おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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 記事を書く時間的余裕のないまま日が過ぎてしまった。メールの返事も書いていない(メールを下さった方、少々お待ちを)。この週末、「オニババ」書評後篇だけは書き上げなければならない。

 散らかっている本の中から、買ったのにほうってあった巖谷國士著『シュルレアリスムについて』を拾い上げ、ページをめくると、「最近の少女言葉で「超カワイイ」なんていうのも、すごく可愛いという意味ですね」という文が目に入った(超現実とは、現実を超えた別世界ではなく、「強度の現実」の謂だという説明として。さすがに、「チョー現実」とは言ってない)。しばらく目を通し、シュワンクマイエルについての拙稿(「ブリコラージュするデミウルゴス」。右上のカテゴリ欄から、「アルシーヴ(映画)」をクリックすると読める)に手を入れ、「シュルレアル」を「シュルレエル」と改める。

 ある事柄に関心が向くと、それに関係のあるものに次々と出会うことになる(誰にでもあることと思っていたが……違うだろうか?)特に不思議なことではなかろう。興味の対象だから、それまで見すごしていたものも、自然と目に入ってくると考えられる。
 しかし、こんなこともある。先日、八重洲ブックセンターの一階で、立ち読みした本の中にはじめて見る人名があった。それを意識的に記憶したわけでもなく、興味を持ったわけでもなく、本を戻してエスカレーターで上ってゆき、今度は上の方の階で、一面に並んだ文庫の背表紙に何気なく目をやった。するとそこに、さっきの名前があったのだ。著者として。はじめて見る、有名とも思えぬ名前(今はもう思い出せない)。いや、そのときはすでに、はじめてではなく二度目だった。そうなると、一度目が知りたくなる。どこで見かけた名前だったのか。一階では何冊も立ち読みしていたもので、すぐにはどの本とはわからない。一階へ戻り、さきの場所で、さっきと同じように本を抜き出し……そしてその名を二度目に見つける。
 見つけたからといってどうにもなるわけではない。もともと〈私〉が関心を持ったわけではないのだ。離れたところにあって自分では動けない二冊の本が、勝手に私を介して関係しただけ。私にとっては何が得られたというわけでもない。〈空虚な主体〉になった気分。 

 かなり前のことだが、退け際に日経新聞の夕刊のコラムで、最近の若い女は何でも「かわいい」で済ますと(当然、批判的な調子だったに違いない)あるのを読んだあと、伊東屋本店に寄って地下への階段を何の気なしに降りて行った。地階には便箋や封筒もあるが、可愛い文具もたくさんそろっている。学校帰りの制服の少女たちがたむろしていて、たちまち、あちらでもこちらでも「カワイーイ」「カワイーイ」と声が上がった。
 私を驚かせたのは、記事のとおりだったことではない。それまでにも「カワイーイ」という声は、さんざん耳に入っていたに違いないのに、そのときまで私にはそれが聞こえていなかったことである。不意に私は直前に読んだコラムのせいで、女の子たちの「カワイーイ」というさえずりが聞き取れる「聞き耳ずきん」を手に入れていたのだった。
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by kaoruSZ | 2004-11-25 23:53 | 日々 | Comments(0)

1974年のTRANSSEXUAL(7)-2

(承前)

とにかく、それは、あの大聖堂が私に約束してくれたものではなかった。女性たちが息を殺した声で初夜を語るとき、心の中に想い描いているものではなかった。(33)

 モリスの言いつのる内容はひかえめに言ってかなり奇妙なものだ。「女性たちが息を殺した声で初夜を語るとき、心の中に想い描いているもの」? だとしたら、たとえジェイムズ・モリスが女性性器を具えていて、身体が「結びついた」としても、それはとうていそのような期待に応えられるものではなかったに違いない。上記の引用文には実はさらに驚くべき言葉——「処女懐胎とは程遠いものだった」が続く。

その行為は、新たな悩みも作りだした。私の身体が、開き、与え、征服されることを熱望した時でも、私の道具がそれに応じなかったからだ。私の道具は、別な機能を果たすように作られていた。それが私の身体についているのは、何かの間違いだとしか思えなかった。/求婚者たちは、私が一番好きだった人でさえ、私が燃えないのを物足りなく思ったにちがいない。しかし、私は、故意にそうしていたわけではない。身体を求められるのが嫌だったわけでもない。ただ、彼らほどそれに熱中できなかったというだけのことなのだ。

