おわぁ、寝てるだけです 本館探さないでくなさい/ブログ主 鈴木薫の他に間借人の文章「tatarskiyの部屋」シリーズも掲載しています

by kaoruSZ

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 いや、ブランドステッターはとっくに死んでいたのだった、『終焉の地』で。死んだのは作者のジョゼフ・ハンセン。11月24日だから旧聞に属するのかもしれないが、私が知ったのは昨日、glbtq (an encyclopedia of gay, lesbian, bisexual, transgender & queer culture)というサイトのホームへはじめて行って(先日、『三國志』のあとがきに書く必要があって、gay erotic writingである"Blue Light"を検索し、同サイト内のエロチカ/ポルノグラフィーに関するページへ至った。驚くべき充実した内容。さすがアメリカの底力)、In Memorium欄にハンセンの名を見た。一瞬、驚かなかった。勘ちがいしたのだ。デイヴはもう死んでいるから、と。

Joseph Hansen(1923-2004)

 デイヴではなかった。無慈悲にも数字は閉じられていた。もうそんな年齢になっていたのか。

 ハヤカワミステリで『死はつぐないを求める』が出たのは1980年のことだ。東京駅の地下へ降りて手近な本屋に入った私は(当時は八重洲北口を出たところに勤めていた)、その帯に目を疑った。

  ホモセクシュアル探偵!

 サラリーマンが立ち寄る、新刊と文庫・新書とベストセラーを並べた本屋で、それはいかにも場違いのエクスクラメーション・マークだった。いったいあれは、誰が誰に向けて発していたメッセージだったのか?

 それがブランドステッターの日本への初お目見えだった。長身痩躯でハンサムなデイヴは、父親が社長をつとめる保険会社のさほど若くはない調査員だった。目新しかったのはたんに性的指向ではない。アル中の私立探偵にデイヴは協力を依頼に行く。相手は妻に逃げられ、酒びたりの荒れた生活をしているところだ。デイヴはまず、流しに山になった皿を洗いながら事件の説明をし、料理を作って食べさせる。こんな探偵は前代未聞だった。ロマンスの部分は、デイヴと死んだ恋人にそっくりのダグとの関係があまりにもメロドラマチックで、これで同性じゃなかったらバカバカしくて読めないところだった。

 その後知り合った女友だちで、理想の男性はブランドステッター、と断言する人がいた。私も好きだけど、ゲイであることを含めてデイヴはデイヴだよ、と言っても、それでもいいという返事だった。彼女がある男性マンガ家の話をして、「あなたや私のように植物的な生き方をする人」と(好ましいライフスタイルとして)いうので、それは私について思いちがいしているのだと私は言った。私は動物だったから。あるとき、電話で話していて、彼女が沈んでいたのでブランドステッター・カルトクイズを出した。デイヴとダグ(死んだ恋人)が飼っていた猫の名前は? 彼女は即座に正解し、自分でも覚えているとは思っていなかったけど、と言った。なんだか元気が出たみたい。

『終焉の地』は、デイヴが心臓発作に襲われるところで終っている。彼女がこれを当然のことのようにデイヴの死と解していたので、疑問を呈すると、まだ働かせるのか、死なせてやりなさいよ、と言う。前述のように登場したときすでに恋人と二十年暮したあとの四十代だった彼は、もう老境に入っていた。別に働いてほしいわけではなく、若い恋人セシルと、もっと人生を楽しんでほしかったのだが。しかし、何を見てもデイヴは死んだと書いてあるので、やっぱりそういうことになるらしい。それでも、滝壷に落ちるよりよっぽど生きていたことにしやすいじゃないかと思っていたが、これで完全にデイヴも死んだことになる。

 時は過ぎ、『ロシアから愛をこめて』の女スパイと同名の猫の名を言いあてた人とは今は疎遠になった。
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by kaoruSZ | 2004-12-22 17:40 | 日々 | Comments(0)
 御自分のメール・マガジンで「アンチ・オニババ論」をお書きになったシングル・マザーの方が、黒猫さんのところの拙論を読んでコメントを下さいました(「最新のコメント」参照)。面白いサイトやメール・マガジンをやっていらっしゃるので紹介します。http://www6.ocn.ne.jp/~satq/ 

 シングルつながりで、「シングルの会」のイベントも以下に紹介します。いよいよおしつまってにっちもさっちも行かなくなり、昨日の記事も(つづく)などとして載せてしまうという手抜きをしておりますが(あとで完成させるつもり)、なんといっても、コミケで売る三国志本が書けていないのが痛い。明日の夕方食事をという誘いも断わったところへ、直前のイベント通知メールが届きました。
************************以下転載**********************
 確信犯?シングルの会 東京支部 
   「個の自由と自立対等で優しい関係を求めて」
    
  テーマ:「少子化時代のシングル再考」
  日時: 12月18日土曜日 18:00から
  場所: 東京ウィメンズプラザ第二会議室A

決めてから、はてなんで少子化?と自ら思う。
シングルズ・ネット58号http://www008.upp.so-net.ne.jp/beate-kaoru/
に寄せたコラムで書いたこと (誤字が多いんだよな)
に加え、少子化社会対策基本法や次代育成支援法、GID特例法が出てきてから
ここ1年ちょっとで考えてきたこと、+α 改正均等法くらいまでいわれてい
た(と思う)保護か平等かもできればあわせて考えてみます。うめよふやせ
よプレッシャーのさなか(でも御上は誰のどんな子でもいいというわけでは
ない)でシングルとしての生き方、然るべき制度や社会保障を求めつつ個の
自立(自律)がどう可能かなどなど、一思案してみようと思います。

