おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

カテゴリ:文学( 24 )

幻の女の冒険(前篇) 

 ここに叙べようとする事件の真相は公表すれば多大な波紋を呼ぶ性質のものなので、はるかな年月が過ぎてなお、発表は問題外としても単にこの話題を取り上げることすら、ためらわれるほどである。どんなに言葉を選んでも、少なくとも私の生存中は公にするのは難しいと思ってきたし、今も思っている。とは言え、かつて私は『チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン』と題してこれを短篇に仕立てたこともある。本当にミルヴァートンの家に忍び込んだのかと訊かれたことは数知れず、あれは冗談ですよと何度答えたか分らない。時には、実際にやったとしてそれを認めると思いますかと訊き返したこともある。むろん金庫破りについては断固否定した。シャーロック・ホームズは女中を口説いて容易にたらし込むほどの凄腕なのかと尋ねてくるのはもともと悪意を持った連中なので、私は一度ならず、女中は知らないが馬丁やコックなら簡単に手なづけるだろうと答えて二の句を継げなくさせた。彼らがホームズと私の「噂」を広めるのに少なからず貢献したであろうことは言うまでもない。

 フィクションであることをいかに強調しようと人々の好奇心は容易に止まず、長い年月にわたって、表題の人物のモデルの現実の死について私の小説に手がかりを求めようとする者が後を絶たなかった(そして例外なく見当はずれに終った)。とりわけ、物語の最後で私たちが見出す女性の写真に関して、由緒正しい貴族にして高名な政治家だった人物の、たまたま小説発表に先立って逝去した未亡人の名が取沙汰されたのは、思いがけぬ偶然とはいえ、故人と遺族に申し訳ないことであった。だが、そんな出来事も、老い先短い人々の、いやましに黄昏の色を加える回想の中にしか存在しなくなった今日、この事件に関する唯一の、真実の証言を残しておいてもいいのではないか。少なくとも、あの時に書いた言葉を今こそ繰り返すことができるだろう。事件の中心人物がこの世の裁きの及ばぬところへ去った今、筆を抑えることさえ心がけるなら、誰にも害の及ばぬ形でこれを記述することができるかもしれない、と。わが友シャーロック・ホームズ氏にとっても私にとっても、これは生涯唯一無二の体験の記録である。


 今は遠い昔となった凍てつく冬の六時頃であった。ホームズと私は例の夕方の散歩から帰ってきた。ホームズがランプの火を大きくすると、卓上に置かれた一枚の名刺がその光に照らし出された。一瞥するや、彼は嫌悪の叫びを発して、名刺を床に払い落した。私はそれを拾い上げた。

   仲介代理業 
   チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン
   ハムステッド
   アプルドア・タワーズ

「誰なの」私は尋ねた。
「ロンドン一の悪党さ」ホームズは座を占めると暖炉の火に足を伸ばした。「裏に何か書いてあるかい」
 私は名刺をひっくり返した。
「今夜十時に裏口より御来駕乞う C・A・M」
「まだ時間はあるな。ねえ、君、動物園で蛇の前に立って、するすると動きまわるあのしなやかな毒持つ生き物、あのおぞましい邪悪な目やひしゃげた顔を見ると、背筋がぞくっとして鳥肌が立ってくるだろう? ミルヴァートンってそんな感じなんだ。僕はこれまで五十人からの悪人を相手にしてきたが、その中の最悪の男にさえ、こいつから受けたような嫌悪感は持たなかった。それでも僕はこいつとの取引を避けられないんだ」

「いったい何者なんだ」
「恐喝王だよ、ワトスン。秘密だの悪い噂だのをミルヴァートンに握られたが最後、蛇ににらまれた蛙のようにおしまいなんだ。富や名声を持つ者の立場を危うくするような手紙類を、こいつは非常な高値で買いあさる。恩知らずの召使やメイドばかりじゃない、上流階級の純真な御婦人の愛やら信頼やらを言葉巧みにかすめ取る、紳士の仮面をかぶったならず者もこいつの客さ。それから、純真とは言えまいが、正真正銘の紳士が下層の若者を愛して裏切られるケース。たまたま知ったんだけど、そうした紳士の二行の手紙に対して、あの蛇は七百ポンド支払った。最終的にその貴族にして政治家の、良き家庭人として知られ、それまで経歴にしみ一つなかった紳士は、銃で自分の頭を吹っ飛ばして果てた。さらに卑劣なことには、要求した額を払えない相手には、あるいは、払えたとしてもこいつの好みに特に叶う相手の場合は、男女は問わないんだが、身体で払うよう求めるんだ。僕は、ある夫人が要求に屈してこいつに身をまかせた翌日、耐え切れずに自殺したのを知っている。実のところ、夫に秘密を知られるのを恐れるこうした貞淑な夫人こそ、こいつの大好物なのさ」

 あまりのことに言葉を失っている私を見つめて彼は身震いした。
「およそ市場に流通しているものは、すべてミルヴァートンのところへ集まってくる。この大都会には、その名を聞いて青ざめる人間が何百人といる。誰が、いつ、どこで、こいつの餌食になるかは予測できない。金なら唸るほどある上に、狡猾だから、目先の利益のために急いで投資を回収する必要はないんだ。儲けが最大になる時まで、切り札は何年も手元にとっておく。ロンドン一の悪党とさっき言ったけど、かっとなって連れ合いを殴るごろつきと、すでにはち切れそうな財布にさらに金を詰め込むために、じわじわと人の心をいたぶり、苛み、真綿で首を絞め上げるこういう輩が、そもそも較べものになると思うか?」
 ホームズがこのように激しい感情を剝き出しにして話すのは珍しいことだった。

「しかしどう考えても」と私は言った。「そんな奴は法の手が放っておかないだろう?」
「理屈はそうだけど実際には無理だよ。たとえば奴を捕まえて投獄してみたところで、出てくるまでの数ヶ月、破滅を先延ばしにするだけだとしたら、脅迫されている婦人になんの利益がある? 犠牲者は反撃なんかしない。もし奴が後ろめたいところのない人物をゆすれば、もちろん反撃の余地はあるけれど、あいつときたら悪魔のようにずる賢い。駄目だね、奴と戦うには別の手で行くしかない」
「それで、どうしてそんな奴が君を呼び出したんだ」
「それは──」ホームズは一瞬口ごもった。「高名なある依頼人から、気の毒な事件の処理をまかされたからさ。ミルヴァートンはその婦人が無分別な若い時代に書いた手紙を、大金を支払わなければ配偶者に送ると言っている。僕は彼と会ってできるだけ好條件で取引してくれと頼まれたんだ」

 通常、ホームズは依頼人の実名を私に(私にだけは)伏せることはまずなかったので、この言葉の濁し方は引っかかった。しかしすぐに、私を信頼しないのではなく、よほど秘密を要求される要人の内室なのだろうと思い直した。
「それにしてもその女性の夫君は、寬い心を持ってはいないのかね。結婚前のことなんだろう。許してくれると思えるだけの信頼が、お互いのあいだにないのかしらん。ほら、あのヒルトン・キュービット夫人だって」と、私は以前の事件を引き合いに出した。「夫の愛が自分の過去を許容するほど深いと信じられれば、彼にすべてを打ち明けてあの悲劇を回避し、幸せな結婚生活を全うすることもできたと思うんだが」
「そうかもしれない、そうでなかったかもしれない」とホームズは言った。「助けられなかった依頼人のことはともかく、今回の件にかぎって言えば、かの婦人の夫は十分寛大な心の持主だと思うし、送りつけられた手紙を読んでもたぶん動じないだろう。問題は、僕の依頼人がとてつもなく自尊心が高くて、彼に手紙を読まれるくらいなら死を選ぶくらいの心持ちでいることなんだ」
「僕なら、手紙を送りつけられてもそのまま読まずに火中に投じるね」
 ホームズの片頬をすばやい笑みがよぎった。「君ならそうするだろう、ワトスン。だが、今回の依頼人の場合、もう一つ問題があってね。夫にだけでなく、世間に対しても、知られては都合の悪いことを公にすると脅されている。そうなれば夫にも大変な迷惑がかかる。いや、迷惑なんてもんじゃない、今の職にもとどまれまいし、社会的に息の根を止められるだろう。もとより婚姻関係の破綻はまぬかれない」

「いったいそんなことをしてそいつに何の利益があるんだ」私は憤慨して言った。「他人の幸せを踏みにじって何が面白い。第一、そんな無体なことをしても、金が取れなければ、たんに人を破滅させるだけで、元も子もないというものだろう」
「そのとおり、女性を破滅させてもミルヴァートンには一文にもならない。大金を吹っかけるより、妥当な金額で折り合いをつけた方が絶対に得なはずだ。ところが、こいつは僕に言ったことがあるんだ、ワトスン。秘密を一つ暴いてみせれば、それだけで間接的に少なからぬ利益が上がる。同様の案件はいくらもあるので、時々残酷な見本を示しておけば、金を出ししぶっている連中もたちまちずっと物わかりがよくなるんだと」
 ロンドン市民の取り澄ました日常のすぐ下に、それも生活のためにやむなく犯罪に手を染める下層階級というわけではない人々の中に、このように憎むべき輩のいることを知って、私はあらためてホームズの仕事が根を下ろしている闇の奥深さを垣間見る思いがした。「ホームズ、君は前にもこの男とかかわったことがあるのかい」
「一、二度ね」声の調子であまり話題にしたくないことが察せられたが、それでも彼は言葉を継いだ。「何しろ、仕事柄、秘密には通じている奴だからね。ずいぶん前の話だけど、奴に気があるようなふりをして近づいたことがあるんだ。もちろん、シャーロック・ホームズとは知らせずにだが、あとになって向うもこっちの正体をつきとめて来た。あの時は必要な情報を全部引き出したあとで手ひどく振ってやったから、今でもうらんでいるはずだよ」
「そんな私怨があったんじゃ、交渉人としては具合が悪いだろう」
「なあに、いつかはけりをつけなきゃゃならなかったんだから、これを好機と思うべし、さ」

 ホームズは暖炉の前の椅子に深く腰をおろし、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、あごを胸元に埋め、赤く輝く熾火を見つめて身じろぎもしなかった。半時間ほど黙ったままそうしていたが、やがて決意を固めたように勢いよく立ち上がると自分の寝室に入って行った。しばらくして、山羊髭を生やした粋な身なりの若い職人が、クレイ・パイプをランプで吸いつけ、威張った足取りで通りへ階段を降りて行った。「遅くなるから先に休んでいてくれたまえ、ワトスン」そう言い残し、ホームズは夜の街に消えたのである。私はその時、彼が確かにチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートンを相手に闘いを開始したことはわかっていた。だが、その闘いが、あのような異様なものになるとは夢にも思わすにいた。


 翌朝、私が目を覚まして居間へ入って行った時、ホームズの姿はなかったが、浴室でしきりに水音がするのが聞えた。やがて朝食の用意がととのい、顔が映るほど磨き上げられたポットから注いだ湯気の立つコーヒーを前にテーブルについていると、タオルにすっぽり身を包んだホームズが入ってきた。
「おはよう、ホームズ。先にやってるよ」
「おはよう、ワトスン」ホームズは応えたが、声がおかしかった。
「風邪でもひいたの?」返事はなく、振り向いた私が見たのは、自分の部屋へ入って行くホームズの後ろ姿だった。
 結局ホームズは、その朝、食事をとらず、私が寝室をのぞくと、少し眠りたいからと言って毛布をかぶってしまった。その日私は雑誌の編集者とランチの約束があり、午後は別の編集者と仕事の打ち合せの上、彼の案内で出版社の社主と会食した。社主は私が長篇を書くなら好條件で買い取りたいと言い、私は浮き浮きと帰ってきてホームズに真っ先に知らせようとしたが、彼はすでに寝室に入った後だった。私は自分の寝室で連載用の原稿を書きはじめ、興に乗って明け方まで書き続けたが、気がつくと部屋着姿のホームズが寝室の入口に立っていた。

「邪魔しちゃったかな」
「いや、ちょっと前だったらそうだったけど」と私は言った。「そろそろ寝ようと思っていたところさ。具合はどうだい」
 私は蠟燭を吹き消したが、それでもあたりは水のような仄明りに満たされていた。冬のしらじら明けが近づいていたのだ。私は立ち上がると、自分の幸運についてホームズに話そうとしたが、友はそっと手をあげてそれを遮った。
「ずいぶん筆が進んだね、ワトスン」思いのほか明るい声で彼は言った。「連載決定おめでとう。君が書きたがっていた歴史小説か。冒険小説も出版できそうじゃないか」
「君のやり方は知っているが」私は嘆息した。「驚いたね。聞いてみれば例によって簡単なことなんだろうが」
「そのとおりさ。君の右手の中指の左側に広がっているインクの丸い染みは、長時間ずっと書き続けていなければそんなに大きくはならない。誰と会うかはおとといの散歩の時に聞いているが、昼間食事をした相手は雑誌編集者だから、頼まれたのは連載に違いない。歴史小説なのは、机の上に広げた資料から推測がつく。それから、晩餐を御馳走してくれた出版社のお偉いさんだが、ホームズものの愛読者だろう」
「そう言ってたよ! なんでそんなことまでわかるんだ」
「昨日のモーニング・ポストで、彼、インタヴュー記事で愛読書を訊かれ、H・R・ハガードとドクター・ワトスンのホームズものと答えていたんだが、見落したようだね。ホームズものはストランドが独占しているからいくら好きでも参入は無理だ。君にハガードばりの冒険小説を書かせてみたいと思うんじゃないかと考えたんだが正解だったね。なあに、君が書く“ホームズ”の推理と較べたら月とすっぽん、とんと沍えないあてずっぽうさ」

 ホームズは面白くもなさそうに言ったが、私は声を上げて笑い、そのせいでさらに幸福感が増すのを感じた。疲れていたが、眠くなかった。頭は沍えたままで、身体もむしろ余韻のように力を残していた。
「ホームズ」その背中に腕を回した途端、私はそんな時間に部屋の入口に立っていたホームズの意図を読み誤ったことに気がついた。私が触れると彼はびくっとして私の手から逃れ、二三歩あとずさった。私は驚いて彼の顔を見たが、その時、それまで蔭になっていて読み取れなかった表情が光の中にはっきり見え、私は相手があごが尖って見えるほどやつれており、大きな目の周囲にも隈ができているのを認めた。「どうしたんだ」
「風邪……うつすといけないから」ホームズは私の問いを誤解して答えた。だが、風邪などではないと私は直観的に悟っていた。
「ちゃんと食事しなくちゃ駄目じゃないか」
「食べてるよ。ハドスンさんが心配して特別に用意してくれたからね」

 私のさぐるような視線を避けるかのように、彼は白い両手を上げて顔を覆ったが、その時、袖口が落ちて、あらわれた手首に生々しいあざが並んでいるのが見えた。片方の手に五つ、もう一方の手にも五つ、計十箇の、四本の指と親指のあと。「どうしたんだ、その手」
 ホームズの顔がさっと紅潮して私の手を振り払い、両手を灰色の部屋着の袖に隠した。「ちょっと立ち回りがあってね」彼はほほえもうとしたが、それが途中で凍りついて苦しげな表情になった。
「見せてくれ。他に怪我はないのか」私はなおも言ったが、彼は両手を背中に回して拒んだ。
「大したことじゃない」
「取引はどうなったの」
「あとで話す。元気になったらね」ホームズはそう言って私に背を向けると自室に向かい、すばやく身体をすべり込ませて扉を閉ざしてしまった。

 しかしホームズは元気にならなかった。それから数日、彼は明らかに様子がおかしく、何を訊かれてもうわの空で、必要なことにもろくろく言葉が帰ってこず(仕事のことについては目処がつくまで私に話さないこともあるのでそれ以上詮索はしなかったが)、いや、それ以前に、ピリピリしていて声をかけるのもはばかられる状態だった。それでも夜になると、最初の晩とはまた違う職人風に身をやつし、行き先も告げずに出かけて行った。あるいは昼間もいない時があったが、そうかと思うと一日ベッドで過ごす日もあった。私の方は相変らずミューズの訪れが続いており、その間は何もかも忘れて執筆に没頭した。そうでなかったらもっと彼を気づかったに違いないのだが、それでも、彼が私に話したいと思った時のためにつねに彼に対して心を開いていようとは努めた。私の仕事が忙しい時、とりわけ昼夜逆転して、深夜、寝室で書いている時はそれぞれのベッドで休むのが不文律になっていたが、そもそもホームズはこれを好まず、ただ私の首っ玉にしがみついているためだけでも同じベッドで寝たがるのがいつものことで、それが自室から出てこないというのは尋常ではなかった。あれ以来、明らかに私は拒まれていた。