 では、何だったら、モリスは「熱中でき」たのだろう。何にだったら「燃え」たのか。どんな状況においてなら、彼の「道具」は「応じた」のだろう? モリスはそれを書かない。そもそも、処女マリアが手本とされる「女性」は、いかなる状況でなら「燃え」ることができるのか? モリスが「求婚者たち」とのシーンで勃起しないとしたら、それはそもそも男として快楽を得ることが彼には禁じられているからだ。ペニスを使って自慰をすることは、自分が男であることを思い出させてしまうゆえに、モリスの避けたかったことに違いない。
 とはいえ、この本にそうしたあからさまな記述は一切ないし、干し草置場での「初めての性体験で、最も生なましく私の記憶に残っている、最も官能的な印象は、正直に言って、「上級生・ボルソーヴァー」[これは映画のタイトルによるのではないかと思われるが未確認]のぎこちない抱擁や、情熱の吐息、私のズボンを脱がせようと焦る手の動きといったものではない」と、否定形(「といったものではない」)でしかモリスは体験を伝えない。その代りとして、モリスは「現実効果」をあげうる描写を置く。「それ[ 最も官能的な印象]は、身体の下に感じた、かすかに腐食した干草の温かい感触と、下の納屋から漂ってきた発酵したリンゴの香りなのである

 触覚と嗅覚という五感の中でも下位の感覚に頼るいかにも「文学的」な描写をスクリーンにすることで、この文は干草の上でモリスが見、聞き、触れ、味わい、嗅いだ、それ以外のことに言及するのを巧みに回避しおおせている。
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by kaoruSZ | 2004-11-15 11:42 | 読書ノート(1) | Comments(0)

1974年のTRANSSEXUAL(7)-1

(Jan Morris“Conundrum”についてのノート)

干草の感触、リンゴの匂い

 回想を記すジャン[Jan ;これは男女どちらでも通用する名前]・モリスはもともとはジェイムズ・モリスという名前で、セックス[性器]について言えば男であった。だから、が自分は女であると主張するなら、それとは別の何ものかに依拠する必要がある。
 それが「ジェンダー」だ、とモリスが主張することになるのはけだし当然であろう。聖歌隊の少年だったときは男女の身体の違いさえ知らず、ただ神に女の子にして下さいと祈るばかりだったモリスは、パブリック・スクールに入ると女の代りに追い回されることに喜びを見出すが、その果てにセックスが主役となるとき、当惑を覚えることになる——。

それが具体的な性行為にまで発展してくると、私は、反撥といわないまでも、かなりの抵抗を感じた。その行為が、私の美的感覚に、どうしてもなじまなかったからだ。調和するものは、何もなかった。私たちの身体は結びつかなかった。また、恋愛ごっこのあいだは誰彼かまわず相手をしても別に害はなく、楽しかったが、密接な肉体関係を結ぶとなると、それほど親しくない者を相手にするのは、野蛮なことだとしか思えなかった。(32-33)

 ゲイ男性ならもっと気軽に関係を結ぶだろうが、女性——少なくとも、当時モリスが生きていた社会と階級の女性——はそうではあるまい。自分が同性愛者でないとはもっとあとでモリスが明言していることだが、しかしこれはが男が好きでなかったということではない。モリスはあくまでも男が好きなのだが、男のままでその愛を実践したのでは、同性愛になってしまうのだ。そしてずっとあとのページでモリスが記すところによれば、「人間は誰でも、肉体的にも精神的にも互いに愛し合う権利と能力を持っているという考えに基づき、全ての性的関係を容認している私は」——このようにはじまった文章が次のように結ばれるのに、人は驚くに違いない——「これまでずっと、同性愛者の感情に注意を払ってきたが、どうも、同性愛者の悲哀と本質は、彼等に子供ができないということに代表されるような気がしている」(85)
 
