おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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1974年のTRANSSEXUAL(4)

「女の魂」 

 自分は人と違うというモリスの漠然たる意識は、やがて——事後的に——トランスセクシュアルとしての自覚に収斂してゆく。
 牧歌的な子供時代の記述の直後に、診断が——分類がはじまる。「性転換症」や「服装倒錯」といった単語を、私たちはカタカナ語とすることで和らげ、おどろおどろしさを拭い去ってきたが、そうした単語はリアルタイムにこの翻訳を読んだ人々にとっては、今日トランスセクシュアルやトランスヴェスタイトという語で私たちが知っているものとはおよそ異なっていたはずだ。十数年前(ぐらいかもっと前)、アメリカの刑事もののドラマに「女装の男」(一般の人はそう見ただろう)が出てきた——当時二ヶ国語で聞けるテレビを持っていたので録画していたのだが、吹替えで聞くと「君はおかまなんかじゃない、本当の女性だ」という科白が、オリジナルでは“You are not transsexual”だった。「性同一性障害」という語が驚くべき速さで人口に膾炙する以前、それは「おかま」だったのである。

 モリスの記述は、これとは全く異なっている。彼女の分類に関する認識は、今日私たちが知っているものとほとんど変わらない。
 トランスセクシュアル——ここでは「性転換症」——の原因と見なされているものについて、先天説(遺伝、胎児に対するホルモンの影響)、環境説(乳幼児期の環境すなわち両親との関係で女々しい男の子、おてんばな女の子が育つ)、そのミックス(「生まれたての子供はすべて、完全に男でも完全に女でもないので、心理学でいう『刻印づけ』のされやすい子供が、環境によってこのような現象を起こすことになるというのだ。」[「刻印づけ」とはインプリンティングであろう])をモリスは紹介し、どの説が正しいのかはわからないが、今でも恐らく何十万人という人がこの現象に苦しんでいるに違いなく、「最近やっと、この現象は『性転換症』と名づけられ、同性愛や衣裳倒錯症と、はっきり区別されるようなったのである」と述べ、さらにその違いを的確に説明する。

……性転換症は、まったく異質のものといっていいだろう。性的な趣向の問題でもない。性行為の相手に誰を選ぶかという問題でもない。だいたい、性行為とは何の関係もないのだ。ただ、一生の間、心の底から、自分の身体は間違いで、ほんとうは反対の性なのだと確信しているだけにすぎない。そして、真の性転換症の場合、この確信から解放された者は、一人もいないのである。(12)

 そしてモリスはここで突然、「魂」なるものを持ち出してくる。先にあげた原因(とされる)から「性転換症」が生じるというような観点を自分はとらない、なぜなら自分の問題は「魂のジレンマ」だったのだからと主張する。いや、正確に言うなら、この直前に、幼年時代に着いての記述を自分は簡単に終らせたが、「じっさい、その頃のことは、夢のようにぼんやりとしか思い出せないのだから許していただきたい」と言い、「といっても、思い出を傷つけたくないためにペンを鈍らせた部分がないわけではない」と続ける。(13)これらの記述は徴候的だ。意識的にも無意識的にも幼年時代については抑圧すると、はっきり告げているに等しい。

このジレンマを別にすれば、私の幼年時代は実に楽しかった。(13)

 それ以来モリスをつねに悩ますようになった問題の起源となるようなことはけっして起らなかった「楽しい」幼年期。それにしても「魂」とは何か? そもそも「魂」に性別があるのだろうか。(あるからこそ、女の魂は間違って入った男の身体を抜け出して、真の女の身体に入りたいと望むのだとモリスは答えるだろう。) 
 なんだか「リボンの騎士」みたいになってきたが——。
 ともあれ、「魂」に関してのモリスの見解を写しておこう。

 いずれにしても、私は、この謎の現象を、まったく別の観点でとらえている。もっと深遠なところに起因する、もっと重要な意味を持った現象だと信じているのだ、単に性だけの問題ではない。おそらく、魂の概念、自我の概念に関連した、一体感の問題なのであろう、それは、私の生活の全ての側面に関連していた。性的衝動だけではなく、 視覚、聴覚、嗅覚、建造物や風景に対する感覚、交遊関係、愛情、悲哀、精神的充足、肉体的満足感などの全てに影響を及ぼしていた。性の問題というよりは、それよりはるかに大きな問題であった。私は、それを、肉体や頭脳のジレンマではなく、魂のジレンマだと思っているのである。(14)〔1章終り〕
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by kaoruSZ | 2004-10-27 23:42 | 読書ノート(1) | Comments(11)