 けれどもついに、風が唸りながら狙いすました猛禽のように窓ガラスに襲いかかってがたがた音を立てる夜、帰宅して変装を解き、暖炉の前に腰をおろしたホームズは突然こう叫んだ。「なんて素晴しい夜だ!」
「この天気がかい、ホームズ」
「僕の目的にはぴったりなんだよ。ワトスン、僕は今夜、ミルヴァートンの家に押し入るつもりだ」
 私は耳を疑った。「なんだって、ホームズ……正気か?」
 ホームズはまっすぐ私を見た。ここ数日の混乱から恢復したその目は完全に正気だった。「それ以外、方法はないんだよ」
「馬鹿なことはやめてくれ。いったいどういうつもりなんだ」私は半ば驚き、半ば腹を立てていた。「君はなんにも話してくれないが、僕はそんなに信用に値しない男か」
「ワトスン君、心配かけてすまない。うるさく質問したりしないで黙って見守っていてくれてありがたいと思っている。僕は心から感謝してるよ」
 ホームズの口から出るには殊勝過ぎる言葉に私はむしろ途惑った。
「だけどこれは僕の問題なんだ──むろん依頼人のためだけれど。ミルヴァートンとは過去のいきさつがあるからね。これは僕の撒いた種で、僕が刈り取らなきゃならない。君に迷惑をかけるわけにはいかないんだ」
「何を水くさいことを言ってる。及ばずながらこのワトスン、君のためならいつでも手を貸す用意があるぞ」
「あいつの目的は──」私の昂奮を冷ややかに見下ろしてホームズは言った。「僕の依頼人なんだよ。先夜の会見でそれがはっきりした。受け入れる余地のない條件だろう? 押し入って強奪する以外に、あの手紙を取り戻す方法はない」
「後生だからホームズ、自分が何をしようとしているか考えてくれ。他に方法があるはずだ」私は叫んだ。この時はまだ、なぜホームズがそこまでするのか、まるでわかっていなかったのだ。

「ワトスン、これは十分考えた上でのことだ。僕はもともとけっして早まった行動をするたちじゃないし、もし他に手段があれば、ここまで荒っぽい、しかも危険と判っているやり方なんかしやしない。問題をはっきりと公正な立場から見てみよう。僕のしようとしているのは、あいつによって不当な目的に使われようとしている物を奪い返す、ただそれだけなんだ。厳密に言えば犯罪だとしても、これが道義的に許容しうる立場だということは認めるだろう?」
「確かに、それだけなら道義的には許容できるかもしれん」
「道義的に正当だとすると、残るは身にふりかかる危険の問題だけだ。もしも今夜、思いどおりにならなければ、あの悪党は脅しを実行するだろう。そして彼女を破滅させるだろう。僕にできるのは依頼人を見棄ててその運命に追いやるか、それともこの最後の切り札を切るかだ。僕は自尊心と面目にかけて奴との決着をつけたいんだ。一人の女性が名誉を失おうとして必死に助けを求めている時、紳士たる者、わが身の危険などかえりみるものではないという意見に、君は賛成してくれると思うが」

「確かにそのとおりだが」私はためらった。「君が引き受けようとする危険が大き過ぎやしないか」
「ワトスン、君だから本当のことを言うけど、僕の依頼人は、実は相手の言うだけのものをすでに支払ったんだよ。奴の言いなりになったんだ」
 私は息を呑んだ。「何てことだ──」
「だけど、あいつはそれでも満足しなくて、手紙の一部だけを返したものの、肝心な部分は手元に残している。しかも、要求に応じたことそのものが、新たなゆすりの材料に加わっているんだ。このままではきりがない。僕の依頼人は今の生活を壊したくない。今の夫は彼女にとって、他の何ものにも代えがたい存在だ。だが、今夜再びミルヴァートンは、彼女から二回目の支払いを受けるべく待っている。僕はそこへ乗り込んで行って、破滅するのはどっちか、はっきり分らせてやるのさ」
「あまり気は進まないが、やるしかなさそうだな」私は言った。「何時に出る?」
「君は来なくっていいんだよ」
「じゃあ、君も行かせない」私は叫んだ。「名誉にかけて言っておくが、それから、生まれてこのかた、こうすると言ったことに反したことは一度もないが、 君がこの冒険に僕を連れて行かないのだったら、僕は今すぐ馬車を拾い、警察に直行して、君がしようとしていることを話してやる」
「君に助けてもらえることなんてないんだ」
「なんでそんなことがわかる? 何が起るかわかったものじゃないだろう。ともかく、僕はもう決めているんだから。自尊心や面目があるのは君だけじゃないんだぜ」
 ホームズは眉をひそめて黙っていたが、不意に明るい表情になって私の肩に手を置いた。「わかったよ、ワトスン、そうしよう。何年も同じ部屋で一緒に暮らしてきたんだから、同じ檻の中で終るのも悪くないかもしれないな。君、音がしない靴を持ってるかい」
「ゴム底のテニスシューズがある」
「結構。覆面はどうする」
「黒い絹で二つ作ろう」
「君という男はこういう仕事に生まれつき向いているんじゃないかしらん。是非それを作ってくれ。出かける前に軽く夕食をとろう。そして観劇帰りの二人連れに見えるよう正装しようじゃないか」

 時間になって寝室から出てきたホームズを見て、私はあっと驚いた。ヴェールの付いた帽子の下にはつややかな黒髪が結い上げられ、黒いマントの裾から黒と見紛う暗い緋色の絹のドレスが覗いている。もっとも、スカートを引き上げてみせると、そこにはズボンを穿いた脚と、ゴム底の軽い靴に包まれた足があったが。ほっそりした手がヴェールを上げ、非のうちどころのない化粧をほどこした顔があらわれた。確かにホームズでありながら、意志の強そうな美しい女性としか思えない顔がそこにあった。
「驚いたよ、ホームズ」長手袋に隠したその手を取って私は言った。
「歳月も彼女を枯れさせること能わず、また習慣もその変幻自在の才を朽ちさせることを得ず」誇り高い頭を上げると、クレオパトラの科白でホームズは応えた。
「だけど、どうして女性に?」
「ミルヴァートンは、今夜、僕の依頼人を待っている。今夜の僕は依頼人の代理だからね。ねえ、ワトスン、今夜僕のしようとしているのはただの押し込みなんかじゃないんだよ」ホームズは再びちかぢかと私の目を覗き込んだ。先刻の判断が間違いであったことを私は知った。彼は恢復していなかった。それは奥でちらちらと鬼火の燃える狂気の目だった。「僕は今夜、あいつを殺してやるつもりなんだ」

「ホームズ、どうしてそこまで! 君は君が追いかける殺人犯と同列になり下がるつもりか」
「ワトスン、僕がこれからやろうとしていることは、結果として多くの人を救うことになるんだ。これは殺人犯のけっしてしないことさ」彼は私から目をそらし、風が窓格子をつかんだ狂人のように力いっぱい揺すぶっている窓の方を見やって続けた。「無理してついて来なくていいんだよ。これはミルヴァートンと僕とが正面切って渡り合う、いわば一騎打ちなんだから。最初の手合わせでは手ひどく一本取られたが、二度と同じ過ちは犯さない。僕にしたことを後悔して、血の涙を流しながら地獄へ行くようにしてやる」
「ホームズ、僕はそれを見届けるよ。立ち会って見届ける。何があってもついて行くし、何を見ることになっても君から離れたりしない。いったい君は、僕が“見る”だけで“観察”できないと思ってるのかい。僕は僕の小説に出てくる“鈍い”ワトスンとは違うんだ」
 その時、窓の外で稲妻が閃き、闇に沈んでいた室内と美しい横顔とを浮び上がらせたので私は息を呑んだ。耳をつんざく雷鳴が通り過ぎる一瞬、私は自分の推測が正しかったことを確信した。痛ましさで胸がいっぱいになったが、すぐに、これが友への、私の愛と忠誠とを証明する千載一遇のチャンスだという思いが湧き上がってきた。ホームズが私の方に向き直った。
「さあ、ミルヴァートンを殺しに行こう」

幻の女の冒険(後篇) 
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by kaoruSZ | 2013-04-30 23:08 | 文学 | Comments(0)
幻の女の冒険(前篇) 

 固い決意をこめてゆっくりと発せられたその言葉を聞くと、私は鳥肌が立ち、首の後ろの毛まで逆立つ思いだった。彼が私の手を取って握りしめたので背筋がぞくっとした。というのは、一般には「空家の冒険」として知られている、ホームズが三年間の不在から帰還した際の出来事の中で、そうやってホームズに手を引かれて暗がりを進んだことを思い出したからだ。
 と言っても、あそこに書いたほとんどは実際には起こらなかったことであり、突然帰ってきたホームズに手を取られた私が、蛇に魅入られた蛙のように(最初ホームズを見たとき私は失神してしまった)ベイカー街の古巣に引き込まれたというだけの話であり、ホームズが死んだと信じて、あの懐しい部屋から繰り返し冒険へ出発した私たちのお伽話を書くことで作家となった私の前に思いがけず戻ってきたホームズに、ついて行けば今度こそおしまいだと思いながらついて行き、そして私たちの新しい生活と新しい物語がそこからはじまったというだけのことなのだが。

 あの時と違うのは、私がホームズに一方的に引きずられているのではなく、はっきりと自分の意思で行動をともにしていることだった。ホームズがミルヴァートンを殺そうとして失敗するようなことがあればこの手でとどめを刺すつもりだった。病み上がりの元軍医としてあの部屋で彼と暮しはじめたばかりの頃、そしてそれからの数年間、原稿を何度出版社に送ってもはかばかしい返事が返ってこず、何の後ろ盾も定職もないまま、鬱屈して、ホームズの気持にも気づかずにそのヴァイオリンに耳をかたむけていた若い日を私は思った。そして医者の仕事に戻ることを決心して、彼から離れ、一家を構えて、もはやホームズと冒険に出ることもないだろうと思い、それでも彼に誘い出されて、のちの「ホームズもの」になる材料を書きとめたノートだけが増えてゆき、しかしホームズが、実は、私が自分もその一員と信じ込んでいた善良な市民には想像もつかぬ形で裏の領域に入り込んでいることを知っておぞ気をふるい、次第に彼の呼び出しにも応えなくなり、彼との関わりを断つ決心をし、フランスからの手紙にも返事を書かずにいるうちに、ついにホームズが深夜、私の診察室に現われて、ライヘンバッハの滝で終る道行に連れ出されたあの時代を。

 私はなんと変ってしまったのだろう。なんと遠くまで来てしまったのだろう。あのことがなければ私は(メアリの病気があんなに早く進まなければ)父親になっていたかもしれないし、少なくともメアリをあれほど苦しめることにはならなかったに違いない(彼女の善良な魂に安らぎあれ!)。町医者を続け、再婚して家族を養っていたかもしれない。イギリスを離れ、アルプスの山中をさまよったあの時、私たちは一度世界の外へ出てしまったのだ。もうこのまま死んでもいい。そう私が言うのを聞いて、妻の下へ私を返す決心をしたとホームズは言った。ホームズは身を隠し、私は帰ってきたが、それはもはや同じ私ではなかった。ストラスブールとマイリンゲンの間で私は別人になってしまい、二度とメアリの忠実な夫には戻れなかった。

 とはいえイギリスに戻ってみるとすべては夢であったかと思われた。深い喪失感の中で、二度と会えないホームズとの日々を必死で呼び返そうとし、のちに『シャーロック・ホームズの冒険』と『思い出』としてまとめられる短篇を書き継ぐことでかろうじて自分を支えたあの月日がなければ、私は暇な医者の手すさびとして二つの長篇を出しただけの、無名のアマチュア作家で終っていたかもしれない。兄のように独り寂しく死ぬことだけは避けたいと思い、家庭の幸せを求めた私が、今、私の運命を変えた、職業も家も手放させて自分との生活に引き戻した、私を破滅させるかもしれない、私のミューズであり恋人である秘密の共有者に導かれ、人殺しの片割れとなるべく道を急いでいるとは。だが、そのことに何の後悔もないと私は思った。あの時ホームズは私を信じられないでいた。私が彼を置いてまた出て行ってしまうのではないかと疑い、恐れていた。彼の思いに気づかずに結婚し、三年間彼に姿を隠させた償いに、私は時にホームズから理不尽なことを言われても黙って耐えてきた。だが、耐えるだけでなく彼への愛を積極的に証明するチャンスが、今、めぐってきたのだ。これによって私は彼に示すことができるだろう。私が何を措いても守るべきはホームズと、ホームズとの生活であり、それが危機に瀕している今、それ以上に考慮に値するものは何一つないのだのと。

 オックスフォード街で私たちは馬車を拾い、ハムステッドまで行った。そこで馬車を返すと、身を切るような風の中、私は厚地の外套の襟元までボタンをはめ、ホームズはマントをきっちり巻きつけて、ヒースの原のへりにそって歩き出した。
「実際は押し入る必要などないのさ」昂奮を押し殺した声でホームズは言った。「奴は逢引と信じて、裏門にもヴェランダの扉にも鍵をかけずに待っている。扉の内側は書斎で、書類を入れた金庫はその中にある。書斎の奥が寝室でミルヴァートンはそこにいる。猛犬を飼っており、夜の間はそいつが放されて庭をうろついているが、女が来るというので繋がれているはずだ」
 ここだ、とホームズが言って、私は、私たちがミルヴァートン邸の傍に達したことを知った。裏門から難なく敷地に入り、私たちは月桂樹の茂みを横切った。周囲を庭に囲まれた宏壮な屋敷は、どの窓にも明りが見えず、静まりかえっている。そこへ忍び寄る前に、私は黒絹のマスクで顔の上半分を覆った。あとで使おうと言って、ホームズもマスクと脱いだ手袋をしまい込んだ。タイル貼りのヴェランダが建物に沿って延びており、その奥に窓が幾つかと扉が二つあった。

「こっちの扉だ」ホームズが囁いた。「奴は寝室にいるはずだから、まず君の隠れ場所を確保しよう」片手で私の手をつかんだまま扉の一つを押すと、それはたやすく開いて私たちは中へ入った。暖炉が燃え、煙草の煙が濃く立ち込める別世界で私たちはほっと息をついた。火は盛んに燃えており、室内は明るく照らし出されていた。暖炉の横に背の高い緑色の金庫が見える。「あの間仕切りカーテンの向うが寝室だ」ホームズが私に囁いた。暖炉の反対側の横にもどっしりしたカーテンが下りており、外から見えた張り出し窓を覆っているのだと思われた。私たちがそこから入ってきたヴェランダへの扉はその向かい側にあるのだった。
「あのカーテンの後ろに隠れていてくれ。僕はもう一度入り直す」ホームズは窓を指して言い、私の手を離すと音もなくヴェランダへすべり出た。私は足音を忍ばせてそのとおりにし、すぐに抜けるよう懐の拳銃を握りしめた。すぐに扉が叩かれた。もう一度、さらにもう一度、もっと強く叩く音がした。

 寝室との境のカーテンが微かに波打つように揺れた。鋭いカチッという音がして、電灯の眩い光が昼のようにあたりを照らし出した。本能的に、私はカーテンの合わせ目を閉じて息を殺した。強い葉巻の臭いが鼻をつき、足音がゆっくりとヴェランダへ向かう。好奇心に抗しかねて、私はカーテンの隙間を細くあけ、電灯の光の下ではじめてチャールズ・ミルヴァートンを見た。大きな頭の五十がらみの小柄な男で、髪には白いものが混じり、肉づきがよく、ひげのない丸顔に金縁の眼鏡、口の端からは黒く長い葉巻が突き出している。着ているのは軍服のようなデザインのスモーキング・ジャケットで、濃い赤紫地に黒い別珍の襟があしらわれていた。ヴェランダのドアの把手を引くと、「鍵はあいているぞ」と滑らかな声が言った。「そのまま入ってくれてよかったんだ」
 部屋の奥にミルヴァートンが戻ろうとした時、こちらに顔が向いたので、私は再び隙間を閉じた。緊張のため鋭くなった私の耳に、入ってくるホームズの微かな衣擦れの音が届いた。一呼吸置いて、私はまた合わせ目を開いた。

 ミルヴァートンは暖炉の前の赤い革貼りの椅子に腰をおろしていた。上体をそらせ、脚を伸ばして、葉巻はなおもその口から尊大な角度で突き出ていた。その視線の先に、明るいところへ引き出された生贄のように、電灯の光をまともに受けて、長身の、ほっそりした、黒髪の女が立っていた。顔はヴェールで覆われ、マントにあごを埋めている。その息づかいは速く、しなやかな身体全体が強い情動に震えていた。
「時間に正確なのは昔どおりだな」ミルヴァートンは言った。「おや、どうした、なんで震えているんだ? ああ、それでいい。しゃんとしたまえ。さて、仕事の話だが」彼は机の引出しからノートのようなものを取り出した。「君の望んでいるものは金庫の中だ。約束通り、代償を払ってくれればお渡ししよう……おや、これは──」
 ホームズは一言も喋らずに、ヴェールを上げ、マントを床に落ちるままにして、夜会服に包まれた優美な全身をあらわにしていた。黒髪に縁取られた端正な顔がミルヴァートンと向かい合い、強い意志を表わす濃い眉の下で長い睫毛が灰色の目を昏くしていた。まっすぐな薄い唇は危険な笑みをたたえていた。