**************************************************
 発表者が友だちでもあり、明日の夕方はこっちへ行くことにしました。東京支部とあるように、もともと関西ではじまった会が、人の移動と一緒に東京へ来たもののようです。以下が会の説明。
**************************************************
確信犯?シングルの会とは?
 1990年9月発足。代表制も会員制も採用せず、機関誌「シングルズ・
ネット」の購読者のみに支えられている。7人くらいの世話人でシングルズ
・ネットを発刊。隔月に例会も開催。当初650人にもおよぶ購読者がいたが、
ここ数年で激減し、製作発行なども一部の人間に偏りがちになり負担となっ
たため、58号をもって機関紙の発行は停止。現在はしかしまだ、細々と粘り
強く存在?している。例会のテーマもやりたい人が自分の責任でやる、自己
の責任において参加していくことのみが必要とされている会といっても過言
ではない。「どんな形で暮らしていても、人は「シングル(個人)」として
生きているのではないか、従って一人暮らしでないとシングルの会に参加で
きないということではなく、「シングル(個人)」という生き方を模索した
い、または会の趣旨−“個の自由と自立、対等で優しい関係を求めて”−に
賛同される人はどなたでも参加可能です。(by八方ねこ)

***************************************************
 興味を持たれた方はどうぞ。東京ウィメンズプラザは、地下鉄表参道駅下車すぐ、青山学院大学と道をはさんで反対側、国連大学の右、青山ブックセンターの上です。
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by kaoruSZ | 2004-12-17 23:37 | 日々 | Comments(0)

ヘーゲルや

『俳句をつくろう』(仁平勝、 講談社現代新書)という本を買ったのには、先日の「きままな読書会」の際、議論が一段落したところで出た、「【ヘーゲルの担うに重き自明性】は俳句になっている!」との指摘にぜったい関係がある。この「句」自体、[デリダの]「バタイユ論の冒頭のエピグラム、バタイユからの引用」であり、それを田崎英明が、「現代思想」のデリダ追悼号によせた文章の中で引いている。これについて、

 ——季語がない!
 ——いや、無季俳句だ!
 ——田崎さんは意図的にやっている!
 ——それはありえない!
 ——「作者の意図」には関係なく、効果として意味が生じている。さっきのところでデリダも言っていた!

と談論風発、大笑いだったのだ。
 
 あとで一人になって思い出し笑いしつつ、「ヘーゲルや」と切れ字にしてはじめて俳句と言えるのでは、と思ったり、「ヘーゲル忌」とすれば有季になる(ヘーゲルの命日はいつかって? 知るものか!)などと考えるうち、俳句について知識を得たくなった。『俳句をつくろう』は、俳句はなぜ五七五という形をしているのか、というところから説き起こす、わかりやすくて面白い本だった。俳句は連歌から来ており、連歌は和歌から来ている。こうした歴史抜きで俳句は理解できない、あるいは俳句について論じるのは無意味だと一応は言えるだろう。一応、と留保をおくのは《父》に回帰しない読みという、今回の読書会で出たコンセプトとからむ話であり、また、『俳句をつくろう』の前に買った『アウトサイダー・アート』(服部正、光文社新書)から伸びている思考でもある。私の設問は次のようなものだ——「言語藝術にアウトサイダー・アートは存在するか?」

 私の考える答えを先に言ってしまえば、「存在しない」である。人を凡庸にする制度的な美術教育(服部の言葉を引けば、藝大受験用の予備校で教えられるような)に相当するようなものは文学にも確かにある。だが、言語藝術の担い手にとっての「教養」はそれとは別のものであり、不可欠であるのみならず、いくらあっても邪魔になることはないからだ。そういえば文学に山下清はいないと、深沢七郎論で天澤退二郎が書いていたっけ(『楢山節考』でデビューしたとき、そういう言われ方も一部でしたらしい)。その山下清を世に出したのが式場隆三郎だとは、寡聞にして知らなかった(『アウトサイダー・アート』で今回知った)。式場隆三郎の名は、澁澤龍彦の本を通じて、深川にあった奇妙な建築「二笑亭」とその作者の紹介者としてのみ記憶していた。山下清に後ろ盾になる医者がいたことは話として知っていたが、それが式場だったとは。
(つづく)
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by kaoruSZ | 2004-12-16 23:06 | この分類に含まれるもの | Comments(0)

1974年のTRANSSEXUAL(12)

(Jan Morris“Conundrum”についてのノート)