西洋美術館へ

 26日水曜日、読売にもらった招待券でマティス展へ。開門前に到着、文化会館の軒下で雨をよけて待つ(こうしないことにはすいた部屋で見られない)。幸い、列を作るほど人はいない。もう一枚の券はひとりで来ている女の子でもいたらあげようと入場券売場の前で見渡したが、おばさんグループばかり(近くにいたのは)だったのでやめる。(ひととおり見終わったあと、一枚の絵の完成までの変遷——画家が写真におさめておいたのだ——を説明する短いフィルムを腰掛けて見たが、仕切られていないのでそのあいだも周囲を動き回るおばさんたちのおしゃべりが耳ざわり! 老夫婦もけっこう目立った。)

 展示は思ったより小規模というか地味め(近代美術館で二十三年前にやった展覧会よりも。といっても、それでマティスの素晴しさがわかったこと以外はほとんど覚えていない。たぶんカタログはお金がなくて買わなかったと思う)で、でも、明るい色を多用した油絵の部屋は気持ちいいし、タイトルにあるとおりプロセスとヴァリエーション、それに切り絵の現物や最後の方の墨によるドローイング(こういうのは知らなかった)を見られてよかった。切り絵、思いがけず大きく、貼られた紙が途中で継ぎ重ねられたりしているとはじめて知る。これはリトグラフではわからない。大量複製とは正反対の、退色してゆくしかない紙の集積……。

 モデルを前に描かれてゆく絵を撮ったフィルムが現存していて、小さなモニターで流しつつ、その完成品(複数の「ヴァリエーション」)を展示するという趣向もあった。子供の描くそれのように単純化された絵の女の目鼻立ちと、かつて生きていたモデルの現実の顏。ちょっとこの組み合せには興味をそそられた。こんなものを見ていいのかという気もするのはなぜだろう。クノップフの妹の写真なら、絵で見るほど美しくはなかったのだと思うだけだが、その絵が動いていると何が違うのだろう? マティスはクノップフのように美化するのではなく、通常の写実から、はずれてゆくわけだが。映画は「現在」であり、ロラン・バルトのいう「かつてあった」(=今はない)ではない。作品として完成したと見なされ、時間の中で古びてゆく絵の傍で、生き生きと動き出す「現在」(の幻)のほうについ注意をひかれてしまう。

 西洋美術館にはじめて来たのは、小学生のとき、新聞で記事を見て母親にねだって連れてきてもらったルオー展だった。長蛇の列で、母親は何でこんなものを見たがるのかとプンプンしていた(自分でもなんで見たかったのかわからない)。はるかに下って、地下に新しい企画展示室ができてからは、たぶん三回目。今年、早めの夏休みでアメリカから帰っていたJさんと、「栄光のオランダ・フランドル絵画展」(フェルメールの「画家のアトリエ」が来ていた)を見たのが二回目で、一回目は何だったっけ……。二回目だとわかるのは、本館の外が見える部屋にもうモネはないという話をそのときJさんにしたから。以前、ガラスの外に静かな雨が降っている日、人のほとんどいない部屋で見たモネ(有名な睡蓮よりむしろそれ以外の風景画の小品)が、外と同じに絵のなかもけむっていて実にいい感じだったのだ。今では印象派以降は、窓のない新館に移されてしまった。

 以前はその新館で企画展示をやり、見終ると常設展示の本館へ移るようになっていた(新館を出るともう戻れない)が、今では順路が逆(本館から新館へ)である。本館側開口部は上部がアーチ形で、その上の壁には絵までが描かれていたと思うが、これはもうずいぶん前からなくなっている。新しい壁で覆ってしまったのか、開口部もただの四角だ。どれくらい前だったか、モネ展(ウェブで調べると1982年だがそんな前?! それとも、そのあともう一度あったか)で、本館に近い最後に展示されていた「ジヴェルニーの小道」ほか晩年の作の前で近づいたり離れたりし——近づくと絵具が塗りたくられているだけだが遠ざかると確かに形があらわれてくる、逆に言えば、幻影に惹かれて近づいてゆくと物質としての絵具に遮られてしまう、その繰り返しに感嘆した末、ついに見尽せないまま見ることをあきらめて本館へ入ってゆくと、キャンバスに絵具がほどよくしみてものの形を浮び上がらせている古典絵画を見ることになり、これが絵ならさっきまで見ていたものはいったい何かと思ったものた。