「君は女に生まれていても十分私の獲物だったな」ミルヴァートンは身体をゆすって笑った。ホームズの表情は変らないまま、眉の間の縦皺が深くなるのが見えた。「誇り高くて強情な女というのも私の好みでね。そういう女のプライドを打ち砕いて従わせるというのはいいものだ。こうして見ると、君はそういう女に扮するのにぴったりの女優だ」
 ミルヴァートンは立ち上がると、葉巻を手に、ゆっくりとホームズのまわりを一周しながら、美術品でも嘆賞するように眺め入った。そして、あいている手を彼の肩にかけて手近な椅子に座らせると、葉巻を置き、身をかがめてその唇に接吻した。私のいるところからはミルヴァートンの、てらてらと電灯の光を反射している薄くなった頭頂部と、両脇にだらりと垂らしたホームズの腕の先で白い指が引きつるのが見えた。私はもう少しでカーテンの蔭から飛び出して、ミルヴァートンの禿げ頭を銃把でぶちのめすところだった。しかしその時、ミルヴァートンが不意に鋭い悲鳴を上げ、ホームズの両肩を突き飛ばしたので彼は横ざまに床に倒れた。

 ミルヴァートンは口を押えて立ちつくし、私は今の声が外に洩れなかったかと耳を澄ましたが、何の物音もしなかった。床から身を起こしたホームズは、帽子とかつらが脱げ落ちていた。口の周りに赤いしみが広がり、それは口元から手を離したミルヴァートンの方も同様だった。口紅と彼自身の血を手で拭うと、ミルヴァートンは床に薄赤い唾を吐いた。
「こんな真似をしたところでどうにもならないぞ」その発音から察するに、ホームズは奴の舌を完全には噛み切ってやらなかったようだった。「私がここで騒ぎ立てさえすれば、使用人が駆けつけてお前は逮捕される。第一、そうなったら困るのはそっちだろう。どうしたんだ、このあいだはずいぶんとおとなしい子猫ちゃんだったの……」
 ミルヴァートンは言葉を途切らせた。いつの間にかホームズの手に黒光りするリヴォルヴァーが握られていて、その銃口が彼の顔にまっすぐ向けられていたのだ。
「金庫を開けるんだ」

「私を殺せるはずはない」声を震わせてそれでもミルヴァートンは言った。「そんなことをしたら貴様もおしまいだ」
「お前が金庫にしまっているものを公表されたらどの道おしまいなのさ」ホームズは低い声で言った。「彼が読むことを恐れているんじゃない。何があろうと彼は僕の味方だし、僕を愛してくれる。だが、僕たちの関係が世間に知れて糾弾され、万が一にも彼と引き離されるようなことがあれば、それこそ僕は生きちゃいられない。あの夜、だからこそ、僕は心乱れて、そこの扉から入ってきて、お前に慈悲を乞うたんだ。そしてお前は僕をあざ笑った。今も一生懸命笑おうとして、唇がひきつるのを止められないようだな、臆病者め。そう、お前は僕と、ここでもう一度こんなふうに対決することになろうとは夢にも思わなかった。しかしあの夜、これからも言いなりになると約束しさえすれば、お前は喜んで無防備な一対一の差し向いで会うと知ったんだ」

 二人はしばらく無言でにらみ合っていたが、やがてミルヴァートンが肩をすくめると、暖炉の脇の背の高い金庫に近づいた。跪いてダイヤルを操作し、磨き込まれた真鍮の握りをつかんで厚い扉が重々しく開かれたところでホームズが命じた。「よし、そこから離れるんだ」そして暖炉の反対側の壁際に彼を立たせると、拳銃をつきつけたまま、カーテンの蔭の私に声をかけた。「ワトスン君、出て来い」
 私が姿をあらわすとミルヴァートンは明るい灰色の目を見張り、それから破顔一笑した。「これはこれは。はじめてお目にかかりますな。あなたがこの御婦人の献身的なナイトか」さすがに、私が彼に向けた軍隊式の拳銃を見ると、その丸い顔から笑みが消えた。
「ワトスン、金庫の中のものをすべて暖炉に放り込むんだ」
 ミルヴァートンは顔色を変えた。「待て。貴様に関係のあるものだけ持って行けばすむはずだろう」
「いや、残らず焼いてやる、お前はもうこれ以上、僕にしようとしたように、他人の人生を破滅させることなんかできやしない。これ以上、僕にしたように、他人の魂を踏みにじったりできやしない。僕は世の中から害悪を一つ取り除いてやるんだ」その顔は暖炉の炎に照らされて悪鬼のようだった。
「やめろ、それは私の財産なんだ」私が拳銃をなおもミルヴァートンに向けながら、片手で書類の最初の束を金庫から引き出すと恐喝者は叫んだ。
「汚れたその財産のために命を捨てたいのか」ホームズは相手の鼻先に拳銃を突き出した。
「私のその財産の中から、ケチな情報を欲しいばかりに」不意にミルヴァートンの声が嘲るような調子に変わった。「昔、さんざんサービスしてくれた顔の綺麗な小僧っ子がいたものだが。それが“奥さん”になるとこうも変るものか。いくらか薹は立ったが、柄にもなく操立てして嫌がるのを無理やりというのも、なかなか乙なものだったぞ」

 ホームズの拳銃が震え出した。右手を左手が押えて引金を絞ると見えた刹那、ミルヴァートンが思いがけないすばやさでその腕を下から払った。拳銃が宙に飛んだ。同時に、私がミルヴァートンに飛びかかり、その頭を銃の台尻で殴りつけた。
「ワトスン、どくんだ」
 言われて私は反射的に飛びのいた。ホームズは、拾い上げ、構え直した拳銃を、頭を押えて唸っているミルヴァートンに向け、二フィートもない距離から続けざまに引金をひいた。「食らえ、食らえ、食らえ」ホームズの甲高い声が響いた。ミルヴァートンの身体は二つに折れて激しく咳き込み、テーブルにつかまって立ち上がろうとしてその上に突っ伏した。それでも身を起こしてよろよろと足を踏みしめようとしたところを、もう一発撃ち込まれてあおむけにひっくり返った。「畜生」かすれた声でそう叫んだきり動かなくなった。ホームズはじっと見下ろしていたが、足を上げると、その顔を柔らかい靴底で踏みにじった。それからもう一度覗き込んだが、相手は何の声も立てず、ぴくりともしなかった。
 
 ホームズは肩で息をしていたが、拳銃を胸もとに押し込むと、機敏な足取りで廊下に通じる扉に近づき、錠を下ろした。同時に、遠くから人声がして、それが次第に大きくなりながら慌しい足音が近づいてきた。驚くべき冷静さで、ホームズは今度は金庫のところへ行き、手紙の束を腕いっぱいに抱えると暖炉の火の中に投げ込んだ。二度三度それを繰り返し、金庫が空になる頃には、誰かがノブをがちゃがちゃ回し、扉を激しく叩いていた。ホームズはすばやく周囲を見回した。テーブルの上にミルヴァートンのノートが、持主の血にまみれて残っているのを見ると、燃えさかる書類の中にそれを投じ、帽子とかつらを拾い上げてそれも無雑作に投げ入れた。髪の焦げる臭いが立ちのぼった。炎がヴェールや造花を舐めて脆い塊に変えるあいだに、覆面をつけ、ドレスを脱いで小脇に抱え、マントを元通り身にまとった。それから彼は、ヴェランダへ通じる扉から鍵を抜き、私を先にして出ると外から鍵を掛けた。「こっちだ、ワトスン。この方向へ行けば塀を越えられる」

 こんなに早く異変が家中に伝わるとは思いもよらないことだった。振り返ると、宏い家全体が煌々と明りをともして闇に浮び上がっていた。正面扉が開け放たれ、馬車道へ人々が飛び出してきた。庭にも人があふれて、私たちがヴェランダから姿をあらわすのを目ざとく見つけた男が一人、声を上げて追ってきた。潅木の茂みの間を縫うように走るホームズに私は続き、少し離れて先頭の男があえぎながら駈けていた。行く手を遮るのは六フィートの塀だったが、ホームズは女の服をその向うに投げ込むと、よじ登って乗り越えた。私が彼に倣った時、先頭の追っ手が私の足首をつかんだが、私は足をばたつかせて振りほどき、ガラス片の植わった笠石を這うようにして越えた。何かの茂みにうつぶせに落ちたところをすかさずホームズに助け起こされ、私たちはハムステッドの広大なヒースの野へと走り出た。二マイルも走ったろうか、ホームズがついに足を止めて耳を澄ませた時、背後は静まりかえっていた。ここまでくればもう安心、追っ手を振り切ったのだ。闇の中で私たちは言葉もなく抱きしめ合い、まだ息を切らしている唇を重ねた。
 

「もう起きるの?」私はシーツの下から手を伸ばすと、ホームズが着ようとしていたシャツの裾をつかんだ。
「レストレードが来る」私は彼の腰に腕を回したが、ホームズはその腕をはずして私の掌に接吻した。「君はまだ寝ていればいい」
 そうと聞いては寝ているわけにいかなかった。事の成り行きをぜひ見届けねばならない。私たちがいぶせき居間でゆっくりと朝食をしたため、朝のパイプをくゆらせているところに、しかつめらしく、もったいぶった、ロンドン警視庁のレストレード警部が案内されてきた。
「おはようございます、ホームズさん、ワトスン先生」と彼は言った。「早速ですが、目下ご多忙でしょうか」
「君の話を聞けないほどじゃないよ」
「もしも、今これといった事件を手がけておいででなければ、ゆうべハムステッドで起きたばかりの事件に、手を貸していただけないかと思ったのです」
「ほう」ホームズは言った。「どんな?」
「殺人です。富裕な人物が自宅の居間で至近距離から弾丸を撃ち込まれるという、非常に劇的な、注目すべき事件です。この種の事件にホームズさんがことのほか洞察力がおありなのはよく存じていますので、アプルドア・タワーズまでご足労願え、助言を頂戴できるなら非常にありがたいのです。どこにでもあるような犯罪では全くありません。殺されたミルヴァートン氏にはわれわれも以前から目をつけていまして、まあ、ここだけの話ですが、ちょっとした悪党でしてね。恐喝目的で手紙や書類を買い集めていることで知られていたんです。それも残らず、犯人たちに焼かれてしまいました。金目のものは盗られていません。かなり地位のある人物が、書類が外に出るのを防ぐ目的だけでやった可能性が高いのです」

「犯人たちと言ったね」ホームズは言った。「複数犯なのか」
「ええ、二人組でした。もうちょっとで現行犯で捕まえられたんです。足跡が残っており、人相も分っています。すぐに見つけますよ。一人は結構すばしこい奴でしたが、もう一人は庭師の下働きに捕まりかけて、小ぜりあいの末逃げおおせました。中背のがっしりした男で、 角張った顎、太い首、口髭を生やし、顔の上半分を隠すマスクをつけていました」
「どうも漠然としてるな」シャーロック・ホームズは言った。「それだけならどこにでもいそうな男じゃない」
「実は、ホームズさんが興味をお持ちになるに違いない点は他にあるんですよ。ミルヴァートン氏には同じ時刻に、女性の訪問者があったのです」
「ほう」
 ホームズの関心を惹くのに成功したと信じて、レストレードは嬉しそうに揉み手をした。

「夜の十一時に女客があると言われて、メイドが裏門のかんぬきを掛けないままにしたそうです。犯人もそこから侵入したと思われますが、ここに一つ不思議なことがあるのです」レストレードはもったいぶって言葉を切り、ホームズと私はじっと次の言葉を待った。「私たちは、オックスフォード街からチャーチ・ローまで男女の二人連れを乗せたという辻馬車を見つけました。時間も事件の直前で、ぴったり符号します。観劇帰りらしく正装しており、女は黒いマントにヴェールの付いた帽子、ちらりと見えたその顔は、秀でた鷲鼻、きりっとした眉に鋭い目で、薄い唇の、それほど若くはないが、すらりとした、とびきりの美人だったそうです。一方、男の方は女よりも背が低いくらいで、人相も体つきも、ミルヴァートン家の庭師の手伝いの言うところと一致します。仲睦まじい様子で夫婦に見えたと馭者が証言しています。私が直接尋問したんですが、あんな女神のような女に惚れられるなんて幸運な男もあるものだと嘆息していました。この二人がミルヴァートン邸の庭を足早に横切るのを、メイドの一人が窓から見ています。客が忍んでくるのは知っていたので、二人であっても不審には思わなかったと言っています。彼女は寝つけずにずっと外を見ており、銃声がして騒ぎになったあと、ヴェランダから男二人が逃げ出すのも目撃しました。ところが、もう一人の男が入るのと、女が出て行くのは見なかったと言うのです。要約しましょう。女は確かにミルヴァートン邸に足を踏み入れた。しかし逃げる姿を大勢の人たちに見られたのは男二人です。二人目の男はどうやって入り、女はどうやって逃げたのか。さあ、ホームズさん、この謎をどう解かれますか」

「残念だが君の力にはなれそうにもないよ、レストレード」ホームズはあっさり答えた。「実を言うとミルヴァートンのことなら、僕もいささか心得ている。ロンドンで指折りの危険な奴と見なしていたさ。そして同時に、法律の手が及ばない犯罪もあるのを知っているから、そういう犯罪に対しては、ある程度、私的な制裁も許されると思っている。いや、議論の余地はないよ。僕の心はもう決まっているんだ。僕は被害者よりも犯人たちに共感するから、この事件を扱うことはこの先もありえない」
 ついに諦めてレストレードが辞去しようと背を向けた時、ホームズと私は目を見合わせた。ホームズはその長い人差指を唇に当てた。そして警部の足音が階段を遠ざかると、元の椅子におさまって私に言った。「連中が無実の人間を捕まえるようなことが万一あれば、その時は反証を挙げてやるさ。そうでもないかぎり手出しは無用だ。何か見つけられるとは全く思っていないけどね」

 そのとおりになった。ホームズが途中で投げ捨ててきたドレスさえ、警察が見つけることはなかったのである(あのあたりの浮浪者と古着屋を当たる才覚がレストレードにあれば見つかったろうとホームズは言った)。十分な時間が経ってこれを材料に短篇を書いた時、私は庭師の下働きが証言し、レストレードが説明した犯人の特徴について、「それじゃワトスン君の人相と言っても通るじゃないか」とホームズが応じ、レストレードが面白がるという愉快な細部をつけ加えた。ホームズの女装について言えば、あれほど見事に本物の女として無理なく通るのは、いや、それ以上に見えるのは、私の知るかぎりでは他にはアイリーン・アドラーと名乗っていた「いかがわしい女として一般には知られていた」人物だけだ。“彼女”の写真をホームズが手元に取っておいたというのは『ボヘミアの醜聞』の中でのみの話で(“ボヘミア王”から実際に贈られたのは嗅ぎ煙草入れてある )、ホームズは確かに彼のthe womanの写真を生涯大切に篋底に秘めていたが、それが彼の恋愛対象だなどと主張するのは、私の小説の「アドラー」が「ホームズ」の恋愛対象だと(そうではないと明記したのにそう思いたがる読者があとを絶たない)言うのと同じくらい馬鹿げている。かの記念すべき短篇第一作との関連を匂わすために、私は『チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン』の最後に、ホームズとワトスンがリージェント・サーカスの手前にあった貴顕紳士、その夫人、世に知られた名花の写真をショウ・ウィンドウに掲げた店を訪れる挿話を入れた。だが、たとえ、彼らがそこに見出したとされる「微妙なカーヴを描く鷲鼻、きわ立った眉、引き結ばれた唇、その下の小さいが強い意志を示す頤」が誰かの写真と一致しようとそれはただの偶然に過ぎない。ゆめお間違いなきよう願うものである。


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by kaoruSZ | 2013-04-30 23:07 | 文学 | Comments(0)

虔十公園林再訪

虔十公園林再訪   死後の作品の運命    


 宮澤賢治は死の床で自分の書いたものについて父親に、あれは迷いの跡だから捨ててくれとカフカのようなことを言っていて、そんなことをしそうにない相手に言ったのもカフカと同じだが、無論これは行く末を見届けることのできぬ作品への執着の裏返しに過ぎなくて、カフカは奇妙な小品『家父の心配』で、何の用途も目的も無く家の中を動き回っていて自分の死後までも生きつづける謎の物体オドラデクに対する父の気がかりという形でそれを書いたが、賢治は、「雨ニモ負ケズ」のデクノボーそのもの(ただし賢治のような実践は伴わない)である虔十=賢治の死後、「アメリカで教授になって故郷へ帰って来た」ような人によって真価を見出され(そのような“教授”自体彼には死後の栄光と同じほど空想的な存在だったろう)、虔十が作った杉林が遠い未来に「虔十公園林」としてその名を刻んだ「青い橄欖岩」の碑によって顕彰されるという、願望充足の夢それ自体を作品化した。

 どんな王侯の大理石や金の記念碑も私の詩よりは保たないからこの詩に歌い込まれた君は永遠に生きると英国の文豪も愛する青年に捧げた詩で言っていたが、賢治も本物の石碑より長生きする(無論その時点ではそれが確信できた訳ではない)作品の中に、現実の栄光に先んじて紙の上の顕彰碑を据えた訳だ。

