狐につままれた思いで、私はもとのフロアに戻ってきた。(どうして男のほうは鳥なんだ?)

 鳥の絵を見つめるうちに謎が解けた。それは黒一色で描かれた、男性の横顔だったのだ。目や眉といった細部は省略され、マネキンのように黒く塗りつぶされた横顔の中で、耳やもみ上げやそれに続く生え際だけが白く抜けている。私の目にはその白と黒、つまり図と地が反転して見えていた。耳の丸みは白い胴の輪郭に、もみ上げの線は長い脚に、こめかみから額にかけての生え際は鳥の首に、さらに頭とくちばしへと続いているように、鳥の姿が黒い背景から浮きだしているように見えたのだ。
 一度誰かを連れてゆき、鳥が見えないかと尋ねてみたかったが、その機会のないまま時は過ぎ、ABABのトイレの表示はありふれたそれに変わってしまった。あの、澁澤が自分には理解すらできないと言った赤と黒のひとがたに。

 漢字を知らない外国人には、本当に「開」と「閉」がわからないだろうか? どちらが「ひらく」でどちらが「とじる」なのか……うーん、やっぱりわからないかな。
 「開」と「閉」のどちらかが女を意味し、どちらかが男を意味すると言って、選ばせたらばどうだろう?

 さて、私はといえば、あのあと不思議に間違わない。あの、乗り合わせた人の「右」という声のおかげで、閉めるのには「右」を押す、と覚えることができたらしい。逆に言えば、絵文字の意味を読み取ろうとすることをあきらめて、「右」という言葉に頼ることにしたらしい。
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by kaoruSZ | 2005-03-09 23:44 | この分類に含まれるもの | Comments(4)

宮川淳『引用の織物』

 12月16日付の記事「ヘーゲルや」が、(つづく)のままでした。続きを書こうと思います。二つ前の記事のコメント欄で黒猫さんと回顧談になっていますが、そこに名前の出てきた宮川淳——「ブリコラージュ」という語をはじめて見たのも、思えば彼の文章の中でした(そういえば、文化人類学の研究者Mさんの先生として名前を知った小田亮の著作にも、思いがけなく宮川淳の名が出てきましたっけ)。私が子供のときから使っていた机の抽出には、今でも新聞から切り抜いた『引用の織物』の書評が入っているはずです(実家に置いて出たのを親が勝手に別宅へ運んでしまった机は、抽出の中だけ何十年も時間が止まっています)。ブリコラージュする人(ブリコルール)は、全体的な計画に基づいて材料を集める技師とは異なり、できあいのもの、手近なありあわせのもので創作します。ちぐはぐな断片の総体は、けっして全体へ還元されることがありません。引用することで文学的伝統に回帰するのではない、深さをもたぬ横滑り……。

 手許に切り抜きも『引用の織物』自体もないので、手持ちの語彙でそれらしいことを書いてみました。こうした概念から私が真先に思ったのは、これは〈夢の仕事〉でもあろうということだったかもしれません。つまり、日常の些細な断片(フロイトのいう「昼の残滓」)を元の連関から切り離し(それによって断片化し)、取り込むことで、それらしい見せかけだけの体裁がととのえられる夢の織物。まだ現代詩を知って間もなかったと思いますが、文字列の一部をゴチックにした詩節のあとに、今度はゴチックになった断片ばかりを集めて別の文脈の中へ配置する入澤康夫の作品などは、夢の構造そのもののテクスト化と感じられました(たとえば夢を描写することからどれほどそれが隔たっていることか)。「詩は表現ではない」と断じた入澤が擬-物語詩と呼んだ贋の物語、感じたことを〈素直に〉書くことから最も遠い、ブリコルールとしての夢-詩人による、通常の語の使用とは異なった紙の上の横滑り——。