 新しく、新館との境に自働ドアができていた。踊り場と展示室の境も、一階の彫刻のあるところ(常設展示の入口)にも、自働ドアが設置された。本館二階に見られる幅の狭い階段は、知るかぎりいつも通行止めだったが、もともと飾りだったのだろうか? 階段上のギャラリーは以前は背の低いパネルのような柵に囲われていたと思うが、入口を完全にふさがれて、天井まで届くアルミサッシ窓(ではないだろうが)みたいなものをはりめぐらされてしまった。その中に光源を入れて照明器具にした(???)【写真】。そういえば、新館の天井は渦巻式の孔が一面に並んでいて、できた当時、天候によって開いて外光を入れるというふれこみだった(サイトの記事を読んで思い出した)けれど、そして確かにあけているところを見た覚えがあるけれど、今では勝鬨橋のように閉まったままであるらしい。
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 雨で濡れそうなのでカタログはやめ、絵はがきのみ買う。
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by kaoruSZ | 2004-10-27 17:23 | 日々 | Comments(0)

1974年のTRANSSEXUAL(3)

「他人と違っている」こと

 初めのうちは、それが特に重要な秘密だとは思っていなかった。性に関して私はかなりおくてで、単なる差異の一つとしか考えていなかったし、自分がいろいろな面で他の子供たちと異なっていることをよく知っていたか
らだ。
(7)

 海に近い河口の自然の中でひとり過ごした幼年期を、モリスは美しく描き出す。

私は非常に自意識が強かったので、丘の上を歩きまわったり、ひなたの芝草の上に横になったりしながら、いわば自分自身を見つめていることが、よくあった。あたりの景色は、ラファエロ以前の絵のように、明るく、くっきりとしていた。空は、いつも私の記憶にあるように青かったわけではないにしても、とにかく、水晶のように澄みわたり、湾の奥で仕事をしている炭坑船から立ちのぼる煙と、スワンシー渓谷の上にいつも漂っているもや以外には、雲一つなかった。タカやヒバリが空を舞い、ウサギがいたる所を跳ねまわり、イタチがシダの間を駆けまわっていた。ときおり、定期便のデ・ハヴィランド複葉機が、荒々しい爆音を響かせながら、カーディフへ向けて通りすぎていった。(9)

 このように〈目〉になった子供が——自意識が強いのは原因であるよりも、世界に対してこのような距離を持ち、ただひとり見る人になっていることに関係があろう——次のような感想を持つのは、ごく自然ななりゆきに思える。

丘の上から、畑仕事をしている人、店番をしている人、海辺の休暇を楽しんでいる人など、さまざまな人びとの姿が見えたが、私にとっては、みな、別世界の住人だった。彼等は一緒にいたが、私はひとりぼっちだった。彼等はみな仲間だったが、私はよそ者だった。彼等は共通の言葉で共通の話題を楽しんでいたが、私は自分だけの言葉で、彼等にとってはなんの興味もないようなことを考えていた。(8-9)

丘の上から見ると、ほかの人びとにとっては、すべてのことが明確になっているように思えた。彼等の生活は、定期便のデ・ハヴィランド機のように、予め決められたコースを、毎日同じように進むことで事足りているように思えたのだ。それにくらべると、私の生活は、グライダーの飛び方に似ていた。軽快で、はつらつとしていたが、そこへ向かっているのかさっぱり分からなかったのである。

 子供時代にはそう思っていたとしても、他人の内面も実はそんなに確固たるものではなかったのだとおとなになって悟るものだが、モリスの語りはそういうふうには進まない。

あたりの景色とはちがって、私の心の裡は、まるで明瞭ではなかった。性を間違えているという確信はまだ漠然としていて、心の中にひそんでいるだけだったが、それでも私は、いつも、自分が不幸なのではないかと思い悩んでいたのだった。

 澄みわたった空気の中に子供の目がとらえるくっきりとした景色とは対照的な内面。それを、「ミレーやホルマン・ハントの絵」に対する「ターナーの絵」にモリスはたとえる。あ——今、一つ誤訳に気がついた。ラファエル前派を知らないのだ、この訳者は。かなりの高級比喩、というか、自然の中の少年モリスにはふさわない文化的比喩だけれど、ともかく、さっきの「ラファエロ以前の」というのはプレ・ラファエリアンのことだったのだ。
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by kaoruSZ | 2004-10-23 02:52 | 読書ノート(1) | Comments(0)

1974年のTRANSSEXUAL(2)

文 学

“Conundrum”は文学である。
 しかしなぜ? なぜそれは文学と呼ばれうるのだろう。

 凝った比喩や文彩が使われているからだろうか。美しく巧みな筆致で書かれているからだろうか。そうした点にかけてのモリスの才能は、最初のページですでにはっきり見てとれる。“Conundrum ”は一人称の小説と区別がつかない形式で書かれている。モリスの文学的才能はかくれもないが、それには訳者竹内の力も大きい。原文もこのような感触なのだろうと思わせる文体で訳されている。本人の心配どおり、明らかに彼は(紙の上に)表現されたかたちとしては「女性的」なのかもしれない。一般に、官能的な文章が書けない(官能的な事柄をという意味ではない)男の文筆家というのは大勢いる。