『虔十公園林』は児童文学全集の最初に買ってもらった一冊「日本童話名作集」に入っていて、私が初めて読んだ賢治の作品だったと思う。その後いとこのお下がりで『風の又三郎』『セロ弾きのゴーシュ』『銀河鉄道の夜」『グスコーブドリの伝記』が一冊になった本をもらい、他に雑誌のダイジェストか何かで『注文の多い料理店』を読んだ。そして多分それより前に、「偉人」のエピソードを子供向け読み物にした本(これもお下がり)に入っていた、風変りな実践家(他の人とは違う先覚者で商品としての花を育てる人)として描かれた賢治像にも出会っていた筈だ。

『虔十』が他の「お話」と異質なのは一目で見てとれた。筋立ての特異な面白さも幻想的な道具立てもなく、エキゾティックな命名による異化もない(人名だけではなく、例えば『グスコーブドリの伝記』のオリザの正体にすぐには気がつかなかったが、そう名づけられていなければ普通に東北の悲惨な冷害と飢餓の話である)。

『グスコーブドリ』は、思い返すと、紫がかった薄墨か淡彩の抑えた色調で描かれた印象で、ブドリと妹のネリは飢饉以前は森で山鳩の鳴きまねをしたりブリキ罐で百合の花(だったか?)を煮たりして遊んでいて、およそかけ離れた環境にあって読んだ私にもその親密な空間は伝わってきた。東京で一番緑の少ない区で生れ育ち、庭の外へは一歩も出ずに弟と日々遊びを考案するのとそう違っては見えなかったのだ。

 火山島にしても博物館の模型のようで(実際クーボー大博士によってそのたぐいの仕掛けが示されもする)、要するに全体が作り物めき、箱庭めき、人形劇の舞台めいている。それが子供にとって魅力的な空間であることは言うまでもない。『銀河鉄道の夜』でも、少年だちが旅する銀河鉄道は、天澤退二郎も指摘するようにあらかじめジョバンニの回想の中でカムパネルラの所有する鉄道模型として示されている上、「午後の授業」で先生が教えるのは天の川が実は星の集まりであることだし、夜の町で照らし出された飾り窓にジョバンニが見出すのは、これから旅する世界の見取図に他ならぬ星座のミニアチュールである。

 そうやって密かに準備された断片があたかも計画されていたかのように組み合わさって、気がつくと昼の残滓のブリコラージュによる《夢の仕事》そのものとして汽車は走り出している。そこで彼が見出すカムパネルラは、私の読んだ古い版では、死者であることをすでにジョバンニが知っていることになっていた。いや、正確には、「カムパネルラの死に遭ふ」くだりが入眠の前に置かれることで、カムパネルラ自身は自覚していないその死がジョバンニには既定の事実であり、そのことが各自の態度に反映しているかのごとき効果か生じていたのだ。今では賢治がそのように原稿を配した事がないのを私たちははっきり知っている。

 それにしても、“お下がり”の版では夢の始まりと終り、『銀河鉄道の夜』が未完であることの明確な指標であるその部分に、(ここで何枚かの原稿が失われています)という文字が入っていて、もはやどうすることもできないとりかえしのつかないことがこの世にはあるという事実を、幼い子供にまで告げ知らせていたのだった。
 作者の死による取り戻しようもなさとはまた、それが自然発生的な伝承のたぐいではなく、固有の生と死を持つ作者によって操作されたものだという虚構性についての意識でもある。初期形ではジョバンニの夢を統御していたとおぼしい、「遠くから考へを伝へる」実験をしていた、虚構性そのものの具現とも言えるブルカニロ博士が夢のはじまりと終りに介入しているのだが、私が最初に読んだ版では覚醒後にのみ登場してジョバンニと言葉を交わす博士は、今日知られているところでは最終的には作品から消える運命で、入眠時と目覚めの際の原稿の混乱はその消滅の過程を物語るものであった。

 虔十の杉林に言いがかりをつけ、暴力さえふるった隣人平二の死を、賢治は、平二が虔十の頬を「どしりどしりとなぐりつけ」る憎むべきエピソードの直後に告げるが、読者が快哉を叫ぶ暇など無い。虔十自身の死がその一つ前の文で、「さて虔十はその秋、チブスにかかって死にました」と、これ以上ない簡潔さで記されているからだ。「平二もちょうどその十日ばかり前に、やっぱりその病気で死んでいました。」読者にほっとする間を与えぬ語りと時間のこの捩れ。杉苗を植えた者と杉林を脅かす敵とをたった二行で片づけた語りは、「そんなことはいっこうかまわず、林にはやはり毎日毎日子どもらがあつまりました」と続ける。そして、「お話はずんずん急ぎます」というあの驚くべき一行が来る。これは生きたまま死後へ踏み込んで行こうとする賢治の宣言であり、「そんなことはいっこうかまわず」とは、通常子供は作者についてなど気にしないという以上に(あるいはそれを口実に)、「虔十は……死にました」というノイズにできるだけかまうまいとする、死という事件をかぎりなく薄いものにしようとする、語りの意思のあらわれだろう。

「つぎの年」、村には鉄道が通り、停車場ができる。「そこらの畑や田はずんずんつぶれて家が立ちました。いつかすっかり町になってしまったのです。」しかし虔十の林だけは、「どういうわけかそのままのこっておりました。」「子供らは毎日毎日あつまりました」(とは、これで三度目の繰り返しになる文章である)。「虔十のおとうさんも、もう髪がまっ白です。まっ白なはずです。虔十が死んでから二十年近くなるではありませんか」と、賢治の筆はここでも僅かな行で時の経過を、変ったものと変らなかったものとを書きおおせる。これに匹敵する変化は『グスコーブドリ』にも見られるが、それはブドリが大人になるという、読者である子供には不可能な時間の経過があるからで、実は『虔十』の場合もここで真に必要だったのは、子供が大人になるまでの時間、つまり杉林に「毎日毎日」集まっていた子供たちが成長して、いったん村を離れて後、虔十のことを思い出し、杉林とその作者を別の目で見るようになるまでの不可能な跳躍に他ならない。

『虔十』が『グスコーブドリの伝記』や『銀河鉄道の夜』と異質なのは、そこがイーハトーヴなどではなく、賢治が現に生きていた辺り、鉄道が通ることによって早晩変貌を遂げ都市化してゆく東北の村であったからでもあり、子供の読者にとっても、それはジョバンニたちのいた架空の舞台ではなく、自分の生きている場所と地続きであることは明白だった。
 そこで「二十年」が経つ。子供にとって永遠と同義ですらある時間によって隔てられたその場所は、私にとって過去だったのか未来だったのか、賢治がすでに物故した「昔の人」であるからには、それは過去だと感じられたのだろう。第一、物語というものはすべて、過去のある時点ですでに起こってしまったもの、「とりかえしのつかないもの」として語られている。

「ある日、むかしのその村からでて、いまアメリカのある大学の教授になっている若い博士が、十五年ぶりでその故郷へ帰ってきました。」昔の面影をさらに留めぬ故郷で、唯一、変らないものを彼は見出す。「ああ、ここはもとどおりだ。(…)木はかえって小さくなったようだ。ああ、あの中に、わたしや、わたしのむかしの友だちがいないだろうか。」かつて虔十の林で遊んだ子供がそうなったという博士の顔は、私には想像できなかった(大人とは子供のあらゆる想像を越えたものだ)。とはいえ博士のこの感慨は、成長するにつれて共有せざるを得なくなったものではある。ここは今学校の運動場なのかという博士の問いに、彼に講演を頼んだ小学校長は「ここはこのむこうの地面なのですが、家の人たちがいっこうにかまわないで、子どもらのあつまるままにしておくものですから」まるで附属の運動場のようになってしまったが本当はそうではないと答える。「それはふしぎなかたですね。いったい、どういうわけでしょう」

「ここが町になってから、みんな売れ売れともうしたそうですが、年よりのかたが、ここは虔十のただひとつのかたみだから、いくらこまってもこれをなくすることはどうしてもできないとこたえるそうです。」そう言われてついに博士は思い出す。「その虔十という人は、すこしたりないとわたしらは思っていたのです。(…)毎日ちょうどこの辺に立って、わたしらの遊ぶのを見ていたのです。この杉もみんなその人が植えたのだそうです。ああ、まったく、だれがかしこく、だれがかしこくないかわかりません。ただどこまでも十力の作用はふしぎです。」その場所を「虔十公園林と名づけて、いつまでも保存するようにしては」と博士は提言する。「さて、みんなそのとおりになりました。芝生のまんなか、子どもらの林のまえに、「虔十公園林とほった青いかんらん岩の碑が立ちました。(…)虔十のうちの人たちは、ほんとうによろこんで泣きました。」

 そして実際「みんなそのとおりに」なったのだった。生前ほとんど無名だった賢治の死後、作品は出版され、その遺した原稿は花巻空襲からも家族によって守られて、「博士」たち(アメリカでなくフランス帰りだったかもしれないが)によって研究され、さらに真価を明らかにされ、編纂されて、それにも賢治の弟は協力を惜しまなかったのだ。「むかしのその学校の生徒たち、いまはもうりっぱな検事になったり、将校になったり、海のむこうに小さいながら農園をもったりしている人たちから、たくさんの手紙やお金が学校にあつまってきました。」時代を感じさせる肩書だが、これは権威主義によるのではない。彼らはみな、昔、虔十の林で作者のことなど気にもかけずに遊んだ者たち、つまり子供の頃に賢治の童話に出会った読者という資格で名をつらねている。

 しかしこれは子供こそが理想の読者だということではない。子供らは虔十を「少し足りない」と思っていたのであり、“イツモシヅカニワラッテヰル”のを「馬鹿にして笑っていたのだから。「ああ、全く、誰が賢く、誰が賢くないかわかりません」とは、子供は賢くなかった、虔十の価値をわからなかったということだ。虔十を馬鹿にしていたのは子供ばかりではない。「その芝原へ杉を植えることをわらったものは、けっして平二ばかりではありませんでした。あんなところに杉などそだつものではない、底はかたい粘土なんだ、やっぱり馬鹿は馬鹿だとみんながいっておりました。」
 虔十とは、賢治が自身をカリカチュアとして自作に書き込んだものであると考えるならば、隣人の平二とは宮澤賢治の仕事を理解しなかったすべての者たち、作品についてのみならず、いつまでも親がかりでわけのわからぬ活動を続けていた(しかし虔十同様、家族からは経済的なものも含めた庇護をうけ、モラトリアム状態を続けていられた)肺病やみの賢治に無理解な目を向けた者たちの謂でもあろう。

「雨ニモマケズ」が叙述するのは周知の通り「サウイフモノニワタシハナリタイ」という賢治の理想像であろうがまた他人にそう思われたい姿でもあったろう。このうち「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル」「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」というあたりは虔十とも共通する一方、「雨ニモマケズ」にあって虔十にないのは、「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という認識の人、また「野原ノ松ノ林ノ蔭の小サナ茅葺の小屋ニ居テ」という転調以降の東奔西走して献身する行動、実践の人としての姿である。

 一方で虔十には賢治が「雨ニモ負ケズ」のような公式の自画像(手帳のメモであり本人が望んだものでないにせよ)ではただの一言も触れなかったもの、すなわち作者としての彼自身という役割が与えられている。しかしここにはある種のねじれがあるように思われる。虔十はその為す所を知らざる者であるが賢治は違う。そして実践者賢治の姿が今日にまで伝わるのは文学者賢治がいたからだ。
 
 賢治の作品においてしばしば実践者の死は限りなく重い。とりわけ自己を犠牲にして得られるものは大きい。よだかはたんに誰かの餌食になるのではなく《星》になり、「今でもまだ燃えてゐ」るし、ブドリの死は農家の一軒一軒の肥料設計の相談に乗る(死の前日も賢治がやっていたことだ)のではなく、一度に気象を変えてしまう。彼らの死には「みんなのさいはひ」が賭けられており、実際、得られるものの大きさゆえに釣り合いが取られたと納得がゆく。少なくとも納得されうる。カムパネルラの死の向うにはジョバンニの未来が開けている。

 しかし『虔十公園林』における、羽毛のように軽くかすめて過ぎられた死はそのようなものではない。何ものでもないかのように装う、事件性をかぎりなく稀薄にされた死、「お話はずんずん急ぎます」と語りによってあたかも路傍に打ち捨てられてしまったような死だ。
 その代り得られたものは《死後の生》、実践者ではなく作者としての死後の栄光である。博士たちは賞賛を惜しまず、家族は泣いた。大勢の人々が青い橄欖岩の碑を見につめかけたし、これからもやってくるだろう。そしてなお、“賢い”人々は例のアメリカ帰りの若い博士によって発せられた「十力の作用」という言葉をなぞり、知識を競い合う以上のことはできないだろう。子供たちのように雨上がりの木立のしたたる緑を喜ぶ大人は少なく、たとえ作品に近づきはしても、テクストを読む以外のことなら何でもするのにそれだけはしない人々が大半なのであるから。

『虔十公園林』はたんに無邪気なものを讃える作品ではない。杉林の入口の青い橄欖岩の碑を見て満足して帰ることのない者たちは、そこにひそむ悪意、呪い(杉林の迫害者平二は作者の道連れでさっさと殺されてしまう)、願望が成就される彼岸としての現世、すなわち未来において死後の作品の運命を見届けたいというむなしい望み、死の向うまで行けたかに見せかける語りの詐術を見出すことだろう。そして自分の価値がわからないふりをしてみせるという最高の傲慢さによって、無邪気さを演じ切った賢治=虔十の作家の業[ごう]が大人になった私たちの胸を打つのだ。
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by kaoruSZ | 2012-12-01 16:28 | 文学 | Comments(0)
塚本邦雄bot
@bot_kunio
歌人 塚本邦雄(1920-2005)の、原則として短歌以外のテクストからの引用をお届けします。★毎月一日のみ短歌特集といたします。
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by kaorusz | 2012-03-25 15:58 | 文学 | Comments(0)
 一度でも読み返していれば別なのだろうが、若過ぎるうちに読んでしまってすっかり通じたつもりでいたのが、実は出会っていなかったに等しい本というのがあって、『ドリアン・グレイの肖像』も気づかぬうちにそういう一冊になっていた。後年手に入れた新潮文庫版をどこかに持ってはいるのだが、買った当時は、例の、本にはよく書けているか書けていないかのどちらかしかなく、道徳的な本も不道徳な本も存在しないという文句が序文にあるのを確認しただけで満足してしまったらしい(フレーズは覚えがあったのに、そこに出ていたことさえ忘れていた)。おかげで今回、光文社文庫の新訳(仁木めぐみ訳、2006年)を、ほとんどはじめてのもののように楽しむことができた。

 これは本当によく書けている本だ。今回わかったのは、善悪がどうこうなどという話では全然ないこと。そして、完全に『ジキル博士とハイド氏』の同時代の作だということだ。『ジキル』と『ウィリアム・ウィルソン』は「分身の問題」を共有するとして、巻末の「解説」にも名前が出てくる。しかし、言いたいのはそういうことではない。

 確かにドリアンの最期は誰でもわかるほどにポーの主人公のなぞりだが、『ジキルとハイド』について言えば、完全に雰囲気が共通している。もちろん、そよ風に乗って吹き入る庭の花々の官能的な香に満たされ、金蓮花に陽光がきらめき、雲はつややかな絹糸のもつれた束のよう、晴れた夏空はトルコ石のようで、窓を覆うシルクのカーテンに鳥の影が幻のように落ちて「一瞬日本的な雰囲気を作り出す」(それを見たヘンリー卿は、「こうした静的な形式の芸術を通して敏捷さと動きを表現しようとしている、青白く疲れた顔をした東京の画家を思い浮かべた」と言うのだが、私にはこの「東京の画家」がどんな人たちなのか全く思い浮かばなかった!)画家のアトリエで、ヘンリー卿とバジル・ホールワードがイーゼルに乗せたままのドリアンの肖像画を眺めている描写ではじまるこの小説と、秘密を抱えた陰鬱な男たちが行き来するスティーヴンソンの中篇ではまるで違っているようだが、しかし、ハイドの悪徳が具体的にどんなものか一度も描写されないのと同じように、ドリアンの美しい顔――絵のほうの――を荒廃させてゆく悪徳も、多くはほのめかしにとどまるのだ。

 多くの若い男をドリアンは「堕落」させている。ドリアンがバジルの死体を片付けるために呼びよせるアラン・キャンベルも、「二人の友情は十八ヶ月で終わった」と言われる期間には恋人同士だったのだろう。「日ごとに生物学にのめりこんでいく」、「ある奇妙な実験に関係して名前が出ていた」といわれる彼が科学者なのは、むろん酸を使って跡形もなく死体を始末させるためだが、ワイルドがジキル博士の実験室から直接連れてきた人物だからでもある(H・G・ウェルズの『モロー博士の島』の、モローの助手モンゴメリー―の萌芽でもあろう)。