美しき日々、美しき人々

 私に寄せられた好意は、必ずしも同性愛的なものではなかった。私はまだ女らしい容姿にはなっていなかったが、自分は同性愛ではないということもはっきりと分かっていた。しかし、後になって気がついたのだが、イギリスの上層社会には、同性にも異性にも関心を抱く両性愛的な本能が強く脈打っていたのだ。パブリック・スクール制度、イギリス的風習の抑制、種々の変人や異端者に対する寛容さ等、上層社会の特性は、すべて、その背後に潜む男同士の関係を色濃く反映していたといっていいだろう。伝統ある英国陸軍の栄誉ある騎兵連隊もその例外ではなく、全般的には若い将校たちには、溌溂としていて容姿端麗であることが要求されていた。このような男同士の関心は、無邪気な騎士気取りであり、ある程度は遊びであり、そしておそらく、ある程度は代償行動だったのであろう。それが肉体的な関係にまで発展することもあったかもしれないが、私の場合は、そのような関係にまでは至らなかった。/とにかく、デリー騎兵——第九英国騎兵連隊でもそういう風潮が見られたことは間違いない。それは、連隊内の生活に暖かさと刺戟を加えていた。部下の頚が太すぎると愚痴をこぼす将校もいた。それを聞いて、優秀な戦車指揮官にそんなことを要求するのは不当だと思ったことを覚えている。下級将校がより集まって、自分達の容姿を競いあったりすることもあった。(46)

 立ち読みした本だが、『エロス身体論』で小浜俊郎は男女の非対称性を言うのに、女が男に惹かれるのにまるきり容姿が関係ないような書き方をしていた。しかも、男の側の容姿がこのようにひどくても、と具体的に書き並べるので、読者は立ち止まって記述の真実性に疑いを抱くと同時に、そこまで言いつのらねばならぬほど著者は容姿にコンプレックスがあるのかという意地悪な気持ちを掻き立てられる。
 一方、プロ野球選手会のストライキのニュースを見た荷宮和子が、「古田のルックスって、男としては間違いなく『いい男』だけど、女だったら間違いなく『ブス』だよな」と思った。「この種のコンセンサスが世の中に存在しているために、女に生まれてしまった側は不公平感から逃れられないわけだが、しかし、これをどうにかする方法が有り得るのか、と考えると、「うーん……」にならざるを得ない、とも思うのである」(『フェミニズムはなぜ没落したのか』)と書いているのも、筆者としては「うーん……」である。どうにかする方法がありうるかというより、どうなったら荷宮さんは満足なのか? 古田レベルの女が「いい女」とされればいいのか?(別に古田選手に恨みがあるわけではないが。)それ以前に、本当に男は顏ではないのか? 『なぜ没落したのか』がオウム真理教にも言及していたことからの連想だが、あの事件が発覚した当時、ある友人はあの醜男について行くというのがどうしても理解できない、と言っていた。(では、ペ・ヨンジュンならどう? 「オヤジ」が韓流ブームをバカにするのはたんなる嫉妬だ。彼と彼めがけて押しかける若くも美しくもない日本人女性たちの出会いは、「物事の子供っぽい裏面」(イジドール・デュカス)であり、子供っぽくも単純な真実を物語っているのではないか。)

「もちろん」仲間たちはモリスとは違って「女にも興味を示し」、女を買っていた。モリスは、誰もが巻き込まれているこうした男女間のゲームの傍にいながら(売春宿まで、はじめて行く仲間を送って行ってやったりもしている)、それにけっして加わることなしに、魅力的な若者たちと世界を巡っていたかのようだ。着いた港で友人と食事に行ったときのことを思い出すと、「なんとなく幸せな気分になる、ちょうど、女の人が、楽しかりし青春時代の初めて男と一緒に外出した夕べのことを思い出した時と同じようなものだろう」と言い、巧みな筆で映画の一場面のように切り取ったディーテイルを描き出す。
 忘れがたい友人オットーの肖像にモリスは三ページあまりを費やしているが、ここでは、「私はオットーを愛していたのだ」(49)というステイトメントと、夜、トラックの荷台に二人寄り添い、スエズ河畔を走っているとき、オットーがモリスの肩に腕を回して、「ちくしょう——君が女だったらなあ」(50)と言ったという回想を紹介しておけば十分だろう。
 軍隊時代を振り返ってモリスはこう総括する。

これが私の青春時代——少女時代の代用であった。

 除隊したモリスはジャーナリズムの世界に入る。通信社の海外派遣員になり、世界を気ままに旅行する生活に乗り出す。当時男でなければ絶対につけなかったであろう職業、のちに名声のさ中で打ち捨てることになる職業だ。モリスによれば、そうした行動的な生活自体、実は周囲との違和感の結果だったという。

 私は軍隊が大好きだったが、真にその一員になることはできなかった。この男性社会に身を置くことは楽しかったが、長くいるわけにはいかないということもわかっていた。また、いわゆる観察者の役割がなんとなく気に入り、それを職業とするまでになったが、それでもときどき、観察者であるよりも当事者になりたくてたまらなくなることがあった。ちょうど、子供のころ、東西両方の風景を自分のものだと思いながら、自分がそのどちらにも属していないことを感じていたように、私は今も、自分が人類のどの区分にも属していないような気がしている。(52-53)
 
 この世の中で、独立しているということは素晴らしいことである。また、自分が特異な存在であることを知るのは、誇らしいことにちがいない。しかし、完全に独自な存在で、仲間が全くいないということになると、人は、現実を、幻想のように感じるようになるものらしい。(53)
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by kaoruSZ | 2004-12-16 11:22 | 読書ノート(1) | Comments(0)

めざすか……和の暮らし

 昼休み、カモの形の塗りの箸置きを買いもとめる。こういうのを食卓におく余裕のある(お金があるという意味ではない、あってもいいが)生活がしたいものだが……。現実には、コンビニでもらうわりばしを割る日々。