 子供、子供、子供——。「子供なんて不幸な女の慰み物よ」という、「罪のなかの幸福」(バルベー・ドルヴィリ)のヒロインの台詞を教えてやりたくなってしまうが、考えてみればジャン・モリスこそ、その不幸な女、しかも、子供を産むことはできないので、慰めすら得られぬ女に他ならないではないか。ドルヴィリの短篇小説のヒロインは愛人の妻を男と共謀して殺すのだが、罪の意識に少しもさいなまれることなく、男との愛の生活を全うする。しかしモリスには自分を求めてくる男との性的充足は許されない。なぜだろう。身体が「結びつかない」? それくらい、何ほどのことがあろう。生殖につながるために誤解されているが、異性間性交はたんにそれを行なう人間が多数派であるという以上の意味を持つ行為ではない。まして、「人間は誰でも、肉体的にも精神的にも互いに愛し合う権利と能力を持っている」と言うモリスなのに。(この項続く)
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by kaoruSZ | 2004-11-15 11:37 | 読書ノート(1) | Comments(0)
10月13日の記事「チョー現実」その後
 11月10日(水)、錦糸町の駅前というか、駅右側のビル内の本屋(同じ階に映画館があるらしい)で巖谷国士の『シュルレアリスムについて』を見つけ、調べるとやはり「シュルレエル」となっている。文庫本なので即購入。なんでそんなところにいたかは秘密。

■同日の一つ前の記事「マーヴィンはいくつだった?」その後
 11月13日(土)午後3時前、池袋東武百貨店内の旭屋書店で『ロートレアモン/イジドール・デュカス全集 全一巻』(石井洋二郎訳)を発見。同名の書物なら渡辺広士訳のものを持っているが、最近出たのか、と函から出して、薄葉のかかった表紙を開くと2001年発行。三年も前なのに、本の存在すら知らなかったなんて。アンテナ鈍りすぎ。群小書店で文庫だの新書だのを見境なく(他に買いたい本がなくて)買わずに、ときどきは大きな本屋を見なくては。ともあれ、〈彼〉がいくつかを確かめる。「彼は十六歳と四ヶ月」やっぱりそうだったんだ。そしてミシンと洋傘は——「偶発的な出逢いのように」と訳されている。訳注を示す数字に導かれて詳細な註釈を見ると、十六歳と四ヶ月は初版印刷時のジョルジュ・ダゼットの実年齢に一致するとある。そうか、この話なら、すでに読んで知っていたはず……。『マルドロールの歌』初版とは、言うまでもなく、のちには絹のまなざしを持った蛸だのなんだのといった怪物に置き替えられることになるマルドロールの前に現われる存在が、ただダゼットと(本名で)記されていた版である。

〈彼〉の美しさの瑜のうち、ねずみとりに関する記述は、広告の文言をそのまま写したのだろうという。うなづける話。鳥たちの飛び方の記述も丸うつし。そうだろう(そうでなくちゃ)。それが書くということだ。愛の対象の名前も丸うつし。しかるのちいずれもリファレンスから切れる。「ミシンと洋傘と解剖台」が一緒になっている図も、デュカスがどこかで見たに違いないと探しつづけた研究者が、とうとう、別のページにだが、ミシンと洋傘と外科道具がともに載ったカタログを見つけ出したという。モンテビデオから父親が送ったものだろうというのだが、これはどうだろう? こちらの場合は、偶然の出会いが事後的に形成される事例でありうるし、ついに偽の出典を研究者が同定してしまったと見なしたい。

 一万円近い本だけれど、その場で買ってしまわなかったのは値段のせいではない。その直前、最近とみに酷使否愛用しつづけていたリュックサックの底がほころびて始末に困り、池袋の地下道で千円也のリュック(とてもその値段には見えない)を急遽購入、もとのリュックごとおさめて背負っており、重い本を買うわけにはいかなかったのと、そのあとシンガポールからの客の原宿、銀座めぐりにつきあう予定だったから。13日の記事にある原稿は結局書かれずじまいで、代りに『オニババ化する女たち』書評を書いた。

 これは「ミシン 傘」で検索したときに見つけていたものだが、講談社選書メチエ編集部にこんな意地悪なメールを送った人がいる。

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お忙しいところ恐縮なのですが、加賀野井先生の「ソシュール」を拝読させていただいているのですが、ちょっと質問があるのです。

P75にある「アポリネールがシュールリアリズムの本質を表現しようとしていたあの『手術台の上でのミシンとコウモリ傘との出会い』になぞらえて、、、」とあるアポリネールの著作はなんでしょうか?