 それはともかく、上に述べたような特徴だけでは、まだそれは文学ではない。文学の最大の特徴、それはそれ自体、文学から作られたものであるということだ。いかなる体験もそれだけでは文学を産まない。美しい文章や巧みな譬喩にしても、そうしたものに貪るように目をさらした上で、はじめて自分のものであるかのようにペン先から迸り出てくるのだ。“Conundrum ”の開巻3ページで、モリスは『オーランドー』を引き合いに出している。といっても、男に生まれ、女として死すべき自分の物語を、エリザベス朝から二十世紀に至る長い時間の途中で男から女へ変身した主人公と比較するわけではない。それよりも奇妙な(あるいは巧妙な)やり方で、彼は、ヴァージニアがヴィタをモデルに書いたこの小説に言及するのだ。

もし私が、ピアノの下で得た確信[後述]を話したら、家の者は、みんな、びっくりしたにちがいない(ヴァージニア・ウルフの、主人公が男になったり女になったりする小説『オーランドー』が家にあったので、ひどく驚くようなことはなかったかもしれないが……)(7)

 他人事[ひとごと]として、副次的に、仮定法で、さりげなく述べられた経験。モリスが『オーランドー』をいつ読んだかはわからないが、ともかく彼は家にあったこの小説に親しんでいたのだ。これを読んで「主人公が男になったり女になったりする」物語が身近なものになったとは、モリスはけっして書かない。
 その代りに、彼女は次のように書く——。

何かの間違いで男の子の身体に生まれてきてしまったが、自分はほんとうは女の子なのだと気がついたのは、三歳の時だった。もしかしたら、四歳だったかもしれない。とにかく、その時のことはよく覚えていて、私の最も古い記憶となっている。(5)

 これが、「ピアノの下で得た確信」と呼ばれるものだ。ほんとうは男の子ではないのではないか、ではない。もしかしたら女の子なのでは、でもない。何の知識も、前提もなく、それゆえ何の逡巡も持たぬ、純粋な——と見なされうる——体験。それは天啓のようにやってくる。洞窟のような、ピアノの音[ね]の降りそそぐ下でそれは起こる。

 私は、母が弾いているピアノの下に坐っていた。ピアノの音が滝のように降り注ぎ、洞窟の中をこだまする音のように、私を包み込んでいた。頭上の反響板は、高くて暗い円天井、ずんぐりした三本の脚は、黒い鍾乳石のように見えた。(5)

 モリスの筆は、ピアノの下に入り込んでいるだけの子供が身を置く場所を、ノイシュヴァンシュタイン城の中の白鳥が引く舟を浮かべる池の周囲の鍾乳洞とでも言いたくなるものに変える。母の弾いていた音楽、それはシベリウスではなかったかと著者は推測する。母が「フィンランド風の音楽が好きだったから」というのがその理由だ。構築された記憶の中の、それが構築であることの痕跡であるかのような推測。

 ここで一気に最終章へ飛ぶことにしよう。幕切れにこのピアノはもう一度あらわれる。その下で、自分が女の子だという確信を持つという経験をしたあのピアノに、ほとんどついでのように話が行く。その下で考えている子供こそが問題なのに、著者はピアノへと話を移す。ほとんどどうでもいいことのように。ところで、このピアノは、私のものになっている。けれども、もう長い間、シベリウスの一節をも奏でたことはない。みんな、巨匠に取り組むほど、ピアノが上手くはないからである。(246)こうしてポイントを巧みに逸らした文、けっして結論にはならない文で一篇は終る。
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by kaoruSZ | 2004-10-21 23:39 | 読書ノート(1) | Comments(0)

1974年のTRANSSAXUAL(1)

Yさんにお借りしているJan Morris“Conundrum ”についてのノート

訳者あとがき

 1974年なんてたった三十年前のことだけれど、『苦 悩  或る性転換者の告白』という題名は、さすがに今ではつけられることのありえぬものだ。「或る」というこの文字づかいだけで、さらに三十年は昔の本かと錯覚してしまいそうだ。
 しかしこの本は1974年に書かれ、二年後に日本でも翻訳が出ている(ジャン・モリス、竹内康之訳、立風書房)。どういう時代だったか? 「訳者あとがき」が大いに参考になる。訳者は、著者の略歴に移る前の、メインの文章をこう結ぶ。

特にウーマン・リブの運動にたずさわる方がたには、本書をぜひとも読んで頂きたいと思っている。(247)

 ジャン(Jan)・モリスは、Male to Female Transsexualである。彼女の手記を、どうして「ウーマン・リブの運動にたずさわる方がた」に?