 十二日までのマティス展、もう行けるのは八日(水)だけだったので再訪。もう一枚の招待券(期間限定)は知人にあげてしまったから自費で、入場券なしの方の列に並ぶ。前回より出足が相当いい。紅葉黄葉のあざやかさに、うちのささやかなもみじはなぜ赤くなる前に茶色になるんだとうらめしく思いながら並んでいると、一人おいて後ろで、裏の芸大の方は真赤に紅葉するんだ、ヌルデが、と言っているのが聞こえる。あれはヌルデだったのか、母がよく、上高に行く途中の真赤になる木、と言っていたのは。

 エウロパはヨーロッパの語源、いつも牛に乗ってるの、と奥さんであろう白髪の連れに説明しながら前を通るご老人。微妙ニ違ウンデハ、と思いつつ、好ましいのでついて行く。これは面白いね、と老人が立ち止まる。なるほど面白い。開いたフランス窓(とは、題名がなければ思わない)の窓外の景色の部分が黒く塗りつぶされている。窓枠部分はパステルカラー。

 前回よく見たから気楽に流して、気に入ったのには何度も近づいて、最初のほうに戻ってくると、早くも人が溢れている。土日ではとてもまともに見られなかった。カタログを買う気でいたが、ジュディス・バトラーをエピグラフにしたお茶大の人の評論、帰っても読みそうにないのでやめる。絵はがき、色に失望せずにはいられないが、フランス窓ほか、パステルカラー中心に買い足す。前回は友人に送るはがきをと2枚ずつ選んだが、今回は自分で飾るつもりで適当に。

 ぬるで(らしい木)、残念ながら葉を大部分落していた。木々の色は音楽学部の煉瓦によく合う。中の建物も変わっていない様子。落葉が吹き寄せられる美術学部の方ははなはだしい変わりようだ。清水坂へ抜け、「さえら」で休んだのち坂を下ろうとすると目の前に「円地」の表札。今も。不忍池の鳥の種類、変化することは知っていたが、最近個人的に(“隅田川テラス”で)おなじみになっていたカモメに遭って驚く。こんなところまでのしてきていたのか。ボート定休日で鳥の天国。水際の陸でカモとハトは共存、混在しているが、カモメはハトに威嚇されている。パンをやる人がいるとカモメは叫ぶのでうるさい。ときどきカモメがいっせいに舞い上がって飛行を見せる。

 周囲の道が舗装で固められてしまったのと、白鳥型のボートを入れたのが気に入らなくて池附近には近年あまり立ち入らなかったが(それでも今年の春には本郷から歩いてきて花に遭った)、思いついて下町風俗資料館に入る。できた当初二三度来たきりだから、ここもうっかりすると二十数年ぶり。長屋の展示変わらず。一軒を駄菓子屋にしたのが変化。買い食いの経験がないので駄菓子屋は懐かしくないが珍しい。備えつけのノートに、タンスの中身まで入っているのがよかったとあり、上がって抽出をあけて見る。奥が異界に通じているのは洋服ダンスで、ああいう抽出はやっぱり中で小人が畑を耕しているものだ。靴を履こうとしていると、入れかわりに上がろうとする女の人に、懐かしいですねえ、と声をかけられ、タンスの中にもいろいろ入ってますよ、小人(ウソ、帯締め)とか、と答える。懐かしいというより、実はうちにもけっこうあるものなのだけれど。すり鉢も味噌のかめも(使っていないけど)。長屋よりは上等な普請だが、雨戸も日々あけたてしているし。便所の窓まで雨戸つきで、長年、カーテンのある暮らしにあこがれていたものだ。

 祖母の桐箪笥は、展示の抽出と違って両手でまっすぐに力いっぱい引かないとあかない。中身がつまっているから。しめる時には、樟脳の充満した空気を押し出しながらしゅっとしまる。私の七五三の着物も、象の連続模様という洒落た裏地の祖父の羽織も、二重回しもそこにある。ずっとあけてないけれど、虫干しもしていないけどあるはず。どうにかしなければならない。

 父の葬式のあと、久しぶりにうちに上がった従兄姉たち、この家は建てて何年になるの? と懐かしがって言った。私が八つのときにできたんだけど、何年になるでしょう? と訊くと一瞬沈黙。こわくて言えない、と従兄。そんなばかな。じゃあこのうち、できてから十年? と従姉。いくらなんでもそこまでは。

 箪笥もインテリアとしてせいぜい使おうか。振子時計、動かなくても掛けるか。流行りの和の暮らしというやつだ。火鉢も揚げ板の下で埃をかぶっている。(今どき、揚げ板というものがあるまい。)父が生きているとき、戸田の家のベランダに水をはって置くからともらう約束をし、金魚が泳ぐか睡蓮が咲くかと父はその日の日記に書いているが、うっかり引き上げたら腰を痛めそう。家自体は骨董価値があるほどの年代物ではないし、京の町屋でも古民家でもなく平凡な外観だが、父が材料をよりすぐっているし、もう細工する職人のいない建具がはまっている。