P181では原典にあたる重要性を強調されているのに私も強く同意します。それゆえに上記の原典を読んでみたいのですが、、、
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以下は返事。赤字は原典のママ。

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さて、お寄せいただいた『知の教科書ソシュール』に関するご質問について、著者加賀野井先生に確認しましたのでお知らせ致します。

アポリネールの言葉として紹介されていた「手術台の上でのミシンとコウモリ傘との出会い」は、実はロートレアモンの言葉でした。

先生のうっかりミス で、ご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ございません。言葉の出典は『マルドロールの歌』だそうです。ちなみに、アポリネールは「シュルレアリスム」の命名者とされているそうです。
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『知の教科書 ソシュール』は私も買ったところだったのが(見境なく買ってしまうもので)、上記のような質問は浮かばなかったがと思い該当箇所を見直すと、“アポリネールが「あの文句にはシュルレアリスムの本質が表現されている」と言った”とも読めるので(そんな事実の有無は知らなかったが。そういう意味だと言って押し通さなかったのは正直と言えば正直)、私は好意的に読み過ごしたのだと分かる(まさか出典を知らないとは思わないからね。思いがけない出会いの例として引くのはどうしようもなく陳腐とは思ったけれど。著者の名誉——まだあるとして——のために言っておくと、「シュールリアリズム」という表記はさすがにしていなかった)。
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by kaoruSZ | 2004-11-14 06:55 | 日々 | Comments(0)

コミケ当選!

来る12月30日(木)、コミックマーケット67に参加します。
孔明華物語新刊出す予定。
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by kaoruSZ | 2004-11-12 22:22 | ◆売り物「孔明華物語」他 | Comments(0)

1974年のTRANSSEXUAL(6)

(Jan Morris“Conundrum”についてのノート)

パブリック・スクールで

他の人たちも同じ問題で悩んでいるのかもしれないと思って、友人の一人に、そっと探りを入れてみたこともあった。もしかしたら、男の子はだれでも女の子になりたいと思っていて、私のように悩むのがあたりまえなのではないだろうか? こんな考えが、ときどき私の心を捉えることがあったからだ。歴史も宗教もマナーも、そろって、女性を崇高な讚えられるべき存在として扱っているのだから、そういうことも充分あり得るような気がしていた。(29)

 この発想自体、なかなか面白い。相手の友人は、「私の質問をくだらない冗談として受けとり、たくみにうけながしてしまった」という。それはそうだろう。

 私の通っていた高校は前身が東京市立中学で、当時は女子の定員が少なく、一クラスが男36人に女12人という構成だったが、ある日、国語の男性教師が、異性に生まれていたらよかったと思う者は手をあげるようにと言ったことがあった。私は手をあげたが、そのとき、女子はほとんどがそうだろうと思っていたので、意外な少なさに驚いた記憶がある。男子はそれ以上に少なかった。はーいと元気よくあげた男の子は、「女は得だもの」と口走っていたようだ。しかし、一番印象に残っているのは、教師がその直後、「ぼくも女に生まれればよかったと思ったことがあるけど、今はやっぱり男に生まれてよかったと思う」と言ったことである。何が「やっぱり」なのか、その説明はなしに彼は授業に戻ってしまったけれど、いかにも自己満足的な中年男の言明は心に澱のように残った。今思うと、彼の自己満足が、そのまま、女に生まれた者に対する否定、侮蔑、哀れみ等につながるのを、それなりに感じ取っていたのだという気がする。

 不意に浮かび出てきた自分の思い出を記したあとでは、「私のジレンマが生殖器に起因しているなどとは、思いもよらなかった」というモリスの陳述を、さほど不自然なものとしてではなく受け取れるように思う。(「今でも、そうではないような気がしている」とモリスは続ける)。(29-30)確かに私も、ペニスを欲しかったわけではないし、他の女の子たちが私同様自らの性別に不満を持っているだろうと思い込んでいたのは、もっぱら社会的な要因によっていたと思う(後年、身体的に男になりたいと強く思う時期を経験することがあって、そのときは反対に、「男にだったら私だってなりたい」(社会的に有利だから)と言った友人を、何もわかっていない、と思ったものだが)。