 モリスと同様、自分も「男より女の方に価値観を置いていた」と訳者は子供時代を振り返る。「ほとんど女ばかりの家庭で育ったせいか、身のこなしや言葉づかいに女性的なところがあり」、指摘されて恥しい思いをしたり、自分は「本質的に女性的なのではないか」と悩んだりしたこともある——。

その後、基本的な物の見方、考え方に男女でかなりの差があり、自分はむしろ男の見方、考え方に近いということを認めるに至ったが、それとても、環境——育てられ方の差に基づくものだと言えなくもない。というわけで、私は、「どこか本質的なところで女性的なのではないか」という意識を、拭いがたかったのである。
 しかし、本書を訳してみて、私は「たとえ男として育てられても、本質的に女性的なところを持つ者はやはり女性的な物の見方、考え方をする」という点を確認し、やっとそういう意識から解放されたのであった。
(247)

 わかりますか?(私はわかりにくかった。というか、わからないぞ!)
 この人は、
(1)自分の「男性的な物の見方、考え方」は、男として育てられた結果植えつけられたものにすぎず、本質は女性的なのではないかと思っていた。
(2)しかし、男として育てられたのに「女性的な物の見方、考え方」をするモリスという反証を得て、自分の本質は男性的なのだと悟った。

というのだ。

 著者ジャン・モリスは、社会的に女として扱われて育ってきたわけではない。したがって、本書をつらぬいている「女性的な物の見方、考え方」は社会的に強制されたものではなく、女性の本質に基づくものだと考えていいだろう。そういった意味で、特にウーマン・リブの運動にたずさわる方がたには、本書をぜひとも読んで頂きたいと思っている。(247-248)

“そういった意味”だったのだ。「女性的な本質を持つ者」が男として育てられても、「女性性」は押えようもなくあらわれる。だから、女の子をどう育てようと、彼女は結局「女性的な物の見方、考え方」をするようになる——社会に強制されずとも——と、この人は「ウーマン・リブの人々」に向かって言っている。
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by kaoruSZ | 2004-10-18 21:51 | 読書ノート(1) | Comments(0)

チョー現実

 シュルレアリスムはシュル/レアリスムではないという話は、その昔巌谷國士のセミナーで聞いた(もう学生ではなかったが、ロートレアモンの没年よりも若かったか、私)。巖谷の著作でその後読みもし、旧稿で使いもしたが、これを次のように表現している人を見つけた。

シュルレアリスムの「シュルレアル」は「チョー現実(すごく現実、とっても現実)」だという巌谷國士の説を紹介したら、けっこう評判が良かった。

 笑った。すてき。スゴイわかりやすい。リンクしようとしたらキャッシュしかない。富山から熊本へ移った大学の先生でサイト工事中だった。(それにしても、なんだよグーグル、「もしかして:ショー現実」って。)
 実は自分の文章のここのところの説明がわかりにくいので手を入れようとしたのだが、途中で、「シュルレアル」としているところは本当は「シュルレエル」とすべきではないか、考えはじめたらわからなくなってきて(前者、定冠詞があると思ってもらえば名詞なんだけど)、用例をグーグルしたところ、拙稿がどーんとトップに出て、机の下に隠れたくなった。
 そのあと「チョー現実」に出会い、あまりの差に自分のはほうっておくことに(そのうち考えよう)。拙稿、もともと『幻想文学』に送ってボツになったもので、「シュールな」というカタコトでシュワンクマイエルを紹介していたというのは、実は当の『幻想文学』に映画評を書いていた人のことだ。

 悪口ついでにもう一つ。朝日の夕刊のデリダの追悼記事、なんかロラン・バルトにもブランショにもそのまま使えそうな……。
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by kaoruSZ | 2004-10-13 05:55 | 日々 | Comments(0)
 何匹もの兎を前にどれも追えないまま力尽きちゃってるような毎日だが、今月末にはまた兎を一匹よそにやらなくてはならないので、今朝がた半分寝ている頭で考えた。「彼は十●歳●ヶ月」というタイトルでは? ところが、●のところがわからない。翻訳二種類と原書まで持っていてもすぐに取り出せなくては持っていないのと同じ。ロートレアモン、解剖台、ミシン、傘、その他の組み合せでキーワードを入れ、十七歳と四ヶ月というのが複数ヒット。これで落着かと思ったら、こんなことが出ていた。そうか、私の持っているのもJose Cortiのはずだが、そしてページがかなり切ってなくて、日本の湿気で背の糊にカビが生え、私のフランス語の知識もカビが生えてしまってseizeと言われてもにわかに幾つだか理解できない始末だが、たしかにマルドロールの好みだと十七では年を取り過ぎているような。もしかして栗田訳勘違い?
 