 アラン・キャンベルに言うことをきかせるために、ドリアンは紙片に何やら書いて彼をゆする。

「すまないね、アラン」彼は静かに言った。「けれどああ言われたから、こうするしかなくなってしまった。手紙はもう書いてある。これだよ。宛名が見えるだろう。君が助けてくれないなら、これを送らなければいけない。君が助けてくれないなら、これを送るよ。どうなるかはわかっているだろう」。

 これは、『ジキル博士とハイド氏』の独身者たちを脅やかしていたものでもあり、ジキルの秘密を知ってしまったラニョン博士と同じく、アランもやがて自殺を遂げることになる。エレイン・ショウォールターによれば、 R・L・スティーヴンソンもまたそのような二重生活を送っていたひとりだったのであり、彼の周囲では(ワイルドも含めて)、『ジキル博士とハイド氏』が何について書かれた話なのかは完全に了解されていたという。

 もう一つ、今回読んではっきりしたのは、この本の中でヘンリー卿は基本的に部外者だということだ。美しいナイーヴな若者をめぐる年長の男の恋の鞘当て――だが、ドリアンを愛していたのはバジルであり、ヘンリー卿のほうはせいぜい、彼をプロデュースしようとしたに過ぎない。ヘンリー卿を、ドリアンという美青年を素材に小説を描いてみようとした小説家と見なすこともできよう。しかし、彼がそのような労をわざわざとるわけもなく、すでに他人によって書かれた本を贈ると、ドリアンはすっかり魅せられて、その主人公のように振舞うことで彼の人生を芸術にしようとするのである。

 ヘンリー卿とドリアンの関係は、ドリアンと女優シビル・ヴェインの関係として反復されている。場末の芝居小屋で、シビルはポーシャやジュリエットやコーディリアになるが、けっして彼女自身にはならないものとしてドリアンを魅了する。彼は、シビルと結婚して彼女に女優としての名声を与えることを夢見るが、ドリアンに愛されたシビルは、現実の恋を知って拙劣な演技しかできなくなってしまう。

今夜、私は生まれて初めて、いつも演じてきたお芝居がからっぽで、偽もので、ばかばかしくて、空虚だってことがわかったの。今夜はじめて私、ロミオは年寄りで、醜く顔を塗りたくっているし、果樹園にさす月の光は偽ものだし、背景は悪趣味だってこと、それに私が言わなければならない台詞はわざとらしいし、私自身の言葉じゃないし、私の言いたいことじゃないってことに気づいたの。あなたが、崇高な芸術もみなただの影になってしまうようなものを教えてくれたのよ

 むろんドリアンは彼女自身でしかなくなったシビルを捨てる。彼女は自殺する。しかしシビルを、ヘンリー卿のミソジニーの標的としての「自然」(芸術に対立するものとしての)として片付けてしまうのは間違っている。ショウォールターは「美的経験」としての「同性愛の欲望」の対立物である、侮蔑の対象としての女、当時の「新しい女」の死としてシビルの自殺をとらえ、ヘンリー卿をモロー博士と一緒にして「生体解剖家であり、世紀末の科学者の一人として女性のセクシュアリティと生殖機能を切り離そうと」する男の一人に見立てるが、モロー博士がそういう人物ではない以上に、ヘンリー卿はそのような人物ではない。「生体解剖」とは心理分析という意味で、比喩に過ぎないし、生殖機能云々はシビルのケースと何の関係もない。ショウォールターはフェミニストとして、ヘンリー卿の(そしてワイルドの)女の登場人物への仕打ちに、自分のストーリーに組み込むのに都合のいい独断的な意味づけをしているのだ。

 しかし、そんな動機と無縁な目で見れば、シビルの運命は男の同性愛に対立するものではなく、たんにドリアンの運命を予告するものである。『ジキル博士とハイド氏』には無く『ドリアン・グレイの肖像』にあるのは、美と男の同性愛と芸術の三位一体だ。この中にあって、上に引用したシビルの語りには、芸術と無縁であるどころか、芸術を享受するのに不可欠な「心」がある。作り物の恋を本物と思い込んでいたからこそ、シビルは現実の恋に出会った時、見誤ることがなかった。心がそれに見あう言葉を得て表現するのではない。言葉によって「心」は生じるのだ。

「本当の殺人を犯した人物を知ってみたいものだ」というヘンリー卿の言葉にドリアンは気絶しそうになる。結局のところ、ヘンリー卿はドリアンの理解者ではなかったのだ。「ハリー、もし僕がバジルを殺したと言ったらどうする?」そう言っても、ヘンリー卿は「ドリアン、君は自分に似合わない役を気取っているんだと言うよ」と答える。どこまでも演技者としてのドリアンしか彼には見えないし認めない。犯罪は下層階級だけのものだとヘンリー卿は言う。「彼らにとっての犯罪は、僕らにとっての芸術のようなものじゃないかと思う。普通でない感覚を得るための方法というだけさ」(←乱歩的!)

 岩波文庫の西村孝次訳その他ではタイトルが『ドリアン・グレイの画像』(原題はThe Picture of Dorian Gray)だったのに気づいて思わず笑ってしまう(「画」が本字であればまだしも)。もとはそれでよかったのだろう。しかし今では、もう、ケータイにドリアンの画像が入っているとしか思えない。昔出た全集では『ドリアン・グレイの絵姿』と改題されており、確か西村孝次は、小林秀雄に画像なんて訳語はだめだと言われて変えたとどこかに書いていた。
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by kaoruSZ | 2011-09-22 19:42 | 文学 | Comments(0)
『トニオ・クレーゲル』の新訳が『トーニオ・クレーガー』のタイトルで出ているのを見つけた(平野卿子訳、河出文庫)。併録は未読の「マーリオと魔術師」(1930年)。出版された当時の挿絵が使われ、「マーリオ」の方はなんとハンス・マイトである。これが決め手となって購入(ハンス・マイトは、いとこたちからのお下がりだった岩波少年文庫の忘れがたい一冊『くろんぼのペーター』(エルンスト・ヴィーヘルト作)の挿絵画家。それ以外では全く見たことがなく、今回「訳者あとがき」で生没年をはじめて知った)。

「訳者による「解説」(「あとがき」との二本立て)の結びには、(「マーリオと魔術師」の)「魔術師チポッラのイメージは、どこか映画『カリガリ博士』の主人公カリガリ博士に重なる。時代的にも近く(一九一九年製作)、装束も似ているが、なによりその不気味な雰囲気や怪奇な印象という点で、相通じる要素があるからだと思う」とあるが、類似はその程度のものではなかった(トーマス・マンはもちろん『カリガリ』を見て、そしてあの映画の意味がわかって書いたのだろう)。語り手と家族は、滞在しているイタリアの海辺のリゾート地で“魔術師”チポッラのショーを訪れるが、チポッラは舞台に呼び出した客を催眠術によって自在に操る。このチポッラが、カリガリ同様、国民を催眠術にかけて踊らせたファシストの独裁者をあらわし、この小説は「ファシズムの心理学」を表現したものだと、声高に言い立てられてきた事実がまず符合するのだ。

 そうした読解については、実際、訳者も(『カリガリ』との類似はなぜか指摘されていないが)、「チポッラは独裁者、一方の観客をその彼に心ならずも操られていく国民と見ることができよう」と述べており、ルカーチが小説中の場面について「ヒトラーを望まなかったにもかかわらず、十年以上も抵抗することなく服従したドイツ市民階級の無気力を見事に描き出したと述べている」ことを引いて、「奇怪な魔術師を前に、ひそかな反感と嫌悪感を抱きながらも去ろうとしない観客――語り手を含めて――に、当時のヨーロッパ人全体の無気力を見ることもできるだろう」、「大戦後六十五年を経て、世界各地にちらほらと極右政党の台頭のきざしのあるいま、この作品はひとつの貴重な警告として、私たちがあらためて目を向けるべきもの、いや、いつの時代にも立ち帰るべきものだと思う」と、既存の解釈を何の疑いもなく受け入れた、もっともらしい文句を並べている。

 実際に「マーリオと魔術師」を読んでみよう。まず、タイトルに注目。これはマーリオと魔術師の話なのだ。前者は語り手ともなじみの二十歳[はたち]のウェイターで、ショーの最後に――これをもって最後にならざるをえなかったのだが――客席から舞台に上げられ、自らの意思に反することをさせられた結果、屈辱のあまりピストルを取り出してチポッラを射殺する。それではこれは、他の観客はチポッラのなすがままだったのに、最後に英雄的な青年が悪いファシストを倒すという寓話なのだろうか?(『カリガリ博士』の場合、病院長(権力者)が実は狂人だったという結末が、告発者の方が狂人だったというどんでん返しによって弱められたと中傷されてきた。平野智子と筆者による論考あり。)
 
 そうではあるまい。「いまになってみると、ことの本質からいって、ああなるよりほかなかったように思える」と語り手も最初から認めるチポッラの死は、マーリオに衆人環視のなかで、彼が思いを寄せる娘だと思い込ませて、自分にキスさせた結果である。「チポッラがしなをつくって歪んだ肩をくねらせている様子は、吐き気を催させるようないやらしさだった。たるんだ目で恋いこがれるようにマーリオを見つめ、甘ったるい微笑を浮かべた唇の間から、欠けた歯がのぞいている」といった具合――。

 だが、まだ笑い声が続いている間に、愛撫されていたチポッラは、椅子の脚のそばで例の鞭を振った。するとマーリオは夢から覚めて飛び上がって、後ずさりした。目が据わっている。そして、身体を前にかがめたまま、両手を重ねて汚された唇におしつけた。それから何度も指の節でこめかみをたたいてから、くるりと向きを変えて階段を駆け下りた。その間も拍手は鳴り響いていた。チポッラは膝に手を下き、肩を揺すって笑っている。

 確かに、いささか悪ふざけがの度が過ぎたとは言えよう。しかし、チポッラのしたことは、死をもって償わなければならないほどの罪なのか? 実は初めの方で、語り手一家が浜で出くわした不愉快な事件が語られていた。水着を砂だらけにしてしまった八つになる娘に、親たちが海で水着を洗うように言い、娘が「裸になって数メートル離れた海へ走って行き、水着をゆすいで戻ってきた」ことが、公序良俗に反したと“愛国的”なイタリア人たちの憤激を買い、「海水浴場の規定や精神はもとより、わが国の名誉をも恥ずべきやり方で傷つけた」と言われて、語り手一家は罰金を払うことになったのである。

 このエピソードが不当だと語り手とともに思った読者も、チポッラの死には、驚き、悲劇的だと感じても、結局は納得してしまうに違いない。何より、作者がそう書いているからだ。マーリオは要するにホモセクシュアル・パニックに襲われたのだろう。同性愛者に誘惑されて驚きと嫌悪のあまり殺してしまったとしても、やむをえない行動であり、一時的な心神喪失に陥ったのだから責任能力はない……ゲイ・バッシング弁護のこうした主張から、イヴ・コゾフスキー・セジウィックが、ゲイ・バッシャーの性的アイデンティティの不確かさという前提を引き出したのは周知の通りだ。マーリオの場合、ヘテロセクシュアルな欲望と信じたものの背後(実は表面)から、不意にホモセクシュアルなものが出現(実は初めから見えていた)したのである。

 しかし、このようにはっきり見えているものを、また例によって、誰も指摘しないようだ。カフェで働いていると聞いて、チポッラはマーリオを酌人と――ガニュメデスと呼んでさえいるのだが(それも二度)。マーリオは「二十歳でずんぐりしている。髪は短く刈り込まれており、額が狭く、まぶたが厚ぼったい[…]ひしゃげた鼻にはそばかすが散っており[…]このぼってりした唇は、垂れた眼とあいまって素朴な憂愁とでもいう感じを彼に与えていた」と描写される。映画版のタッジオよりもこういう顔の方に関心を持つ男性がいることは容易に想像されよう。年齢不詳だが若くはない、そしてせむしで醜いチポッラの最期は、『ヴェニスに死す』の美少年にアッシェンバッハが触れるようなことがあったらどうなっていたかを書いているとも言えよう(かなり自虐的だ)。「マーリオと魔術師」を書いた頃はまだ五十代だったマンは、七十を越えた晩年に、実際、若いウェイターに恋していたことが日記の出版で明らかになっている。

「マン自身、この作品について『個人的なものと政治的なもの』が結びついていると言い、『ファシズムに対する批判を公然と表明する』と述べている」と指摘して、訳者は当然のように「ファシズム批判説」の論拠にしているが、自らの作品において「個人的なものと政治的なもの」がどう結びついているか――マンがそれについて何を言おうとしたか、そして何を言えなかったかを、一瞬でも疑わなかったのだろうか?(しかし、公人としてのマンが何を言おうと、作品では一目瞭然だ)。「ただ当時、ドイツではまだナチは現実的な脅威となっておらず、[マンは]ドイツでもイタリアと同じようなことが起こるとは思っていなかった」そうである。なるほど、これはクラカウアーの「『カリガリ』はヒトラーの予兆だった」説のよい反証となる。『カリガリ』は『マーリオ』より十年も前なのだから。魔術師が観客に催眠術をかけたって? いやいや、彼らはみな、以前からホモフォビアという長く続く強力な催眠術にかけられていて、観客も読者も批評家も(ついでに、ファシズム批判の書としてこの小説を即座に発禁にしたムッソリーニ政権も)、マーリオの行為が肯とされていると読みちがえたのだ。

  ごらんの通り、小説の訳文自体には文句のつけようがない。ハンス・マイトの簡潔なタッチは、上記のマーリオの特徴をもよくとらえており、また、水着を脱ぎ捨てて仁王立ちになった女の子の「ガラのように痩せた」裸や、傍で囃し立てる少年たち(『ヴェニスに死す』の映画で見られるような水着姿)を描きとどめて、『くろんぼのペーター』の暗く、北方的で、夢魔的な、憂愁に満ちた絵とはまた異なるけれど、人体の描き方が一目でそれとわかる特徴を示していて懐かしい。
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by kaoruSZ | 2011-08-27 14:14 | 文学 | Comments(0)
(承前)

 逆転させた物言いで人を驚かすことが好きだったロラン・バルトは、「驚異の旅」の作者ジュール・ヴェルヌは実は旅を書いたのではない、ブルジョワ的閉じこもりを書いたのだと言ったが、この小説の分身との同居は、紛れもなくそうした閉じこもりである。船は旅立ちの象徴かもしれないが、より深層のレヴェルでは閉域の象徴であり、人を船旅に誘うものは完全に閉じこもる喜びなのだとバルトは説く。外へ(この場合は、無風状態のせいで閉じ込められた湾の最奥部から外界へ)向かっているように見えながら、実はどこまでも内へ向かう情熱。小屋、テント、洞窟、樹上の家(秘密基地?)のたぐいに対する子供っぽい惑溺。閉所に引きこもり、自分だけの夢想に浸ること。バルトに言わせると、こうした閉じこもりこそが、幼年期とヴェルヌに共通する本質である。船とは「完全な閉じこもり、できるだけ多くの品物を手元に置くことの喜び、絶対的に限定された空間を所有することの喜び」の象徴だ。内部は暖かく、限定され、外では嵐(無限)が吹き荒れている(バルトがこの閉じこもりを愛していることは間違いない)。

 もっとも、われらが船長の場合、ノーチラス号の大がかりな旅と違って、禁欲的な独身者[シングル]の部屋での、分身[ダブル]とのほんの数日間のトリップであるが。(ハンス・へニー・ヤーンの短篇にもこんな船長がいた。嵐のなかで鉤が腹に刺さった水夫を船長室に運び入れ、自分のベッドに寝かせて手術をほどこし、全快するまでとどめ置き、そして元の持ち場に返した。彼は、特に美しいわけではない、麻酔で意識を失った白い身体を、時々夢のように思い出すことはあっても、けっして認識に至ることはなく、船に安全に守られて、子供時代と変わらず夢想に耽るのである。)

いつものように彼は舷窓から外を見つめていた。時折り風が吹き込んで顔に当たった。船はドックに入っているみたいだった。それほど穏やかに、水平にすべっていた。船が進んでも水音一つたたず、影のごとくしんとしずまりかえって、まるで幻の海のようだった。

 これはレガットが去る前の日の描写だが、外界はあたかも夢想の結果としてそこに存在するかのようだ。だが、船長自身が言うように「これがいつまでも続くはずはない」。レガットは暗い海へ泳ぎ出し、船長は船を操って湾の外へ出なければならない。

 ノーチラス号の舷窓から見える生物を、ヴェルヌは博物図鑑から引き写して書いた。かの潜水艦は世界中を回ろうと、何一つ未知のものは見出さなかったはずである。コンラッドのように経験豊かな元船長なら、そんなことはなかっただろうか? 『青春』(1898年執筆)ではじめて東洋(ジャワ)にたどりついたマーロウ(コンラッドの小説に繰り返し登場する語り手)は、「空にむかって静かに立つ」棕櫚の葉を、「ずっしりと重い金属で鋳られた葉っぱのようにきららかに静かに垂れ下がっている大きな葉」のあいだにのぞく茶色の屋根を、桟橋を埋めた、その動きが波のように端から端へと伝わってゆく、とりどりの色の膚を持つ人々を、「ひろびろとした湾、輝く砂浜、はてしない、変化にとんだ豊かな緑、夢のなかの海のように青い海、もの珍しげな顔の群集、燃えるように鮮やかな色彩――そのすべてを映し出す水、岸辺のゆるやかな曲線、桟橋、静かに浮かんでいる船尾の高い、異国風の船」(土岐恒二訳)を見るが、それらは「あの昔の航海者たちの憧れた東洋」、「太古さながら神秘に満ちた、きららかで陰鬱な、生気にあふれつねに変わらぬ、危険と期待に満ちた東洋」であり、マーロウが、そしてコンラッド自身が、東洋はおろか、まだ海さえ知らなかった頃から知っていた――たとえばボードレールの「髪」や「異邦の薫り」や「前世」の中に潜んでいた――ものではなかったか?