 この家はふだんは誰も住んでいないんですか? 表通りに建った高層マンションによる電波妨害解消のため、外壁の高いところになにやら取りつけにきた工事人に言われ、え? そんなことないんですけど。植物にあまり手を加えない(要するにほってある。そのくせ、見えないところで草を切りそろえたりしている)のはたんなる好みなのだが……。住みつづけてゆくには外壁の吹きつけ、雨戸・手すりの塗り替え等、近い将来必要になる。しかしそれより何より、まず室内をどうにかしなければ……。年内はどうにも動きがとれないから、このままでは三が日に大掃除をしていそうだ。
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by kaoruSZ | 2004-12-10 00:08 | 日々 | Comments(6)

1974年のTRANSSEXUAL(11)

(Jan Morris“Conundrum”についてのノート)

男たちのあいだで

 性別適合手術はもちろん、ホルモンを使うことさえなかった時代に、男の恰好をして男たちの中で働き、男として生きた女性たち(アメリカの話だったと思う)について書かれた本を読んだことがある。彼女たち——彼らというべきか——の一人は、男同士の場合にのみ男たちが見せる、女に対するときには絶対に見せない態度の魅力について証言を残している。過去の無名のFTMトランスジェンダーは、あくまで男として男たちの中にあることに喜びを見出していたのだが、モリスが男に変装して男の社会に潜り込んだ女性に自分をなぞらえるとき、いうまでもなくそのようなケースは想定されていない。とはいえ、モリスもまた、そのような状況を楽しんでいたことには変わりない。

男性社会に潜り込んだ女の人は、誰にも見咎められずに盗み聞きがでいるという、特権的な立場におかれたような気もするにちがいない。一人の男として男たちの間にいるのがどんな気分のものだったか、私はもう忘れてきているし、今後もそのような状況に置かれることは、絶対にないといっていいだろう。しかし、それは、非常に楽しい体験であった。みんなが私に対して何の別け隔てもない態度を示してくれるのが、意外に思えた。みんなに受け入れられたことで、私は奇妙な満足感をおぼえた。(43-44)

 これはモリスが自分を男ではないと思っているため、男として受け入れられたことを「意外」と言っているのだが、同時にモリスは、性的対象としての「男」ならびに男だけの世界では「女」となりうる自分の魅力についても、けっして鈍感なわけではない。

 ところで、男性社会に潜り込んだ女の人の心を最も強くとらえるのは、何といっても、ハンサムで溌溂とした若い男たちにとりまかれている楽しさであろう。当時私は、その楽しさをあまり意識していなかったが、それをおおいに楽しんでいたことは間違いない。/(……)まわりの人たちは、ときどき本能的に、私の中に女を感じていたらしい。そういうことは、その後もよく起こった。女の人がそれを感じとってくれると、私は気が楽になった。その人の前で男らしいふりをするのは、気骨の折れることだったからだ。男は、それを感じとると、思いもかけないくらい親切にしてくれるのだった。したがって、私は、軍隊でも、ラーンシング・カレッジにいたころと同じように、庇護者にはこと欠かなかった。私の本が盗まれると、誰かがとり返してきてくれた。議論に負けそうになると、必ず誰かが支援にのりだしてきてくれた。英国機甲軍団の訓練所に入っていた時も、私のポンコツオートバイがなかなか始動しなくなって困っていたりするとすぐ誰かが手を貸してくれた。サンドハーストで私と同室だった士官候補生は、私の頼む雑用を、何でも、つまらないことほど熱心にやってくれた。勝手な憶測かもしれないが、彼はむしろ喜んで、その雑用をやってくれていたような気がする。
 こうした取り扱いを受けているうちに、私は、自分が切羽詰まった状況に追い込まれることなど絶対にないと思うようになっていった。そうなる前に、必ず誰かが、仲裁してくれたり、許してくれたり、私にかわって矢面に立ってくれたりするものと、勝手に決め込んでしまったのだ。こういう心理は、女なら誰でも、身に覚えがあるにちがいない。
(44-45)

 女が甘やかされ、依存心が強くなること。むろんそれは、肝心なところで権力を奪われていることの裏返しなのだが、後年、手術後のモリスも、若いころと同様に、これを不愉快でないと言っている。男に「なった」ことで他人の態度が変わった、以前にように軽く見られず丁重な態度で遇されるようになった、自分の中身は変わらないのにという意味のことを書いていたのは、たしかMTFの虎井まさ衛さんだったと思うが、モリスの場合はその逆で、ウェイターから軽く扱われるようになる。「もちろん、私にも、いすをひいたり、コートを着せかけたり、ドアを開けたりというような、習慣的に女性に対してはらわれる敬意は、ちゃんとはらってもらえる。しかし、そんなのはとるに足りない敬意であって、いっしょにいる男性だけが正式の客と見做されているということが、私にはよく分かるのであった」(211)

 けれども、そういうことはすぐに「ごく自然」に感じられるようになったとモリスは言う。「習慣と環境の力」はそれほど強いのだと。(まさに、「女はこうして作られる」である。)

「ふつうの女がもっと若いころにそれ[女に対するさまざまな制約]に適合していったのと同じような経過をたどって、それに適合しようとしていたのであった。もちろん、それは、決して不愉快なことではなかった。男たちの恩に着せるような態度が頭にくることはあっても、親切にされるのは非常に嬉しかった」(211-212)

 モリスは〈セクハラ〉にさえ「適合」するだろう。とはいえ、それは百数十ページ先のことだ。今は男として男たちのあいだにいたモリスの話をもう少し続けることにしよう。
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by kaoruSZ | 2004-12-09 09:38 | 読書ノート(1) | Comments(0)

女性的存在の拒否?