 ところでグーグル、キーワードが英語等の場合綴りが変だと正しい候補を出してくるのは前からだけど、最近それが もしかして: という文字を先立てるようになった。日本語の場合も訂正して聞いてくる。「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」とまとめて打ち込んでみたら、

もしかして: 解剖台の家のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい

だって。どういう了見なんだ。東北弁か? 思わずそれで検索してしまった(0件)。ちなみにこれ、ミシンと蝙蝠傘のとりあわせが意外なんじゃなくて(だってベタ、フロイトでしょう?)、それと美とのとりあわせ(美少年の直喩であること)が意外なんだよね。ミシンと蝙蝠傘以外の直喩——猛禽類の爪の伸縮自在性だの、首の後ろの傷口の柔らかな筋肉の運動だの、ねずみ取りだの——について、少年の肉体の一部との指摘はどこで読んだのだったか。ウェブじゃないから検索不可能。

 とりあえず子兎いっぴき。
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by kaoruSZ | 2004-10-13 05:29 | 日々 | Comments(0)

御案内

何もしないと記事はたんに時系列で並んでいます。「カテゴリ」内の項目をクリックすると、それに属するものだけを取り出して読むことができます。

カレンダーの月名をクリックするとその月に投稿した記事の一覧が、太字になっている日をクリックすると、その日の記事が出ます。


[なんでわざわざこんな初歩的なことをと思うかもしれないけれど、私自身が知らなかったので、それで丁寧な「御案内」を書いたのですね。月名をクリックするとその月の記事が出る」なんて、今読むまですっかり忘れてた。便利じゃないの。今度やってみよっと。]
[あ、それから、月の名の前後についてる、ギュメが一重になったの(<>)、あれをクリックして前後の月に行けるなんて、最初思いもよりませんでした。たんに月(の英語名)をかこっているのだとばかり思い、カレンダーなんてリアル世界のを見ればいい、場所ふさぎだと思って見えなくしていたくらい。今は一番上に出しています。](2006年1月追記)
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by kaoruSZ | 2004-10-11 17:23 | 受付

アナログのココロ!

 再び読売の記事から。ゲストが架空の書店の店長になって本を紹介する「空想書店」というかなり大きいコーナーが読書欄にあるのですが、今月の店長は反ジェンダーフリーの旗を振る東京都某教育委員、見出しは「アナログの心」です。グーグルで検索するまで、てっきりこの人のオリジナル表現と思っていました。だって、「本はデジタルの頭ではなく、アナログの心で読む」なんて、「男は男らしく、女は女らしく」と同じくらい、空疎な表現ではありませんか。

 ところが、アナログ/デジタルの比喩的用法が見られるかとグーグルで検索、試しに「アナログの心」と入れたころ、なんと60件も引っかかってきました! さすがウェブ(ゴミ溜めか、とときどき毒づきたくなります)。この表現を批判している記事ではなさそうです。以下、例をいくつか——。

デジタルだけど、アナログの心

 タイポグラフィ会社のコピーです。

インターネットというデジタル機能を利用し
アナログの心をお客様にお届けしたいと思っております。
ご来店お待ち致しております。


 これは「電気商会」の出しているもの。品物およびサービスを扱うようで、デジタル機能は広告だけに利用しているということらしい。

手法はデジタルに変化しても、これまでの経験を活かしながら、常に真心、 言い換えればアナログの心で、より密なコミュニケーションをとりながら、 きめ細かくクライアントのニーズに応えていきたいものですね。

 これは印刷会社。真心=アナログの心と定義しており、デジタルになる前は「真心」だったというところが、「からごころ」の入ってくる前には純粋な「やまとごころ」があったというファンタジーを思わせます。 

 ほかならぬ教育委員自身のサイトの文章もヒットしました。「アナログの心」の中身が具体的に記述されています。なぜそれが「アナログ」と呼ばれるのかは不明ですが。

 東京都教育長 横山洋吉。彼は立派な男で、私が石原慎太郎都知事に次のような発言をした事がありました。公式発言です。
「彼を教育委員に任命したのは、知事の功績の一番か二番のものです」
 いわば鉄の同志です。その教育長のお母さんが85歳で亡くなられました。お通夜と妻の誕生日が重なってしまう。
 私はまず供花を手配。次に妻に一言。
「男の友情は妻への愛情に勝る」「ハイ」
 電子化がどのように進められても、弔電をメールでうち、香典を電子マネーで送る世の中にはなりません。
 大切なのはアナログの心です。