『秘密の共有者』のはじめの方に、一等航海士が自室のインク壺の海に溺れ死んだ「哀れな蠍」を見つける挿話が出てくるが、この短篇自体、コンラッドの現実の航海からというよりも、「地図と版画が大好きな子供」(ボードレール)の欲望に端を発する、一つのインク壺からそっくり出てきたものではないだろうか?

『武人の魂』のトマソフの場合、変則的な(ないし偽装された)三角関係の下で、外部では刻々と戦争が近づく中、女の私室に匿われて夢を見ていたが、船長がその分身と閉じこもる部屋は、言ってみれば、(『武人の魂』では必要だった)現実の女――口実としての異性愛関係――を排除した、船という女のL字形の胎内である。この部屋を〈クローゼット〉と呼ぶことができよう。船長が秘密そのものであり秘密を分かち合いもする男をそこに隠すからばかりではない。実際、室内には、「着物が数着、厚いジャケツが一、二着、帽子、防水着などが、かぎ型の針にぶら下がったりしていた」と最初に紹介されており、船長が部屋に戻ってきた時、誰かの足音を聞きつけて身を隠していたレガットが「そっと出てくる」のは、「奥まったほうにぶら下がっている着物の後から」である。「灰色の寝間着」にはじまって、最後の「ぺらぺらの帽子」に至るまで、衣服は一貫してレガットの換喩である。

 衣類をめぐっては、間一髪の事件も起こる。にわか雨で濡れた上衣を船長が手すりにかけておいたのを、給仕が持って船長室へ入ろうとしたのだ。船長は給仕を怒鳴りつけ、レガットに急を知らせるとともに、「すっかりびくびくしてしまって、声を抑えることも、内心の動揺を隠すこともできず」、一緒に夕食のテーブルについていた二人の航海士に、船長はおかしいという確信を深めさせることになる。上衣を室内に掛けてすぐに出てくるだろうと思った給仕は、しかしいっこうに現われない。

突然私は奴がどういう理由からか知らないが、浴室の扉を開けようとしているのに気づいた(それがはっきり聞こえたのである)。もうおしまいだ。浴室は人間一人がやっとなのだ。私の声は咽喉にひっかかり、体じゅうが固くなった。

 給仕が出て来ると、船長は、助かった! でも、レガットは行ってしまったのだと思う。

私の分身は現われた時のように、ふっと消えてしまったのか。だが、現われた時の説明はつくけれど、消えたのは説明がつくまい……私はゆっくりと暗い私室に入り、扉をしめ、ランプをつけてから、しばらくの間ふり向く勇気が出なかった。やっとふり向くと、彼が奥まったところに直立不動で立っているのが見えた。

 この瞬間、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』で、家庭教師が見ているものが他の登場人物には見えていなことに読者が気づく瞬間のように、誰もが抱くであろう疑問と戦慄が船長をもとらえる。
「彼は肉体を持った存在なのかという逆らえない疑いが私の心を貫いた」
「ひょっとすると私以外の目には見えないのだろうか」
「幽霊にとりつかれたみたいだ」

 しかし、レガットは存在しているのである。給仕が入ってきた時、彼はとっさに浴槽の中に身を隠し、給仕は浴室に腕だけを入れて上着をかけたのだった。手で船長に合図することで、レガットは狂気から彼を引き戻す。気分が悪いから真夜中まで起こすなと航海士に命じて引きこもった寝室で、彼らは再びしのびやかに語り合う。レガットは船から島に向かって泳ぎ出ると言い、船長はためらうが、ついに翌日の晩にそうするという了解に達し、それは次のような美しい言葉で語られる。

「理解されているって思えればいいんです」と彼はささやいた。「もちろん理解してくれてますよね。理解してくれる人を得られて心から満足しています。まるでそのつもりであなたがあそこで待っていてくれたみたいだ」そして、私たち二人が話すときはいつだって他人に聞かれるのは具合が悪いかのように、相変わらず囁き声で言いそえた。「素晴らしいこともあるものですね」

◆独身者の船出

 真夜中、船長はデッキに上がり、船の向きを島のほうへ変えさせる(一等航海士は仰天する)。陸から吹く風に乗って湾を出るという口実で(レガットを行かせるという理由がなければ、そんな危険なことはやらなかった)。ふたたび夜が来ると、船長は船を、できるかぎり島に接近させる。声を聞くのも、目を見かわすのも、もうそれが最後になる時が近づく。「二人の目と目が会った。数秒が過ぎた。とうとう、お互いに見つめ合ったまま、私は手を伸ばしてランプを消した」。食料庫にいた給仕を理由をつけて上に行かせて、船長はレガットに声をかける。「次の瞬間、彼は私のそばを通り抜けた――もう一人の船長が階段のそばをそっと通り――狭い暗い廊下から……引き戸を抜けて……私たちは帆の格納室で、帆の上に四つん這いになっていた」。その先には後甲板の貨物積み込み口が、船長がそう命じたので二つ開かれている(なぜ二つなのだろう?)。暗闇の中でふと思いついて、船長は自分の帽子を脱いでレガットにかぶせようとする。

彼は私が何を思っているのか考えたらしかったが、やがて私の意図がわかり、急におとなしくなった。まさぐり合っていた二人の手と手が会い、一瞬の間しっかり握ったまま動かなかった……手と手が別れた時も、どちらも、一言も言わなかった。

 次の行で、船長は「食料庫の扉のそばに静かに立って」おり、給仕が戻ってくる。だから、給仕が甲板へ駆け上がってから戻ってくるまで、船長はそこから動かなかったと、格納室の中の描写は、船長の想像、妄想、その他何でもいいが、まるきり起こらなかったことで、格納室の中にレガットなどいないと考えることもできるが、いずれにせよもはやレガットは二度と登場しない。

 一等航海士が船長の腕を信用せず、パニックになりかかる中、船長が、いまだ自分と一体化していない船が動いているのを確認できたのは、海面でレガットに与えた帽子が前方へ動くのが見えて、船が後ろへ進みはじめたことの指標になったからだった。陸地に上がったレガットが太陽に頭を焼かれるのを気づかって帽子を与えたのだから、首尾よく岸にたどり着けたとしても、そこに帽子が残されているのは不吉でさえあるのだが、船長が帽子に気づいた時の、「黒い水面に白いものが。ちかちかする燐光がその下を通り過ぎた」という記述は、出会った夜、ほの暗いガラスに似た水面に青白く浮かんでいたレガットの裸体の反復であり、「かすかな燐光が、まるで夜空に稲妻が音もなく束の間のひらめきを見せるように、眠っている水面でちかちかと光った」その出現の時の再演である――だが、今回は、もうそこにいないレガットの痕跡としての――。

「ノーチラス号と酔っぱらった船」と題した短いエッセイで、ロラン・バルトがネモ船長の潜水艦の対立物としたのは、〈私〉と名告り出る〈酔っぱらった船〉であった。曳き手の手を離れてひとり河を下り、海に出て、見、夢想し、追い、泣き、語る、よるべない船、人間のいない船、まだ海を見たことがなかった(しかしボードレールは読んでいた)少年ランボーが書いた、「無限に触れる眼」と化した船である。閉域から逃れるには人間を排除して船だけにする必要があるとバルトは指摘していた。『秘密の共有者』の船長にとって、船との一体化とは女とペアになることではなかった。自らの受動性の外在化を女として回収することではなかった。船長のファンタジーはもう一人の自分との親密な閉じこもりであったが、コンラッドにとって海の上の男だけの世界が、そういう秘密とそういう冒険につながる場所(そして素材)であったことは明らかだ。ホモエロティックな東洋[オリエント]は、船長のファンタジーと通底する、そうしたイメージの集積場であった。レガットと過ごす秘密の日常ののち、彼を岸に泳ぎつかせ、船も操舵しおおせた船長は、今や船と一体化した独身者なのである。


(まだ続きますがここでひとやすみ)
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by kaoruSZ | 2011-08-19 09:43 | 文学 | Comments(0)
3 分か(ち持)たれた身体――The Secret Sharer

  これまで述べてきた二作に比べ、『秘密の共有者』(1909年執筆)は、より抽象度の高い、言ってみれば現代的な作品と言えよう。別に、世紀の転換期の伯爵だの、ナポレオンのロシア遠征を迎え撃ったロシア軍の挿話だのが古くさいというわけではないし、たとえ歴史的事実や風俗の知識がなくとも、私たちは記憶の中からなんとなくそれらしいイメージを取り出して、コンラッドの文章を視覚化しおおせるだろう。しかし、この短篇には、コスチューム・プレイをやめてセットも簡略にしたような趣きがある(これは比喩ではなく、実際、主人公はほぼ全篇パジャマで通している)。もちろん、帆船の操作などというものは現代ではまず見られないから、これもまた映画の記憶でも引っ張り出すしかないのだが、作者と同郷の貴族(『伯爵』のモデルの)から聞いた話だの、母方の大叔父から伝えられた戦争時の悲惨な体験談だのが小説の細部をかたちづくっているようには、コンラッドがはじめて船長として経験した航海とこの小説は関係しているわけではない。同僚を殺した船員の話は別にあるらしいが、それもまた材料の一つで、そこから抽出されたのは、『伯爵』の〈私〉や『武人の魂』の老士官のような第三者の声を介さない、直接的な一人称の語りによる、自意識の純粋なドラマである。しかし、この意識は、物語がはじまってすぐ、レガットという侵入者によってshare(一つのものを共有する/半分ずつ分かち持つ)されることになるのだから、単一で純粋な声によって唯一の真実が明らかにされるというわけでは全くない。むしろ、題名に(そして以下に)見るように、ここでは真実=秘密は、分かち持たれることでいっそう謎めいたものとなっている。

◆彼女[ふね]と人魚[マーマン]

  シャム湾の最奥部に停泊して風待ちをする帆船のデッキでひとり当直に立つ、船長として新米であるばかりか、急な任命のせいで船と船員たちに対してよそ者で、しかも、「自分自身にとってもいささかよそ者」(以下、引用は基本的に『コンラッド中短篇小説集3』(人文書院)小池滋訳によるが、変更を加えた部分がある)であり、「自分というものの理想の姿」に自分がどこまで一致するかまだ確信を持てないでいる若い船長が発見する、船腹に下がった縄梯子の先に浮かぶ「長く伸びた青白いもの」、「何だろうと思うより早く、人間の裸体が突然発するような燐光が、夜空を音もなく走る夏の稲妻めいて、眠っている水の中でちらちらと光」って可視化する、「二つの足、長い脛、緑がかった気味の悪い[cadaverous]燐光に首まで浸かった広い鉛色の背中」、最初「首なし死体」かと疑われた、水をかく腕が「不気味なくらい銀色で、魚のよう」に見える、「魚のように黙りこくったまま」の裸の男が、孤独な船長の欲望が形をとったものであるのは間違いない。「まるで海の底(実際、そこがこの船にいちばん近い陸地だが)から現われ出た」ように、それは彼自身の奥底から意識の水面に浮上してきたのだ。そうでなければ、おそろいの寝間着をまとい、船のなかでただ二人の“よそ者”として、「互いに全く同じ姿勢で向かい合った」相手が、「誰かと話がしたかったのです。何を話すつもりだったかもわかりません……多分『いい晩ですね』とか何とか」などと、どうして口にしたりするだろう。これはまさしく船長自身の欲望であり、語り手は、自分が言いたいと思っていたことを、他者の声でささやきかけられているのだ。「あなたが――まるで私の来るのを待ってでもいたように――とても穏やかに声をかけてくださったので、もうちょっと[梯子に]つかまっていようと思いました」とレガットが言うのは、語り手が誰かの来るのを待っていたところに彼がまさに現われたことを示すものである。

 むろんそれはあとになってわかったことだ。レガットを見つけるまでは、すべては潜在意識にとどまっていた。表面的には、日が沈んで星が輝き出す以前、部下を遠ざけた〈私〉は〈私の船〉と水入らずだった――「前途に長い航海をひかえている船は、果てしない静けさのうちに浮かび、帆柱の影は夕陽を受けて東のほうに遠く伸びていた。いまデッキにいるのは私だけ。船中物音一つせず――あたりには動くもの、生きもの一つとてなく(…)私と船とはこれからの長い困難な仕事――人間の目からは遠く離れ、私たちを眺めるもの、裁くものとしては、ただ空と海しかないところで、私も船もともども生き抜かねばならぬとさだめられた仕事を、成し遂げる力が果してあるかどうか、自ら吟味しているようであった」と語られ、「まるで信頼しきった友の肩のようなつもりで、私の船の手すりの上に軽く手を置いて」いたのだから。だが、日の入りとともに「数知れぬ星が見おろしてはいたものの、船と静かに心を通わせ合う楽しさはもうすっかりなくなってしまった」。なぜなら、昼のまばゆさが翳るや否や、「群島の内海」の「島のてっぺんの向うに」マストの先がのぞいていることに、船長が気づいてしまったからである。なぜ、それだけのことが、船との調和を失わせたのか。理由は、その船、セフォーラ号から、逃亡者レガットがやがて語り手の船にまで泳ぎつくことになるからという以外に考えられない。

 まるで「信頼しきった友」の肩のように、彼が手すりに手を置いていた船――それは女友達である。日本語訳には全く反映されていないが、英文では船が女であることは代名詞で確認されつづけている。引用したくだりの原文の一部を挙げる。“She floated at the starting point of a long journey, very still in an immense stillness, the shadows of her spars flung far to the eastward by the setting sun. At that moment I was alone on her decks. There was not a sound in her—(…)” 彼女はしかし、語り手とまだ馴染んでおらず(「信頼しきった友」というのも彼の側の思い入れであり)、つかのまの交流はこうして日没とともに、さらにはレガットの登場によって決定的に中断される。

 レガットと差し向かいになるや、船長は「友」となるべき船のことを、全く忘れ去ってしまったかのようだ。そもそも、船長自ら五時間の当直をするなどという「異例の処置」をとったのは、「まるで独りぼっちで夜の時を過ごせば、私にとって見ず知らずの船員が乗り組んでいる見ず知らずの船と仲好くなれるとでも思っているみたいだ」と自ら言うとおり、船と馴れ親しむことが目的の一つ(むしろ第一の)であった。実際、デッキにたたずむうち、「この船とて特に他と変わった船でなし、乗組員もそうだし、海だって何か思いがけぬ出来事を一発お見舞いして、私をうろたえさせようと待ちかまえているわけでもなかろう、と自分で自分を納得させて」気が楽になっていたのだし、レガットが現われる直前には、次のような感慨が心をよぎってさえいたのだ――「突然私は嬉しくなってきた。陸の不安に比べて海がなんと平安なことか[suddenly I rejoiced in the great security of the sea as compared with the unrest of the land]――心をかき乱す問題も起こらず、訴えるものは至極まっとうで、目ざすところも単純素朴な、海という根元的でしかも倫理的な美しさを備えた、この安全な生活[that untempted life]を選んでよかった、と」

 しかし、そこもまた安全な場所というわけではなかった。たとえ凪のさなかであろうと、海は平安を保証してくれたりはしない。the great security of the seaなどありはしない。海はまさしくその平安のただなかから、船長の意識の凪に乗じてその表面へ、untempted lifeなど望むべくもない、誘惑そのものを送ってよこしたのだから(まるで“ソラリスの海”である)。そして、「船長室にあのよそ者がいるのだから、私は自分の命令と一体ではなかった。というよりむしろ、私はすっかり船と一体になってはいなかった。私の一部はそこにいなかった」と、のちに語り手自身、はっきり自覚することになるように、レガットの存在は彼が「船と一体に」なることを妨げるものなのだ。風が出てきたと知らされ、レガットを船室に残して出て行かねばならなくなった時、語り手は「私は船と知り合いになるために出て行こうとしていた」と言っている。二人は目を見かわし、船長は部屋の奥のレガットの定位置を指さして自分の唇に指をあて、相手は「何かあいまいな――いささか謎めいた身振りをし、まるで残念というように、かすかに微笑んだ」