 私がOhno blogで、「女って根本的なところで、どうにも「惨め」な存在だという気がする」 という文に注目したのは、要するに「女は受動性を楽しめないから「惨め」な存在である」と読むことによってである。これはどういうことか?

 女に向けられて社会から発しつづけられているメッセージ——受動性を素直に楽しめ、能動的な存在になるのを諦めよ。つまり、女性性を受け入れることにより、「女にとって本質的な受動性」を拒否した結果の(ヒステリー者)から、異性間性交を享楽し子供を得る〈女〉になること。

 マゾヒズム=セクシュアリティ(ベルサーニ)、受動性=快楽であるなら、これを楽しめない〈男〉は惨めな存在か? 
 そのとおりだ。〈男〉とは、自分の惨めさに思い至らない存在なのだ。

 受動性が女のものと定められているために、それを「素直に」楽しめない女。それで思い出すのは、フロイトがペニス羨望と対にしたのが、男にとっての、女性的存在になることへの拒否であることだ。
 absolutewebの人びとによる旧サイトのスレッド〈「ジェンダー入門」講義〉に、次のようなやりとりがある。

286 名前 : 宮田 投稿日 : 2004/01/13/(Tue) 17:54:47
(略)そもそもこの問題を考えたのは、三脇さんと清田とのやりとりのなかでフロイトの「終わりある分析と終わりなき分析」が話題にでていたので、再読してみたからです。そのなかでフロイトは人間の精神生活の大切な部分を占めるのは「女性的存在の拒否」であるといっています。「女性的存在」とは人間関係に埋没してしまい、成長もなにも期待できないような生き方を指すのだと思いますが、フロイトによれば男女とも潜在的にこのような生き方を拒否したいと思っているのだそうです。彼は次のように言っています。「女性にとっては陰茎羨望ーー男性性器を所有したいという陽性の志向ーーであり、男性にとっては、他の男性にたいして彼が受身的、あるいは女性的立場をとらされることにたいする反抗である。」「女性的存在」から逃れたいのについ安楽な場としての「女性的存在」に逃げ込むという精神的運動は誰にでも経験あることだと思いますが、精神生活を知的生活と言い換えれば、「女性的存在の拒否」は言論人に限らず、一般の人も今こそ必要とすることではないかと思います。

287 名前 : 清田 投稿日 : 2004/01/13/(Tue) 18:52:08
(略)

288 名前 : 大野 投稿日 : 2004/01/13/(Tue) 23:04:23
(略)この点がWEB上という仮の空間と、現実空間の差になるのかもしれません。しかしどこでも「女性的存在の拒否」だけは堅持したいものです。


 略しすぎだけれど、ともかく「女性的存在」が退けられていることは見てとれよう。「人間関係に埋没してしまい、成長もなにも期待できないような生き方を指すのだと思いますが」——そんな解釈ありか? (ペニスにリビドーを集中させた男とクリトリスを刺激してもらえない女から成るカルチャーとはかくのごときものだということか。これではマゾヒズムを否定的にしか見られまい。)

 しかし、フロイトがあそこで言っていたのは、男にとって「他の男性にたいして彼が受身的、あるいは女性的立場をとらされること」、(あえてエディプス的図式を使って言えば)父によって性交されることが、どんなに拒否しようとも否定できない深い願望であるか、ということではなかったか?

*はじめから完全な形で得られる文がある(作品や夢がそうであるように)。理解するためにはそれを分析しなければならない。たとえ自分の文であっても。
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by kaoruSZ | 2004-12-07 22:27 | やおい論を求めて | Comments(6)

本八日未明

 海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ 航空母艦も火夫も  塚本邦雄

 同人本の小説で、台詞に引用された「海ゆかば」の歌詞「水漬く屍」に「みずつくかばね」とルビが振られていたのを、これは「みづく」と読むのだとそっと教えたところ、なんとかいうマンガに「みずつく」とあった(だから正しい)と言われ、鼻白んだことがある。辞書で「みづく」を引いてみると、例文として「海ゆかば」そのものが出てくるのだが。

 ところが、思いついてネットで検索したところ、「みづく」が大半ではあるものの、わざわざ「みずつく」と仮名を振ってある例もある。むろんネットは悪貨の温床とはいえ、なんと、「日本を想」い、「英霊に哀悼の意を表する」サイトまでが「みずつく」としている(よそ事ながら、そんなことでいいのか。しかし……もしかして本当にこう言う?)

 あらためて別の辞書で「みずつく」を見ると、なんとこの語で見出しがもうけられており、「みづく」とは同義語とある。言葉としては「みづつく」もあるらしい。であれば、こちらの方が古形だろう。(ただし、文語の現代仮名づかい表記はみっともないので、「みずつく」はやめた方がいいと思う。)先日、小学唱歌について書かれた新書で、「海ゆかば」の楽譜の写真を見た。歌詞は間違いなく「みづく」であった。