 ただし、モリスの場合、女について社会的にも身体的にも知っていたわけではない。なにしろ、モリスが知っていた女とは、もっぱら処女マリアとしての女なのだから……。パブリック・スクールに「進学すると、すぐ、人間の生殖について、非常に詳しく教えられたが、その仕組みは、私には、まるでつまらないものに思えた。今でもそう思っている」と断言するモリスは、あとで見るように、自分は母親になりたかったのだと言う(36)。どうやらそれは、処女のまま受胎し出産する母親だったようだ。

どんな生物にも何の苦もなく処理できて、人工的にも簡単に再現することのできる生殖の営みなど、このうえもなく無味乾燥に思えたので、私は、マリアの処女懐胎が賛美されていることに、何の不思議も感じなかった。私は、今でも、風や日光、音楽や想像力からの生誕に対して、強い憧れを抱いている。そして、生誕の秘密や私の謎が、単にペニスやヴァギナ、睾丸や子宮にかかわる問題だとは、どうしても思えずにいる、私の謎が、身体の器官ではなく、私の自我そのものに関連していたからである。(30)

 ラーンシング・カレッジでの経験について、モリスは二つのことを書いている。一つは、暴力的な男らしさへの嫌悪である。すでに第二次大戦がはじまっており、カレッジ自体オックスフォードから田舎へ疎開していたが、そこでモリスは、監督生と呼ばれる上級生たちから「いちばんよく殴られ」る生徒であり、行軍演習でも配属の士官に暴力をふるわれる。原因は些細なことであり、そのためにいつも怯えて過ごさねばならなかった。もう一つが「性[セックス]に関すること」で、それをモリスは、「楽しかったこと」として回想する——。

監督生の力強い手がティーショップのテーブルの下でこっそりと私の身体に触れてくるのを感じる時、私は、前の週に彼に殴られたことなど忘れて、空き箱の上で泣き叫ぶ哀れで卑屈な子供としてではなく、もっと大人びた、自信と自制心を持った自分のほんとうの姿で、その監督生に接することができ
た。
(32)

 当時の自分は、「美貌とまではいかなくとも、健康でスラリとしたかなり魅力的な少年だったとモリスは言う。ずっとあとの章で、四十代の手術前のモリスがホルモン投与により男女どちらともつかない姿になるのを私たちは読むことになるが、そのときの彼も、若返ってなかなか魅力的だったらしい。

イギリスの学校制度が現在のような形をとっているかぎり、そういう少年が求愛の対象になることは避けられない。私もそういう立場に立たされ、ほんとうは少女だという私の確信が、それまでになかった新しい形で満足させられたのだった。少年たちの間の淡くはかないロマンスにおいて少女役をつとめることは、私にはきわめて自然に思われた。そして、そのプラトニックな側面を、私は大いに楽しんだのである、追いまわされるのは楽しかったし、讃美されるのは嬉しかった。また、六年生の中に何人かの庇護者を持つことは、実用的でもあった。階段の陰で接吻されるのも、楽しかった。寮の中で一番ハンサムな上級生が、休日に私とデートしようとして苦労しているのを見ると、私はすっかり得意になった。(32)

 要するに、『アナザー・カントリー』や『モーリス』で私たちにもおなじみになった世界なのだけれど、ジャン・モリスに萌える人はあまりいまい。男性読者が自分の性生活にばかり興味津々なのにモリスは驚いており、彼らを満足させるようなことは自分の本には書かれていないと言っているが、モリスが、おおかたは性について男性よりはるかに無関心だと信じていた女性読者を満足させるものもここにはない。なぜなら、こうして描かれたモリスには、性欲を持った主体を感じさせるものがおよそ欠けているからだ。
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by kaoruSZ | 2004-11-11 19:54 | 読書ノート(1) | Comments(1)

1974年のTRANSSEXUAL(5)

(Jan Morris“Conundrum ”についてのノート。ようやく2章へ)