 この場合は一時の別れのしるしであるが、最後に彼らが本当に別れる時、船長は「いまや、私は立ち去らんとしている秘密の他人のことはすっかり忘れて、この俺は船にとって全くの他人なんだということだけが思い出された。俺は船を知っていない。船のほうでやってくれるだろうか。うまく操縦に答えてくれるだろうか」と言っている。そして船がついに帆に風をとらえて進みはじめると、「そして私は船と一体になった。そうだ! この世の何ものといえども、私と船とをひき離すことはできない。船乗りと、彼が最初に操縦する船とが暗黙のうちに知り合い、無言のままで愛し合い、心と心が完全に通い合おうとする時に、何ものも暗影を投ずることできないのだ」と高らかに宣言するのだから、船長はレガットがいなくなってようやく彼女[ふね]とのヘテロセクシュアルな関係にシフトしえている。だから、レガットとの関係をホモセクシュアルと呼ぶことは、明示されていない(あるいは存在しない)ものをあえて読み込むことではなく、むしろ構造的な必然である。

◆幻の肉体

 夜の海から上がってきたレガットは、魚か死骸かと見誤られかねなかったのみならず、亡霊のような存在でさえある。むろんコンラッドはこれを幻想小説としては書かなかったから、レガットは、貨物船セフォーラ号から逃げてきた現実の殺人者(嵐の際、適切な命令を下せない老船長に代って船を救い、これを妨害する水夫を死なせた)であり、セフォーラ号の船長の訪問はレガット(ただし会話の中に殺人犯の名前は出ない)の実在を証すものだろう。この亡霊は最初の日、船長の寝棚で熟睡するし、毎朝、船長のためのコーヒーを飲むし、レガットが船を離れて島に泳ぎついた後のために、船長が絹ハンカチに金貨をくるんで手渡すと、それを寝間着の下の素肌の腰にくくりつけるし、むき出しの頭を太陽に焼かれながら彼がさまよい歩かなくてもいいようにと、船長が最後に与える「ぺらぺらの帽子」は、「私が彼の肉体に突然感じた憐れみの表現」[the expression of my sudden pity for his mere flesh]であるのだから、船長の寝室でレガットは確かに肉体を持って存在しているのだろう。

 しかし、まだ彼が縄梯子を上がってもこないうちに、「この静まりかえった真っ暗な熱帯の海を目の前にして、私たち二人はすでに奇妙に心が通い合っていた」と船長には感じられ、「彼はすぐその濡れた体を私が着ているのと同じ灰色の縞模様の寝間着で隠し、まるで私の分身みたいに私の後について船尾へとやって来た」[強調は以下、引用者による]のであり、「灰色の亡霊のような私の寝間着」を着た、船長と同じ黒髪の相手は、「夜の中で、暗い大きな鏡の底の自分の影と向かい合っているみたいだった」と、はなから通常のリアリズムは放棄されているのだから、彼が現実の人間というより船長のダブルと見なしうることは、強調され、誇示されている――むしろ読者は(最も不注意な読者でさえも)そう見なすよう、繰り返し誘われるのだ。パジャマのサイズがぴったりだったり、同じ商船学校の出であると判明したりするのは、まだ偶然と片付けられないこともなかろうが、人を殺したことについて、「まるで私たちは着ているものだけでなく、経験まで同じだと言わんばかり」に彼が訴えると、語り手は理解できると思うし、「私の分身が決して殺人鬼なんかでないこともわかっていた」と言い、「私は彼にこまごました事情を尋ねようとは思わなかったし、彼もとぎれとぎれに、その出来事のざっとのあらましを語っただけだった。私はそれ以上知りたいとは思わなかった。私がもう一着の寝間着を着たもう一人の自分であるかのように、事件のなりゆきが私にはよくわかったからだ」と、彼らはたちまち驚くべき相互(?)理解に達してしまうのだ。

 もしも一等航海士にそうしているところを見られたら、「きっと彼は、俺は物が二つに見えるのかなとかあるいは、変てこな船長が自分の灰色の幽霊と舵輪のそばで話しあってるとは、こりゃ気味の悪い魔法の現場に出くわしたかな、と思ったことだろう」と心配になり(一番普通にありそうなこと、つまり、見知らぬ誰かと話しているところを見つかるのではという心配ではなく)、「君はすぐ私の個室に隠れたほうがいいな」と言って船長が歩き出すと、「私の分身もついて来」る。「実際は彼は私に全然似ていなかった」と船長は言う。

だが、私たちが寝台の上にかがみ込み、並んでささやきあい、共に黒い髪の頭を寄せあい、共に背中を戸口のほうに向けて立っているところへ、誰かが大胆に扉をそっと開けたとしたならば、二人になった船長の一人が、もう一人の自分と忙しくささやきを交しているという、気味の悪い光景をまのあたりに見たことであろう。

 そうだろうか。容易に予想のつくことだが、レガットの姿はついに船長以外の誰にも見られることなく終る。レガットが横たわり、片腕を目の上にあてがい、「こんなふうに顔をほとんど隠してしまうと、私がその寝台に寝ているのとそっくりだったに違いない。しばらくの間私はもう一人の自分を見つめてから、真鍮の棒から下がっている二枚の緑色のカーテンを注意深く引いた」。寝椅子で眠り込んだ船長に朝のコーヒーを運んできた給仕は、引かれたカーテンを見ただけだが、その向うにレガットがいると知っている船長は、自分が同時に二箇所にいると感じている。食事の時も、「食卓の上座に坐っていると、真正面に見えるあの扉の向こうの寝台に寝ている私自身の姿――私の人格ばかりか、私の行動次第でどうにでもなるもう一人の秘密の私の姿が絶えず目についた」。ゆり起こして浴室に入るように言うと、「彼は幽霊のように、物音一つ立てずに消えた」。〈私〉は給仕を呼び、部屋の掃除を命じておいて風呂に入る。「その間じゅう、ひそかに私と生命を共有する男はその狭い場所に直立不動で立っていた。昼の光で見ると、彼の顔はひどくやせこけていて、かすかに寄せたいかつい、濃い眉毛の下に、瞼が垂れ下がっていた」

 こうした描写は、船長につきまとう幻――つまりは彼の幻覚で、他の人間には見えない存在でレガットがあっても不思議はない、という印象を、絶えず読者に与えるものだ。L字形をしているため、都合よく奥まで見通せない部屋で、レガットは壁に何枚も吊り下げられた衣類の蔭で折畳み椅子に掛けており、〈私〉は机に向かいながら、「私の背後の戸口から見えないところに」いる「分身」を意識している。「ときどき肩越しにちらとふり返ると、ずっと奥のほうに彼の姿が見えた――低い椅子の上でじっと身をかたくし、はだしの足を揃え、腕を組み、頭を垂れ、身動きひとつせずに坐っていた。誰だって私だと思うだろう」。こうしてほとんど魅せられたようにレガットを見つめ、「しょっちゅう肩越しにふり向かないではいられなく」なっている時に、ボートの接近が知らされて、彼はセフォーラ号の老船長(アーチボルドとかいう名の)の訪問を受ける。船長は礼儀正しく客人に視線を向けて話をするが、壁一つ隔てた向うにはがいる。

私が本当に見ていたのはもう一人の男だった。灰色の寝間着を着て、はだしの足を揃え、腕を組み、黒い髪の頭を垂れて、低い腰掛けに坐り、私たちの言葉を一言洩らさず聞いているあの男だ

 語り手はレガットにあまりにも同一化しているため、言外にレガットのために弁明し、相手が「奴はセフォーラ号みたいな船の一等航海士にふさわしい男でなかったのですな」と言っただけで、「もう既に私は、ひそかに私と船室を共有するあの男としっかり一体となって、考えたり感じたりしていたものだから、自分自身が、セフォーラ号みたいな船の一等航海士にふさわしい男ではないぞと、面と向かって申し渡されたような気が」する始末だ。レガットのことを単刀直入に訊かれたら平気でしらを切れる自信のない語り手の船長は、自分から船室の中を見せることさえして(「彼は私の後から入ってきてあたりを見廻した。利口な私の分身は消えていた。私はまんまとやりおおせたのだ」)、セフォーラ号の船長を送り出す。うまく行ったのは、アーチボルド船長が「私を見て何か自分の探している男のことを思い出し、自分がはじめから疑い、嫌っていた若造にどこか奇妙に似てやしないかという気がして、少なからずうろたえた」からだろうと語り手は「後になってやっと思いつく」が、これは限りなく妄想に近い。

◆closure/closet

 分身を船室に残してデッキにいるのが、船長には苦痛になってくる。船長室にいても苦しいのは同じだが、「しかし、全体として彼といる時のほうが、二つに引き裂かれた感じがしなかった」。風が出て、「はじめて足の下で彼女[ふね]が自分だけの命令で動き出し」ても、「船長室にあのよそ者がいるのだから(…)私はすっかり彼女[ふね]と一体になってはいなかった。私の一部はそこにいなかった。二つの場所に同時にいるという感じが、身体的にも影響した。まるで秘密を持っているという気分が、私の魂にまで染みとおってしまったかのようだった」。そのため船長は、一等航海士の耳にそっとささやきかけそうになったり、羅針盤を見るのに忍び寄ってしまって舵手を驚かせたりする。さらには、そこにいない自分をいちいち船長室から連れ戻さなければならないので、とっさの判断が難しくなる。あの船長はおかしいと船員たちが思っているのは明らかだ。「おまけに怪談話まで出た」――というのは、船長室から物音がするのを聞いたばかりの給仕が、後ろから船長に声をかけられて飛び上がったのであるが、これは皮肉にも、レガットが幽霊ではなく、船長以外の人間にも感知可能な実在であることを読者に確認させる。

私のすすめに従って、彼はほとんどいつも浴室に居続けだった。そこがだいたいいちばん安全な場所であった。いったん給仕の掃除が済めば、どんな口実にもせよ、誰もそこへ入り込むことはできない。極めて狭い場所だった。肘を枕にして、脚を曲げ、床に寝転がっているときもあった。灰色の寝間着を着て、黒い髪を短く刈っているので、まるで平然とした、我慢強い囚人みたいに、折畳み椅子に坐っている姿を見かけるときもあった。夜になると、私は彼を寝台にこっそり連れ込み、いっしょに小声で話したものだった。

 この閉じこもりは、消灯後の寄宿舎での声をひそめての、中学生のお喋り(小説か映画で知った)を思い起こさせるものだ。もっとも、舎監が点検に来たり、羽根枕を投げ合ったりはしないが。船長室のロッカーの中の罐詰の貯えを、船長はレガットに与える。

堅パンはいつでも手に入れられた。だから彼は鶏のシチューとか、鵞鳥の肝臓のパイとか、アスパラガスとか、牡蠣とか、いわしなど――ありとあらゆる罐詰のまやかしの珍味をあれこれと食べて暮らしたのである。

 こうしたこまごまとした記述が連想させるのは、ロビンソン・クルーソーが粘土をこねて作る素焼きの器や、混ざっていた砂のせいで釉薬をかけたように見えるつややかな陶器や、苦労して収穫したわずかな小麦とそれを挽いて作った貴重なパンといった同種の細部(もっとずっと詳しいが)、そしてそれを読みながら企まれた、家具を馬車や馬に見立てての室内旅行、絨毯の上での水泳、幻の食料を食べるふりをする、子供部屋から一歩も出ないままの無人島生活ではなかろうか。大人になっており、食料が現実に存在するここでは、それはちょっとした屋内でのピクニックだ。先へ行ってレガットが「できるだけ早く、カンボジヤ海岸沖合の島に私を棄てていかなくちゃいけません」と言い出すと、船長は「島に棄てるって! これは少年冒険小説じゃないんだよ」と抗議し、「もちろんそうです。少年小説じゃありません」とレガットは答えるが、実際のところ、これは少年冒険小説なのである

(この項続く)
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by kaoruSZ | 2011-08-19 04:29 | 文学 | Comments(0)
(承前)

 しかし、トマソフがこの男に嫉妬を覚えることはなく、むしろ感嘆の対象であった。相手のほうでも若い彼を引き立てるようなそぶりを見せたり、世馴れた忠告をしてくれたりしたこともあって、トマソフはド・カステルにすっかり感服していた。「当時のフランス軍人が持っていた威信は、貴公たちにはとても想像がつくまい」と老士官は語る。

奥の間[プティ・サロン]に招き入れられたとき、トマソフは、洗練の極みのような二人がソファに掛けているのを見ることになった。彼らの間で何か特別の話が交わされているところを、自分が邪魔してしまったような気持だったという。二人が自分のほうを訝しげに見たように思ったが、はっきり邪魔をしたと思い知らされるようなことはなかったそうだ。

 ここではトマソフは、女主人をめぐる対等なライヴァルというより、自分には理解できない言葉が行き来する、両親の寝室に入り込んだ幼いエディプスのようだ。だが、“両親”に当惑があったとしても、彼を叱責することはない。それどころか、「あの噂が本当かどうか、あなたにお確かめ願えるとありがたいのですが」と女はド・カステルに言い、「あれはたんなる噂などではありません」と男は答えて部屋を出てゆく。しかも、「女はトマソフのほうを向くと、『あなたはわたくしと一緒にここにいらしてね』と言ったそうだ」。まるで、「今夜はあの子と一緒にいてやりなさい」と母が父から言われた晩のプルーストの語者のようではないか。しかも、幼い語者と違って、彼にはそのことに罪悪感を覚える理由はなかったから、「トマソフはもともと出ていく気などなかったのだが、こうはっきり言われて、いっそう幸せな気持ちになった」。そうこうするうち、ムッシュー・ド・カステルが帰ってくる。

外の世界のことをすっかり忘れていたトマソフの夢心地はここで破られた。トマソフは、フランス士官の見事な立居振舞い、悠揚迫らざる態度を目の当たりにし、あらためて、この男こそこれまでに知った誰よりも優れた人物だ、との思いに打たれずにはいられなかった。その思いはトマソフを苦しめた。目の前のソファに座っている、そんな輝ける二人こそ、それぞれがお互いのためにこそ作られたような存在ではなかろうか、と不意にトマソフは思ったのだ。

 自分が場違いな闖入者ではないかと思われ、二人が何を話しているのか理解できないというのは、やはり子供のポジションであろう。しかも母ばかりか、父からも同じように愛され、彼にそむくことなど夢にも思ったことのない子供の。噂が真実なのは疑問の余地もないと、ド・カステルは低い声で女に告げ、「それから二人はトマソフのほうに視線を向けた」。真っ赤になりながらも、「彼はぼんやり微笑みながら二人を見ていた」。

 わけがわからないながら、“両親”の関心はやはり彼の上にあるのである。女が立ち上がり、「フランス士官も腰を上げたので、トマソフも慌ててそれに倣ったが、自分一人が暗闇の中にいるような思いを味わいながら、彼の心はひどく苦しんでいた」。ド・カステルが女に言う謎めいた言葉に、「トマソフは、ますます自分が濃い闇に閉ざされた気分になったそうな。彼は士官のあとについて部屋を出た。そしてそのまま外に出た。そうするように期待されていると思ったからだという」

 トマソフを包む闇が霧散し、真相が明らかになるのは、母の胎内のように心地よく保護してくれた女の私室から出て間もない、ド・カステルとの路上での別れに際してである。フランス士官は、明日、皇帝ナポレオンがロシアの全権公使を逮捕し、随員も全員、国事犯として拘留されるのだと告げる。女は、彼にそうやってトマソフを助けるよう、父にとりなしをする母のように説得していたのだ。

「感謝の念もさることながら、トマソフはこの未来の敵の示してくれた雅量に対する驚嘆の念に圧倒される思いだったのだ。血を分けた兄弟でも、ここまでしてくれただろうか! トマソフは必死に相手の手を握ろうとしたが、フランス士官はしっかりマントに身をくるんでいた。たぶん宵闇のため、トマソフの動きに気づかなかったのだろう」。かくして開戦前夜に、全権公使一同は無事フランスを脱出したのだと老士官は語る。トマソフはむろん、「残酷な試練から自分を救い出してくれた二人に、無限の感謝の念を育んでいた」。しかし、女のほうは、ここで物語からあとかたもなく消えてしまう。「とにかく彼にとって、それが彼女の最後の思い出になったのだから。もっとも当時は、トマソフもそんなことは夢にも思っていなかった。しかし、それが彼女の姿の見納めとなったのだ」と老士官の言うとおり――。

◆白いマントと輝く髪

 だが、トマソフとド・カステルの縁はそれで終ったわけではなかった。母の胎内めいた夢見る部屋から永久に放逐されて、彼らは死屍累々の冬の荒野でめぐりあうのだが、その時のことは語り手自身が目撃している。月光に照らされた雪原を、巡察に出ていたトマソフが帰ってきたのだ。

ところが、彼の傍らをもうひとつの人影がこちらへ進んでくるではないか。わしは最初、わが眼を疑った。これには心底驚いた! その人影は、きらきら輝く羽根飾りの付いた兜をかぶり、白いマントに身をくるんでいた。[…]まるで、トマソフが軍神マルスを捕虜にしたかのような風情だった。わしには、彼がこの燦然と輝く幻の戦士の腕を取って進んでくるのが直ちにわかった