 家持がステレオタイプの文彩で聖武天皇を称えた長歌のあとに添えられた反歌は、千年ののち荘重なメロディーを得て甦ることになった。むろん、家持は、そんな広大な規模で水づき草むすことになる未来の屍など知る由もなく、大伴氏のdutyを「言立て」する修辞に力をつくしたにすぎない(作品に覚えていてもらった作者などいたためしがないとは、天澤退二郎の言葉だったか)。さらに、曲がつけられた昭和十二年には、海にも太平洋の島々にも、日本兵の屍はまだ放置されていなかったはずである。それが、ラジオから連日流されていた(上記の本によれば)音楽が止んだときには、歌詞の通り海にも地にも水漬き草むす屍累々となっていたわけだ。「海ゆかば」は美しい。その後ろに二百万の死者がいるのだから美しくないわけがない。 

 もう一箇所、ウェブでは、「大君の辺[へ]にこそ死なめ」の「辺」に「べ」とかなを振ってある例が散見された。私の父は昭和と同い年、小学一年の学芸会で主役の満洲国代表をやったと自慢していたものだ。世界の国々の代表が満洲国建国をことほぐという趣向で、顏を黒く塗った子は手に槍と楯を持ち、「アフリカではこの槍で猛獣と戦ってをります」と挨拶したという。ちなみに父の台詞は、「昭和七年三月一日、新たに誕生した満洲国、王道の下、楽土の上、三千万民衆は歓喜に満ちてをります」。(この人数でよかったかなと思ってウェブで調べたら、満洲国国歌に「人民三千萬人民三千萬」とあった。)満洲国代表を七つで演じた子供は、二十になった昭和二十年に召集されてその満洲へ送られ、満鉄の罐焚きに従事したのちハルピンで機関士になる訓練中に敗戦を迎え、遺棄されたハルピンの陸軍倉庫で食糧を調達、仲間三人で一路釜山を目指し、終戦の詔勅の半月後には日本に帰りついたのだが、「へにこそ死なめ」についてはこう言っていた。

「天皇陛下がおならをすると、あまりの臭さに兵隊がみな死んじゃうんだぞ。毒ガスだ!」

 というわけで、当時「べ」でなく「へ」と歌っていたことは確実だ。(こういう場合でも“陛下”を忘れないところが大正生れ。)

 私が日米開戦の日を知っているのは、ニューギニアで草むす屍となった(なっている)母方の祖父の戦死公報が届いた日付でもあるからだ(その時期になると母が繰り返し言っていた)。妻と未成年の子女五人を残しての、四十八歳の死であった。こちらは昭和十八年だったか、六十年たって祖母も母も亡く、すぐには確かめられない。

  死者なれば君らは若くいつの日も軍装の汗したたる兵士  
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by kaoruSZ | 2004-12-07 21:48 | にほんごのおけいこ | Comments(0)
 12月3日(金)、浜野佐知監督『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』を見に和光大学へ。四時半開場。二十五年位前に一度行ったことがあるし、駅から一本道だし、学生も歩いているだろうと甘く見たのが間違いだった。まず、降り口が反対だったようだが、頭の上に和光大学と大きな字で矢印が出ていたのでそっちへどこまでも歩いてしまった。途中で聞いて戻る。すでに日が暮れ、埼京線が通る前の戸田の西部のように真暗。昔来たときは昼間往復しただけだった。一時間近く遅れて入場。

 女同士で暮した若い頃の思い出がちらと出てくるが、上映後の浜野監督の話では、尾崎翠をレズビアンとして描くこと(事実はともかく)はさしさわりがあってできなかったという。『百合祭』については、単なる老人の性を扱った話だったらもっと受け入れられただろうという。要するに、最後のレズビアニズム不評ということ。(私はレズビアン&ゲイ映画祭で見た人から、最後だけしか出てこないと不満の声を聞いているので思いあわせて皮肉。)新作(まだお金を集めている段階)は湯浅芳子と宮本百合子の関係を描く『百合子、ダスヴィダーニャ』。著者の沢部ひとみさんがスライドを使いつつ、晩年の湯浅芳子と軽井沢の別荘で、こき使われつつ四回夏を過ごした話をする(著書にはない)。『百合子、ダスヴィダーニャ』の出演者、凛として媚びない女優がなかなか見つからないという。(ちなみにはじめて見る沢部さん、凛として媚びない人であった。)

 さて、こうした話を聞いてあらためて思ったのは、下記の私の書き込み(もちろん上の方)はやはりあたっているということだ。

>ところで、そうやって集まってきて友人になった人たちと普段私が話す環境では、ヘテロセクシュアリティは全く中心ではありません(もちろんそこから一歩出れば違いますが)。だからこちらのスレッドが、こうした話題を扱いながらあくまでもヘテロなのはちょっとしたカルチャー・ショックです。

どうしてカルチャーショックなのですか? 社会全体がヘテロセクシャル(いや、ヘテロセクシスト)なのに、ご自身は砂漠のなかのオアシスにいるのですか? それだと竹村のいる偏狭なアカデミズムと大差ないじゃないですか。べつに僕自身がヘテロセクシャルだからという意味ではありません。差別の矢面にさらされているなかで思考することのほうが僕にはリアルに思えるのですが。


 化粧をしないと外に出られないという感覚、どう考えてもおかしい。化粧がいけないというわけではない、ただ、したくないと思う人はとっくにしていないと、斉藤美奈子も新著で言っていなかったか。斉藤美奈子に言及したからとて、仮想読者はオヤジだなどと決めつけられてはたまらないが。〈私はジェンダー規範から自由ではない女、鈴木は自分だけ別世界にいるつもりか〉と、言いたければいつまでも言っているがいいのだ。