 前回私は、俳句は連歌から来ており、連歌は和歌から来ている。こうした歴史抜きで俳句は理解できない、あるいは俳句について論じるのは無意味だと一応は言えるだろう。一応、と留保をおくのは《父》に回帰しない読みという、今回の読書会で出たコンセプトとからむ話であり、また、『俳句をつくろう』の前に買った『アウトサイダー・アート』(服部正、光文社新書)から伸びている思考でもある。私の設問は次のようなものだ——「言語藝術にアウトサイダー・アートは存在するか?」と書きました。全体化とは別の原理によって成立するちぐはぐな総体という概念がまさしくこうした問題系に接続しうるものであるのは、たやすく見て取れましょう。たとえばヘンリー・ダーガーの作品など、まさしくブリコラージュと呼んでいいものです。彼は、拾った雑誌などから女の子のイラストレーションを切り抜き、それをもとに、拡大したりトレースしたりして膨大な絵を描きました。はらわたがはみ出す残酷描写と称されるものを展覧会で見ましたが、それは実際には理科の教科書などにもある、あの正面から見た解剖図でした。女の子がどんなポーズを取っていようと、内臓は整然と引用されています。それにしても、それらを挿画とする一万五千ページだかの小説の方はどうしたのでしょう? 画集は出ても、こちらは訳される気配もありません。ダーガーが読書家だったとは聞きませんので、想像するに単調で面白くないのでは?(またつづく)
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by kaoruSZ | 2005-01-27 14:27 | この分類に含まれるもの | Comments(0)

ヘーゲルや

『俳句をつくろう』(仁平勝、 講談社現代新書)という本を買ったのには、先日の「きままな読書会」の際、議論が一段落したところで出た、「【ヘーゲルの担うに重き自明性】は俳句になっている!」との指摘にぜったい関係がある。この「句」自体、[デリダの]「バタイユ論の冒頭のエピグラム、バタイユからの引用」であり、それを田崎英明が、「現代思想」のデリダ追悼号によせた文章の中で引いている。これについて、

 ——季語がない!
 ——いや、無季俳句だ!
 ——田崎さんは意図的にやっている!
 ——それはありえない!
 ——「作者の意図」には関係なく、効果として意味が生じている。さっきのところでデリダも言っていた!

と談論風発、大笑いだったのだ。
 
 あとで一人になって思い出し笑いしつつ、「ヘーゲルや」と切れ字にしてはじめて俳句と言えるのでは、と思ったり、「ヘーゲル忌」とすれば有季になる(ヘーゲルの命日はいつかって? 知るものか!)などと考えるうち、俳句について知識を得たくなった。『俳句をつくろう』は、俳句はなぜ五七五という形をしているのか、というところから説き起こす、わかりやすくて面白い本だった。俳句は連歌から来ており、連歌は和歌から来ている。こうした歴史抜きで俳句は理解できない、あるいは俳句について論じるのは無意味だと一応は言えるだろう。一応、と留保をおくのは《父》に回帰しない読みという、今回の読書会で出たコンセプトとからむ話であり、また、『俳句をつくろう』の前に買った『アウトサイダー・アート』(服部正、光文社新書)から伸びている思考でもある。私の設問は次のようなものだ——「言語藝術にアウトサイダー・アートは存在するか?」

 私の考える答えを先に言ってしまえば、「存在しない」である。人を凡庸にする制度的な美術教育(服部の言葉を引けば、藝大受験用の予備校で教えられるような)に相当するようなものは文学にも確かにある。だが、言語藝術の担い手にとっての「教養」はそれとは別のものであり、不可欠であるのみならず、いくらあっても邪魔になることはないからだ。そういえば文学に山下清はいないと、深沢七郎論で天澤退二郎が書いていたっけ(『楢山節考』でデビューしたとき、そういう言われ方も一部でしたらしい)。その山下清を世に出したのが式場隆三郎だとは、寡聞にして知らなかった(『アウトサイダー・アート』で今回知った)。式場隆三郎の名は、澁澤龍彦の本を通じて、深川にあった奇妙な建築「二笑亭」とその作者の紹介者としてのみ記憶していた。山下清に後ろ盾になる医者がいたことは話として知っていたが、それが式場だったとは。
(つづく)
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by kaoruSZ | 2004-12-16 23:06 | この分類に含まれるもの | Comments(0)