 しかし、近づいてくると、その男は軍神どころではなく、トマソフに支えられてようやく歩いており、「兜はぺしゃんこだった。傷だらけの顔はすっかり凍傷でやられ、疥癬でぼろぼろになった髭に覆われていた」。パリでの別れ際には、ド・カステルの身体にはマントが巻きついていてトマソフの手をはばんだが、今や「竜騎兵の立派な白いマントは無残に引きちぎられ、焼け焦げで穴だらけになっていた。わずかに形を留めている長靴の上から巻いた古ぼけた羊皮が、その足をなんとかくるんでいた」という有様で、聞けば、トマソフの乗馬に自分からぶつかってきて脚にしがみつき、哀れだと思って頭を撃ち抜いてくれと頼んだというのだ。焚火の明りの中で、「軍服を着せられた案山子のような」士官はトマソフをようやく認める。

『あなたでしょう、わかりますよ。あの女性の恋人だった若いロシア人だ。あなたは、あのとき私に礼を述べたはず。借りを返してもらいましょう。さあ、この身を解放する一発で借りを返してください。あなたは名誉を重んじる軍人でしょう。私にはもう、折れたサーベルさえもない。わが身の零落を思えば、身の縮む思いがする。あなたには、私が誰だかわかっているはずだ。』

 トマソフは語り手にロシア語で言う。「『これがあの人なんだ、あの例の……』わしが頷くと、トマソフは苦しそうな調子で話し続けた。『これが、輝くばかりの洗練の極みにあった人だよ。男たちからは羨まれ、あの女からは愛されていた。それが今は、死ぬことさえも叶わず、ぞっとするような……惨めな存在になり果てている。この人の眼を見てみろ、ああ、恐ろしい。』」結局、朝になってトマソフは、彼の望み通りにしてやる。「そう、トマソフは約束を果たした。ド・カステルは、運命に導かれるようにして、自分を完璧に理解してくれた男の許にやって来たのだ」

「そう、たしかにトマソフはやった。だが、彼がやったのは何だったのだろうか? 一人の武人の魂が、信念も勇気も喪失するような、死よりも辛い運命から、もう一人の騎士の魂を救い出すことで、かつての借りを百倍にして返したということなのか。そう理解してよいかもしれない。だが、わしにはよくわからない。たぶん、トマソフ自身にしても、よくわかっていないのではあるまいか。」

 例の副官は「トマソフが冷酷にも捕虜を射殺した」と言いふらし、トマソフはやがて除隊願いを出して故郷に引きこもったという。言うまでもなく副官の言うことは真実ではない――だが、『武人の魂』について容易に信じられてしまうことよりは真実に近いのではないか。上に引いたように、語り手自身が「わからない」と繰り返す以上、少なくとも 一方が他方に恩を受け、その返礼として、もはや死しか望まない相手の望みを、騎士道精神にのっとって叶えてやった話だと片付けてしまう前に、もうちょっと慎重であるべきだろう。すべてそうした事柄は、ある状況を成立させるための口実なのだから。もしそれだけのことであれば、あおむけに倒れたフランス士官の傍に跪いて帽子を取ったトマソフの髪が、「おりしも降り始めた粉雪の中で金色に輝いていた」ことなど、述べる必要はなかっただろう。

 こうして、語り手が目撃した、私たちも明らかに見たはずのものの意味は、結局のところ伏せられたまま終っている。語り手は謎を謎のままにとどめる共犯者の役割を担っているが、彼が美青年トマソフに向ける眼差しは、唇の一件でもわかるように、副官によって強調され、反復されながら補完されている。憎まれ役の副官はその意味で徹頭徹尾、語り手の忠実な“副官”であると言えよう。

 この短篇に関しては、ウェブ上で、特に見るべき解釈を探し出せなかった。なお、例のコンラッド=お笑い路線の研究書が言うには、「老人をとやかくいう若造どもに、老士官が叱りつけながら話す、という枠組は、「名誉と信義」を重んじた時代の美学が、今では顧られなくなっていることをあぶりだしている。この作品の発表が第一次大戦中だったため、反戦のメッセージを読みとる向きもあった。しかし語りまくっておきながら「このわしは生まれつき無口」とすっとぼけてみせる語り手には飄々たるユーモアが漂い、単なる説教とはほど遠い「歴史の息遣い」が生きている」のだそうだ。
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by kaoruSZ | 2011-08-18 06:26 | 文学 | Comments(0)
2 金髪の少尉――The Warrior’s Soul

 目下参照している『コンラッド短篇集』は、出版は2005年とけっして古くない。訳者による「解説」では、「七〇年代から始まり、今日も依然として盛んなポストコロニアル批評」によって、「植民地主義・帝国主義と文学作品との関連が綿密に論じられるようになった最近の時流の中で」、コンラッドの『闇の奥』が「従来とは異なる視点から考察されることが目立ってきた」ことが指摘されている。「ナイジェリア出身の詩人・作家」某が「コンラッドを人種差別主義者[レイシスト]と「断定的に呼ん」で以来、これに賛成であろうとなかろうと「それを無視して『闇の奥』論を進めることができにくくなっているのがアカデミズムの大勢と言えそうである」というのだ。

 それに対して、訳者は次のように述べる。

レイシスト・コンラッドというのが不変の作家像であり続けるわけではなかろう。ポストコロニアリズムに昏い筆者には、『闇の奥』に限らずとも、長篇はいうに及ばず、一見わかりやすそうな短篇でさえ、難解なところを数多く含むコンラッドの作品は、多種多様な読みを許しているのだろう、というごく月並みな思いしかない。

 見識であろう。ただし私には、「多種多様な読み」が無事共存しうるとは思えないので、時流に乗った政治的な言説で作品をあげつらい、自分が「正義」の側に立っていることを確認する人間が増えた結果、コンラッドの作品を本質的に構成しているものが見過ごされることこそが問題だと思われる。コンラッドに関する限り(実は限らないのだが)、日本は鎖国状態としか思えない。むろん、“出島”では情報更新されていて、英語で普通に読めるようなことも、仲間うちでは論じられているのかもしれないが、それを専門外の読者にまで紹介する動機が今やないのだろうか。

 図書館で、そうした専門の研究者の一人なのであろう人の著書を見つけた。それによるとコンラッドは、まさしく「それぞれの時代によってさまざまな「作家像」を担わされ、時代に「奉仕」させられてきた作家」であって、次々とレッテルを貼りかえられてきたのだという。「帝国主義のかかわりという点でも、ベルギーのコンゴ政策が非難を浴びていた時期には、『帝国主義の糾弾者、白人の良心の代表者』とされ、アフリカの植民地が独立国になって声を上げだすと、逆に『帝国主義の同調者、白人の偽善と無反省の代表者』というそしりを受ける。こうした海外の動向に、日本は後塵を拝して従うのみ、という構図が長らくコンラッド研究のパターンになってきた」(武田ちあき『コンラッド――人と文学』勉誠出版、2005年)。

 さらに著者は、「文学とは本来、時代とともに生きて成長するもので」あり、「時代の変化が、作品に新たな解釈を生む。批評理論の発展が、文学に新たな可能性を開く」のだから、「その意味でコンラッドは、きわめて手ごたえのある作家なのだ」と、むしろ肯定的にとらえ、「起伏に富むコンラッド批評の歴史を経た今だからこそ、そしてディコンストラクション、ポストモダニズム、カルチュラル・スタディーズなどの批評理論が文学と現実の解釈に提供した視点の数々を使いこなせる今だからこそ、見えてきたコンラッドの『作家像』」を自分は提案するのであり、それも「今後の批評理論や文学研究の発展により、いずれは凌駕されていく」はずのものだが、「しかし現時点において可能な限り総合的で説得力に富むものを」提供するのだと主張する。

 こうした“進歩主義的”見解について筆者がコメントすべきことは何もない。ただ、この本の内容が、「現時点において可能な限り総合的で説得力に富む」とは全く感じられなかった。岩波文庫の訳者は、「レイシスト・コンラッド」などという軽薄なレッテルはどうせ一時の流行で長続きしまいと踏んでいて、事実それは正しかろう。しかし、武田のようにポスコロ的なものをたんに素通りして、これまで深刻、真面目、重厚に受け取られてきたコンラッドの小説は、実は笑える面白噺なんだと言い立てたところで、コンラッドの“作家性”の抑圧(“ポスコロ”はそれをやっている)が止むわけではない。

 ただし、武田の本には、『伯爵』について、“「名誉」に準じようとする伯爵の高潔さは、日本の切腹の美にまでたとえられている。その一方、街中で目が合い、心ひかれた美貌の青年が、じつは自分に気があるのではなく自分をねらう強盗である、と判明する間抜けさは、イタリア映画『ベニスに死す』よりもなさけない。”とあるので、そういう話だということはきちんと書いてある。しかし、「それぞれの時代によってさまざまな「作家像」を担わされ」てきた「歴史的変遷」を言うのだったら、『伯爵』が長い間どう読まれずに来たかについても言及しなくてはならないだろう。これでは、同性愛のモチーフが、この一篇に限って、たまたま存在するかのようだ。英語圏では今や常識となっていると思われる、コンラッドの作品の――作家のではないにしても――セクシュアリティを全く押えていないのでは、海外の研究の「後塵を拝し」えてさえいないのではないか。

 また、上の引用に続いて「たまたま所持金がわずかで、いつも持っている時計も修理中、という、強盗もあきれるほどの襲いがいのなさも、かなりダサい。しかも、非常用の金貨を携帯していたことにあとになって気づき、それをはたいて腹ごしらえしているところを同じ強盗に見つかってののしられるに至っては、あまりにも間が悪い。思わぬ形で「ずるい嘘つきのケチじじい」を演じるはめになり、ピエロになりさがってしまう。この「誤解の転落ケース」は(…)むしろ笑いを誘うのである」とあるが、いくらコンラッドは笑えるお話で眉間に皺を寄せて読むものではないと言い立てたところで、政治的なものによる官能性の抑圧をはねのけられるものでないのはすでに述べた通りだ。

 実は、伯爵が被害を語る部分には、なんとなく引っかかっていた(笑えるとかピエロとかいう気はしなかった)。実質的な被害は何もなかったのである。どうしてだろう(むろん、どうしてコンラッドがそのように設定したかという意味だ)。伯爵の被害が精神的なものであるのを強調するため? 大金は取られなかったし、時計も指輪もそのまま手元にある。ネットでなか見検索できるコンラッドの研究書(英文)や、途中までなら読める英文論文を片っ端から見ていて、金品を奪われたという伯爵の話自体、事実とは異なるのではないかという解釈に出会い、なるほどと思った。

 閑話休題。二番目に検討するコンラッドの短篇は、やはり岩波の短篇集にある『武人の魂』(1917年)である。この小説も、語り手に媒介されている点は、『伯爵』と同じだ。だが、黒髪、漆黒の口髭、赤い唇の南イタリアの不良とは対照的に、『武人の魂』で〈私〉の口を通して描き出されるのは、北国の金髪碧眼の軍人である。そして語り手は、モスクワから退却するナポレオン軍を追い、パリに入城した経験を持つ「長い白い口髭を蓄えた」老士官で、「トマソフは、わしたちの中で最年少の将校だった。つまり、掛け値なしの若さが彼にはあったというわけだ」と、かつて知っていた同僚の士官について語る。読者が最初に受けるかもしれない印象に反して、彼は今時の若い連中に向かい、彼らの軟弱さをいましめたり、騎士道精神を鼓舞したりしようというのではない。彼の話すトマソフの物語の意味同様、老士官の語りの動機は曖昧なままである。

◆“情人の唇

 老士官の回想の中のトマソフは、まず、敗残兵の群れの中で剣を鞘に収めようとする、馬上の姿として登場する。彼らは実のところ、ナポレオンの大遠征軍にこの時はじめて遭遇したのだが、もはや魂の抜けたようなフランス兵は身を守ろうという身ぶりすら示さず、さればこそトマソフも(語り手の士官も)早々に剣を収めてしまったというわけだった。

遠目に見れば、汚れやら、あの戦役がわしらの顔に刻んだ独特の刻印やらで、彼だっていっぱしの軍人に見えたろうさ。だが、近寄って彼の眼を覗き込めば、少年とは言わぬまでも、トマソフが本当にまだ若い男だということがすぐわかったろうな。/彼の眼は青かった。秋の空を思わせるような青さだった。そして、夢見るような、楽しげな、無邪気で人を信じて疑わない表情の眼だったよ。額を飾る美しい金髪は、平和なときであれば、見る人は金色の王冠と形容しただろう。

 またしても “過剰なもの”と言うべき男の美しさの記述が突出している箇所である。何に対して過剰かと言えば、これをたとえば「歴史小説」と称して片付けてしまうような立場に対してだ。ふたたび訳者の「解説」を参照するなら、「この短篇は歴史小説の好篇として比較的評価が高い」のだそうだ。「主人公トマソフのような、ナポレオン戦争でパリを経験した青年将校が、遠くロシア革命につながる最初の帝政ロシアに対する反乱であるデカブリストの乱(一八二五)に加わっていったのではないか、また、「西欧人の眼に」のテロリスト・ハルディンの伯父で、デカブリストの乱に関係して銃殺された思われる人物もトマソフのような人物ではなかったのか、と様々に連想の広がる作品」と想像を広げる訳者は、この作品自体についてだけは語らない。やはり、“過剰なもの”は無視されてしまうようだ。

 だが、老士官もその副官も、無視するどころではない。自分がトマソフのことを、まるで小説の主人公のように扱っていることに自覚的な老士官は、自分の副官に比べれば、こんな言い方なぞ大したことはないのだと言いわけをする。「奴は、どんなつもりで言ったか知らぬが、トマソフは情人の唇[lover’s lips]をしていると吐(ぬ)かしおったわ。副官の奴はそんな言い方で、形のよい唇と言うつもりだったのかもしれぬが、たしかに、トマソフは形のよい唇をしていた。(…)トマソフが話しているときなど、副官は聞こえよがしに、あの情人の唇を見てみろよ、とよく言ったものだ。」[強調は原文]

◆仮初の三角形
 
 副官は本当に、いったいどんなつもりでそう言ったのか――副官の(他の)発言について、「真実というのはとてつもなく不条理なものだから、ときに馬鹿者の前に姿を顕すこともある」と語り手も言っているのだから、意地の悪い副官の発言には相当の注意が払われてしかるべきであろう。そんなふうに冷やかされるのも、「ある程度、身から出た錆だったかもしれぬ」と老士官は言う。なぜなら、トマソフは恋物語の主人公であるという印象を、彼自身が好んでした話によって、進んで皆に与えていたからである(しかし、詳しい話は語り手だけが聞いている)。戦争の前年、軍事使節団に随行してパリに駐在していたトマソフは、そこで社交界の中心の、サロンの女主人の知遇を得る。

ともあれ、トマソフはそこに入った。全く無知な若者がだ。まわりを見れば、堂々たる地位にある錚々たる顔ぶればかり。それがどういうことか、貴公たちもわかっていよう。風刺家の言い草を借りれば、せり出した腹、禿げ頭、入れ歯の持ち主ばかり、というわけだ。そんな連中の中に、もぎたてのリンゴのようにみずみずしい、紅顔の美男子が混じっている図を想像してみるがいい。謙虚で、ハンサムで、ものに感じやすい、すべてに称賛の眼差しを投げかけている若い野蛮人の姿を。

 純朴なトマソフは、女に対する一途な献身によって、正式な面会時間以外にも出入りを許されるようになる。ある日、早めの時刻に訪れると先客があった。腹のせり出した名士ではなく、「三十は越していると見えたフランス軍の将校だった。この客もまた、ある程度、彼女から懇意にされていたのだろう」。

 実は『武人の魂』は、若いトマソフとサロンの女主人との恋物語ではなく、不意に横合いから現われて、彼女を通じて彼と関係することになった、このフランス士官とトマソフの関係についての話である。その証拠に、トマソフについては前述のように克明に描写されていながら、女の外見についてはひとことも書かれることがない。老士官の語りはその理由を次のように合理化している。

だがトマソフはまことに手際よく、そういう細部には係わらずに話を進めた、と言っておかねばなるまい。誓って言うが、彼女の髪が黒かったか金髪だったか、その眼が鳶色だったか、碧眼だったか、はたまた、彼女の背丈にせよ顔立ちにせよ顔の色にせよ、そういうことは何ひとつ聞いていないのだから。トマソフの恋は、女の肉体的印象などをはるかに超えた高みにまで達していたのだろう。だからこそ、その女のことを、ありきたりの決まり文句を使って、わしに描写してみせようなどとはしなかったのだ。 [強調は引用者による]

 もっともらしくこう言いながら、年長のフランス士官については、背丈にせよ顔立ちにせよ顔の色にせよ、トマソフの眼や髪と同じように、ちゃんと彼は描写している。

この士官は、そんな軍人の素晴らしい見本のような存在だった。参謀本部付士官で、おまけに最上流階級の出であった。女のように念入りな身づくろいだったが、男らしい堂々たる体格だった。いかにも世慣れた人物という雰囲気を伴った礼儀正しい落ち着きをいつも湛えていた。石花石膏[アラバスター]を思わせる白い額が、健康そうな頬の色と見事に調和していた。[強調は引用者]

(この項続く)
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by kaoruSZ | 2011-08-17 15:28 | 文学 | Comments(0)