大聖堂の中で

 成長するにつれモリスは、自分が「偽りの生活」をしているとはっきり感じるようになる。本性は女でありながら、男の外観をかぶり、男に化けて生活している——。本性と外観が調和した本来の姿になるために、女の子の身体に移し変えられることを熱望する——こうした考えは、家庭や家族の影響ではなく、オックスフォードの生活によって形成されたのだと、私は思っている。(15)一九三六年、モリスは九歳で聖歌隊員のための学校に入り、オックスフォードの一員になる。中世に創立された少年十六人だけの寄宿学校で生活し、毎日クライスト・チャーチの大聖堂での礼拝に参加することになったのだ。私を作りあげたのは、オックスフォードである。(16)とモリスは言う。

クライスト・チャーチでの生活は、私の内部に、処女崇拝の感情を育てあげていった。この、奇跡と脆弱さに対するあこがれが、ゲーテの『ファウスト』の最終行に「われらを引きあげて行く」と述べられている「永遠の女性」——真の女らしさに対するあこがれと同一のものだということを、私は後になって気がついたのである。(17)

 先回りして言うと、2章の最後でモリスは、性を転換したいという衝動は、ふつうの人には、奇怪なものに思えるかもしれない。けれども、私は、それを、恥ずべきことだと思ったことはない。不自然なことだと思ったことさえない。私は、まったく、ゲーテと同意見なのである。(28)と述べている。女性性へのあこがれ、それが、女を対象とする男からのそれではなく、あこがれの対象になることへと変換されて語られるのだ。3章のはじめではこうも言う。「もしかしたら、男の子はだれでも女の子になりたいと思っていて、私のように悩むのがあたりまえなのではないだろうか? こんな考えがときどき私の心をとらえることがあった(……)歴史も宗教もマナーも、そろって、女性を崇高な讚えられるべき存在として扱っているのだから、そういうことも十分あり得るような気がしていた

 だが、真の女らしさとは何であろう。それについて考える前に、モリスが例によって官能的な文章で描き出す、オクスフォードの美しさを見てみよう。聖歌隊の少年たちが午後になると遊ぶ運動場が気に入りの場所だったとモリスは語り、マーヴェルの「庭」を引き合いに出す。そこはまさしくモリスにとってのエデンだった。

隅の方に大きなクリの木が三本あって、むせるような甘い香りに満ちた静かな夏の昼さがり、私はよく、その木の下の丈の高い草むらの中に寝ころがって、誰に見咎められることもなく、恍惚とした時を過ごした。カエルがあちこちで跳ねまわり、私を飽きさせなかった。目の前の草の上では、バッタが身を震わせていた。オックスフォードの鐘が、ものうげに時を告げた。(……)マーヴェルは、エデンの園もアダムが一人だけで散策している時が最もすばらしかったにちがいないと述べているが、私が今日までに、いくつかの都市をはじめ、土地、風景などに対して感じてきた陶酔は、まさに性的なものだたといっていいだろう。それは、肉体的な性的感覚よりも純粋で、しかも、激しさに於いてけっして劣ることはなかった。この、手軽に得られる、やや歪んだ陶酔に私が親しむようになったのは、あの遠い昔の、むせるような薫りに満ちた(……)オックスフォードの夏の午後以来なのである。(20)

 イヴのいないアダムならぬ草むらの中でイヴになりたいと夢見る幼いアダムは、はるかな未来にその願いを叶えることになるだろう。しかし彼女のアダムを得ることはけっしてない。そのことは、だがその追い求めるのが「肉体的な性的感覚」ではなく、むしろ処女崇拝、処女のまま母親になることであったと知れば、さほど不思議ではないかもしれない。

 大聖堂での礼拝のあいだ、モリスは我が身に起こっている神秘的な現象について思いに沈む。(24)本当にキリスト教を信じたことは一度もないと言いつつも、「性転換症がしばしば神秘的な装いを帯びる」という学者の指摘を紹介し、性を超越した人々を古代人が神聖視したことや、自分の親しい友人たちが、「私の苦悩の中に一種の啓示のようなものを見出している」ことを引き合いに出し、他のどこよりも、大聖堂で、自分の謎に没入するようになったと言う。(25)
 