 以上の話は、「猫撫で声のイデオローグ」前篇で言及したサイトでのやりとりにからむもの。いずれ総括する予定。

 帰り、町田まで行って駅前で飲む(町田はただ一度、版画美術館に来て以来。何を見たかも忘れてしまった)。みな、比較的近くに住んでおり、私だけが東へ帰る。新宿-池袋間の混雑に閉口。
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by kaoruSZ | 2004-12-06 03:44 | 日々 | Comments(0)

1974年のTRANSSEXUAL(10)

(Jan Morris“Conundrum”についてのノート)

男の世界へ

 暴力に嫌気がさしてカレッジを飛び出したモリスは、英国陸軍に志願し、第二次大戦中でヴェネツィアにいた第九槍騎兵連隊に着任する。十七歳だった。だが、走りづかいの少年というわけではない——下士官である。モリスは言う——「なんとなく、栄誉やロマンスを求めて軽騎兵に変装して戦場に潜り込んだ数奇な物語のヒロインにでもなったような気分だった」(37)。この連隊というのが、たとえば日本の軍隊などからはおよそ想像できない、優雅な紳士の社交場なのだ。「軍隊での生活は、私を男に仕立てあげるどころか、逆に私の女らしさを一層自覚させることにしかならなかった」(37-38)というモリスは、「華やかさとクラブのような閉鎖性で知られていた」「粋で華麗な組織」(38)にしたがって、イタリアからエジプトへ、パレスチナへと移動——転戦ではない——して、至極家庭的な、連隊内での生活を送る。「私が在籍していた第二次大戦直後の時期には、第九槍騎兵連隊は比較的穏やかな任務についていて、完全な成人男性の世界での生活は不思議な優しさと思いやりに満ちているという印象を私にもたらしたのであった」(39)

 のちにこの連隊が解散することになったとき、モリスはジャーナリストとして取材に行って、ある軍曹から、「こういう連隊が長い間うまくやってこれた秘密の一つは、イギリスの階級制度にあると思います。つまり、そのために、兵隊たちは将校を羨んだりしなかった。差別があるのは当り前だと思っていたんですよ」(40)と言われる。「将校と兵士の間には、はっきりとした、深い溝があった」(39)というわけだ。モリス自身は、こういう差別はなくした方がよいと考えて、上官というよりも仲間として部下に接し、部下の方でも特別の信頼を示してくれたと回想する。そして、「将校たちの間には強い家族的な意識があって、まるで軍隊にいるような雰囲気ではなかった。年齢は無視され、階級もあからさまに問題にされるようなことはなかった。誰に対しても特別な敬語は使われなかった。連隊長は「ジャック連隊長」「トニー連隊長」などと呼ばれ、他の人はみんなクリスチャン・ネームで呼ばれていた。将校間の敬礼は、便宜上習慣的に行なわれているにすぎなかった」(40)「当時はまだ、こういう仲間のあいだでは、それなりの教養や品性が要求されていたものだった」(41)

 ところで、もし女の人が、うまく若い男に変装して、二十[はたち]前の男たちの閉ざされた特殊な社会に潜り込んだとしたら、その人はどういう気がするだろうか? ちょっと想像してみていただきたい。/というのは、自分がまさにそういう状況に置かれていると、私には感じられたからだ。軍隊でまず痛感したのは、私が、他の同年配の男たちとは根本的に異なっているということであった。他の同僚たちと同様、女の子たちとの交際をおおいに楽しんだが、私は決して、彼女たちと寝たいとは思わなかった。同僚たちの心を占めていたような性的欲求は、まるで感じなかった。私の性的欲求はもっと漠然としていて、接合よりも愛撫を求めていたのだ。私は、ほんとうは、男の愛を求めていたのであろう。しかし、そうだとしても、その欲求は抑制されていた。性別[ジェンダー]に関しては、私と友人たちとの間では、チーズとチョーク、ドンドン叩く音とセレナーデ位の差があることがわかった。兵士たちの心を一つに結びつけ、数多くの苦難に対して勇敢に立ち向かわせる男性的な衝動——まさに男性的な感覚であるその衝動を、私はどうしても実感としてとらえることができなかった。(42-43)

 チーズとチョーク。また難しい比喩を。「ドンドン叩く音とセレナーデ」とは、リズムとメロディーの変形というわけだが……。

 もし女が男だけの世界に潜り込んだとしたら、その女の人は、まず、津々たる興味にとらえられるにちがいない。敵陣に忍び込んだスパイや、伝統あるロンドンのクラブに招待されたディナー・ゲストのように、彼女は、他の人びとの行動を観察するのに熱中することだろう。私も、まさにそうだった。第九槍騎兵連隊で、この社会の形態や態度に対して人類学的とも言えるような興味を抱くようになったおかげで、私は今日の職業にたずさわることができたのだと思っている。文筆家として必要な分析力や観察力も、連隊内にすわって、誰にも気づかれずに分析や観察をくりかえしているあいだに身につけたものだ。それによって、私は、自分が他の人たちとはかけ離れた、全く別個な存在だということを悟った。他の人びとの行動には、男性的な性的衝動が深くかかわりあっていたのに対し、私の場合、それがまったく見られなかったからである。(43)
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by kaoruSZ | 2004-12-05 22:35 | 読書ノート(1) | Comments(0)