 タイトルは——写すのもおぞましいかぎりですが——「男心に男が惚れて」。「公式発言」って、あんた何者? とか、どうしてそこに「男の友情」が出てくるんだとか、それなら電報で弔意を表し香典を現金書留で送ることだって許されまいとか、突っ込みどころ満載、しかも笑えます。もちろんウェブ上でのこの手のカタコトは枚挙に暇がありませんし、個人が何を信じようと、放言しようと、将棋をさそうとかまいませんが、問題なのはこういう人間が、都立中・高等学校に関する重要な事柄を決定するようなポジションに置かれているという事実です。

 結論が出てしまったようですが、これからが本題なのでした。元記事はいずれ消えるでしょうから、適宜引用しつつ話を進めます。

 自宅で本をパソコンから注文することが可能になったことから、やがては本そのものもパソコンの画面上で読む事になるのかも知れないという臆測を引きだした教育委員、本代や配達料よりも安価で読めるシステムである。既に新聞各社でもネット配信を始めている。紙面は死語になってしまう世の中が来るのだろうかと続けたのち、次のようにそれを自ら否定します。

 否、私は絶対そのような事にはならないと確信している。私の書店はお客さんには足を運んで頂くことを念頭に入れての商売を第一に掲げてある。(中略)もうひとつの部屋は明るいテラスになっている。そこは貴婦人用であって、こちらは茶菓が出る。イスに座って午後の紅茶を飲みながらくつろいでもらう。全国に書店は数多くあれど、座るスペース、座るサービスを心掛けているのは私の書店が一番と自負している。自宅のネットで本を買う人は、本屋へ行っても立ち通しの上に交通費もかかり何よりも時間がもったいないからであろう。本屋そのものが行きたくなるようなサービスさえすればお客さんは来る筈(はず)だ。

 この人、本当に本屋へ行っているのでしょうか。全国の書店は知らないので東京に限って言いますが、ジュンク堂が西からやってきて以来、本屋が椅子やテーブルを置くようになりました。「立ち通し」なんてことはありません。代金さえ払えば、貴婦人に限らず茶菓、軽食を利用できるところもあります。しかも本の代金は、飲み食いしながら中身を読んだあとでもいいのです。のみならず、買わなかった本を返す、本置き台まで用意されています(そこまでやってくれなくても私はいいです。自分の本にしてから読みます——でも、今度やってみようかな)。

 そして、「東京にはそんな本屋があるのか、夢のようだ」と思う、大きな本屋が身近にない読書家にとってこそ、ネット書店は命の綱でしょう。私自身は、内容が確かで、あるいはどうしても必要で、早く読みたいときはメールで注文します。自宅ではなく、勤め先の近くの本屋へ届けてもらいます。すぐに大きな本屋へは行けない忙しいときでも、これなら昼休みに取りに行ける。以前は本屋で注文すると三四週間かかったものですが、ネットワークなら二三日、リアル書店でも、その影響でと思われますが、原則二日で寄り寄せますなどという貼紙を見かけるようになりました。

 ところがこの教育委員にとっては、電子メールで注文して本を入手することと、本屋で直接買うことは、完全に対立する事柄のようです。

本は自分の足で書店に行き、手に取って「まえがき」を読み、気に入ったら買うものである。なによりも紙で出来ている本を読む。1枚ずつページをめくるのである。行間を読み、写真にも目をやってくつろぐ。本はデジタルの頭ではなく、アナログの心で読むものと信じている。

 文章が大ざっぱなので「行間を読み」というのが何を言わんとしているのかよくわかりませんが、それが紙の本で読み取れるものなら、行間だろうが写真だろうがそれ以外の何かだろうが、モニターの画面で読めないわけがありません。物理的に読みづらいというのならまだわかりますが。
 紙の本でも、たとえば谷崎潤一郎の『盲目物語』が現代かなづかいに直されていたとしたら、とうてい読むに堪えないでしょう。こうした犯罪的な改変は問題ですが、基材が紙面から画面になったとて、本質的に何が変わるというのでしょう。

 それでもさまざまな理由で、紙の本で読みたいとは私も思います(註)。しかしそれはモニター画面で読むことが「デジタルの頭で」読むことだからではありません。そもそも私たちは連続的な量が0/1のデジタル信号に変換されたものを、アナログ的に知覚するのであって、デジタル方式の目を持った人など存在しません。この書き手のアタマこそ、0さもなければ1という、不毛な二項対立に陥っているようです。

註 言うまでもなく、写真が絵画とは異なるように、デジタル化されたテクストにはそれなりの使い道があります。「アナログの心」、現代紋切型辞典に入れるべきですね。フローベールの時代には、「写真」と聞けば「藝術ではない」と言っていればよかったというのが参考になりそうです。
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by kaoruSZ | 2004-10-09 08:16 | 日々 | Comments(0)
 お通夜を「おつうや」と言う人がいる。先日、ついに、NHK教育テレビのナレーションまでがそう伸ばすのを聞いてしまった。千住を「せんじゅう」と言われたように居心地の悪い気分。番組は冠婚葬祭のマナーを教えるという内容で、講師はさすがに伸ばさなかったが。そういう言葉を漢字から覚えるというのがそもそも不思議だ(千住はともかく)。子供の頃、「今夜はおつやだ」と大人が言うのを、耳にすることはなかったのだろうか。