 毎日、大聖堂にいるあいだだけは、自分の本来の姿に立ちかえることができた。子供なりに、一種の解脱の域に達していたといっていいだろう。ピンクと白と緋色の礼服につつまれ、音楽や言葉や装置に啓発されて、私は少年であることを離れ、神聖で無垢な境地をさまよっていた。あのクリの木の下での陶酔よりも直接的ではなかったが、もっと完全に解放されていたその恍惚境に、私は今でもあこがれている。おそらく、修道女たちも、このような境地を味わっているのであろう。(26-27)

 いつの日か、身体の殻を脱ぎすてて自分の本来の姿になること——(27)確かにこれはそのまま修道女たちのものだとしてもおかしくない願いではあろう。

 大聖堂の心がそれを是認し、私の願いを完全に理解してくれていることを、私は確信していた。どうして、そうでないわけがあろう。礼拝は、その最も崇高な側面で、私が女の本質だと考えているものを切望していたのだ。また、私たちの礼服自体私たちの男らしさを否定しているように思えたし、すべての福音書の中で不思議で優雅な存在として扱われている謎の存在・処女マリアこそ、キリストの物語に現われる人物の中で最も美しく、キリスト本人よりもはるかに完全で神秘的だと、私には思えたのだから……。(27) 

「そして神よ、どうか私を少女にしたまえ。アーメン」(27)祈りの言葉のあとの一瞬の沈黙のあとに、モリスは胸の中で唱える。けれども、神がどうやって私を少女にするのかなどということは、まるで考えていなかった。自分の願望の内容を、詳しく具体的に考えたこともなかった、だいたい、裸の女体などほとんど見たこともなかったので、男女の身体がどう違うかということさえよく知らずに、理屈ぬきで、ただ本能から祈っていただけだったのだ。(28)

 問題の本質が性器の違いでなければ、性器はそのままで「女」として生きればよい(それが可能なら)とも考えられるが、性器がそのままでは他の人々から「女」として扱われないので、そのことが問題なのか? やがてパブリック・スクールに進学したモリスは生殖について詳しく学び、また上級生たちの愛の対象とされるが、そうしたことが彼の確信にどう影響することになるか、それは次回に。〔2章は1回で終り!〕
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by kaoruSZ | 2004-11-06 09:46 | 読書ノート(1) | Comments(0)

月島から門前仲町へ

 女には「勝ち犬」と「負け犬」がいると強引に押しきってゲームをはじめること、あるいは、女には「エリート女性」と「ふつうの女性」がいると言いつのることと、「小説には二種類あり、厳密にその二種類しかない、地名の出てくる小説と出てこない小説だ」という ゴダール的断言とはどう違うのか(あるいは違わないのか)?

 ともあれ、『半島』のあとがきで松浦寿輝はそのように言い切っている。そして、少なくとも松浦の小説に関するかぎり、それは真実だ。

 にもかかわらず、瀬戸内海沿岸の半島から細い海峡で隔てられ、橋によってつながれている「島」という『半島』の舞台が、私には隅田川の河口の「島々」であり、彼の他作品同様東京の地名を持つかのようにしきりに思われるのだった。
 それは、『半島』という作品自体によりも、むしろそれを読んでいた頃、向う側へ繰り返し私が渡っていたことに原因があるのだろう……ある日、築地から思い立って勝鬨橋を渡った。はじめは、月島から地下鉄に乗ってあっさりこちら側に戻ってきた。次には、佃島の住吉神社がある、二十年以上前、上陸した地点を発見した(失われた水の都としての東京をたどる企画で、日本橋から舟で下ったのだ)。佃大橋を渡って帰り、次には中央大橋を渡って帰った。もう行くことはあるまいと思ったのに、またしても足を向け、今度は相生橋を渡って門前仲町へと足を伸ばした。舟下りより後になるが、短いあいだ本所緑町に住んだことがある。仕事をやめたばかりで、歩いて行けるところへは極力歩いた(アテネフランセへも日仏学院へも、映画を見に行くには両国から総武線一本で便利だった)。南下して至った一番遠い地点が門前仲町の赤札堂で、店はあったが、建物自体建て替えられているようだった。

 高校の学区が隅田川の右岸に沿った中央、台東、荒川、それに加えて足立区だったので、名簿で見ると月島から来ている子もいたし、もっと上流の大川端で育った同級生から、子供の頃は夏に川から吹く風がひどく臭かったと言う話を聞いたこともある。今、川沿いは整備されて、匂いがするとしても潮の匂いだけだし、水に親しめるよう、岸の近くは浅く整えられ、石段で下りられるようになっている。それでも水は生きており、干満の差は大きいし、思いがけぬすばやさで打ち寄せる。急に深くなるから入るなと注意書きがあるが、もしなかったとしても、いつ足許をさらい、呑み込まれるかわからない。相生橋の中之島の根元に閉じ込められた水は、行き場を失って飛びかかってくる。

 地図で見れば、ここは小説にあるような半島の先どころか、東京湾の奥まったところに過ぎず、私がたどった遊歩道、波が打ち寄せるそこは、隅田川が河口で二股にわかれる分岐点で、過ぎればすぐ相生橋、渡れば江東区に入る。二十年前に日本橋川から下ったときは、炒めたベーコンを混ぜたクリームチーズのサンドウィッチという、今思うとえらくカロリーの高いランチをたずさえていた。自分で全部食べようというのではなく、一緒に行った仲間と交換したのだが。今でこそ日本橋に覆い被さる高速道路撤去の話も出ているが、それが夢物語だったその頃、将来もしそうなればヴェネツィアの運河のように水面に映る景観が甦るはず、もともとこれは水路から仰ぎ見るべく建てられたのだと説明を受けた建築はとうに亡い。

 正確に言えば、その後、月島には一度、有楽町線で渡ったことがある。当時かの地の住人だった四方田犬彦の講演を、友人と聞きに行ったのだ。全然似合わないソフト帽をかむった四方田犬彦は、小津安二郎の話をした。質問をした年配の男性の東京弁が印象的だった。

 かつての上陸地点に近く、「元祖」と「本家」の佃煮の店こそ残っていたけれど、高層マンションに川沿いの土地を提供して、私の漠然とした記憶の中の佃島はもはや存在しないようだった。それでも、けっして悪いところではない。店々が変な看板を掲げてしまった下谷の例もある、もんじゃ屋程度に観光地化はとどめておき、願わくは軒を接した古い民家がいたづらに改築を望まないことを。

『半島』については、先にアサヒコムで、作者がヒント出しすぎのおしゃべりをするのを読んでしまっていた——結末の部分を書きながらベルトルッチの『暗殺のオペラ』のラストシーンを思い浮かべていたなどと……。結末は読む前からわかってしまったからそこまで行く過程が問題だが、千九百枚の原稿用紙(主人公が翻訳している伝記の訳稿)に匹敵するだけ、本文を書いていないではないか。内容については、驚くべきことに、かつて『もののたはむれ』が出たときに抱いた感想に何ひとつつけ加えることがない。詩に関するかぎり、男流作家と思ったことはないのだけれど。

 それ以前に読売の紙面で、11月に出るという次作についての記事を読んでいた。盗作をしたと非難される詩人についての小説を、自作の詩を使って書いたそうだ。
 自作って、『アレクサンドリア四重奏』のあれだろうか? それとも他にあるのかな。

『オニババ化する女たち』についてはここに書いた。

 鴎外から杏奴にあてた晩年の葉書等出てきたと、朝のTVで見る。小堀杏奴の息子、母の博文館日記や父(小堀四郎)との戦争中の往復書簡は焼却したとか(これは夕刊)。国立国際医療センターの名誉院長だったのか。文人でないだけあって(?)思い切りのいいこと。
 十一月二日は亡き両親の結婚記念日だった。文豪ならぬ父の半世紀を越える日記と、結婚前二年間に豊川-東京間で交されたおびただしい手紙の束と……それどころか、小学生だった父の藁半紙の答案から、建築の学生時代の製図やデッサン、曽祖父が祖父の通う小学校の建築費を寄付した際の東京市長の感謝状まで、階段の下と洋服箪笥の中に押し込まれているが——。

  金婚は死後めぐり来む 朴の花絶唱のごと蘂そそり立ち    塚本邦雄
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by kaoruSZ | 2004-11-05 20:34 | 日々 | Comments(0)