 普段背広を着ない父が夜になって黒い服を着込むと「おつや」だった。幼い私の想像の記憶の中の「おつや」では、黒衣の人々がもの言わぬ死者を取り囲み、お椀に入った「おつゆ」を陰気にすすっている。幼児は未知の言葉を、音の類似に頼って理解する。というか、音の類似の影響をまぬかれることは不可能だ。だから、「カチューシャ」という語は「注射」が中に隠れているのでいやな気がしたし(それが綺麗な髪飾りを指すとわかっていても)、一年の担任だった「はりや先生」が盲腸になって休んだのは、名前の中に「針」を持つからだった。代理の先生がはっきりそのことに触れるのを、針谷先生の病気を告げられる話のあいだじゅう、私はずっと待っていた。その名からして、針谷先生はお腹を切られて針で縫われる運命だった。そして誰もが私と同じように考えていると思っていた。

「すまし汁」とも「おすまし」とも、ついぞ聞いたことがなかった。「おつけ」に対して、醤油で味つけした汁は「おつゆ」といった。おつゆは「吸う」もので「飲む」ものではない。そう私に教えたのは父である(たしかに、「お吸い物」という言葉もある。当時は知らなかったけれど)。
 それまでにすでに母から、「おつけ」であれ「おつゆ」であれ、コップの水を飲むように片手でお椀を取ったまま口をつけてはいけないこと、持ち上げたお椀を箸で実を押えるしぐさをしながらかたむけて、汁を口に入れるのであることは教わっていた。しかし父は、液体を唇から喉へと通すその単純な事実さえ、水とは区別するよう言うのだった。はじめそれは理不尽なことに思われた。「飲む」でどうしていけないのか。おつゆだって水だって、同じように「飲み込む」ではないか。

 水は冷たく、おつゆは熱い。だが、お茶だって熱いけれど、湯呑みからお茶を吸いはしない。今思うと、箸が介在することが分かれ目になるのだろう。スープなら、吸おうが飲もうが好きにしてくれていい。だが、「おつけ」や「おつゆ」は飲まずに「吸う」。
 幼い私はお椀とお箸でおつゆを「吸った」。「飲む」こととの違いを理解した。そうやって、物理的事実とは別の秩序に、言葉によって分節された文化に属するようになった。
 そんなわけで、とみに耳にするようになった「味噌汁を飲む」という言いかたを、私はずっと憎んできた。そう言うひとは、片手でお椀を、コップを持つようにつかむにちがいない。そしてその中には、押えるほどの実もはいっていないにちがいない。

 晩年の父に、覚えていないだろうけれどと前置きしつつ、ふとその話をする気になった。おつゆは飲むものじゃなく、吸うものだと教わったよね。覚えているともいないとも父は答えなかった。そういう話をするのなら、もっと早くすべきであったろう。しばらくして返ってきた言葉は、「どっちでもいいんだよ」であった。

 私がむいては手渡す甘栗を、父はゆっくりとしがんでいた。飲み込むとき、喉仏が大きく上下した。ときどきは自分の口にもほうり込みつつ、愛想のない声が「もういい」と言うまでそれを続ける。湯呑みの中の冷めたお茶を父は最後に飲み下した。
 ペットボトルを買いおいても、父には蓋があけられなかった。冷蔵庫におかずがあると言って出かけても、そこまで行くこともせず眠りこけていた。薬のせいで白内障が進行し、時計の針も新聞の日付も見分けられなくなっていた。目覚めると翌日だと思い込み、ゆうべ帰ってこなかった(と信じる)私の職場に電話してきた。家にあるのは年代物の黒電話で、勤め先の番号は大きく書いてあったとはいえ、正確に八回ダイヤルしなければつながらない。「よく間違わずにかけられるね」私の言葉に、「必死[しっし]だよ」と父は答えた。あるいは何度も間違えた末、奇蹟のように通じていたのか。乳房にすがりつく赤ん坊は飲むも吸うも区別しない。父にとっても、いつの間にかそんなことはどうでもよくなっていたのだった。すぐに私にとっても、それはどうでもよくなった。飲もうが吸おうがともかくそうしているうちは、父はまだ生きているのだった。
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by kaoruSZ | 2004-10-06 20:41 | にほんごのおけいこ | Comments(0)